「知りたいんですよ、君や御館の愛するこの町を」
「弁慶! 遅れてるぞ!」
「僕は君と違って小さくないから」
「そんなの言い訳だ。その分手が大きいんだからとっととやれ」
「君だってまだまだ残ってるじゃないですか」
「それはっ、その、でも、おまえよりは早いぞ!」
秋空は青く、抜けるように高く、横切る渡り鳥が少し羨ましい。
そんな絶好の収穫日和。
慣れない作業に僕は背を伸ばし腰をとんとんと叩いた。薬草と摘むのと要領は同じはずなのに……量が違うからだろう。
休憩しよう、と決めこんで、くるりと振り返った。髪揺らす風が冷たくて気持ちよかった。
あたりの黄金の実りは十数人掛かりですっかりと刈り取られ、束にされ運ばれるのを待っていた。残っているのは僕らのいるあたりなどの一部だけ。
「これは、九郎が言うとおり急がないといけないかも」
思わず零した僕に、ほのぼのと声がかけられた。
「急がずにも平気ですよ。こういうのは慣れもありますから。おれたちとしたら手伝ってもらえるだけでありがたいですよ」
にこにこと近づいてきたのはここの畑の主のご子息、マツさんだ。日頃から……僕らが平泉に来た直後から、不慣れな僕らに色々教えてくれたり、食べ物を分けてくれた人。そのお礼、に、と、僕と九郎は毎回毎度ではないものの、忙しい時の収穫の手伝いをしてきていた。茄子や瓜、栗、黍、と手伝ってきて今は米。そのたびに僕たちは遅れをとって取り残されて、そのたびにそう言って貰ってきたのだけれど。
「そうおっしゃって貰えるのはありがたいですが、それに甘えるわけにも」
「なんの、お二人ともはじめての割には早い方ですよ」
やはりにこにこと、僕の足元の稲を手際良く束ね持って行くマツさんに、僕は苦笑いだ。
僕も、そして特に日頃体を鍛えているつもりの九郎からしたらこんなはずではなかった、らしかった。お世話になっているからだけでなく、それが悔しくて九郎は繰り返し手伝いに来ていたのかもしれない。
僕ら以外の皆が刈り取った稲を束ね運び始めても僕たちは懸命に刈っていた。
「刀でやってはいけないのだろうか」
「駄目でしょう。というか、無理でしょう」
「俺ならできるぞ」
「そうかもしれないですけど」
「だろう! 試してみよう!」
僕が適当に返した言葉に九郎は本気にして、立ち上がったから慌てて止めた。
「そんな、やめてください!」
「なおまっ」
「あっ」
とっさに掴んだのは足だった。ゆえに九郎は見事に体制を崩し、顔から稲株に突っ込んで転んだ。
「弁慶!!」
九郎はすごい剣幕で僕に突っかかってきたけれど、周りからあがったにぎやかな笑い声が彼を留めた。
「大丈夫ですか御曹司」
「おやおや、顔までよごれちまったじゃないか」
「顔に跡が残らないといいけど」
「だっ、大丈夫だ!」
お陰で顔を真っ赤にした九郎は再び鎌で刈る作業に戻ってくれた。
ようやく九郎が彼の持ち分を刈り終えた頃、にわかに周囲がどよめきだした。
「何事だ?」
二人して顔をあげたら、馬が一騎近づいてくるのが見えた。
「あれは」
遠目でも見える黒衣。
「泰衡か」
九郎が答える間に、すっかりと近づいた彼……泰衡殿が馬上から声を飛ばした。
「御苦労」
「ありがとうございます」
皆かしこまり頭を下げた。
「俺の事は気にするな。収穫を続けるがいい」
「はい」
春以来、僕も何度か彼とは顔を合わせていたけれど、相変わらず偉そうだった。
とはいえ、京で公卿や平家がそう振る舞っていたのとは違い、無理矢理押しつぶすような威圧感は泰衡殿には無く、この頃の僕は、こういう光景を見るたびつくづく平泉とは独特な土地だと思ったものだった。
「視察ですか。感心ですね」
ゆえに、この僕の言葉も皮肉だった。でも泰衡殿はそれを歯牙にもかけずに九郎を見下ろした。
「ああ。御曹司が畑仕事を手伝っていると聞いたからな。何をしている」
ただし、途中で声音に冷たい怒りを含ませて。
「何って、見ての通りだ」
「御曹司のすることではない」
「なんだそれは」
言われた九郎は一気に機嫌を損ね泰衡殿を睨みあげていたけれど、それは僕もいささか思っていた事だった。……九郎をここに連れ出すきっかけを作ったのは僕だったし、その後も声をかけ続けたのも僕だったけれど、やはり人にはそれぞれの役目がある、とは思っていた。
それでも僕が九郎を止めなかったのは、
「九郎も九郎なりに、この町の方々に恩義を感じているんですよ。だったら、それをお返ししてもいいでしょう? 御館も構わないと言ってくださいましたよ」
「知ってる。だからここに来た。父が何を言ったのか知らんがもうやめろ御曹司」
「知りたいんですよ、君や御館の愛するこの町の事を」
そう、溶け込んで、知る為。
御館や泰衡殿が、僕らをここへ迎え入れた真意を知る為。
(……落ちぶれた御曹司を受け入れたところで彼らに何の得もないのだから、必ず何か裏がある)
いくらこの頃の僕が九郎とは別の意味で無礼だったとはいえ、生きる場所を与えてくれた御館にはそれなりに恩を感じていた。
けれど。だからと言って、信頼に値する人だ、とは、全く思っていなかった。
そんな僕の言葉を、泰衡殿は鼻で笑った。
「愛。ははっ、法師殿、貴殿がそんななまぬるい言葉を使うなど、怪しくて仕方がないな」
「自分でもそう思います。でも他にふさわしい言葉もないと思います。あなた方藤原家が、この町の人をどれだけ大事にしているか、そして町の人にどれだけ慕われているのか、来て半年の僕でも分かりますから」
(その愛ゆえに、僕らを利用するだろうことも)
平泉は富んだ国だ。京からも遠い。それでも九郎を……もはや落ちぶれた武家の子供を匿う理由があるのか、僕には理解できなかった。あまりにも都合がよすぎた。
それなら利用するつもりで迎え入れた、と考える方がよほど納得できたのだ。
都を牛耳る平家に一時は追いつく勢いだった源氏。末子である九郎だけでなく、兄だって生き延びている。
彼らをそそのかし坂東武者の協力を得て京へ攻め込むことだって可能だし、
もっと……例えば平家がここ奥州まで圧力をかけてくることがあったら、服従の証として九郎を差し出せばいいし。
どっちにしろ、九郎には価値がある。
(だから、僕はけして油断しない)
この町の人を僕は好きだった。生き生きとして、明るい。けれどそれと、そのために僕たちが……九郎が利用されるのは、少し違うと思った。
(今は行き場所がないし、こっちが平泉を利用してやる)
心からにっこりと笑顔を返した僕に、泰衡殿はわざとらしく大きな溜息を吐いた。
「まあ、いい。過保護な法師殿は黙っていてくれ。……九郎! 見ろ、農民の刈った稲に比べて、お前のは長さもぼろぼろだ。お前は邪魔しているだけなんだ。いいから帰れ」
(過保護?)
僕は眉を釣り上げた。言い方が引っ掛かった。
(自分の身を守ろうとして何が悪い?)
けれど僕が反論するより前に、九郎が憮然と言い返していた。
「長さ?」
それにますます泰衡殿は笑みを深くし、農民たちが束ねた稲の山を指さした。
「ほれみろ。そんなことも知らずにやっていたのだろう? 稲はああしてまとめなければならないんだ。だから、そんなまちまちの長さの穂で後々苦労するのはここの農民だ」
「そう…なのか?」
不安を湛えて僕を、僕の刈った稲穂を九郎は見た。僕も知らなかった、けれど、知らないなりに僕はある程度切りそろえていたので、見るなり、急速に九郎は顔を曇らせた。
「……すまなかった」
「何を言うんですか九郎殿。大丈夫ですよ。うちの子供なんてもっとひどいですからな」
マツさんは優しい口調で九郎に笑いかけた。いい人だ、心の底から大丈夫だと言ってくれたのだろう、けれど子供と同じに言われて九郎はあからさまに傷ついた。
「……すまなかった」
そして鎌を放って駆けだそうと、
「九郎!」
したのだけれど、
「だから御曹司殿は御曹司らしく館に引きこもって刀でも振っていればいいんだ。迷惑だ」
「っ」
僕の手より先に泰衡殿の声が届いた。びくりと身をすくませ九郎は俯き立ち止まった。髪までしおれ、覗きこまずともどんな表情をしているのか、僕には想像が容易かった。
怖気づいた九郎に満足したのか、泰衡殿はふん、と一瞥してそのまままた来た時のように黒衣をなびかせ遠ざかっていった。
「泰衡さまは相変わらずだなあ」
気持ちのいい秋の日にふさわしからぬ嵐のような来訪だった。
けれど農民たちは、泰衡殿を見送りながらほのぼのと微笑んでいた。僕は彼らがどうして笑っていたのかよく分からなかった。普通、この状況だったらもっと困るだろうに。
(やはり、僕らは邪魔なのだろう)
そんな中、マツさんがしゃがんで九郎と目線を合わせた。また完全に子供扱い……だけれど、もう九郎は気にする余裕を持てなかったらしい。
「九郎さま、おれらは本当に平気なんですよ。たしかに、泰衡様が言った通り、綺麗にそろっていた方がいいに越したことはない。でも、稲なんてそんな綺麗に育つわけないじゃないですか。だからどうにでもなるんですよ。これがおれらの腕の見せ所です」
「でも……」
「九郎殿だって、前に畑を夜盗から守ってくれたじゃないですか。あれだって、相手は刀を持ってたり、薙刀だったり、火矢を放ったやつだっていたでしょう? それを刀一本で追い返してくれた。弁慶殿だって、おれたちの色々な怪我や病気を診てくださる。それと同じなんですよ」
「……そうだろうか」
「もちろん。俺たちにもたまにはいいところ見させてください」
「……分かった!」
完全にあやされている、と、横で見ていた僕は思った。それでも九郎が元気を取り戻したのは良きことで。
「では、頑張りましょうか九郎」
改めて声をかければ、九郎は真剣そのものに頷いた。
「ああ。ここから先はきちんとやるぞ」
「はは。おれの話、聞いてなかったでしょう」
「聞いてたぞ! 綺麗に刈ってみせるぞ!」
「九郎、そういう意味じゃないです」
「じゃあどういう意味だ? 違うのか? 何かもっと別の刈り方があるのか?」
「さあ、どうでしょうね」
僕は笑いながらはぐらかして、稲刈りを再開した。九郎はなおもちゃんと教えろ!と僕にせがんでいたけれど、けれど彼が切り取った穂はきちんと綺麗に揃っていた。
なにもかも適当
武士が稲刈りとかしちゃあ本当はいけないと思うのです
(08.25.2012)