home >> text >> contents
「こんな風にまっすぐに」

 平泉での二度目の冬が終わり、三度目の春が来た。
 春。
『花見の頃までに戻ってこいよ!』
 手を振って僕を見送った九郎を思い出しながら、僕は平泉までの旅路を急ぎ飛ばしていた。
 京で少しのんびりしているうちに、すっかりと花が咲いてしまっていたのだ。
 僕は急いだ。野宿も厭わず、馬にも少し無理をさせてしまった。平泉の冬から春になる時に氷柱がいつしか消えていくみたいに、僕の心の何かも少しずつ溶けてゆくことも気付かずに、もしくは僕と似たような速さでどんどんと蕾を開いていく桜の花同様にほころんでいく心に気付かずに、駆け抜けた。

 奥大道から平泉に入ると、見間違えようのない姿がすぐに見えた。
「九郎?」
「弁慶…? 弁慶!弁慶だ!」
 金が鳴いて、九郎よりも先に僕の所まで駆けてきた。馬が少し怖がって暴れたけれど、すぐに追いついた九郎が頭を撫でればそれもすぐに収まって、彼に頭をすりよせて。
「どうしたんですか?」
 馬を降りながら問うと、九郎は笑顔ながらも不満気な声で。
「久しぶりに会った友にそれか? しかも、花見は一緒にしようって約束してたのに、こんなにぎりぎりに」
「それは、ごめんなさい。ですが、まさかこんな所で会うなんて……もしかして、何か厄介な事でもあったんですか?」
「いや、ただの散歩の一環だ」
 本当に何も無いのだろう、と思えるほどに朗らかに、九郎は胸を張って返した。僕はそんな姿に吹き出した。
「なんだ、何がおかしい」
「いえ、ただいま、九郎」
「ああ、おかえり。いいから行くぞ。御館に挨拶したら花見だ。昨日酒を貰ったんだ」
「今からですか?」
「当然だ!」

 そして、僕らは柳之御所に寄り、御館や泰衡殿に挨拶をした後、高館の屋敷に戻って、旅の疲れも気にせず花見を始めた。
「ほら呑め」
「君に酌をしてもらうなんて、なんだか贅沢だな」
「そうだ。源氏の御曹司の酒だぞ。呑め」
「ありがとうございます」
 そんな会話をかわしつつ、僕も九郎に酒を注いで、そして後は止まらず酒を飲みまくった。
 花は九郎があれだけ騒いでいたほどには咲いていなかった。むしろ蕾の方が多いくらいだった。けれどそんな事を指摘することなく飲んだ。陽射しの下、綺麗に咲く桜を眺めながらのそれは最高の贅沢に思えた。
「あまり飲むなよ」
「そんな。勿体ない」
 九郎はこの頃からどんどんと酒に強くなっていた。藤原家の郎党や、その中でもとびきり気の合う何人かとよく飲み明かすようになっていたからだと思う。僕もそれに混ぜてもらったりすることもあったけれど、どうしてか……平泉という土地柄かなにかなのか、皆強くて、とてもじゃないけれどつきあっていられなかった。他の人……たとえば八葉の中でも、景時や将臣くんはやはり僕よりも強かったし、源氏でも平家でも熊野でも、酒好きはいくらでもいたけれど、平泉の人はいくらか常識の枠を外れていたと思う。
 ということで、九郎からしたら、僕は「弱い」部類に入ってしまっているようだった。
 それが悔しくて、これまでもこれからも、九郎に負けじと深酒をすることもあった。けれどこの日はそれとは別に、ただ僕は機嫌がよかったからつい、調子をあげてしまっていた。
 注がれた酒を、ぐいと飲み干し。
「これは……美味しいですね」
「味分かってるのか?」
「ええ、分かってますよ」
(多分、だけど)
 注ぎ注がれで僕らはどんどんと酒を消費していった。麗らかな陽気にぴったりの澄んだ味わいの酒だった。
「いいなあ」
 あたたかな陽射し、美味しい酒、綺麗な花、そして、耳を澄ませば鳥の声……が、随分近くに聞こえてきた。驚いて、僕はきょろきょろとあたりを見回した。
「どうした?」
「いえ、随分と鳥がやかましく鳴いているな、と思って」
「ああ、ツバメが巣を作ったんだ。ほら」
 九郎がすっと指さした先を見上げれば、巣があって、雛たちが可愛らしい声で鳴いていた。
「本当だ。冬の間に住み着いたんですか?」
「そうだと思う。俺もある日気付いたらできてたんだ」
「へえ」
 と、話をしている間にも親鳥が戻ってきて餌付けをして。それを眺めていた僕に、九郎が言った。
「よかったな」
「何が?」
「鳥、好きだろ」
「好き、ですけど」
(でも、隠していたわけじゃないけど……僕、その話を誰かにしたこと、なかったような)
 じっと彼を見つめてしまいながら言うと、九郎は何故か言葉を詰まらせて。
「そういうわけだ。ほら、呑め」
 と、僕に酒を促してきたので、怪しいな、とも思ったけれど、僕も既に気分良く酔っていたので、追及しないことにして、また盃をぐいと煽った。
 くらりと酒の回る感覚は、この頃の僕には楽しいもので、そして旅の疲れもどんどんと癒されていくようで。
「少し眠くなってきたかも」
 ごろり、と縁に転がれば、上からすぐに九郎の声が落ちてきた。けれどそれはいつもの呆れた声じゃなくて。
「そうだな、疲れていたんだもんな」
 と、気遣われて、閉じかけていた目を思わず開いてしまった。
「……君の事だから、また日頃の鍛え方が足りないとでも言うかと思った」
「俺だってそこまで酷くないぞ」
「そうですか?」
 くすくすと笑いながら、僕は着っぱなしだった外套を引き寄せた。黒い外套は、九郎の髪の色のような春の日差しを吸い込んで温かかった。
 そんな僕を九郎は九郎でしげしげと見降ろしていた。
「どうしました?」
「それ脱がないのか?」
「この外套ですか? まだ少し寒いです」
「黒いと泰衡みたいだ」
「悪い陰陽師にでもなれそうでしょう?」
「お前が陰陽術」
 そして、九郎は呆れ腐った。
「ああいうのはもっと陰険なやつがやるんじゃないのか?」
 九郎の言い分も酷いな、と僕は思ったけれど、実際この頃の僕もそう思っていた節があったので、僕も僕で返した。
「意外ですね。僕のこと陰険とか思ってるんじゃないですか?」
「性格は悪い。でも、お前、そんな手の込んだことやる前に、自分で止めを刺しに行きそうだ」
「そんなことないですよ。いいですよ、少しずつ少しずつ張った術に相手がはまって、その時にようやく術中に入っていると気付くんです。快感じゃないですか」
 ふふふ、と僕はそれっぽく笑う。九郎の目が冷めていくのがなお楽しかった。
「……俺で練習するなよな」
「どうでしょう? 君を罠にかけるのは簡単そうだ」
 言葉と共にただ九郎の手の甲に指先を這わせただけでぎくり、と身を強張らせる九郎。
「冗談だったのに」
「お、思わせぶりな事を言うな!」
 その反応は僕が思っていたのとは少し違った。僕はもっと、命を取るとかそういった呪詛の話をしていたのに、どうやら九郎は。
「思わせぶり、ね。君でもそんなことを言うようになったなんて」
 しかも事もあろうか、僕に向かって。
(どうすれば僕が九郎に手を出すなんて勘違いができるんだろう)
(……『恋は人を変える』だったっけ)
 そして僕はいくらかの関心と、いつものからかいを込めて。
「僕がいない間に、君は随分とかわってしまったようだ」
 にこりと笑顔を象れば、九郎はますます慌てた。
「当然だ。お前がいなさすぎなんだ。俺が変わって何が悪い」
「悪いなんて言ってないですよ。ただ、もしかしたら、君にもいい人でもできたのかな、って思って」
「何をいきなり」
「いえ、だったらいいなって思ったんです」
 彼からすれば唐突だっただろう。けれどそれは探りであると同時に、僕の本心だった。相手は九郎だ、きっと彼にそういう人でもできればすぐに気付くだろうと思っていたけれど、気になっていたし、聞いてしまった。
 京からの帰り道、考えていた。
 そういう人がいるなら……少し寂しくもあれど、いいことだと思っていた。
 きっと彼は恋もひたむきにするのだろう。こんな風にまっすぐに誰かを想うのだろう。そんな彼を祝福したかった。可憐な姫君に一途に焦がれ、頬を染めて、いちいち僕にのろけたり相談したり、時にくだらないことで喧嘩した彼を窘めたりしながら、そんな彼を見てみたいと思っていた。きっと穏やかんな気持ちで見守れたことだろうとも思っていた……この時の僕は。
 そんな僕に九郎は一転、まだ小さかった時のようにぷいと膨れた。
「そんなのいらん」
「そんなこと言って。君も年頃というやつじゃないですか」
「年だったらお前のが先だろ」
「僕はいいんですよ」
「どうして」
「興味がないから」
「だっ……」
 微笑み言い切った僕に、九郎は反論できなかったみたいで、言葉を詰まらせた。
「…………お前、それは、そんなの卑怯だ!」
「卑怯でもなんでも結構です」
「じゃあ俺も興味ない」
「そんな真っ赤な顔で言っても仕方ないでしょう」
「っ、それは、それは」
 言葉は思いのほか効果てきめんだったようで、九郎はうーうーと唸ってすっかり困ってしまった。
(これは、本当に本当なのか……?)
 僕も微かに動揺していた。それに九郎も、もうすこしつつけば本格的に怒ってしまっただろう。 これ以上この話題を続けるべきではないと判じた僕は、助け船を出した。
「さあ、今年は笛を奏でてくれないんですか?」
「笛はいい」
「では花を断ってくれませんか?」
「……っ、分かった」
 九郎はなおも言いたいことがありそうだったけれど、真っ赤な顔をふるふると振って庭に走っていった。
 とはいえ、まだ咲き切っていなかった桜から落ちる花びらは少なくて、梅などの他の花も散ってしまっていて、何もないので、結局九郎は素振りをしていた。酒が入っているとは思えぬまっすぐに風を斬る彼の腕。そのたびはらりと舞う橙の髪色。空の青と、桜の白にそれが滲んだ。目を細めて僕は見ていた。
(こんな風に、まっすぐに、誰かを……か)
 指先を包むように外套を引き寄せた。




自分でいうのもあれだけれどよく三回も花見書いたよ(書けてないけれど)
(10.30.2012)


 / ←[17] / / [19.all at sea]→ /
home >> text >> contents >> pageTop
サソ