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「帰る場所・後編」


 夏過ぎて、秋が来て、随分と長い旅路から帰ってきたら、どうしてか弁慶は前ほどは出かけなくなった。
 単に用事が全部終わったのかもしれないし、木曽義仲の京での横暴に、頼朝が気分を悪くしていると、近々京を攻めると、鎌倉中を緊張が走っていたから、さすがに大人しくすることにしたのかもしれない。それとももっと他の理由か。
 そんな最中、御家人たちでごった返す大倉御所の広い庭の片隅で、景時が補給部隊の編成を模索しているところに弁慶がふらりと現れた。次の戦では九郎も将の一人として出ることは既に決まっていたので、その為の物資のあれこれの話を通しに来たという。彼はてきぱきと、必要なものと必要な事を景時に伝えてゆく。弁慶は元々優秀な軍師みたいだけど、それにしたって手際がよくて、なんというか、それが面白くて、ついでに用件もあっさりと終わってしまったから、景時はついでに聞いてみた。
「弁慶、最近出かけなくなったね」
 聞かれた弁慶はいくらか驚愕したようだけど、すぐににこりと、いつもの笑顔で言った。
「これだけ慌ただしくなってきますと、ね。僕もそろそろ、軍師としての働きをしないと、九郎にお払い箱にされてしまいますから」
「九郎はそんなことしないでしょ〜」
「ふふ、そうでしょうか」
 一見、彼はいつも通りに見えた。最初に会った時も、それ以降も、出かけていた頃にも普段から見せていた顔。だから見逃してしまいそうになるけど、景時は知っている。
 弁慶はともかく、彼が出かけなくなった途端に九郎がいきなり調子を取り戻し評判も取り戻したのを知っている。
「何か、九郎に聞いて欲しいことがあったんじゃないの? 聞いて貰えたのかな?」
 だから、そうだったいいのに、と思い、景時は問う。すると弁慶の空気がゆらりと揺れた。
「どうして、そんなことを?」
「なんとなく、かな〜。ただの勘だよ」
「……勘、ですか」
 と同時に聞かなきゃよかったかな〜と、思った。弁慶は探るようにこちらを見上げていた。そんな彼の仕草はどきりとする。見抜かれるようだった。しかも、本当のところ勘じゃなくて、いつか昔に目撃しちゃってから、という理由で更に後ろめたさが増すようだった。だけど、
「……そうだったのかもしれないですね。でも、今はそうでもないです」
言葉と共に、視線が景時の背後でろくでもない会話をしている御家人たちにずれたので、気付かれなかったことに、自分から話を振ったくせについ安堵してしまった。
 やっぱり弁慶には余計なことを言わないのが吉だ。彼を見抜くのはちょっと怖いと改めて思う。気を抜くと逆にこちらを暴かれるような気がした。特に……彼のことも含めて色々と秘密を抱えている景時にその目はちょっと強すぎた。
 それにしても。目の前で目を光らせる弁慶を見て、景時は肩をすくめる。悪だくみが似合う顔をしているなあ、と、しみじみ思う。ただ、これに関しては、弁慶が九郎の友人だと知らないで、こんなところで九郎の悪口を喋ってる彼らが悪いのだけど。
 さて、彼らはどうなるんだろうか。頼もしい限りで、景時はつい綻んだ。
「今の方が君らしいよ」
 つい口にしてしまった。
「君はそうして九郎の軍師をしている方が似合ってる」
 言えば、弁慶はくるりと再び景時を見上げた。
「似合ってる……ですか?」
「九郎はずっと君を心配して待ってたからね。まるで、帰る場所を守っている番犬みたいに」
 ぼんやりとした、……ちょっと可愛い、なんて思ってしまう上目づかい。
 慌てた風を装って、景時は手をぱたぱたと振って否定する。
「あ、無し!今の無し! 嫌だな〜何言ってるんだろう、オレ。ははは〜」
 そうすれば弁慶は流すと思っていた、けれど彼は少しの後、笑みを零した。
「帰る場所、ですか。君にしては随分と大袈裟な事を言いますね」
「だから、気にしないでって言っただろ〜」
「ふふっ、聞いてしまいましたからね、取り返せませんよ」
 笑う弁慶はいつになく呑気そうで、こちらが毒気を抜かれそうなほどだった。けれど、それは束の間で。
「……ああ、だけど、そうかもしれない。そういうものが、僕はずっと欲しかったんですね」
「弁慶?」
 独り言のように彼は呟くと、どこか寂しそうに瞬いた後、再び景時を見上げた。
「戦う理由が増えたのは間違いないですね」
「……忙しいね、君も」
「僕も色々やってきましたから、今更なんですけど、だけど今回は特別かな」
「へえ?」
「その為ならもう、何を失う事にも躊躇いはないかもしれない」
 まっすぐな目だった。誰にも言わず、何かを成そうとする彼は強いと思っていた、そんな彼の見せる目は時として怖かった。それでもかつて見たことない程に、格段と意志を持った目だった。ぞくりとした。柔らかな造形に不釣り合いだから更に真摯に見えて、誰かを思い出す。いや多分、これほどの覚悟はきっと、彼以上だ。
「もう二度と躊躇う事を許されないのかもしれない」
 強い意志に気押されて、景時は刹那息を飲んだけれど、弁慶の方は、有言実行と言わんばかりにするりとまた、綺麗にかたどられた笑みを浮かべながら景時の背後の御家人の方へするすると歩いていってしまった。
 一介の薬師でしかない筈の彼を、一体なにがそこまで奮い立たせるのか、景時はよく分からない。分かる気がしない。
 だけど心から羨ましいと思った。
 ……景時はまだ、手を汚すことを躊躇う。たとえ相手が悪名高い木曽のような人物だとしても可能な限り逃げたいと思ってしまうというのに。
 そんな風にまっすぐに、なにかの為には生きられない。




弁慶が躊躇うことを許されないとか言ってるのはなんてことなく
京の龍脈がどうこうって話です
(02/09/2010)