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「お前を待っていた」

 朝は晴れていて、冬の入りだと思えないほどに暖かかったのに、昼が過ぎた頃から急に寒くなって、雪までちらつきはじめた。
 僕は泰衡殿のところへ出かけている九郎を迎えに行くことにした。
 九郎が素直に受け取るかは別として、上着や笠くらいなら泰衡殿は貸してくれるだろう。なのに僕が荷を抱えて伽羅御所まで行こうと思ったのは、本当のところ好奇心が勝ったからだった。ちょっとだけ……、僕の心をくすぐる人が、今泰衡殿のところにいるらしい、という噂を耳にしていたから。別に、用がない限り僕は立ち入るべからず、なんて言われていたわけではないけれど、九郎と違って頻繁に伽羅御所に近づいていたわけではなかった僕は、そんな理由を携えて、まるで小さな子供が探検に出るかのような心持で、出かけた。
 外に出ると、皆、家路を急いでいるようだった。慣れ親しんだ地元の人でこれだというなら、本当に荒れるかもしれないと、僕も急いだ。
 ほどなく伽羅御所に着いた。僕を覚えてくれている藤原家の郎党はすんなりと僕を館に迎え入れてくれた。
「ここでお待ちください」
 そして、とある部屋に僕を通すと、頭を下げて出ていった。
 寒さゆえにあちこちの板戸も締まっていて薄暗い部屋に、僕は一人きりになった。腰を降ろすと、ふいに誰かの声がした。淡々と何かを語っていた。そして時折別の、良く通る声がした。
(九郎の声だ)
 僕はこっそりと、声のした方の壁に耳をつけた。と、分からんとかなんとか、混乱、というよりは思考を放棄しているような九郎の声と、それを哂う泰衡殿の声、なだめる男の声が聞こえた。最後のは彼らに学問を教えている先生か。無関係な筈の僕だったけれど、およそ勉強とも議論とも思えぬ彼らの声を聞いているうちに、なんだか先生に申し訳ないような気がしてしまった。
 けれどふと、視界の端に、いくつかの巻物が転がっているのを見、そちらに興味が移った。
 近づき、ひとつ勝手に開いた。藤原家の内政に関するものだったら黙って見なかったことにして綺麗にもとに戻しておこう、と一応、思ったものの、中身はまったく別のもので、意外だったような……そうでもないような。
 実は、期待していた。
 それは……当時の僕は確信できなかったけれど、陰陽術について記されたものだった。
「噂はほんとうだったんだ」
 僕は次々と開いていった。どれも、これも、似たような文言やら絵やら書いてあった。当時の僕にはまったく馴染みない内容だった。それでも夢中になって読みふけってしまって、
どれほど開いたか、数すら曖昧になった頃に。
「……何をしている」
 という、低い低い泰衡殿の声で僕は我に返った。
「泰衡殿」
「それは私の私物だが」
「ああ、やっぱり!」
 逆光で良く見えなかったけれど、泰衡殿はおそらく、いつものように眉間に皺寄せ僕を見下していたに違いなかった、
けれど僕は構わず謝罪すらすることなく、目を輝かせて立ち上がり、泰衡殿にまくしたてた。
「最近、泰衡殿が陰陽術のほどきを受けているという噂を耳にしていたんです。だからずっと、その真偽を確かめなければいけないと、思っていたんです」
「……は? 何、だと?」
 僕の勢いに、泰衡殿は若干及び腰だった。
「君の先生は、今日もいらしているんですか?」
「今日もなにも、春まで滞在してもらう予定だが」
「では、是非、どうか、今度僕にもお目通りさせてください。今日だなんて言いません、でもできれば早い方がいいです。年内とかどうでしょう」
「……薬師殿に、か?」
 今思えば泰衡殿はともかく、その先生に対してあまりに図々しい勢いで、九郎の郎党でしかない僕は迫っていた。
 しかも、無礼なのはともかく、まったく、泰衡殿はそんなに実直ではないのに。
 ……現に、泰衡殿の眉が更に釣り上がった。
「俺がどうしてそんなことする義理がある」
「家族と思え、とか言ってたじゃないですか。ふふっ、可愛い弟殿」
「誰が貴様の弟だ!」
 それでも引きさがる様子のない僕に、彼にしては珍しい声量で泰衡殿が叫んだからだろう、ぱたぱたと、足音がもうひとつ近づいてきた。
「何の騒ぎだ?」
「九郎」
「弁慶!? 珍しいな、どうした、なにかあったのか?」
「いいえ、突然冷えてきたから、君が羽織る物をお持ちしたんです。それだけです」
「そうだったのか」
「何がそれだけだ、何が」
「泰衡?」
「ああ、そうでしたね、そうなんです九郎。泰衡殿が兄である僕の頼みを聞いてくれなくて」
「だから誰が兄だ!」
「弁慶、泰衡がそんなに素直に人の頼みなど聞いてくれるはずないだろう。もっと機嫌のいい時にしとけ」
「そんな日、いつになるか分からないじゃないですか」
「……貴様、今の貴様の立場が分かってるのか?」
「ええ、分かっているつもりです、兄弟子殿」
「……」
「ね」
「…………」
「……………………弁慶」
「ああもう、分かった。煩い。黙れ」
 結局、しぶりながらも泰衡殿は、この後すぐに陰陽師に僕を紹介してくれた。
 京から来たというその人は、会うのは初めてだったけれど、僕も名を知っている方だった。
 早速、自己紹介や世間話もおざなりに、僕は陰陽術の基本の基本を教えてもらった。お陰で、とりあえず一人で基礎的な文献なら読めそうなところまで学ぶことができたので、この日は切り上げて、そして二人から書物を借りて、帰ることにした。
 もともと寒さが酷くなりそうだから、と、九郎を迎えにきたはずだったのに、あたりはすっかり冷えてしまった。幸いまだ雪は降っていなかった。早く帰らなければ、と、僕は荷を抱えながら九郎を探そうとした。
 けれどすぐに見つかった。僕らのいたひと続きの間、御簾の向こうで金を抱えてころころと寝転がっていた。
(こんな近くにいたんだ。全然気付かなかった)
「九郎」
 声をかけた。もしかして眠っていたのかな、とも思ったけれどどうやら起きていたらしい。御簾を上げれば、こちらを向いていた目は開いていて僕を見つめていた。
「お待たせしました。……君は、何をしていたのですか?」
「お前を待っていた」
「ここでずっと?」
「ああそうだ」
「何もしないで?」
「いや、お前たちが意味のわからん話をしてるのを見てたぞ」
「それは、」
 何もしてないっていうのでは、と僕が言い終わるより前に、金がわんと鳴いたので、九郎は彼を解放した。金はするりと腕から抜けると僕の足にじゃれついた。
「金、九郎のお守御苦労でしたね」
 わん、ともう一度鳴いて金は尾を振った。それから九郎に視線を戻した。遅い!と怒るかな、と思っていた九郎は、何も言わずに体を起こしていて、やはり僕を見ていた。
「どうしたんですか?」
「いや……今日はもう終わりか?」
「ええ。書物を借りて帰る事にしました」
「そうか。では行くか」
「そうですね」
 得も言われぬ表情の九郎だった。
(なんか、引っ掛かる気もするけれど)
 とりあえず僕は頷いた。
 けれど、やはり気になって、庭を歩きながら聞いてしまった。
「何かあったんですか?」
「いや、何も」
(煮え切らない)
 書物を抱えたまま僕は眉をひそめた。
 そんな僕に九郎はおずおずと手を差し出してきた。
「?」
 分からなくて、とりあえず握ってみると。
「ちっ、違う!」
 怒られた。
「持ってやろうと思ったんだ。ほら」
「ああ、そういうことでしたか
 でも僕はにっこりと笑ってその手を九郎に押し戻した。
「結構です」
「なんで」
「君に渡して、何かあったら泰衡殿にひと月くらい嫌味を言われそうです。なにより先生にも申し訳ないですしね」
「そんなに乱暴にするか!」
「ほら、言ってる傍から!」
 強引に奪おうと伸びてきた九郎の腕を、ひらりとかわして僕は一足先に家に向かって小走りで駆けだしてしまった。
「待て!」
「待てません」
 別に彼に渡さない理由なんてない。けれどなんだかむきになる九郎がおかしくなって、声をあげ笑ながら僕は逃げた。

 雪はまだ降っていなかったし、なんだか雲も少し薄くなって、山や町はほんのり赤に染められていた。
 僕は家まで逃げ切るつもりで走っていた(そもそも九郎も本気で追いかけて来なかった)けれど、途中、高館の丘の下で、うろうろと探し物をしている風の人がいて、立ち止まってしまった。
 がっしりした体躯の持ち主だった。武士だろうか、と推測しながら僕は追いついてきた九郎に話しかけた。
「どうしたのでしょうか」
「あれは……清伸殿か?」
「知り合いですか?」
「ああ、御館の屋敷をよく守ってらっしゃる」
 やはり武士だったのか。納得している僕の隣から九郎は駆けだした。
「おおっ、九郎殿ではないか!」
「お久しぶりです。先日はありがとうございました」
「なに、こちらこそ世話になった。お陰であの日は早く家に戻ることができたぞ」
「それはよかったです。俺も武士としての心構えを学ぶことができました」
 随分と親しげだった。僕もゆっくりと近づいた。すると気付いた清伸殿が僕に笑顔を向けた。
「これはこれは。もしや薬師殿ですか?」
「はい。武蔵坊弁慶と申します。九郎と平泉へ参りました。けれど、どうして僕の事を?」
「そりゃあ当然九郎殿がよく名前を出してらっしゃるからに決まっておろう。だが、予想していたのとはちと違ったかな」
「そうでしたか。九郎が何を話していたか知りませんが、どうぞ今度もよろしくお願いします」
「こちらこそだ。ああ、私は藤原清伸という」
 と、ひとりきり挨拶が終わったところで、九郎が問いかけた。
「ところで清伸殿、こんなところでどうされたのですか?」
「ああ、御曹司殿、そなたを待っていたのだ」
 すると、清伸殿は懐からなにやら小さな包みを取り出した。
「これは」
「言っておったろう、木彫りが趣味だと。だから先日の礼にと思ってな。このあたりの木彫り師が使っている小刀だ」
 彼がぱらりと布をめくったそこには小さくて握りやすそうな小刀があった。
「それは……いや、受け取れません、そんなもの!」
「いやいや、貰ってくれ。でないと私は木など掘れぬから持ち腐れになってしまう」
「でも」
「なあに、それだけのことをそなたはやったんだ。私もこれでも御館の覚え良い、平泉ではそこそこ有力な武士だしな。気にするな」
「だけど、俺はそんな」
 聞いていて、僕はそういえば、と思いだした。
(いつだか、御館のところの武士が賊を捕えるのを手伝った、とか、九郎が言ってたっけ)
 あの日の九郎はまったく無邪気にまわりの武士のすごさをたたえてばかりいたけれど、その事なのだろうか。
「そうですか、君が御館お抱えの武士の方のお役にたっていたんて」
「弁慶」
「せっかくだから、いただいておけばいいのではないですか? 詳しい事を僕は知らないですけれど、清伸殿が、君はそれに見合った事をしてくれた、と仰っているんです。その、君へのお心を君は無下にするんですか?」
「無下になどしてない! ただ、俺はそんなにたいしたことをしてないというだけだ」
「それを決めるのは君ではないでしょう」
「俺がやってないって言ったらやってないんだ!」
「そんなにむきになることでもないでしょう」
「うるさい! お前は関係ないだろ!」
「関係ないですけど目の前でやりとりを見てしまえば黙っている訳にもいかないでしょう」
「じゃあ目の前じゃなかったら出しゃばらないっていうのか?」
 清伸殿の目の前だろうと構わず九郎は怒り、僕も頭に血が昇り出していた。
 そんなやりとりを聞いていた清伸殿は腹を抱えて笑いだした。
 ただ、それは僕には少し不本意だったけれど、でも。
「はっはっはっ、なるほど弁慶殿は確かに九郎殿の話していた通りの方らしい。いい友をお持ちだな、御曹司殿」
 ……どういうことですか、と聞かずとも分かったような気がした。
 けれどそこではなくて、九郎の友、と言われた事に、僕は少しだけ面食らって、我に返ってしまった。いつも僕は九郎の郎党と見られていて……九郎はそう言うと不満げな顔をするものの、実際何ら偽りなくその通りだったので、僕は問題なしとしていたけれど、でも。
「さて、九郎殿、そろそろ受け取ってくれませんか」
 清伸殿は改めて、九郎に切り出した。九郎はむう、と声に出さずに唸っていたけれど、結局いくらも間を開けずに手を伸ばして。
「……分かりました。でもこれはあの時の対価ではなく、清伸殿からのご厚意だと思って、受け取らせていただきます。でなければ、俺が清伸殿にいつも武士の心得や作法を教わっている対価を支払わなければならなくなります。俺にはそんな財、今はないですから」
 くっきりと微笑んだ。
 清伸殿が、そして僕も、微かに目を見開いてしまった。
「『今は』、か。ははっ、さすが志が高いな九郎殿」
「……! それは! ああいやその、」
「いいではないか。それでいい」
「はあ」
 微かに心が波立った気がした。
(こんな笑い方をする九郎だったろうか)
 そんな間に、とりあえず二人の間で話はついたようだった。
「そうだ、よければ今度なにかひとつ彫ってくれ。馬がいい」
「はい。御館の分の次で良ければ喜んで」
「うむ、御館に先を越されていたか。それはやむを得ない。明日にでも恨み事を言ってくるとしよう。では、失礼するとしよう」
「はい。ありがとうございました」
「お気をつけて」
 ひとしきり笑って、伸清殿は帰って行った。
 僕らはそれをしばらく見送っていた。
「気持ちのいい方ですね」
「ああ。実に見本となる方だ。あんな方が、ここにはたくさんいる」
「それは良かったですね」
「うん」
 こくりと頷いた九郎の横顔。瞳は澄んでいて、雲間から見えはじめた夕日を背にした輪郭も、なんだか随分とくっきりとみえた。
 それはあたかも、この時の僕の心象を具現化しているようで…………僕は少し、僕に呆れた。




タイトルに抜き出す台詞すごく迷ったここ
似てるかは別として泰衡さま書くの毎度楽しいです
(10.19.2012)


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サソ