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「僕たちは真夜中に旅立った」

 年も明け落ち着いた頃。
 後ろめたいことなんてなかったけど。なんとなく、僕たちは真夜中に旅立った。
 挨拶はすっかりと済ませていた。九郎は母君と先生に、僕は僕の薬を頼ってくれる方々と、比叡でお世話になった方々にも一通り。そして荷をまとめ、ひっそりと、二人で京の街を抜け出した。
 五条の橋を渡り、清水の南を抜け。僕たちは無言で歩いた。示し合わせたわけではなかったけれど、二人とも何も言わなかった。
 けれど、ひとつめの山を越えたあたりで、やはりどちらからでもなく振り返った。もう町並みなど見えるはずもなく、木々が広がるあたりの景色だけが広がる、ただの闇。
 それに僕らは歓声をあげた。
「ついに京から出た!」
「はい!」
 歩き出して半刻に満たない程度の時間。距離だって、比叡の山のふもとまでのほうが遠いんじゃないかというくらいだったけれど僕らは手を取り喜んだ。遮那王はただ、『京から出た』という事実に興奮していて、僕もそれにつられはしゃいでいた。
 そのまま歩いた。そのうち正面から朝日が昇って、眩しさに目を細めつつも歩いた。持ってきた干し肉をかじりつつ、ろくに休みもしないで歩き続けてしまった。だから最初の宿に着いた時、僕たちはすっかりとくたくたになっていて、転がったまま動けなくなっていた。
 それでも「京を出たらやっておきたいことがあったんだ」と、遮那王は名前を九郎義経に改めた。僕もその日から彼を九郎と呼ぶことにした。最初はそう呼ぶたび照れていた九郎だったけれど、歩いているうちにすっかりと定着してしまった。
 三日目でようやく海に出た。
「海だ!」
 と九郎はこれまで以上にはしゃぎまわった。
「先日元服したばかりだというのに、子供みたいですね」
 僕は本音を言うと、九郎はそれこそ子供さながらに頬を膨らませて僕に聞いてきた。
「おまえは見たことがあるのか?」
「ありますよ。僕は熊野の出身ですから」
 そういえば兄に報告してくるのを忘れたな、と思ったけどそれはさておき。
「熊野……? ああ、そうか。そうだったか。ところで、熊野ってどっちだ?」
「あっちです。ここを南に下ると、伊勢があって、その先です」
 そんなことも知らなかったのか、と、僕は素直に思った。顔に出たのだろう、九郎はますます頬を膨らませた。
「あっ、馬鹿にしたな」
「しました」
「なにおう!」
 九郎は僕に掴みかかってきた。けど、すぐにぴたりと動きを止め、結局また海に視線を戻した。
「海は大きいんだな。近江の淡海も大きかったが、これも大きい」
「熊野の海は、もっと大きいです。四方が海に囲まれているようですから」
「すごいな」
 言うなり九郎は僕から手を離し駆けだして海に突撃していった。でもすぐさま波に足をとられて転倒した。
「冷たい! 塩辛い!!」
 衣を塩水でべたべたにしても、九郎はしばらくカモメと一緒に波打ち際で遊んでいた。完全に子供だ。
 でも僕も、今だったら寒いから早く行こうと促すに決まってるのに、浜で九郎を見ていたのだから人の事は言えないのだろう。止めもしなかったし。
 結果、九郎はしっかり風邪をひいて、数日尾張で寝込んだ。頼朝殿縁の神社に参拝に行った時も、静粛な境内でごほごほと咳ばかりしていて僕は隣でにっこりと笑っていた。
 それからしばらく海沿いを歩いたものの、九郎は海に近づこうともしなかった。
「もういいんですか?」
「要らん…ごほっ」
 ついでに数日不機嫌で、あまりにも続いていたので、僕も疲れが相俟ってあまり彼に話しかけなくなっていた。まだ道半ばにも達してなかったのにこの有様。そのうち道が山に差し掛かり、九郎が機嫌を取り戻した頃には僕がすっかり面倒になっていた。
「何をそんなにふくれてるんだ」
「別に」
 君が好き勝手しすぎなせいです、と瞳に乗せて睨むこともなく、僕は前を見たまま返した。
「お前はまたそうやって! 言いたいことは言えばいいだろう」
「へえ、僕がもし仮に君みたいに何でも口にしていたら、君は困り果ててしまうと思いますけれど」
「やってみなきゃ分からない」
「そうです、その通りです。けれどやらなくても分かることだってあるんです」
 ぷい、と話を打ち切った僕に九郎は掴みかかった。
「弁慶!」
 けれどそのせいか……隠しておくつもりだった僕の不機嫌な理由のもうひとつが露呈してしまった。ぐうと僕の腹が鳴ったのだ。
「なんだ、腹が減ってたのか。お前も案外子供だな」
「……」
 と、したり顔で言った九郎に僕はさらにかちんときて、腕にしがみついていた九郎を振り払って足を速めた。
「そんなに怒らなくてもいいだろ」
「怒ってません」
(そもそも、最初に九郎が持ってきた干物を食べすぎたり、海で魚を捕るのが嫌だとか言うせいで、もうずっとろくなものを食べられてないというのに)
 僕は無視してずんずん進んだ、けれど、突然僕の後ろ髪を九郎が引っ張って。
「痛っ!」
「静かに!」
 抗議する間も無く、今度は九郎が僕の口をふさいだ。
「!?」
「腹が減ったなら食料を捕るぞ」
 そして自信たっぷりに僕を見上げて言うけれど、
「……罠も餌も無い」
「そんなものは要らない」
言い、九郎は僕から手を離して地面を指さした。そこには何か獣の足跡が点々とついていた。
「あれを追いかけていこう」
「九郎?」
 そして、彼はあっという間にカッコウの声響く森の奥へと消えていった。
 一人残された僕は、しばらく茫然とした。転がっていた丸太に腰を降ろし、僕は九郎が消えた方向を見つめていた。
(何をどうしたら、一人で備えもなしに獣を取れると思いこめるんだ……いくら少し腕がたつからってありえない)
 止めるにしても手伝うにしても、追いかけていく気力はもう無かった。
 (九郎と一緒に平泉に来たの……早まったかなあ)
 今まで、僕の庵にいた時は僕が主導権を握っていたから気付かなかった。九郎の調子についていくのは大変だ。
 僕は怨みがましく彼のいなくなった方をぼんやりと見つめていた。
(そんなにうまくいくものか)
 そしてかわりに、座ったまま周りに何か食べられそうな実はないか、と探していた所、そう間を開けずに九郎が帰ってきた。
「ねぐらを見つけた! 来い! あでも、静かにだぞ」
 海沿いとは打って変わって、生き生きとした様で。
(君の声の方が煩い)
 顔をしかめつつも、僕は立ち上がりついていった……折れたわけじゃない、好奇心に負けた。本当に、罠も無く動物を狩ることができるのか見てみたくなってしまっっていた。……ついでに、空腹だった。
 気配を殺して僕らは歩いた。しばらくの後、森の奥、小さな穴の前で九郎はぴたりと止まった。そしてきょろきょろとあたりを見回していた時。がさがさと音を立てて何かがすごい勢いで近づいてきた。
「来た!」
 九郎はさらりと太刀を抜いた。
「あいつらは、縄張りに入られると突撃してくるんだ!」
 九郎の言った通り、猪が本当に九郎に向かってまっすぐに突進してきた。僕も身構える横で、九郎は持ち前の素早さでひらりと避けつつ、背に刀を突き立てた。
「相変わらず意味のわからない動きをする」
「そうか? まっすぐじゃないか」
「君が、です」
 猪は痛みに暴れまわった。方向感覚を失っているのか、何度も岩や木に激突していた。僕も薙刀をとりだした。そして。
「申し訳ないけれど」
 斬ると、猪はついに動かなくなった。
 少し広い所まで戻って、僕は火を焚いた。まだ夕暮れには早い時分だったけれど、この日はここで野宿することにしていた。僕の横で、九郎は猪を捌いて、焼いた。そして二人でありがたく頬張った。食べに食べた。それでも食べきれなかった分は燻って保存食にすることにした。
 それを作りながら、僕は素直に九郎に告げた。
「驚きました。本当に、餌も罠もなく獣を狩ってしまうなんて」
「海も知らなかったのに、か?」
「ええ。海でおぼれて風邪をひいたのに、です。ついでに、鳥も射落とせないのに、です」
「一言多い!」
 言いつつも、九郎はなんだかんだ誇らしげだった。
(でも、僕もまだまだだったみたいだ)
 思いつつ、僕も素直に続けた。
「どこで覚えたんですか? 山で遊んでいる間に、自然にですか?」
「ううん、先生に教えてもらったんだ」
「そうでしたか。君は先生に、色々な事を教えていただいたんですね」
「ああ! 他にももっとあるぞ、たとえば……」
 そうして九郎は僕に、色々な話をしてくれた。知らない事もあった。知っていた事もあった。それでも目を輝かせながら語る九郎の言葉を聞いているのは楽しくて、夜はあっという間に更けていった。
 
 その後、鎌倉殿が流されたという伊豆の近くを通りかかり……けれど近づくわけにはいかぬ僕らはそのままひっそりと山を越え、やはりこっそりと、源氏ゆかりの武家が多くいるという坂東平野を越え、白河の関を越え、奥州を辿って、ついに薄雪覆う平泉に着いた。




(08.17.2012)


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サソ