home >> text >> contents
「なんか、お前変わった」

「そうですか。この春に、そんな事が」
「ええ。お陰で我が主もますます忙しくて。私も大変だ」
「おめでとうございます。ああ、では頭痛の薬、少し増やしておきましょうか」
「ああ、頼む」
 僕はごそごそと、薬を入れた箱を探りながら会話を続けた。
「ですが、それで納得がいきました。京に戻ってきた時、いつもと雰囲気が違うような気がしたんです。ついにいよいよ、平家一門のみなさんが藤原家を凌駕してしまう時がくるなんて……なんだか、今でも信じられないな」
「疑うのか?」
「いえ、そういうわけではありません。……一介の薬師である僕がこんな事を言うのも筋違いかもしれませんが、嬉しいのです。一門の皆さんと懇意にさせていただいている者として、この栄華が」
「そうか……我が主にも伝えておこう」
「そして、どうか今後とも僕の薬を重宝いただけるようにと、一緒にお願いしますね」
「ちゃっかりした奴だな、弁慶殿は」
「ふふっ、よく言われます。それにしても……、できることなら、僕もこの目でその時の清盛殿や主殿のお姿を拝見したかったです」
(……もしこの目で状況を見れたらもっと細かい事も知れたかもしれないし、つけこむことだってできたかもしれないのに)
「どうだろうか。あの頃の治安はすごく悪かったから、弁慶殿には危なかったでしょう。ああ、止血の薬も少し足して貰えますか」
「分かりました」
 九郎とかなりゆっくりと春を過ごしてしまった事を少し後悔しながら、僕はなお問い返した。
「止血薬、ですか? また諍いが起こるのでしょうか」
「そうだな、もしかしたら、そう遠くないうちに何かあるかもしれない……平家と事を構える武家がいるとは思えないから、平治の時のようにはならないとは思うがな」
「平治の戦、ですか」
「ご存じだったか。私も父に連れられて一応出陣したが……あんなのはもうごめんだよ」
 くしゃりと笑い溜息を落としたその姿は、平家の郎党の子、武士と言うには随分と弱気だ、という風に僕に映った、のは、今まで何度かかわしてきた彼との会話のせいかもしれない。
「でも、昔のことさ。今はどうでもいい」
 けれど、ふいに男の気配が変わった。僕をじっと見た。
「それより」
 彼のそんな目を僕は知らなかった、けど、この手の目線の意味は知っていた。とても。
「はい。どうかしましたか?」
「どうですか、一杯酒でも。いつもお世話になっている礼に、是非」
 薬の紙包みを握った僕の手を、上からそっと男は握った。その仕草はどちらかといえば、慣れていない風に見えて、真剣さを伺わせた。
 でも。
(押しは弱いな、これなら……当分は平気だろう)
「いえ、今日はそろそろお暇します。もう少し、寄りたいところもありますから」
 にっこりと、もう片方の手を上から添えつつ微笑んだ僕に、男は慌てて。
「だ、だが、そろそろ日が暮れる。明日になさってはどうでしょう」
「そういうわけにもいかないのですよ」
「弁慶殿」
「僕は一介の薬師ですから。急がしいんですよ、色々と、ね」
 だからあなた一人になどかまけている気はない、という想いを目に込めてぴしゃりと言えば、
通じたのだろう。意気消沈しながら男はすごすごと手をひっこめた。
「そうか……でも、また来てくれるか?」
「はい。それは是非、寄らせてください」
(この程度で諦めてくれるなら、余裕だろう)
 満面の笑みで僕が返すと、男は割り切れないと言いたげな顔をしながらも、僕が思った通りにそれ以上何も言いはしなかった。


 男の邸を出て、夕暮れの六波羅を僕は歩いた。
 雁が遠く嵐山の方へ飛び去っていった。見慣れた夕暮れだ。僕が来なかった冬の間になお平家の力が強まっても、町並みは変わらない。
 それでもどんどんと僕や九郎が知らない町になっていくのを感じていた。あの頃よりも道を歩く武士の数が更に増えていた。当時だって、街中で平家の悪口を言おうものなら諍いが起きたもので……僕は比叡に属していたからまだしも、九郎あたりはそれで何度か検非違使や、どこのものかも分からぬ武士(おそらく平家の者だろうけど)に囲まれたりしたと聞いた。
 そして、この頃はもっと……長い事続いていた朝廷と平家の諍いにようやく一定の結果がでたらしい、というのに、随分ぴりぴりとしていて。
(嫌だな)
 と、理由も無く僕はそんな感覚だけ抱いていた。

 いくらも歩かないうちに、僕は六波羅の別の邸に足を踏み入れていた。
 平家縁の家の中で、この頃僕が一番贔屓にしてもらっていた家。この時で訪れたのは何度目だったか。
 なのにはじめて、そこである懐かしい顔を見た。
 さらりと髪を揺らし、しずしずと歩く幼い姿。僕はけっこう驚いた。
「敦盛くん…?」
 呼ぶと、振り返るなり彼はあどけなく輝く瞳を見開いた。
「……あなたは、もしかして弁慶殿ですか?」
「覚えていてくださったんですね。嬉しいです」
「印象に残る方だったから……だが、どうしてここに?」
「実は、以前から僕はここでお世話になっていたんです。薬師としてね」
 言えば、敦盛くんはさらに驚いたようだった。
「薬師殿でいらしたんですか……」
「見えないでしょう?」
「……すみません、ヒノエからはもう少し……その、武勇伝のような話しか聞いていなかったので」
「そうでしたか。ですが、おそらくそれも事実ですから気になさらないでください。それにしても僕こそ驚きました。まさか君が平家の公達だったなんて」
「その……隠していたわけでは、なかったのですが」
「それも、気にしないでください。むしろ今、新鮮な気持ちで再会できて嬉しいです。ですが、世間は狭いですね。……高貴な出であられるのだろうとは思っていましたけれど」
 去年、兄から敦盛くんについて、兄の妹(つまり僕の姉)にあたる人に縁の、とは聞いてはいたけれど、まさかこんなに近しい家の子だとは思っていなかったので、僕はたいそう驚いていた。
 それに。
 一年ぶりに見る敦盛くんは、熊野と京の土地の差なのか、あの頃よりもずっと落ち着いて見えた。
「大人になりましたね。熊野からこちらに戻ってきたんですか?」
「はい。先だって」
「それは、ヒノエがきっと寂しがりますね」
「いえ……、ヒノエはああいう性格だから、きっと平気だろうと」
 言う彼こそが寂しそうだった。
「ええ、そうですね、そのうちきっとヒノエの事だから、京に遊びにくるでしょうね」
「そう……だろうか」
「ええ」
 にこり、と微笑むと、敦盛くんの顔も少しは明るくなったような気がして、僕は安堵した……もっとも、この頃の僕からすれば、敦盛くんの機嫌をとっておけば有利になるだろう、くらいにしか思っていなかったのだけれど。
 だから付け加えた。
「ですが、どうか僕がヒノエの叔父だということは、伏せておいてくれませんか?」
「……?」
 申し出は突然すぎて、首をかしげる敦盛くんに、僕は更に説明する。
「ええ。僕はあまり、あの家とはいい関係、とは言えないので。すみません、君にこんなことをお願いしてしまって」
「いえ、それしきのこと、構いません。分かりました」
「ありがとうございます。助かります」
 頭を下げた僕に、敦盛くんは頷いてくれた。気休め程度に口にした言葉だったけれど多分、彼は本当にずっと、誰にも言わずにいてくれたみたいで……お互い様、なのだろうとも割り切っているけれど、僕は今になって少しの罪悪感を感じている。
「父に取り次ぎましょう」
 そう言って、微笑んだ僕を敦盛くんは促した。僕はすかさずその背を止めた。
「いえ、僕が用があるのは君の母上で」
「母が……?」
「はい。僕の薬を気に入ってくださったので」
「そうでしたか。では、そちらに」
 はにかむように微笑んだ敦盛くんが歩みを勧めた。僕は彼の横に並び、ゆっくりと歩いた。
 しずしずと歩く彼が従えているかのように、屋敷の中の空気はしんと静まって、御簾を揺らす風の音がまるで武家の家とは思えぬほどに静粛に響いた。
それを破ったのは敦盛くんの方だった。
「弁慶殿は……その、今は、どちらの寺にお住まいですか」
「いいえ、今は京を離れているんですよ」
「それは……どちらに?」
「あちこちを旅してまわってるんです」
「そうでしたか。それは少し、羨ましいです」
「外の世界に興味があるのですか?」
「はい。……ヒノエが話してくれた海の話は、とても面白かったから」
 静かに髪を揺らしながら、振り返り微笑んだ敦盛くんは、目を瞠るほどに透明だった。
「けれど私は体が弱いから、だから、書物を読んで外の世界に想いを馳せるのです」
 僕があの時……三草山の川辺で拾われた、という敦盛くんを見、一目で彼だと思いだせたのはきっと、彼の纏う水のような澄んだ印象がとても綺麗で、記憶に残っていたからだろう。
「京の外へ、叶うならばもう一度、と」
「でしたら、いつかまた熊野詣へ行かれるといいです。この京でも、僕でよければ少し話ができるとも思います。お供させていただけますか」
「……はい」
 線の細い子供だった。それでも、はにかみ僕を見上げた目はこの頃から武門の子だった。



 そんな再会に驚いた僕だけれど、平泉に戻った僕も、また驚いた。
僕が高館の家に足を踏み入れるなり、
「待ちわびていたぞ!」
 と、金と共に、どちらが犬か分からないという勢いで僕に駆け寄り歓迎してくれた九郎の背が、見違えるほどに伸びていたのだ。
「九郎?」
 前回そうだったように、九郎が僕に飛びづいてきたならもしかしたら、すっぽりと抱きしめられる格好になっていたかもしれない。
 けれどそうなる前に、僕は立ち止ったし、
そして九郎も途中でぴたりと足を止めた。
「ただいま……九郎」
「ああ……お帰り弁慶」
 そして、互いに複雑な顔で二人で向かい合ってしまった。声も違ってた。同じなのはその明るい口調くらいだった。もしそこでなく、町の入口あたりで出会っていたら僕は分からなかったかもしれないほどに。けれど、黙っていても仕方がないので、すぐに切り替え笑顔を浮かべながら九郎に近づいた。測るように体も顔も近づけてみると、どうやら視線がほとんど同じだった。
「背が伸びましたね。驚きました」
「……そうだな。お前が小さく見える」
 けれど、あんなに背が伸びるのを待ちわびていた筈の九郎はあまり喜びもせず、困惑しながら僕を見ていた。
「もしかしたら、僕より背が高くなってるかもしれないですね。春にそんな話をしていましたけれど、まさかこんなに早く抜かれるなんて思っていなかったです」
「……俺もそう思う」
 明らかに様子がおかしかった。
「どうかしましたか?」
「いや……、その」
「ああ、もしかして照れているんですか?」
「違う」
「仕方ないですね、悔しいですが、撫でてもいいですよ、僕の頭」
「だれもそんなこと言ってない!」
 そして、案外素直に九郎は口を割った。
「なんか、お前変わった」
「そうですか?」
「知らない人みたいだ」
「それはむしろ僕の方です。君と視線が合うなんて、すごくやりにくいし、悔しいです」
 出る前までは拳二つ分は違ったはずなのに、もう少し近づけば鼻先が交差しそうなほどだった。試してみようか、と僕は思ったけれど、
「……そういうこと、じゃないと思う」
 九郎は一歩後ずさり。
「なんで泣きそうなんですか」
「……知らん!!」
 と、家を飛び出していった。

 僕は追いかけず、旅支度を解いていた。
 僕がいない間に九郎になにかあったのだろうか、と、心配もしたけれど、でも駆け寄ってきた時の彼の態度を見るに、きっとそういう訳じゃなく、僕に対して何かを思ったのだろう。
 それほどに僕は何か変わってしまっていたのだろうか。
(……別に、それくらい、君に出会う前から同じだというのに)




鹿ケ谷の陰謀の直後くらい、だった
ほんとはあっつんのご両親をあんまりいい人じゃない感じで出すつもりで書いてたんだけど
大河の経盛さんがあんまりいい人すぎて良心が呵責しまくってやめました
ついでに話しこんでる割にこの先あっつんほとんど出てこない
(10.05.2012)


home >> text >> contents >> pageTop
サソ