[ 8/21 23:45 ] 九郎としたら、帰り道を聞こうと思ってかけた電話だったというのに、電車に乗れなかった、と報告するなり将臣は『ファミレス行って朝まで時間潰せ』と言って、一方的に電話を切ってしまった。 ファミレスってどこにあるんだ、と聞く間もなかった。 「何時だと思っているんだと言っていたが、そんなに不躾だったのだろうか」 「さあ」 九郎と弁慶からすれば、そもそも『日が沈んだら夜』であったから、何時までが失礼に値するとか、そういうのはいまいちよくわかっていない。ファミレスがなんなのかは分かるけど。 将臣に言われたことを、九郎はしばらく気にかけていたけれど、弁慶は、 「そんなに落ち込むことでもないでしょう九郎」 と、呑気な口調でさらっと言ってのけた。九郎はそれを咎める。 「お前、あいつには世話になっているのにその言い方はないだろう」 「きっと、たまたま間が悪かったんでしょう。君の電話が無礼だったとしても、将臣くんがそれくらいで腹をたてるような人物とは、僕は思えないですからね。だから、君がそうやって彼を過小評価する方が、きっと失礼ですよ」 「……それもそうかもな」 「ええ」 九郎はなおも煮え切らない様子だったが、弁慶がにこりと笑うと、釣られるように微笑んだ。 とはいえ本当のところ、弁慶もあの将臣の対応にはなにかただならぬ気配を感じていた。無礼というよりは多分、九郎にも言ったとおり、かなり相当間が悪かったのだろう。普段だったらわざと謝罪の電話でもかけて追い打ちかけたいところだ。けれど今はしない。そもそも弁慶が今九郎をフォローしたのだって、今が将臣の話題で占められるのが嫌だったから、なのだから。 奇遇にも、すぐにファミレスは見つかった。 ほんの少し、緊張しながらも足を踏み入れると、店内は、もうすぐ日付がかわる頃合とは思えないほどに明るく、二人が思っていたよりも人がたくさんいた。 2名様ごあんないしまーすと通されたのは、比較的奥の窓側の席だ。 「ここなら朝までゆっくり君との時間を楽しむことができますね」 店員が去った後、メニューを開く風を装いながら、対面の弁慶が顔を寄せた。不意打ちに九郎はどきりとしたが、彼がぺらぺらとめくり、眺めはじめたので、それに倣った。 とはいえ、文字通りに目を通しただけ、で、弁慶はボタンを押し、店員を呼ぶものだから、九郎は慌てた。こういう店はもちろんはじめてではなかったが、未だになんとなく不思議なやりとりで九郎がそわそわしている間に、弁慶がさらさらと注文をした。 「山盛りポテトと、ドリンクバーふたつ」 「かしこまりました」 それはさっき、『長時間いるならとりあえずこれ頼んどけ』とかろうじて将臣が教えてくれたもの。 けれど、弁慶はさらに続けた。 「ああ、それとシーフードのスープパスタもひとつで」 「以上でよろしいですか」 「はい」 失礼します、と去る店員を見送った後、九郎は呆れた声で弁慶に言った。 「今から食うのか?」 すると、何を言うんだみたいな顔で弁慶は返した。 「ええ。だって長期戦ですからね」 「長期戦って……大袈裟な事を言うなお前は」 「大袈裟じゃないですよ。この世界にも物取りはいるから、こういうところで隙を見せては駄目だと、譲くんもよく言っていたじゃないですか。だったら、僕たちは睡魔と闘わなければならない」 「それは……そうだが……」 「でしょう?」 流暢に、すらすらと言葉を並べる弁慶。 「懐かしいですね。夜の戦場を思い出します。あれに比べれば、他愛もない戦ですけどね。さて、僕は飲み物をいただいてきます。九郎君は何を? 冷たいお茶で構いませんか?」 「あ、ああ」 そのまま一方的に喋って席を立ってしまった彼の後ろ姿を唖然と見送っていたところで、店員が頼んでいた料理を戻ってきた。見るなり、ぐう、と九郎の腹がなった。すっかり忘れていたが、そういえば早めに夕飯を食べたきり、何も食べていなかった。 弁慶は、二人分のグラスをもって直ぐに戻ってきた。そして美味しそうですね、と、パスタをくるくると食べ始めた。にんにくの香ばしさとトマトの爽やかな香りが九郎の鼻先をかすめると、ますます空腹を実感した。九郎はこのポテトも十分に好きで、美味いと思っていたし、今も思っているけれど、しかし、これだけで朝まで耐えるのは苦しいかもしれない、 と、気がついたのは、弁慶がじっと九郎を見つめて、微笑みながら、 「ふふっ、九郎、食べますか?」 と言った時だった。 「いいのか?」 不覚にも、思うより先に声が出た。笑う弁慶に九郎は顔を赤くする。すると弁慶の目がますます細められて、無防備な表情に、九郎はますます赤くなった。そして、 「ええ、もちろんですよ、ちょっと待ってくださいね……はい」 てっきり皿を差し出してくれると思っていたのに、予想外にも突きつけられたのは、パスタを巻き付けたフォークであったので、九郎の顔は更にこれ以上なく熱くなった。 「そっ、そそそそそんなことできるか!!!」 「誰も見てないですよ」 弁慶はさらりとそう言うけれど、残念ながら実際は、九郎が出した大声のせいで、彼らはそこそこ注目を浴びてしまっていた。 「……いい。俺もなにか頼む」 ますます恥ずかしくなって、誤魔化すように九郎はメニューを開いた。 さっきまで……少なくとも、あの浜辺から歩きだすまでは、もっといい空気だったような気がしていたのに。残念ながら今の二人にそんな余韻は全くないと、少なくとも九郎は感じて、息を吐いた。 |
[ 8/21 20:50 ] 先程までの艶やかさとは裏腹に、ゆっくりとひとつ、ふたつ、そしてもうひつと、空に閃光の花が開き、遅れて低い音が二人の元へしっかりと届いたきり、ついに空は沈黙した。 残るはいつも通りの星空ばかり。 かわりにざわめきがあたりを占めた。これで終了しました、というアナウンスが入ったら今度は一斉に観客が動き出し、ますます賑やかになった。 さっきまでの光景は幻だったかのような喧騒。空すらも、既にただ夏の星座が瞬いているいつもの姿だ、それでも二人は動けずに、ただ天を見上げていた。 「終わりましたね」 「ああ」 少なくとも、彼らの中ではさっきまでのにぎやかな共演は心にしっかりと残っていた。思い描く事ができた。 花火。二人にとってそれは、景時が熊野で見せてくれた、望美が花火と呼んだ錬金術でしかなかった。 けれど、実物は二人の想像をはるかに超えるものだった。はじめはぽつり、ぽつりと、どこか侘しさを伴いながら空高くへ打ち上げられてたその花は、いつしか数を増し、気付けば空を埋め尽くすほどにもなっていた。 色も形も様々で、二人は魅了された。最初こそ、はじまった、とか、綺麗だな、とか言葉を交わしていたというのに、いつしか二人とも時を忘れ、圧倒され、ただただ空を見上げていた。 だからこうしてすべてが終わり人々が歩き始めた今も、二人はまだ動けなかった。隣合わせに空を見て、いつしか手を繋いでいた。 さっきまで溢れるほどにいた観客も、まるで先程まで上がっていた花火のように、あっという間にいなくなった。すると、目の前に海が広がる。 夜も更けた、夏も盛りは通り過ぎた、頬を撫でる海風はほんの少し冷たくて、静かな波音も相俟って、なんだか、ずいぶんとはやい秋を感じさせるようで、なんともなく、二人は更に身を寄せそれを眺めていた。とはいえあたりは既に闇、最早波が打ち寄せる様は、遠くの街明かりがきらきらと波しぶきを浮かび上がらせる程度にしか見えない。それどころか、こんなに近くにいるというのに互いの表情さえも鮮明ではなかった。 それでも、なんとなく、相手が何を考えているのかは分かるような気がしていた。きっと自分と同じような事を考えているのだろうと思ったからだ。薄闇の中、瞳を見つめながら、唇を重ねた。ふわふわと、触れるだけの接吻を繰り返していたけれど、ふいに九郎が言った。 「そういえば……前にもここで海を見ていたことがあった気がする」 「向こうで、ですか?」 「ああ」 「君と、ここで? ……ああ、あの時かな、鎌倉へ来て直ぐの頃の」 「……兄上からの最初の御沙汰の帰り道だったな」 九郎の言葉に、弁慶の記憶も少しずつ鮮明になってゆく。あれはたしか寒い季節だったし、今のように穏やかな気持ちで見ていたわけでもなかったから、すぐに思い出せはしなかったけれど。 「不思議なものですね。全然違う世界なのに、こういうことがあると、やはりリンクしているのでしょうね、と、思わされます」 にこりと微笑み告げると、九郎はほんの少し苦い顔をした。そのまま水平線へと視線を戻した。声をかけようか、と弁慶はいくらか迷った。けれどそうしているうちに、少しずつ、強張った九郎の気配が緩んでゆく。負の感情が顔からも溶け落ちてゆく。 結局、束の間だった。彼はぎゅっと弁慶の手を握り直して、 「帰るか」 と、目を細めて言った。 |
[ 8/22 00:10 ] 弁慶がすっかりと食べ終わってしまった頃に、九郎の注文した夜食がやってきた。 「……これはまた、大層なものを選びましたね」 九郎の前にどん、と置かれたのは天ぷら(ざる)蕎麦セットだった。 「長期戦になるんだろう?」 「確かに、そうですが」 始発が動くまでここにいることになる九郎たちは、最低でもあと5時間は起きていなければならないだろう。だったらこれくらい食べても平気な筈だ、と、九郎は思った。それに、蕎麦なら夜中にも食べやすくていいに違いないし。 「いただきます」 つゆに薬味を入れて、さっそくずるずると食べ始めた。やっぱり蕎麦を選んだのは正解だった。店内はエアコンが効いていてかなり快適だったけど昼間や花火大会の直前くらいまでは相当暑かったし、なんだかんだ、散々歩き回っていたので疲れていたらしい九郎からすれば、すんなり食べられたし、蕎麦自体も美味しかったし。 弁慶はそんな九郎を、なんだかとても物欲しそうに見ていた。 「おいしそうですね、ふふ、よかったですね九郎。羨ましいな」 「……さっき食べたばかりだろう」 「あれはあれ、これはこれ、ですよ」 「あ!」 そして九郎が蕎麦をすすっている隙を見て、さっと海老天を、よりにもよってフォークでつきさしてかっさらった。 「お前!」 「ほひしほうだったので」 「食べながら喋るな!」 口端から海老の尾をはみ出させたまま弁慶は言う。それは随分と無邪気な様に見えた、ちょっと可愛い、とも思ったが、なんとなくそれで騙されたら負けなような気がしたので九郎は引かない。 「……俺にはくれなかったくせに」 けれど弁慶も……あっという間に海老天を胃袋に流し込んで、更ににこにこと返した。 「僕は君に、ちゃんと差し出したでしょう? 食べなかったのは君ですよ」 「あっ、あれは!」 言われてみれば、確かに弁慶は九郎に分けてくれようとした。だけどあんな風に食べさせてもらう形になるのは……家の中だったらいいのかも、しれない、というか、いい。けどここではかなり恥ずかしい。しかも、弁慶のことだ、九郎が食べられないのまでお見通しでやっていたに違いないんだ。 と、そこまで考えて、九郎はいい事を思いついた。 だったら同じことをやってやればいいじゃないか。 ということで、九郎は茄子の天ぷらを箸で掴んで、弁慶の前に差し出した。 弁慶は少し目を丸くした。これでどうだ弁慶お前だって食べられないだろう、と、九郎は勝ち誇った、けれどそんなのは束の間だった。彼は九郎の方へずい、と顔を近づけ、かすかに目を伏せ唇を開き、 ぱくり、と、なんの戸惑いもなく食らいついた。 むしろ九郎の方がぎょっとして若干後ずさってしまった。 「まさか、君が一番好きな茄子の天ぷらを僕にくれるなんて。嬉しいな」 「ぐむむむ」 麗らかに告げる弁慶に対し、九郎は眉を顰め悔しがるしかできなかった。 |