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「そういう気休めは要らない」

 結局、帰ってきた日は終日、九郎は僕に対して距離を置くような態度をとっていた。心当たりと言えるものがあった僕は彼に踏み込めなかったけれど、先に九郎が痺れを切らして、朝の鍛錬の後、木刀をふたつ持って僕のところにやってきて、片方を突き出した。
「ほら」
「なんですか?」
「少し手合わせしたい」
 相変わらずの唐突さや不躾さよりも、九郎が話かけてきた事自体に驚きつつもとりあえず、
「君とですか? 最近勝てないですから、手加減してくれるなら」
にこやかに言ってみた、ら、案の定。
「そんなことで鍛錬になるか!」
 と、ふくれつらのままぷいと踵を返し、長い髪を揺らして庭に出ていってしまったので、僕もやむなく後をついていった。
 九郎は庭のほぼ中央で僕を待っていた。彼がいつも鍛錬をしている場所だ。来た頃はもう少し、庭気が茂っていたのだけれど、邪魔だということで九郎が(彼なりにきちんと)枝や、時として木や花の株ごと引きぬいてしまったので、どんどんと広くなっていっていた。そして泰衡殿にはまた『庭師が御曹司とは源氏というのは随分と御立派なのだな』なんて言われていた。
 その庭に、九郎と向き合い立つのは本当に久しぶりだった。というより、結局数えるほどしかなかったうちの一度だ。
「刀は久しぶりですね」
 軽く握り、風切りながら、間を和ませるように僕は口にした。
 空気が重い、なんて気がするなんて情けない、と思えど、し大人びた九郎の容姿や表情が僕を更に躊躇させていた。
 それでも構え、向き合った僕らの間をツバメが突っ切っていった。
(明日は雨か)
(京に随分長居してしまったから……この雨で、また秋が近づくのかな)
 心ここにあらずな僕を見抜いたのだろう、まるでせかすように切っ先をゆるく上下させだした九郎。
(そろそろ、行こう)
 ここで立っていても何も変わらない、意を決して僕は踏み込んだ。
 小細工するだけ無駄だろう、と、潔く上段から振り下ろした僕の刀身は案の定九郎に受け止められた。
 そこまでは計算通り。でも、あっさりとはじき返されたのは、予想外。
(あれ、いつもの九郎だったら、ここは受け流しだったのに)
(久しぶりなせいかな、それとも……ああ、新しい型を試してるのかな)
 腑に落ちる答えを僕が探すより先に、今度は九郎が袈裟に斬りかかってきた。それを僕は下がりかわした。
 やはり、それも少し、違和感があった。
(……なんにせよ、これは)
 かわした僕に、九郎は再び踏み込んできた。二度三度と打ちあって、少し離れた僕を九郎が追撃。身体を捻り突きをかわしつつ、僕も薙ぎ返した。紙一重とはいえ、九郎はきっちりそれをかわした。
 そして僕に生じた隙。
(しまった)
 思えど遅かった。九郎の刀はまっすぐに僕の眼前に迫って、
それは随分とゆっくりと見えて、
「!?」
僕はかわせてしまった。
 ついでに九郎の腕をうちつけてしまった。
「いてっ!」
 九郎はそのままうづくまってしまった。
「ごめんなさい九郎、そんなに痛かったですか?」
 そんなに強い力ではなかったのに、と思いつつ僕が駆け寄ると、九郎は項垂れたまま返した。
「……違う」
「九郎」
 違う。九郎は痛いんじゃなくて、落ち込んでいたんだ。
 この前に僕が彼と手合わせしたのはいつだったか。平泉に来て、冬が来る前だっただろうか。
 その時と比べて明らかに腕が落ちていた。僕に負けるくらいだからそれは明白だった。
 彼もそれを分かっていたのだろう、だから……昨日の事は関係なく僕に木刀を押しつけたのかもしれない。
 そして、その理由も九郎は分かってたのだろう。
 彼は腕を抱えたまま、ごろんと庭に転がった。
 伸びた髪。それに手足。…………きっと、それで調和や重心を崩してしまったんだ。
「診ますか?」
「いや、いい……腫れるほどじゃない」
「そうですか」
 くぐもった目の九郎の傍らで、僕も九郎がしているように空を見上げた。
 薄い雲が覆っていた。合間から差し込む陽射しはきらきらとして稀に眩しかった。
 風がさらさらと僕の髪を揺らした。乱れた前髪を指で梳きながら、僕は再び九郎を見た。
 九郎はまだまっすぐに、光から目を逸らしもせずに見ていた。そんな彼に、僕は手を差し出した。
「ほら、中に入りましょう。朝餉、まだでしょう?」
「……ああ」
 九郎は素直に僕の手を握り返した。相変わらずに硬くて、僕はその感触が結構好きだった。
(やっぱり重くなった)
 引っ張り上げながら、僕は微笑んだ。
「また楽しみが増えましたね」
「何がだ?」
「君は鍛錬が好きでしょう? 新しい目的ができたじゃないですか」
「……弁慶」
 九郎はそれでも怪訝な顔をしていた。覇気がない、という言葉がぴったりで、
およそ、いつも元気に走りまわっている九郎には不似合いで。
「僕でよければ、いつでも受けて立ちますよ」
「お前がか? そうか、俺はお前に負けたのか……」
 言えば、また顔を曇らせたけれど、でもすぐに、綺麗な瞳でくるりと僕を見上げて。
「でもうん、そうだな。そういう考え方もあるな」
「ええ。君ならきっと、更に強くなりますよ。現に僕も力で負けていたし」
「そういう気休めは要らない」
「気休めじゃないつもりなんですけど。僕、そんなに嘘ばかりついているでしょうか」
「お前はいいやつだからな」
 なんだかずれた答えを返しながも、とりあえず吹っ切れた様子で、ぱたぱたと袴の泥を払いつつ僕の隣に並んだ。
「よし、飯だ! たくさん食べるぞ」
「ええ。たくさん食べれば、更に大きくなりますよ」
「お前なんか見下ろしてやる」
 そして、僕の頭をがしがしと撫でた。
「なんですか」
「背を追い越したら撫でていいんだろう?」
「残念ですが、まだ抜かれてませんよ」
「細かいことは気にするな!」
 言い出したのは僕だったけれど、実際されると、それは高さの合う目線以上に複雑だった。それでも乱暴に撫でる仕草は荒っぽくてまだ子供のそれそのもので、僕は目を細めてしまった。
「こういうのは正確に、でしょう?」
ついでに撫で返した。それはぱしりと払いのけられて、猫みたいに飛びのかれた。
「だったら今度こそ、抜きかえしてやる。背も剣も! それで散々撫でまわしてやる!」
「それはそれは。楽しみにしてますね」
 そんな一連の会話で緊張がほぐれたのだろうか、九郎はすっかり元通り……とはいかなかったけれど、元の気安さを取り戻してくれて、
だからだろう、朝餉の最中に昨日の話の続きのようなことを僕に問うた。
「お前、京で何してるんだ?」
 唐突に切り出された僕は、少し困惑してしまい、箸も止めてしまった。すると九郎も茶碗を持ったまま動きを止め、僕をじっと見てしまったので、また何食わぬ顔をして蓮を挟みながら返した。
「何って、京にいた頃と同じです。薬を作って配りつつ、ついでに京の様子を見て回って、帰ってくるだけです。相変わらず、清盛殿は御健在のようで、栄華を保ってらっしゃいましたよ。ついに朝廷の権威すらも払いのけて、いよいよ平家が官職を占めているそうです。そのおかげで僕らが離れて二年ですが、あの頃よりも政治は落ちつ」
「じゃなくて、お前がそういうことをしてるのは俺も知ってるが、知ってるけど、そういうことじゃなくて、本当に……それだけか?」
「それだけですよ。どういう意味ですか?」
 真意が分からず素直に首をかしげた僕に、九郎は惑いながらも、やはり彼らしいさっぱりとした声音で切り出した。
「誰か……その、特別な人でもいるんじゃないか?」
 でも声は真剣で。じっと見上げる九郎の顔も、僕の嘘を見抜いてみせるとでも言いたげだったけど、
僕は吹き出してしまった。
「何がおかしい!」
「まさか、九郎の口からそんな色恋の話が出てくるなんて。そもそも、どうしてそんな発想になるんですか?」
「……なんとなく、思っただけだ」
「君の勘も当てになりませんね。それとも、君こそそういう人でもいるんですか?」
「なんでそうなるんだ」
「背も伸びたじゃないですか」
「関係ない」
 九郎はまるで泰衡殿のように眉間にしわ寄せ、僕はふふと笑みを零した。
 それでようやく九郎はまた、食事の続きをはじめ、僕も同じように箸をすすめ、大根を頬張りつつ会話も進めた。
「僕もいませんよ、そんな人」
「……気休めは、要らないぞ。いいんだ。そんな人がいるなら、もっと京に行けばいいんだ」
「君こそ、勝手に話を進めないでください。それに、そういう時はきちんと君にお話しますよ」
 九郎はなおも訝しげ。
「本当か? ……お前はいつでも秘密ばかりだ」
「秘密なんて多いくらいがちょうどいいんです」
「なんだそれは」
「……いえ、真顔で返されても、そういうものとしか」
「意味が分からん」
 ぶっきらぼうに言いつつも、それで九郎は追及を諦めたようで、そして、
彼の抱いた疑惑はそこまで止まりだったのか、
「ま、いっか。飯食うぞ。そしたらまた鍛錬だ! あと、お前の京での話ももっと聞きたいな」
と、また米を頬張り出したので、僕も少しほっとした。


 九郎の勘は馬鹿に出来ない。
 この時も、彼が何を思ったのか、正確には僕は知らなかったけれど、きっと正しかった。
 この頃から僕は少しだけ……平家に潜入するために、僕は手段を選ばなくなっていた。
 それ自体に、僕は後ろめたさのようなものはなかった。けれど、
九郎には話したくない事には違いなかった。




(10.12.2012)


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サソ