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「神域に招かれざるもの」

 夏。僕は一度、京に戻る事にした。
「本当に行くのか? 折角奥州まで来たのに」
「ええ。僕を頼ってくださった方が今どうしているのか気になって仕方がないので。ついでに、京の様子も見てきます」
 九郎は理解できないという風だった。けれど僕が譲らなかった。
 彼の事も気にはなった……それでもこの時は、僕の欲望のようなものがそれより勝っていた。
「だったら俺も行く」
「君じゃ目立ちすぎるでしょう? 大丈夫です。今度は御館から馬をお借りしましたから、あの時より楽ですよ。夏ですしね」
「でも、俺だって源氏の御曹司だ。京の事を知っとくのはきっと大事だ」
「だから、僕が行くんです。『協力する』と言ったでしょう? それに仮に君が捕まったらどうするんですか。復讐も何もできませんよ」
「それはそうだが……」
「それより、ちゃんと御館の言うことを聞いて、学んでおくんですよ。武家としての嗜み、今の君には一番大事でしょう?」
「……そうだな」
 と、結局九郎は諦めて平泉に残る事にしたようだけれど、納得はできなかったのだろう、しょげて、僕が発つ前の日など、食事もろくにとらなかった。大げさだな、と僕は思った。
 それでも、出立の時にはきちんと見送りに来てくれて、笑顔で手も振ってくれた。そうなると、僕もなんだか名残惜しい気がして、見えなくなるまでちらちらと振り返ってしまった。


 京にはやはり、前の半分程の日程で着いた。
 そして着くなり持ってきた薬を広げ、箱に詰め直し、すぐに庵を出た。
 ……それは五条川原の人々のためだけでなく。
(まさか、こんな形になるなんて思ってなかったなあ)
 向かったのは六波羅。
 『僕を頼ってくれた方が気になって』そんな、九郎に残してきた言葉は嘘ではなかった。けれど、不十分。
 僕の目的は、京にいた頃に知り合った平家縁の人に会いに行くことだった。もっといえば、平家との繋がりを断たぬために顔を出しておくため、だ。
 その人に会ったのは偶然だった。平家一門だと知ったのも偶然だった。だから、京にいた時分、その人はただの一患者でしかなかったけれど、
源氏の御曹司である九郎と共に平泉に旅立ってしまった今、その人と僕の関係は、少しだけ変わったと言えた。一方的に。
 ので……いつか何かの役に立つかもしれない、ので、彼との繋がりを保っておくのもいいかもしれない、という打算の上、僕は京に戻ってきたのだった。
 かといって、『協力すると言ったでしょう?』という言葉も不十分だったのだけれど。

 久しぶりに顔を出したというのに、その人は僕を歓迎してくれた。
 旅の話をしたら喜んでくれた。そして、息子たちまで紹介してくれて、僕がいなくなった後の京の話もたくさんしてくれた。それは彼らからすれば他愛のない会話だっただろう。実際、平家がいかに力をもっているか、などという話ばかりだったと思う。それでも僕にとってはとても重要なことに思えた。京にいた頃にもよく耳にしていた話だというのに……遠くからやってきたせいも大きいのかもしれなかった。
 数日の後、僕は六波羅を辞した。また京に戻ってきた時には是非寄って欲しいとまで言われて、僕も満面の笑みで頭を下げた。
 そうして今度は市井の人たちのところを回り、六波羅で聞いた話とは全く違うたくさんの話を耳にして、ついでに比叡にも少し顔を出して……結局半月ほどの滞在だったろうか、僕は京を離れた。


 平泉を出た時はまっすぐに戻るつもりだったけれど、途中、そういえば熊野にいる兄に何も言わずに出てきたことを思い出して、僕は仕方なく熊野へ寄って行くことにした。
 久方ぶりの熊野だった。
 平泉への道すがら、九郎に随分得意気に熊野の事を語っていた僕だったけれど、本当のところ、熊野に詳しくなどなかった。仮に今、故郷と聞いて思い出す地はどこか、と問われたとしても、僕の答えは京か平泉であって、熊野など頭をよぎりもしないだろう。幼い頃の記憶はほとんどなかったし、あっても理解していなかったし、思い出したくもなかったし、比叡に預けられてからはますます近づかなくなっていた。二、三度だろうか。最後に戻ったのは多分二年近く前。兄の別当就任祝いで行ったきりだったと思う。
 熊野は、九郎にとっての鞍馬寺と等しい場所だった。
 あの土地はそれだけで僕を殺す。
 けれど、久方ぶりに熊野の支配するところへ足を踏み入れても、意外にも昔のような息苦しさは感じなかった。山を越え、田辺の海が見えても変わらずに、僕は歩みを進めることができた。
 それほどまでにあの父親は僕を支配していたのだろうか。稀代の暴君。逃れられぬ血の定め。鬼と呼ばれた幼少期。神域に招かれざるもの。
 さすがに本宮大社へ足を踏み入れた時は、そんなものがありありと蘇り、吐き気がとまらなくなった。まるで結界に、不浄のものとはじかれたように。実際僕はそういったものであるのは間違いではないのだけれど、それがひどく心をも蝕んだ。
(こんなところ、僕の方から拒絶してやったつもりなのに)
 うずくまりそうになった。それは意地でも耐えた。まわりにそんな姿をさらしたくなかったし、自分自身にも負けたくなかった。社の中まで辿りつければどうにかなるかもしれない、と、僕は口元を覆いながら前へ進んだ。
 けれど。
 不意に背後から足音が迫った。僕は振り返らなかったけれど、それはあっという間に近づき、風を巻き上げながら追い抜いて向こうが振り返った。
「あれ、もしかしてべんけーじゃん」
 子供がいた。赤い髪で、物怖じせずに僕に話しかけたのは兄の息子。
「ヒノエ、ですか」
「なに、あんた顔まっさおじゃん。暑さにやられてんの? だっせー」
 会うのは二度目だったというのに、ヒノエは僕を覚えていたらしい。その上、からからと笑いながらずけずけと言った。今だったらきっと嫌味で倍返しでもするところだ、けれど。
 あまりにも軽やかだったからだろう、とっさに考えを巡らせることができず、無難な言葉を返すことしかできなかった。
「海の男と比べられれば、誰だって白く見えるでしょう」
「ま、それはそっか」
 それでも、ヒノエ相手に弱みを見せたくなくてにっこりと笑ってみせれば、なんだか呼吸が楽になったように思えた。
(病は気から、とは言うけど)
 持つべきものは無邪気な甥、だなんて思いはしなかったけれど、でも僕には少なくともあたりをみまわす余裕が見えた。それで、ちょこんとヒノエの隣に知らない子供がいることに気がついた。
「べんけいどの、とは、ヒノエがよく話しているあの方か?」
「そうそう。京であらほうしやってるんだぜ。ばかだよな。お前知らない?」
「いえ、わたしはそういったことは……」
 ヒノエのせいだろう、泥まみれになってはいたけれど、随分と身なりのいい子だった。その子は綺麗な大きな目で僕を見上げていた。
「べんけいどの。わたしは敦盛と申します。京からきました。あの……あなたを存じ上げなくてもうしわけありません」
「いいえ、荒法師の名など知らずにいるくらいで構わないのですよ。僕こそお恥ずかしい限りです。僕は弁慶と申します。京にお住まいなら、いつかお会いできるかもできませんね」
 にこりと笑うと、敦盛くんはぱあっと顔を赤くした。
「いえ、その」
「騙されんなよ、こいつ、いいのは見た目だけだから」
「君も、どうしていちどしか会ったことのない叔父の話にそんなに詳しいんですかね」
「オヤジに言われてるからね、あんたみたいになるなってさ」
(あのひとは……どこまでもおせっかいな)
 何を吹き込んでいるのかは知らないけれど、ヒノエが僕に接する態度を見ていればなんとなく想像ができるというものだった。
(だったら、これ以上この子に関わるのもなんだか癪だ)
「では敦盛くん、どうぞゆっくりしていってくださいね」
「その、ありがとうございます」
「行こうぜ敦盛!」
 僕が何か言わずともきっと彼らは立ち去っていただろう。そう思えるほどにヒノエは来た時同様あっという間に敦盛の手を引いて社の奥へと駆け去ってしまった。
 まるで風のように。
「……相変わらず落ち着きのない」
 熊野に住まうものの中では唯一の僕の過去を知らないヒノエは、少し苦手だ。



 それでも、結局僕が熊野に滞在したのは一泊だけだった。その晩は大人しく兄の酒の誘いに付き合った。たいした話はしなかった。九郎の事も話さずに、今は平泉に身を寄せているんです、とだけ言ったら、翌日、発つ時に文を預かった。首をかしげた僕に兄はあっけなく種明かしした。
「言ってなかったか? 俺は泰衡殿の後見人だ。ついでにヒノエの元服の折にもあちらに頼むつもりだ」
 悪戯好きの子供の顔で……それこそ、ヒノエに似たしたり顔で言う兄に、僕は絶句するしかなかった。
「……知っていたら平泉に行かなかったと思います」
 素直に言えば、兄は笑った。笑って、
「ま、そういうわけだから、今度はお前もゆっくりしてけ」
と、やはり風のようにさわやかに言いながら手を振った。


 平泉に戻ったのは発ってからだいたい二カ月ほど後だった。
 九郎は変わり映えすることなく、僕に飛びついて歓迎してくれた。
 そして、一人の間に御館と随分仲良くなったのだ、町の人が世話を焼きにきてくれた、あれを覚えたこれを覚えた、と僕に山ほど話してきかせてくれた。
 僕も話した。熊野の事や平家での事は語りはしなかったけれど、京の町の事、旅の途中の事、御館からお借りした馬を賜ったこと、色々話して、いくらかの土産を彼に渡して、それだけで三日くらい簡単に過ぎてしまった。




あっつんはまだあっつんじゃないと思うんだけど
あっつん以前の名前が分からないのであっつんで書いちゃった
(08.24.2012)


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サソ