「遮那王は面白い子供だった」
遮那王は面白い子供だった。たまに苛々とさせられることもあったし、なにより面倒ごとを呼びこんだりだっていたけれど、それでも馬鹿正直な彼の気質は、僕にとっては斬新で……そう、全く新しい価値観だったのかもしれない、彼はいい意味でも逆の意味でも僕の期待を裏切った。
もしも僕が熊野にもっと頻繁に足を運んでいたならば、ヒノエのお陰でそんなことを思わなかったかもしれない。けれど、生憎当時の僕は甥とまともに言葉を交わしたことはなかったので、僕に唯一まっすぐに突っかかって来る遮那王にすっかりと調子を崩されてしまい、いつしか街中にあの目立つ髪を探すようになっていた。
それでも当初、彼とはそれまで通りに夜にしか遭遇することはなかった。その時に戦の真似事をしていた時なら相変わらず斬り合い、共通の敵がいた時は共闘した。
友達に、と言われた割に、九郎は僕とつかず離れず、というか、よそよそしいとも言える距離を保っていた。戦わなくてもいい時よりも、刃を向けあっていた時(もっとも、一対一で戦ったりはけしてしなかったけれど)の方がなんだか彼と近しいような。そんな距離。
僕もその頃は随分とひねくれていたので、自分から彼に近づくことをしなかった……しようとすら思わなかったので、それが縮まる機会はなかなか訪れはしなかった。
けれど、離れることもなかった。
僕も最初から好意を抱いていたのかもしれない。それでも友人になりたいとは僕は思っていないつもりだったし、そもそも、面白いと思っていたとはいえ、この頃の遮那王はどちらかといえばまだ、僕の中では鬱陶しい存在だったのだから。
そんなある日。ある夜。少し遠くまで出かけた帰り道だった。
すっかりと遅くなってしまったので急ぎ歩いていたところで、僕は賀茂川沿いの芦の原の中に、なにやら橙のものがふわふわとうごめいているのを見つけた。
その夜は月がなくて、視界は悪く、松明の灯りに照らされたそれは最初、僕の目に人魂か何かのように映った。
(まさか)
好奇心が疼いて僕は近づいた。そっと。消えてしまわないように。
……だから、僕ががさがさとたてた草音に反応して、
「何だ!?」
と、その橙が叫んだ時は、たいそう驚いて、
「っ!」
とっさに、薙刀代わりに松明を構えながら全力で後ろに飛んだ。けど、すぐにその声に聞きおぼえがあったことに思い至って。
「もしかして、遮那王ですか?」
「弁慶か!?」
呼ぶと、彼も気付いたらしく近づいてきた。
現れた顔は暗がりでも分かるほど泥だらけだった。
「どうしたんですか? なにか大事なものを無くしたんですか」
「なんでそれを」
「君のその姿恰好を見れば分かります」
姿も酷かったけれど、その表情も悲愴だった。それがあまりに、普段(僕が言えたものではないけれど)ふてぶてしい彼に似合わなくて、同情した僕は、僕にしては珍しく素直に手を差し伸べていた。
「僕も手伝います」
断られるかな、とも思いつつ。それならそれで、僕は引きさがらなかっただろうけれど、よほど切羽詰まっていたらしく、遮那王は泣きそうな顔のまま僕に縋った。
「…………笛だ」
「笛? 横笛ですか?」
「ああ。大事なものなんだ」
「それは、確かにこの辺で落としたんですか?」
「分からない。でも、朝はあったし、昼間ここで猫を追いかけまわしてたからここだと思うんだ」
「分かりました。灯りがあったほうがいいですね、近くで一緒に探しましょう」
「……うん」
そして僕が松明を掲げる横で、遮那王は草をかき分け探索を再開した。
笛はなかなか見つからなかった。
最初は黙々と探していたけれど、追いつめられたように必死になっていく遮那王を見、ふと疑問に思った。
「遮那王は笛を吹くのですか?」
「どうして?」
「必死に探しているから」
「……あまり吹かない。でも、母上からいただいた大切な品だ」
「母上?」
更に疑問を重ねた僕に、遮那王はいくらか話をしてくれた。
「ああ。母上は……あまりお会いすることはできないお立場だけど、とても優しいんだ」
九郎の両親のこと(父は先の乱で追われ、殺され、母は今は他の家に嫁いで暮らしていること)。
九郎の兄のこと(寺に入った兄が何人かいるけれど、あまり会ったことはないこと)。
鞍馬のことも話した(どこの寺も同じだけれど礼儀作法にうるさくて窮屈だったと心底嫌そうに言っていた)(けれど結局、それが今の九郎の礼儀の良さの根底にあるように、僕は思う)。
九郎はどれに関しても……特に家族については深くは話しはしなかった、ので、そのあたりは僕も既に噂で聞いたことのあったものばかりだった。
それでも、改めて彼の口から聞いた話は……僕の琴線に触れた。それは多分、彼があまりにも、普段の彼とは似つかぬほどに淡々と話していたからで、
僕も、返礼のつもりで、僕の話を少し話した。
比叡には結構長くいる事、けれど寺に閉じこもっているのは好きじゃないから、最近はしょっちゅう五条川原の小屋で寝泊まりしていること、そして家に帰るつもりはないこと。
そんな話をするのは初めてだった。今になって思えば、誰かに話したかったのだろう。きっと僕だけでなくまた遮那王も。
「同じだな」
聞き終わった遮那王は、彼が語っていた時同様に淡々と、同志だと喜ぶとかじゃなく、事実を言ってみただけのように口にした。そして僕も、
「確かにそうですね……あ!」
と同意した矢先、闇の中にきらりと光る細いものが見えた。途端、遮那王が蛙のように飛び付いて。
「あった!」
掲げた笛は、闇夜の遠目でも分かるほどにつややかに磨かれた一品だった。
「よかったですね、遮那王」
「ああ、お前のおかげだ、ありがとう!」
遮那王も、闇夜でも分かるほどにくっきりと笑った。
それが切欠になったのだろう。その翌日から昼間も遮那王と顔を合わせるようになった。というか、彼が僕の庵によく訪れるようになった。
僕はそこに患者ではない顔見知りが頻繁に訪れる事をあまり好んではいなかった。なのに、不可思議な事に、遮那王に関しては不快だと思いもしなかった。雑談するのが思いのほか楽しくて、彼が通うのをあっさりと赦してしまったのだろう。
だけれど、それはともかく……僕は次第に彼の行動に閉口するようになっていった。
(本当に懐かれてしまったのか、これは)
彼はさながら目付役か番犬だった。僕の一挙一動をいちいち見つめていたのだ。
まず薬草集めについてくるようになった(はじめの頃は片っ端から薬草を踏みつぶされた)。
それを調合しているときなど懸命に息を止めてじっと見ていた(たまに「見ているだけで肩がこる!」と腕を振り回して折角量り取った粉薬を吹きとばしたりした)。
よほど珍しかったのだと思った。けれど、鞍馬にだって薬師くらいいるはずで、つまり、ただ好奇心の思うままに行動しているだけなのか、と僕は気付いた。
(んー、そういえば一騎打ちした次の日も、ご丁寧に薙刀探しについてきたっけ)
彼に悪意がないことくらい僕にだって分かってはいた。それでも、僕が比叡にいる時と、診察している時以外は常にくるくると付いてまわる九郎に、段々と僕は息苦しさを感じるようになってきていた。
僕には孤独が安らぎだった。夜の静寂が心地よかった。
結局二月ほどたった頃だろうか。
「いい加減にしてください。気が滅入る」
と、きっぱりと拒絶した事があった。すると、遮那王はこちらが言葉を失う程に目を見開き、息を飲み、次第に凍てつきそうな程の喪失を浮かべて、
「すまなかった」
とただ一言残して去って行った。
僕も少しは悔いた。傷つけた自覚はあった。それでも僕はやはり、何も行動しなかった。距離をつめようとはしなかったのに、
十日ほどあと、遮那王はひょっこりとまた顔を出してくれた。
その様子は一見、今まで通りの無邪気で無神経な子供だった。あんなこと言われてもまだ来るのか、とも思った。けれど。
「また遊びに来てもいいか?」
開口一番、得も言われぬ表情で口にした彼に……僕は。
「ええ。僕も言いすぎました。ごめんなさい」
と、謝っていた。
一瞬でも今まで通りだと思った自分が恥ずかしかった。それほど素直に九郎は孤独を顔に浮かべていた。
なにより僕も寂しかった。
だから、みるみるいつもの満面の笑みを浮かべていった遮那王を見て、どこかほっとした。
13さいとか16さいとかどれくらい若いんだかもうさっぱり分かりません
22と25ももうさっぱり分からないですが
あでも、16って譲でヒノエのひとつ下なんだなあ (08.04.2012)