home >> text
[ 8/22 00:50 ]

 しっかりと食事を食べたところで、九郎も弁慶も、なんだかほっとして気が抜けてしまった。でも多分、これからがいっそ本番。
「飲み物を持ってくる」
「行ってらっしゃい」
 立ちあがって、ここからは結構遠いドリンクバーコーナーへ向かって行った九郎を眺めながら、弁慶は、息を吐いた。
 正直、ちょっと飽きていた。
 九郎と一緒なのは楽しいけれど、なんかこう、もうちょっと……言うなれば、暇すぎた。僕はやはり平穏な日々に浮いてしまうのかもしれない、そんなことを思いながら惰性で、目の前に残っているポテトをつまんだ。二人して夜食を頼んでしまったから、それはまだまだどっさり残っていた。
 それを見て、ふとひらめいた。
 弁慶は九郎の方を見やる。彼はどうやら迷っているらしく、未だにきょろきょろと、せわしなく動いている頭が見えた。今のうちかもしれない。
 弁慶はにこり、と笑ってポテトに手を伸ばす。本人は気付くこともないが、それはそれは楽しそうな顔だった。いつだかヒノエに「企んでる時の顔」と言われた、まさにそれだった。

 九郎がカプチーノ片手に戻ってくると、弁慶がなにやらご機嫌だった。さっきまでうっすらとぼんやりしていたのに。
「? 俺がいない間に何かあったのか?」
「いいえ何も」
 弁慶は即答するが、それが嘘なのはいくら九郎でも分かる。一体何が、と、見回す…間でもなく理由が分かった。
「???」
 ポテトが、不思議なことになっていた。大半は机の上に(おそらく弁慶が敷いた)紙の上に移動されている。そして残りは皿の上で、多分、なにやら絵を描いている。
 ちらり、と弁慶を見ると、彼はなおもにこにこと笑っていた。どうやらこの絵について、九郎は感想を述べなければならないらしい。が。
「……何が書いてあるのか分からん」
 というのが正直な感想だったので、述べた。だがそれでは許されないらしい。弁慶は更ににこにこと笑って九郎を促している。そんな目で見られても分からんもんは分からん!と言いたくなった、が、この程度のことで短気を起こしては、明日の朝まで九郎は短気すぎですあれくらいのことで騒ぎたてるなんて信じられませんと散々に小言なのか愚痴なのかそもそもどこまで本気で怒っているのかよく分からないことを言われて最終的に、全然関係ない約束を、例えば本屋に行くのに付き合えとか部屋の片づけをしてくれとか、いくら弁慶の頼みとはいえあまり歓迎したくない約束を取り付けられてしまうので、なにより、ここで喧嘩などしたら本当に、さっき見上げていた花火までもが褪せてしまうような気がして九郎はぐっと堪えて、仕方なく、一生懸命にそれを解読することにした。
 ポテトで描かれたそれは、なにやら左側にとがったものがあって、その横がなんとなくまるく、右側には横向きにポテトが数本、一部縦にも線が入って十字に並べられている。
 全く分からない。
 ので、九郎は視点を変えて、弁慶がここに書きそうな物を考えてみることにした。
 たとえば、好きなものとか……本とか、情報、薬……そこまで考えて、ひらめいた。
「あ!」
「分かってくれましたか?」
「ああ!」
 そうか、これは鳥だ。鳥の絵だ。左側のとがったところがくちばしで、右側の横向きのポテトが、翼だ。多少不格好だが、ポテトを特にちぎったりしないで書いた絵だし、なにより弁慶は元々お世辞にも絵が達者とは言えなかったから、これでも十分すぎるくらいだと思った。
「お前は、本当に好きなんだな」
「ええ、そうですよ、九郎」
 弁慶はいくらか可憐に微笑んだ。そんな姿に、なんだか睦言をかわしているような気分になって少し照れながら、しばらく見つめあってしまった。

 
 
[ 8/22 01:30 ]

 段々と周囲の人数が減ってきた。
 当然のように、店内の音数は減ってきて、なんとなく、九郎と弁慶の口数も減っていった。
 沈黙はそのまま眠気へと変わってゆく。現に、頬杖ついた弁慶の頭が、がくり、がくり、と、揺れ始めた。
「もう白旗をあげるのか、早いな」
 しかし九郎がそう言うなり、弁慶はぱちり、と目を開いて、
「寝てないです」
と、まるで今までのも演技です、みたいな顔で言うから、九郎は少し苦い顔をした。矢先、弁慶の表情が一転、
綺麗な笑顔がぐにゃりと崩れ、
「いいえ、眠いです。後は君に任せます九郎」
と、開き直って目を閉じてしまったので九郎は慌てた。
「待て寝るな!」
 弁慶は面倒ですという顔で薄く目を開ける。それは睨むように九郎を見ていたけど、次第に口元が緩んでいく。
「一人は不安ですか?」
 言われた九郎は髪を揺らして、
「不安なわけある……っ……」
反論するも、言葉に詰まった。
「不安なんだ」
「うっうるさい!!」
 挙句、(一応声を押さえて)主張してみても、まったくその通りで一切の説得力もなかったので、九郎は諦めて、素直に自らの弱さを認めることにした。
 ちらり、と弁慶を見ると、彼ももう眠そうな態度は出していない。付き合ってくれることにしたらしい。とはいえ、共に起き抜こう、と宣言してたのは弁慶だったような気がしたけど。
「沈黙が悪いんだと俺は思う」
「そうですね」
 だから、なにか話をすればいいんだ。と、分かっていても、普段あんなに意味のない言葉を散々にかわしている弁慶相手だとしても、いざこう、なにか話せ、と言われると、言葉に詰まった。
 弁慶から話題を振ってくれてもいいのに、と思ったが、弁慶はまたさっきみたいな期待した目で九郎を見ている。ぐむむむ、と、九郎は困って、だけど、はたとひらめいた。
 そうか、弁慶の好きなものの話をすればいいのか。
「よし、じゃあ鳥の話だ弁慶」
 意気揚々と九郎は告げる。でも弁慶は何故か首をかしげた。
「鳥? どうして?」
 不思議そうな彼に、九郎の方が疑問を抱く。
「何故、って、絵に描くくらい好きなんだろ?」
「絵? 誰が、いつそんなものを?」
「え、さっきお前ポテトで書いてたじゃないか」
 九郎は素直に答えた。すると弁慶が絶句した。
「……!!」
「違うのか?」
 絶句して、なんだか心なしか、笑顔が深まった気がした。
「違います」
「え、じゃあなんて」
「あれは、好き、と文字で書いたんです!」
「!?」
 弁慶はそれは美しくにっこりと笑ったつまり怒り心頭だった。が、え、そうだったか?そんなこと書いてあったか!? 九郎は必死で記憶を探る。食べてしまったから事実はもはや闇の中、だが、好きなんて文字に、見えたとは、思えなかった気しか九郎にはしない。そもそも弁慶はさっきまであんなにご機嫌だったじゃないか、まるで九郎が正解したかというとおり!
「九郎なんて知らないです僕寝ます」
「待て! っていうか、お前の字が下手すぎるから悪いんだろう!」
「……! おやすみなさい」
「だから待てと言っている!!」
 九郎には分からなかった、けれど今ここで弁慶に寝られてしまうのは避けたいのははっきりと分かっていた。九郎は必死で顔を伏せてしまった弁慶を揺さぶった。

 
 
[ 8/22 02:12 ]

 店内はいよいよ静まり返ってきた。人も減ったが、多くの人が眠りについていたせいもあった。それでも眠らないことにした九郎と弁慶は、ぽつぽつと話続けていた。
 ふいに、弁慶が言った。
「そういえば、浴衣で来なくて正解だったかもしれないですね」
 肩をすくめながら言う彼の真意が九郎には分からなかった。
「どうしてだ?」
「お祭りはもう終わってしまいましたし、それに、少し離れたこの場所でそういう服装をしているというのも、いささか違うような気がしませんか?」
 服装は場所に合わせるもの。それは向こうでもこちらでもあまり変わらない習わし。
 そんな堅苦しい理屈とは別に、九郎はさっきまでの花火を思い出した。今でも記憶は鮮明で、大輪の光の花が九郎の脳裏で咲いて、落ちた。綺麗だった。
「少しさびしいけれど、あの時間は、あの時間だけのものとして、楽しんでおきたい気がしてしまったんです」
 なるほど確かにそれには、祭の衣装を着続けていると線引が曖昧になる、切り替えができない、と言う事なのだろうか。言葉に、九郎は無意識に手のひらを握りしめていた。
「君が浴衣を着たくない、と、言った訳も、少しは分からなくないんです。あの京での日々と、こことは、似ているけど別だ。置き去りにすると決めたのは僕たちで、その気持ちに後悔はないのだけれど、それでも」
 そう、言うなれば追憶だ。
 弁慶は彼にしては随分と苦々しい笑顔を浮かべていた。
「君の着物姿、僕は見たかったですけどね」
 今はまだ九郎は、何も言う事ができずに目を反らすしかなかった。けれど、
「ああ、それに、望美さんが最後に言ってた言葉、あれには僕も同感でしたしね」
意味深な言葉に、九郎は記憶を辿る。
「望美の言ってた言葉……? っ!!」
 思いだした九郎は顔を赤くして何かを叫びたくなったが、さっきと一転にこにこと、むしろにやり、と、意地の悪い笑みを浮かべている弁慶に、結局、
「……勝手に言ってろ!」
ぷい、と膨れつつ、コーヒーを一気飲みして、立ちあがった。

 
 
[ 8/18 17:55 ]

 九郎と弁慶が花火大会に行くことにした、と決めた途端、まるで自分が行くかのようにハイテンションの望美が拳をぐっと握りしめながら二人にまくしたてた。
「ところで、花火大会って言ったら、浴衣ですよ九郎さん!!!」
「浴衣?」
 ここへ来て半年ほど。まだまだ知らない事の方が多い九郎と弁慶が首をかしげると、望美も一緒に頭を傾けながら実に不思議そうな顔をした。
「浴衣、って、あの時代になかったんですか? こう、一枚だけで着る着物」
「ああ、湯帷子みたいなものですかね」
「あんなもので外を歩くのか!?」
「その湯帷子はよくわからないですが、浴衣は多分、こっちの世界はかなり一般的な着物ですよ」
「この世界は凄いな……」
 譲の言葉に九郎はしきりに感嘆した。弁慶も最初こそ目を丸くして驚いていたけれど、すぐにふふ、といつもの笑顔になって、九郎に言った。
「郷に入らずんば郷に従え、でしたっけ。九郎、せっかくだから見に行ってみますか?」
「そうですね。九郎さんたちだったら、和服の方が楽そうだし」
 けれど二人や、何故か誰より目を輝かせている望美たちとは裏腹に、九郎の顔は雲っていた。
「九郎さん?」
「……いや、今回はいい。どういうところかもよく分からんし」
 と、俯いて彼は言った。けれど本心は少し違った。
 違っていた。
 この世界に来て今、九郎は幸せだと、思っていた。悔いもなかった。逃げたのだと突きつけられれば、心の底からそれを否定することはできないかもしれない、それでもあれ以上向こうにいて悪戯に戦を引き延ばすわけにはいかなかった。自分たちは京でも平泉でもないどこかへ行かなければならなかった。それがこの地で、それに後悔は全くないのだが、
それでも……あの崩壊を愛おしい記憶だと、懐かしむことは、未だできない。九郎のここまでの生はすべて源氏と兄を起源としていた。努力は報われるべきだなんて思わないが、あまりにも大きな喪失に、九郎は未だ、笑えない。
 テレビから6時のニュースが流れてきた。内容など誰も聞いていなかったけど、淡々とした口調それだけで、こちらの空気もますます重く沈んてゆくようだった。
 見かねて、九郎のかわりに隣でふわりと微笑んだ気配がした。
「君がそういうなら、仕方ないですね」
「ま、来年もあるしな。いいんじゃね? 楽しみはとっておくって方向で。な、望美」
 将臣も続いてさらっというが、望美は未だに未練があるようで、九郎たちを不満げに見上げている。
「折角見たかったのにー。九郎さんだったら絶対似合うのにー」
「先輩、あんまり困らせちゃ」
「だって九郎さんも弁慶さんも、浴衣の醍醐味を知らないんだよ?」
「醍醐味?」
 力説しはじめた望美に九郎が問う、と、にやり、と、どこかの別当を思い出すような勝ち気な目で望美が笑って言った。
「はい! 浴衣の醍醐味、それはいやらしいことがしやすいってことです!」
「!!! お前は何を!!」
「先輩!!!!!」
 内容までどこかの別当のようだった。いくつになっても純情な二人が顔を赤くして叫ぶ光景も違いないようだった。
 それを見て将臣は腹を抱えて笑った……九郎たちに怒鳴られるまでの短い時間であったけど。


home >> text >> pageTop