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「平泉は不思議な町だった」

 平泉は不思議な町だった。
 そこまでの道のりで僕らはいくつもの土地を抜けてきて、何も知らなかった僕らも多少は見聞してきたけれど、全てと違った。熊野とも違った。武家の都という話は本当で、京に比べ、街は広く、景色は簡素だった。けれど京よりもよほど豊かに見えた。治安もよかった。
 なにより僕が驚いたのは、余所者の僕たちを平泉の長である御館は本当に歓迎したところだった。どうやら九郎の母君がよろしくお願いしますと文を書いていてくれたようだったけれど、御館は僕らを疑いも厭いもせず、よくぞきた御曹司、長旅疲れただろう、と労い、酒宴まで開いてくれて、今まで辛かっただろうこれからは父のように思うがいい、と激励し涙を流し、挙句、丘の上に家まで賜ってしまった。そのあたたかな歓迎に、九郎もわあわあと声を上げて泣き、そして御館に懐いた。
 街の人もそうだった。九郎は何故か既に有名で、高館のまわりはおろか、どこへ行っても「君が御曹司だね」と、歓迎された。九郎がそれをどう思っていたのかは知らない。けれど僕は息苦しさを感じていた……のも束の間だった。
 彼らは口々に、君が御曹司だね、平泉は雪がようやく溶けたんだ、今から桜が咲くところだよ、そうしたら遠乗りに行くといいよ、川にも魚が戻ってくるよ、京と違ってこんな作物もとれるんだよ、など、散々九郎と隣にいる僕に教えてくれたものの、ただそれだけだったのだ。
 いわば、僕が京で最初に診療所を開いた時に、皆が良くしてくれたのと同じ。
 「源氏の御曹司」、それは九郎を示す言葉で、同時に九郎を縛る言葉だったはずだったのに、ここ平泉ではただの、いわば通り名と同じでしかなくなっていた。
 賜った家も大きかった。この前まで寝がえりうちあって殴りあって眠っていた僕のさして広くない診療所とは比べ物にならぬほどで、僕らはそれぞれ部屋を持てた。僕はたくさん薬草を摘むことができた。庭もあって、九郎は思うがままに、誰にも邪魔されずに剣を振り回していた。
 平家もいない。比叡の僧たちもいない。貴族も……支配している藤原家はいたけれど、京の貴族たちとは雲泥の差で、搾取しない。
 僕たちは自由だった。
 とはいえ、完全に好き勝手していたわけではなく、僕はまた薬師の真似事のようなことをしていたし(ただし、平泉には既に立派で徳の高い薬師殿がいたから、僕は高館の周りだけ補う、という形に自然になっていた)、
九郎も平泉の武士たちに教えを受けたりしていたりもしていたから、なんだかんだ、京にいた頃の方が、特に九郎はのんびりとしていたと思う。
 それでも、書を読むなり、剣の腕を磨くなり、自分の望むことを、理不尽に邪魔されないという環境は、僕らには信じられないようなことで、毎日寝る間すら惜しかった。九郎など特に、毎日伽羅御所へ出かけて言っては御館の郎党たちに武士の心得やらなにやらの教えを授かるのが嬉しくて仕方がないといった風だった。この頃はまだ、僕も彼と手合わせしたりしていたけれど、あの遠慮のない、言い方を変えればやりすぎな太刀筋はいつしか少し控えめになっていたのも、きっとその影響だろう。
 九郎はようやく武士として息を吸うことができた。

 ひと月ほどがあっという間に過ぎたら、庭の桜がつぼみをつけた。
「時期が来ても全くどこでも咲かないから、平泉には桜がないのかと思った」と、九郎は伽羅御所で御館に言い、大いに笑われたらしい。けれど僕も失念していた。僕たちが着いた時がちょうど梅の季節だったのだから、桜の開花もまた、遅かったはずなのに。
 やがて、平泉のあちこちで桜の花が咲いて、僕らの庭の木も咲いた。僕らは小さな花見の宴を開くことにした。とはいっても、酒もなく、楽を奏でる訳でもなく、ただ二人で濡縁から庭を眺め、せいぜい鶯の声に耳を傾けるだけだったけれど。
「そういえば、君とこうして花などみるのははじめてですね」
「俺は、花見自体がはじめてだ。あっ違うか、母上が一度、呼んでくださった。そして、笛を披露してくださった」
 言うと、九郎はぱたぱたと部屋の方へ走っていって、暫くの後、何かを手に戻ってきた。
「それは、もしかして前に探していた、母君からいただいたという笛ですか?」
「ああ。折角だから奏でてみる」
(そういえば、きちんと見るのははじめてだ)
 彼が大事そうに包みから取り出した笛は美しい一品だった。それをゆっくりと構え、神妙な面持ちで唇をつけた九郎。その姿も、九郎の姿勢の良さや、なんのかんの気品の垣間見える顔立ちも相俟って、絵になった。御曹司、というのもあながち間違いじゃないと思った。
 けれど、その九郎が奏でた音は、ひどかった。九郎の母君、常盤御前はたいそうな笛の名手だと、当時の僕でも耳にしたことがあったけれど、それを冒涜し踏みにじりかねない音色だった。
「……」
 僕は絶句した。一曲吹き終えたらしい九郎は、
「どうだ?」
と、目を輝かせて僕に問う……けれど、僕の顔を見て全てを察したように、しょんぼりしとした。
「……やはり、母のようにはいかぬか」
 人には向き不向きがありますからね。僕は思えど口にはできなかった、のは、優しさなどではなくて、彼があまりにも昏い顔をしたからだった。
「……母上」
 そんな僕の前で、次第に九郎の顔がひとりでに厳しさを含んでいって。
「……母上、俺は必ず、父の仇をとります」
 強く笛を握り、噛みしめるように。
「一族の怨みを晴らします」
 薄雲に覆われた空を見つめ、誓った。
 真剣な彼を、僕は茶化した。
「御曹司も大変ですね」
「他人事のように言うな」
「他人事ですよ」
「お前だって平家が好きじゃないって言ってたじゃないか」
「好きじゃないです。でも源氏だって好きとは限らない」
「……!」
 九郎は激昂した。笛を投げ捨て勢いよく僕に飛びかかってきた。けれど、普段ならまだしも、怒りに身を任せた九郎は直線的で分かりやすかったので、僕はあっさりと受け流し、九郎を庭に落とした。
「弁慶!」
「ふふふっ。まだまですね九郎」
「こいつ!」
 九郎はまたも飛びかかってきた、その腕を今度は正面から掴み受け止めついでに微笑んだ。
「まだ話は終わってないですよ」
「要らん!」
「『でも、君には協力します』って言おうとしたのに?」
 すると、九郎の動きがぴたりと止まった。
「そうなのか?」
「ええ。暇ですから」
「暇つぶしか」
「そうですね。面白そうですし」
「ここへ来たのも面白そうとか言ってなかったか?」
「言ってました。僕にとってはその延長です」
「そうか……そうだよな……」
 九郎はしばらくしょげた。僕が力を緩めると、その手を力なく抜け、僕の横に座るでもなく、庭にしゃがみこんだ。けれど、束の間だった。笛を拾うと、九郎はすぐに笑顔で僕を仰いだ。
「お前はそういう奴だよな」
「ええ、そういう奴です」
 諦めというには随分と似合わぬその顔で、高く朗らかな声で、九郎は跳ね上がり立ちあがった。そしてふるふると頭を犬のように振ると、笛のかわりに縁に置きっぱなしにしていた太刀を掴んで、走り出した。
「そうときまったら鍛錬だ!」
(潔いなあ)
 木に桜に向かって突進していった九郎は花を断ちはじめた。
 花断つ刃。その向こうに、僕は出会った頃の風景を思い出していた。あの頃はまさか彼が花断つその姿を、こうして目の前で、しかも二人きりで見ることができるなど思ってもいなかったものだけれど。
「僕もやってみたい」
 ふと思って、僕も立ち上がった。
「お前が? やれるもんならやってみろ。難しいんだぞ」
「やってみなければ分かりません。……太刀を持ってきます」
 そして僕もさっきの九郎同様、自分の部屋に戻り太刀を取ってきた。
 けれど。
 庭に戻ったら、黒ずくめの人影が九郎の前にいた。
「九郎?」
 子供だった。けど徹底して黒ばかり羽織る姿はあまりに不振で、僕はとっさに身構えた。……九郎は抜き身の太刀をだらりと持っていたから、危険ではなさそうだと判じ、飛びかかりはしなかったけれど、睨んだ。
「物騒だな」
 そんな僕に、黒い子供は高慢な口調で吐き捨てた。声こそ高く若かったけれど悪意が籠っていて、僕も睨み返した。
「そちらこそ、随分と不躾ですね。九郎、知り合いですか?」
「客人を刃で迎えるのか? お前こそ随分じゃないか?」
 平泉に来て、一番印象の悪い人物だった。けれど九郎の返答は僕を驚かせて。
「あれ、会った事がなかったのか? 御館の嫡男であられる泰衡殿だ」
「……これは、失礼しました。僕は武蔵坊弁慶。九郎と共にお世話になっています」
 さすがの僕も構えを解き、頭を下げた。
「ふん」
 偉そうなのも納得がいく、というところだろう。あの御館の御子息とは到底思えなかったけれど。
 『似てないって言われませんか?』なんて言葉が出かかったけれど、口に出さない程度には僕だって平泉に、御館に恩を感じていた。
 ので、僕は話題を変えた。
「ところで、その嫡男殿が、何用ですか?」
 すると泰衡殿はまたその高慢な態度を崩さないまま、ぐるりと庭を見回して。
「お前に餅を届けろと父に言われたから来ただけだ」
 と、馬につないであった麻袋をふたつ九郎にぐいと押しつけた。そして、九郎が刀をしまい受け取るなり、めいいっぱいの嘲りを含んで口にした。
「それにしても、京から来たと言う御曹司殿はどれだけ雅な宴を開いているのかと思ったら、なるほど、風変りな楽しみ方をなさっている。まさか花を断つなんて」
 なのに九郎はめいいっぱいに胸を張って笑顔で返した。
「ああ。これは先生の教えだ。なかなかできないんだぞ」
(そこでそう受け取ってしまうんですか)
 口に出す気にもなれなかった僕のかわりに泰衡殿はしっかりと笑ってくれた。
「くくっ、どうやら御曹司殿は武芸の事しか頭にないと見える。これでは先が危ぶまれるな」
「……? 武士が武芸に励んで何が悪い。何が言いたい?」
「まだ分からないか。おい弁慶殿、と言ったか? お前が教えてやったらどうだ?」
「…………」
 挙句、しっかりと僕まで巻き込んでくれた。にっこりと笑みを返す僕の態度で察したのだろう、九郎はようやく眉間にしわを寄せた。
「もしかして、俺は馬鹿にされてるのか?」
「答える義理はない。……用は済んだな、俺は帰る」
 しかも、泰衡殿がそれだけ言って……しかも含み笑いだけ残して去ってしまったので、九郎は自然、僕を見上げた。
「なんだったんた、あいつは。何を言っていたんだ?」
 けれど僕ははぐらかした。
「……泰衡殿は、いつもああなんですか?」
「泰衡殿か? うん、大体あんな感じだ。御館の御子息とは思えない」
「確かに、僕もそう思いました」
 そして、はぐらかされた九郎と再び、泰衡殿が去っていった方をしばらく見つめてしまった。
 けれど。
(でも……むしろ、彼の反応の方が当たり前なのかも)
 僕は思った。
(東国の人は源氏に縁があると言えど、今までの歓迎が厚すぎたんだ)
 彼の登場は僕を少し冷静にした。
 もちろん、あんなにまっすぐ敵意を向けてきた泰衡殿に純粋な好意を抱くなんてこと、僕にはできはしなかったけれど、でも、
この頃、この平泉の地で、僕がある意味もっとも信用していたのは、きっと彼だったのだろう。




(08.22.2012)


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サソ