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「だとしても、金は大事な友です」


 空は見事な夕焼けで、白くそびえる入道雲が淡く桃色や橙に彩られて美しく、まるで彩雲のようで、西の茜や東の瑠璃を引き立たせていた、そんな、梅雨も明けそうな文月に。
 僕と九郎はいつものように泰衡殿のところに来ていたのだけれど。
「おかしい」
 腕を組んで九郎が庭の向こうを見ていた。僕も黙ったまま同じ方向を見ていた。
「何かあったんだろうか」
「そうですね。たまたまなにか、帰り道に彼の気を引くものがあって、寄り道でもしているのかもしれない」
「そのまま堀に落ちてしまったのかもしれない。だったら危ない!」
「……確かに、その可能性はあると思います。ですが、『かも』、です。彼だっていつも定刻に帰ってくるとは限らないでしょう?」
「あいつはお前と違って律儀だ」
「……否定はしませんけどね、でももしかしたら可愛らしい彼女と逢引の最中かもしれないのに? そういうの大きなお世話っていうんですよ」
「大きなって……俺はあいつが心配なだけだ!」
「だからって、今ここで君が飛び出して行っても仕方ないと思いますが」
「全くだ」
 九郎の向こう隣りにいた泰衡殿もいよいよ呆れ果てたらしく、眉間にしわを寄せる事さえ放棄して、くるりと屋敷の中へ向き直った。
「犬一匹いなくなっただけでなんだ。御曹司、お前はまだ自分の立場を弁えていないようだな」
 いい加減うんざりと言わんばかりの(それでもこの日は彼にしては随分と九郎の戯言に協調し耳を傾けていたように思っていた)言葉と共に、泰衡殿は日陰に腰を落とし、暑苦しそうな髪を払った。けれどそんな態度、九郎には当然逆効果だ。
「もう分かった! そこまで言うならお前たちには頼まない。一人で行く!」
 案の定、僕らを一睨みするやいなや、彼は九郎は鏑矢のように飛び出して、行ってしまった。
「あーあ。泰衡殿が悪いんですよ」
「本当の事を言ったまでだ!」
 そして泰衡殿もすたすたとわき目も振らずに奥へと消えて行ってしまった。
(でも、今回は僕も泰衡殿に同意だな)
 思いながらも、残された僕は。
 当然、九郎を追いかけた。


 長く伸びた僕の影が、比較的すぐに九郎に追いついた。
「九郎!」
「うるさいしつこい! 止めても無駄だぞ!!」
 走りつつも振り向いた彼の決意は固そうだった。
「仕方ないから僕も一緒に行きます」
「さっきまで散々言ってたくせに!」
「言いますよ、本当のことですからね、でも、君を一人で行かせるわけにはいかないです。だから、待ってください九郎」
「そうか……」
 それでも叫べば、ようやく彼も立ち止まって、そして嬉しそうに笑った。
「ありがとう弁慶」
(また、随分ときらきらと輝いてる)
 夕日に照らされた彼を見、この時の僕はまだ素直に思ったに留まっていた。


 そうして僕らは金を探し始めた。
 金は賢い犬で、いつもは夕暮れには必ず泰衡殿の屋敷に戻っているのだけれど、この日は珍しく帰っていなかった。それを気に病んだ九郎が探しに行こうと言いだしたのだ。
「冬ならともかく夏だから、君がそんなに心配することでもないと思いますけど」
「まだその話をするのか? だったら帰れ」
「君が随分と焦っているから落ちつけようとしているんです。今更もう戻ったり止めたりはしませんよ」
「急いで何が悪い」
「だから、今の君は『急ぐ』じゃなくて『焦る』だと言いたいんです。大事な事を見落としかねないですよ。ほら、考えてみましょう。まずどこに行きますか?」
「それは決まってる」
 即答した九郎にしたがって、とりあえず、金と九郎がいつも遊びにいくところを辿ってみることにした。まずは無量光院。そのまま僕らの家の近くを抜けたので、ついでに灯りを持ってきた。中尊寺の参道を登っている途中で日が暮れて、真っ暗になってしまったので早速役にたった。
 けれど金は見当たらなかった。
「金ー! くがねー!」
 じんわり暑い宵闇の中。九郎はせっせと金を呼びながら歩いていた。僕ももちろん、金は心配だったけれどそれ以上に彼を信頼していたので、滲む汗を拭いながら九郎の足元を照らすことに専念した。
 それでも。
「くが…っうわ!」
 九郎は足を滑らせた。とっさに体制を立て直したけれど、相当驚いたみたいで、胸を押さえ、心の底からといった風に胸を撫で下ろしていた。
「……びっくりした」
「金を見つける前に、君が怪我をしたらそれで終わりなんですからね」
「……気をつける」
 とはいえ、慎重に歩いていたのは最初だけ。すぐにまた夢中できょろきょろとしながら金を呼びまわった。
 山を降りたら次は毛越寺。
「これが君と金の散歩道なんですか」
「ああ。だいたいこんな感じだ。時々もっと山の中まで行ったりするけど」
 昼間はじっとしてても汗ばむ陽気だったのに、気温もどんどん下がってきた。汗が冷えてきて、上着も持ってくればよかったな、と思ったけれど今更遅く。
(こうなったら金を早く探して戻らなきゃ)
 前を歩く九郎の髪が温かそうだな、と思いながら、それを追った。瞬く星々がほんのりと景色を浮かばせていた。あんなに立派だった入道雲もなくなっていて、雷の心配もなさそうだった。
 結局、毛越寺のあたりまで来ても金はいなかった。もちろん、堀に落ちてたりもしていなかった。
「もっと他に金の行きそうなところは知らないんですか?」
「……あいつに好きに走らせると、大抵今の道を逆に辿ってる。ただたまに、本当にたまにだが、伽羅御所を通り過ぎて川の向こうまで行く」
 九郎は静かに、丸い月が昇っている方角を見た。僕も見た。
「……行ってみますか」
 空を見上げたまま問えば、返事なく九郎は頷いた。
 月灯りに照らされた対岸は既に静寂に包まれていた。梟の声も僕らを包むように響いて、なんだか少しだけ心元なかった。

 橋を越えて。川を越えて。
 最悪は、この北上川に落ちてしまっていることだった。金は泳ぐのも得意で、よく僕や九郎と川で泳いで遊んだりもしたけれど、これだけ暗ければそれも適うか分からなかったし、なにより夜の闇の中で探すことは難しい。
 だから僕らは不安に蓋をして東へ向かっていった。
 東といえば、僕が去年遭難しかけたところ、つまり九郎の隠れ家があるところ。金はもしかしたらそこへ行ったのかもしれない、とは僕も思っていた。
 金は九郎ととても仲が良かった。飼い主は泰衡殿で、金もそれを分かっている風だったけれど、それでも九郎に対しての親愛は別格だった。現に、平泉に限れば九郎と誰より長い時を共にしたのはきっと金だ。きっと憐憫めいた感情に僕の胸がちりりと痛んだ。
 川を越えてすぐのあたりは昼間ならよく市がたっているところだった。夜だからひっそりと静まり返っているけれど、民家は多く。
「金!」
 さすがの九郎も、声を落として呼んだ。きっと金なら九郎の臭いがするだけで飛んできそうだから、それでも構わないと僕は思って無言で続いた。それでもやはり騒がしかったのだろう、何人か近隣から人が出てきて、僕らを呼びとめた。
「あれ……もしかして御曹司殿ですか? どうしましたこんな時間に」
「犬を探しているんだ。見なかったか?」
「犬ですか? さあ、何頭か見かけましたけど、それが御曹司殿の言う犬なのかどうか」
「ああ、御曹司殿の犬っていえば、金ちゃんだね」
「知っているのか?」
「ええ知ってるよ。昼間……夕暮れよりも一刻早いくらいだったかね、この道を東に走って行ったよ」
「やっぱり」
 僕と九郎は顔を見合わせた。
「助かった!」
「ありがとうございます」
 そして礼を言って、一層足を速めて僕らは東へと向かって行った。
 次第に集落も途絶えてきて、いよいよ村はずれの森の中にさしかかって。
 それでも金は見つからなかった。
「この先の道はもう上り坂だけど…」
 九郎の心配も増していたけれど、僕らは一旦立ち止まった。
「山の中に行ったりもするんですか?」
「ああ」
「ではやはり、君の」
 その時。
「どうかしましたか?」
 少し道から外れた家から一人の大柄な男が出てきた。
「この辺の人ではないようですが」
「犬を探しているんです。これくらいの、黄金色の毛並みの」
「犬、ですか?」
 きこりだろうか、僕の照らした、筋肉質な体躯に似合わぬ丁寧な口調の男に、九郎がやはり丁寧に聞いた。途端、それまでがまるで仮面かなにかだったかのように、男の口がにいと割れた。
「ああ、見ましたよ」
「どこで!?」
「昼間、捕まえました」
「捕まえた……?」
 一転、下種さを帯びた声音に九郎が身構えた。僕も片手に松明を持ちながら、帯刀していた小太刀に手をかけた。
「ああ。捕まえて、売っぱらった。犬を欲しがってる奴はいくらでもいるからな」
「金を……売っただと?」
「ああそうさ。犬は高く売れるんだぜ。狩りに使うもよし。やんごとなき方が番犬にするもよし。煮て食べるもよし」
「あれは、野良犬ではないぞ」
「ふらふらこんなところを歩いてるのが悪いのさ」
 本人の言うように悪びれた風もなく…むしろ誇るように言い放った男に、さらり、と刀を抜いた九郎。
「んん、なんだ?」
「許さない」
「はっ、許すもなにも、もうあいつと交換した酒は俺の腹の中だ」
「……許さない!」
 僕は九郎の斜め前に進み出て視界を照らした。
「そんな細っこい腕と刀で何をやろうってんだ」
「お前を倒す!」
「そうか。だったらお前も売ってやろうか」
「……人も売るんですか」
「当たり前だろう。森で猪を狩って売るのと一緒さ。なにか問題あるか?」
「あるに決まってる」
 透き通った九郎の声。
「誰もお前の金づるになんかされる云われはない」
 かちゃりと太刀を構えなおす音がした。
「それに、あいつは俺の友だ」
 長い髪がゆらりと揺れた。そして。
「友を傷つけるやつを俺は許さない!」
 僕はこの言葉を聞きたくてここまで来たのかもしれなかった。
 何もかもを裂くように九郎の太刀が翻った。一閃。月明かりを浴びた太刀はきらめいて、まさに雷の如く。瑠璃の稲妻。
「ぎゃあ!」
 随分と間抜けな声で男が尻もちをついた。体制を立て直すより先に、首元に九郎が刀をつきつけた。
「言え」
「何を」
「どこに売った」
「適当に会った奴に売ったから分からん」
「言えと言っている!」
「わかんねえもんはわかんねえんだよ!」
「そうでしょうか」
 僕も一歩近づいた。
「犬を買う人間は先程あなたが言っていた通りに色々いらっしゃいます。けれど、普通の人……たとえば僕みたいな庶民はわざわざそんな事はしません。生活にそんな余裕は無いし、犬が欲しいなら野良犬を捕まえたほうが早いですから。だから、ある程度限られた人だけなんです。……あなたもあたりをつけて売りにいったのではないでしょうか」
「そうなのか!?」
「しつけえな!」
「人間まで商品にしているのでしょう? あてがないとは……思えませんけどね」
 言いながら僕は懐を探り、包帯を取りだした。
「とりあえず、御館に突き出しましょうか」
 歩いていた犬を売っても……彼も言うとおり、罪になるかは分からない。けれど人浚いをしているならば、金の事を抜きにしても見逃せなかった。
「ああ。そうだな」
「分かった分かった! 言う言う、言うから見逃してくれ」
 途端態度を翻した男に、九郎は少し考えこんでいた。天秤にかけていたのだろう、それでも彼ははっきりと言った。
「……それはできない。嘘を言うかもしれない。見逃すなら、お前を捕まえて金のところに案内させてからだ」
「そうか、じゃあ案内する、だからその刀を引っ込めろ」
「その前に、腕だけ縛らせていただきますね」
 僕は包帯でくるくると男の両手をしっかりと縛った。そして襟首を引っ張り上げた。
「行くぞ」
「ちっ」
 しっかりと男の腕を掴んで、僕は九郎の後を追った。ちなみに、九郎はああ言っていたけれど、僕はこの男を見逃すつもりはさらさらなかった。
 男も、少しでも変な動きをしたら九郎に斬られると分かっていたんだろう、大人しく僕に従っていた。
 けれど。
 僕らが元来た道を戻り始めてすぐ、前方から赤い灯が近づいてきた、と思ったら、わん、と犬の鳴く声がしたのだ。
「この声は……まさか、金!?」
 九郎は駆けだした。わん、ともう一度鳴いた犬が視界に入った。僕にも見えた。金だった。
「金!」
「無事だったんですね」
「おい、痛っ、待て待ってくれ!」
 僕も男をひっぱり追いかけた。金も僕らに向かってきた。それを九郎が受け止めぎゅっと抱きしめ安堵の声を零した。
「金……よかった」
「けれど、どうしてここに?」
 その疑問はすぐに晴れた。
「だから言っただろう、金は貴様と違って賢い犬なんだ、御曹司」
「泰衡殿」
 と、彼お抱えの武士たちが金の後ろから向かってきたからだった。
「泰衡……って、藤原のか!?」
「さあ、他に、こんなに武士を従える力を持つ泰衡という人物を、僕は存じ上げませんが」
「そんなん、聞いてねえよ……」
 僕の言葉と、いよいよ近づいてきた泰衡殿に、みるみるひきつった男の顔。
「その男はなんだ? 弁慶殿」
「人浚いです。たまたま見つけました。金もこの男に勝手に売られたと僕らは思っていたんですが……」
「金なら毛越寺の本堂の裏で一日中遊んでいたそうだが?」
「え?」
「浚われたのでは、なかったのか?」
「だから言っただろう」
 たしかに犬などいくらでもいるけれど、いたけれど、
 ここまで見事に勘違いを……よりにもよって僕までするなんて。
 そんな僕らを泰衡殿は闇夜でも光る眼光で一瞥。
「……にも関わらず、貴様は貴様の勘違いで騒々しく街を練り歩き挙句の果てにこの俺まで貴様を探しにいく羽目になったんだが、どうしてくれる?」
「だが、その」
 迎えに来てくれと頼んでない、とはいくら僕たちでももう言えず。
「ちなみに、これは御館の指示だ」
「……」
 金が無事だったのはよかったけれど、でもそれで片づけることも……さすがにできず、
捕まえた男同様、僕らもただ、泰衡殿の前では小さくなるしかなかった。



 夜も更けていたし、一段と冷え込んでいたけれど、僕らはそのまま柳之御所の御館のところに連れて行かれた。
(罪人の心地だ……)
 赤々と松明燃える庭を抜け、通された部屋には既に御館がいた。疲れが浮き彫りの顔で、もしかしたら九郎や僕を心配して待っていてくれたのかもしれなかった。
 泰衡殿に促され、九郎と、僕と、男がその前に座した。その間に、郎党の一人が御館に耳打ちした。きっと事のあらましを説明していたのだろう。
 それが終わったところで、ぐるり、と御館がこちらを見渡した。
「まずはそこの男」
 相変わらずに重厚感のある声で、空腹の腹にぴりぴりと響いた。
「人浚いはここ奥州では禁忌としている。知っているな?」
「へ、へぇ」
「そして、そなたが人を浚っていたのは事実だな」
「も、もうしわけございません!」
 言い逃れするかな、と思っていたけれど、男は素直に罪を認めた。
 それだけの気迫がこの御館には備わっていた。
「連れていけ」
「御意」
 すぐに控えていた武士たちが男を連れて行った。ちらりと盗み見たその姿はさっきまでと違い、随分と情けないものだった。
 僕は反対隣の九郎も横目で見た。九郎も神妙な顔で沙汰を待っていた。ぎゅっと拳を握って、何を言われるのか分かっているのだろう、瞳はいくらか頼りなかった。
「さて、次は御曹司殿だが」
 御館も九郎に向き直った。
「……はい」
「夕刻から、戻らぬ犬を追ってあちこち探し回った。と、聞いている。間違いないな?」
「はい」
 正直に九郎は頷いた。それを見た御館の眉がぐいと釣り上がった。そして立ち上がり、一歩、前に出て。
「馬鹿者! 夜中に不用意に出かけるとは、なんということだ!」
 その声は僕だけでなく、柳之御所全体を揺らした。九郎がびくりと身をすくませた気配がした。そして僕も。
「お二人は京にいた時分、夜な夜な暴れまわっていたという噂は聞いておる。それに関しては儂がとやかく言う事ではないだろう。だが、ここはもう京ではなく奥州だ。……冬ではない分まだ良かろう、だが夏は獣も多い。夜盗の類だっている。それを知らぬ九郎殿ではないだろう?」
「……はい」
「九郎殿はここへ来て何年だ? 二年は過ぎた程だったか? 儂はそなたを武士としてお迎えさせていただき、それなりに助力してきたつもりだ。だが、そなたは未だに御曹司の価値を心得ておらぬのか! そなたの存在はそれだけで重いのだ。……もしそれが分からぬと仰るなら話は早い。儂が今からこんこんと叩きこんで差し上げればいい。ですが、違うであろう? ちゃんと分かっておる上での行動なのだろう!? それに、だ。我が藤原家はそなたの連なる源氏にただならぬ恩がある。ゆえに儂はそなたを守らねばならぬのだ。今ここで九郎殿に何かあったらそなたの兄上に顔向けができん!」
 御館の言う事は全てにおいてまっとうで正論だった。この人は兄に似ていた。言い返すことはおろか、正面から見つめ返すことすら僕にはできなかった。
「分かったら、二度とこのような事がないように、くれぐれも気をつけてもらおう。薬師殿も同様だ。次回は共謀することなく止められよ!」
 どん、と床を足で打った御館に、素直に頭を下げるしかなかった。
 けれど九郎が動いた気配がなかった。
「御館の仰ること、もっともだと思います」
 代わりに声がして。ゆっくりと僕が横にいる彼を見やれば。
 九郎はまっすぐに御館を見上げていた。
「ですが、俺が金を探しに行ったのは、金が友だからです」
 それはそれはまっすぐに御館に告げていた。
 当然、御館の眉は釣り上がり。
「九郎殿、そたなが心優しいのは分かる。儂もそういう所は大事にすべきだと思っている。だが、あれは犬だ。人ではない」
「だとしても、金は大事な友です」
 九郎は繰り返した。
「最初は、もう一人の俺だと思っていました。捨てられ、寒さに一人震えていたところを藤原家に拾われた、それが他人とは思わなかった。それから一年、誰よりも金と共に時間を過ごしました。共に平泉の街を回り、この町の好いところも悪いところも共に見てきました。そんな大事な友なのです。そして、俺は源氏の血を引く者です。御館の仰る通り、弁えるべき立場です。ですが、俺は御曹司以前に友を助けられぬ男なりたくなどない! なにより御曹司であるからこそ友や、世話になった人を大事にしたい。そうでなければ、俺こそいざ兄上の元に馳せ参じる時が来ても、会わせる顔がないのです!」
 膝の上で拳を握りしめて九郎は言った。声や威勢と裏腹に少し震えていたように僕には見えた。それが怖れなのか、気負いなのか分からないけれど、御館を見ていた。
それはおおよそ今まで九郎が世話になっていた御館に向けたことのない種類の。その目が綺麗だと僕は思った。けれど御館は相変わらずの眼力で九郎を威圧していた。
「御曹司、わしに逆らうか」
「違う、ただ譲れないだけです。同じことがあったら俺はまた繰り返す。でも御館なら分かってくださると俺は信じてます……ですが、今回は少し軽率でした。罰ならなんなりと下してください」
 こんな丁寧な言葉、どこで覚えたのだろう。まるで御曹司のようだった。
 僕は成り行きを見守るしかできなかった。
「ならば、3日間謹慎しておれ。弁慶殿も一緒だ、一歩も外に出てはならぬ」
「はい」
「それとついでに。来年からは畑仕事の手伝いはやめよ」
「……はい」
「以上だ」
 そして沙汰は終わり、御館は立ち上がった。
 隣に控えていた泰衡殿が頭を下げて、その前を通り退出しようとした御館を、けれど僕らは呼びとめた。
「御館」
「此度の事、申し訳ありませんでした」
「ご迷惑をおかけしてしまいました」
「……ならば、きちんと三日間大人しくしておられよ」
「はい!」
 あまりに無垢な笑顔で返した九郎に頷き、今度こそ御館は出て行って、泰衡殿は僕らを一瞥してそれに続き、
二人きり残された僕たちはすっかりと気が抜けてしまって、茫然としてしまったけれど。
「……帰りましょう」
「ああ」
 少しして僕らも外に出た。
 月はすっかりと巡っていた。南中を過ぎていたかもしれない。随分な時間を過ごしてしまった。謹慎中の身でありながら、きっと明日は寝過ごすだろうな、と思った。
 僕らは暫く無言で歩いていた。
 あたりも静かで、松明の火の爆ぜる音と足音だけが僕らを包んで、さらに気温も落ちていて、そのせいでなんだか月が大きく見えて、天の川も瞬いていて、ついでのように僕は九郎に話しかけた。
「驚きました。君が、あんなに御館に刃向うなんて」
「刃向ったつもりなんかないぞ」
「そうかもしれないですけれど、今までの君だったらああまでは言わなかったでしょう?」
「そうか? んーそうなのかもしれないな」
 僕の少し前を歩く九郎は大きく伸びをした。まっすぐな背の上で長い髪がゆらりゆれた。
「だからじゃないと思うし、御館には悪い事をしたとも思っているけど、俺はなんだかすごくすかっとしてっ?」
 でも、そこまで言って、躓いた。
「九郎?」
「あ、いや」
(歯切れが悪い)
 僕は彼の手をとっさにとった。すぐに分かった。
「……熱があったんですか」
 九郎は口をつぐんだ。だんまりは肯定の証拠だ。ああ、これで走り回っていたなんて本当に御曹司失格だ、と思った。いつもだったら口にしていたと思う。けれど。
「頑張りましたね」
 さっきの御館への言葉のせいだろう……この日は激励したい気分だった。
 途端、九郎の顔が夜の闇でも分かるほどにかっと赤くなった。
「……、またそうやって、年下扱いするな」
「事実でしょう?」
(そういうつもりで言ったわけではなかったんだけど)
 思えど敢えて否定せずに僕は九郎を見つめた。
 だって、いつから具合が悪かったのだろう。僕は少しも気付かなかった。
(持病の頭痛もそうだけれど、君はたまに大いに隠しごとをする)
(先程の御館とのやりとりだって)
 そんな言葉も飲み込んで、僕は九郎に両手を伸ばした。
「肩を貸しましょう」
「いらん」
「薬師の言う事は聞きなさい、御曹司殿」
「っ!」
 御館の言葉を借りて脅すように言えば、結局、九郎は素直に僕にもたれかかった。
 触れた九郎の体は熱かった。

 戻って、薬を飲み横になると、九郎はすぐに寝てしまった。
(そんなに辛かったんだ)
 僕は部屋を暖めながら、枕元でしばらく彼の顔を眺めていた。
 こうして九郎の顔をじっと眺めるのは久しぶりだったはずだった。
 あどけなさはいつの間にか消えてしまって、端正な顔立ちばかりが目立っていた。
 苦しいのか、眉が寄っていた。とはいえ、九郎はどちらかといえばよくこんな顔をしていた。人生は顔に出る、と言うけれど、実際、九郎という人間の全てがそれに詰まっていたと言えるのかもしれない。短気で、怒りっぽい九郎。特殊な育ちゆえに当たり前の事に惑ってしまう九郎。
 見つめながら、僕の脳裏に浮かんだのは先程の、最後に御館に向けた笑顔だった。
「……君は強いな」
 あんなに複雑に育ってきたのに、あんなに見事に笑う九郎。あんなに真剣に御館に金の事を話せる九郎。
(ああ、御曹司なんだ)
(いつの間にこんな魅力を身につけていたんだろう)
 この頃誰より彼の傍に一番いたと九郎自身も言っていた金は知っていたのだろうか。
 変わっていく九郎の姿をずっと見つめていたのだろうか。
 たしかにあの奔放な立ち振る舞いは、源氏の名を引くものとして相応しいものではないだろう、けれど……ありふれた言い方しかできないけれど、それを良しとしてしまう魅力が九郎にはあった。資質があった。親友の開かせたそれを確かに僕は垣間見て、ようやく僕は彼の本質を知った。
(孵った)
 前にも似たような事を漠然と思った事があった。けれど今度こそ僕は理解した。
 きっと血筋の宿命など関係なく、彼は平凡な人生など辿らない。辿れない。僕はこんな男に興味本位で着いてきてしまったのかとはじめて思い至った。それはあまりに浅はかだった。それ以上に不遜にも程があった。
(親友なんてもう言えない)
 唇が戦慄くのを抑えられなかった。
(……君はいつだってそうやって無自覚で、無防備で…………)
 うっすらと月明かりに照らされた九郎は透明だった。起こさぬようにそっと頬を寄せた。吐息は熱かった。僕もそっと息を吐いた。熱っぽい気がした。
(九郎の熱が僕に移ってしまったのかもしれない)
(まさか今更に。こんなところで)
 巻き上がった感情の正体を判ぜぬほど僕は幼くはなかった。
 その感情の行きつく先を知らぬほど、幼くもなかった。
 けれど、それに喜びもしくは頬を染められる程に僕は純情でもなかった。

 身を起こし、僕は耳を澄ました。鳥も鳴かぬ夜に、ただ規則的に九郎の寝息だけが聞こえた。
 外はきっとなおも晴れていて、星がなお綺麗に見えただろう。
 けれど僕の心には雨落ちた。しばらくやみそうにもない雨が。




これの下書き書く少し前に、金いつからいるのかな〜って知りたくて例のドラマCD聞いてたのに
(ちなみに結局それは私には分からなかった)
まんまとそれと被った内容の話を書いてしまいましたが、
あれの補完とかそういうつもりは一切なかったです!!!
けど、今になってから折角だからきっちり聞きなおして寄せとけばよかったと思える
(11.09.2012)


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サソ