「遠い君・後編」
「すまない景時」
謝りながら懸命に散らばった銭を拾う九郎に、景時は返す。
「九郎のせいじゃないよ〜。まさか袋が破けるなんて、オレも思わなかったからね」
だけど九郎はひどく悄然と、思いつめてる風に返した。
「……すまない、景時」
汗をぬぐいながら、景時は無言で共に拾う。
夏も折り返しの頃になると、京を制した木曽の悪い噂ばかりが出回るようになって、源氏は慌ただしくなり、鎌倉に残った御家人は誰もが忙しくしていた。功を奏する絶好の機会だったからだ。
いよいよ頻繁に顔を合わせるようになった九郎もまた、その一人だった。彼は誰より張り切って兄の為だと懸命に立ちまわり、健気な程に懸命につくしていた。
ただ、九郎はもともと目立つし、その上、やっていることがあまりうまく行っていなかった……そう今のように。それで、かなり御家人内での評判をさげていた。
今もそんな感じだった。今日は景時と九郎とで、頼朝直々の命で馬を買い付けに下野まで向かうことになっていた。だけど、馬に銭の入った袋をつけている最中、九郎がちょっと無茶してたくさん袋を運んできたものだから……落ちて袋が破れて、このありさまだった。しかも大倉御所の馬舎の前でやったものだから、鎌倉殿にお目通りに来た御家人たちに散々目撃されて……明日には相当広まっているだろう。
それを、景時自身はあまり気にしてなかった。悪評が広まってるのは勿論嫌だけど、元は平家の武士だから悪口なんて慣れていた。だからいいとしても。
「九郎、最近ちょっとまずいんじゃないかな。しっかりしないと」
「……すまない」
暗い顔で一枚一枚、膝をついて九郎は銭を集める。景時はその姿に溜息をついた。
「焦ってるよね。どうしたの?」
確かに九郎は日頃から兄上の為だと口癖のように言っていたけれど、いくらなんでもこんなに極端に焦ってはなかった。
「何もない。焦ってもない。俺は兄上の為に」
「……とは言うけどさ九郎、今までこんなこと、しなかったよね。そろそろまずいと思うよ」
「……」
汗ばんだ指で拾ってるから、砂が爪の中に入って落ちない。やりにくくて、景時がふうふうと指先を吹いてると、九郎も同じように手を止めてしまう。うつむいてしまう。
景時はそれを見やる。……こういう時に、九郎の悩みを聞くのは自分じゃないと思う。だからあまり積極的には関わりたくなかったんだけどな〜、というのが本音だったけど、
「何かあったの?」
問いかけると、ぽつりと九郎が漏らした。
「……悩む時間があるなら、その分兄上の為に費やしたかったんだ」
「君はよくやってるよ」
「まだ足りない!」
そして叫んだ。驚いて、思わず景時は手に持っていた銭を落としてしまった。ちりん、と音が響いて、九郎が目を丸くして、再びうなだれた。
「……すまない。だが、源氏として何かをしていないと、ひどく落ち着かないんだ」
「うん」
相槌打つと、今度は九郎が景時に問い返してきた。
「…………お前は、……大事なものはあるか?」
真っ青な空だとか、しきりに鳴く蝉の声とか、そういうのとは対称的な弱弱しい目で、切羽詰まった声で九郎は言った。捨て犬みたいだ、なんて思った。
「あるよ」
「それは……その、大事なもの同士が、反目する、というか、片方の為に、片方をおろそかにする、とか、そういうことはないか?」
更にすがるように見る姿にいよいようなだれた尻尾すら見えるようだった。
「うーん、そうだね〜」
景時は銭を指に挟んだまま、顎で指を撫でる。九郎はすがるように景時を見つめ続けていた。純粋だな、と冷めた心が眺めた。
「大切なもの、ね」
「どうなんだ?」
「ん、そうだね〜、その辺は、大体適当にやってきたからな〜」
「そうなのか!? どうやってだ?」
「それは……うーん、ちょっと説明しにくいな〜」
「そうか……」
「……年をとるとね、色々だからね」
九郎はしゅんと俯いたまま、またゆっくりと拾いはじめた。長い髪もうなだれ土の上に模様を描く。
「ついていきたかったの?」
「……」
九郎は答えない。でも、景時も……彼、が何をしているかは知らないけど、
景時が同じ立ち場でも、九郎に打ち明けることはないだろうな、と、こんな様をみていれば思う。彼が好きならば好きな程。どうせ、九郎が行くなと言ったくらいじゃ止められないことでもしてるんだろうし、なにより、
……言ったところで鎌倉殿の御家人である九郎が、鎌倉殿の力になることを選んでしまった彼には、外で何かしている弁慶についていくことも、そもそも多分、話を聞く時間すらないのだ、最早。
多分九郎も分かってる。でも割り切れない。
「……あいつは、何をしたいんだろう」
九郎はとことん気が滅入っているようだった。
「……聞かないんじゃなかったのかな」
いつかの青空の下で、弁慶がどこに行くのか、気になっていてももう聞かない、ときっぱりと言っていた九郎。そんな時間があるなら兄の為に費やしたいと言っていた九郎。かの後ろ姿を脳裏に描きながら、兄の為に空回りだけ続けている九郎に景時は問う。
それは意地の悪いただの好奇心だった。
「本当は聞いたんだ」
九郎は素直に語りだした。
「うん」
「だけど、言わなかった。そういう時は、もうどうしたってあいつが言う事はない。だからこれを聞きたいと思うのは、俺の我儘だ」
「我儘、ねえ」
それは随分大袈裟な。だけど潔癖な九郎らしい、とつくづく思った。
弁慶のことだ、自分の聞きたいことは散々に九郎を翻弄して聞いて言っているだろうから、気にしなければいいのに、それができないのが九郎だ。時として内向的で自虐的。鎌倉殿を相手にしている時に特に思う。ただ、あの人は怖い人だから、景時としたらそれくらいで安心なんだけど、生き方なんだろうな、と思う。刻みつけられた処世術。ゆえに無自覚で、時折怖い。それが九郎。
そしてそれを何ひとつ言わないのが、景時だ。
「俺は、気にしすぎなんだろう」
迂闊だな、と、本当に思う。声をかけたのは自分だけど、そんな話を聞いていいほど、景時と九郎は親しくはないはずだ。
「……正直なところ、そう思うけどね。仲がよくたって言えないことって、たくさんあると思うよ」
「そうか……」
嫌だな、と思う。つくづく思う。九郎と弁慶に近づけば近づくほど、嫌になる。特に、傷つく九郎の姿を見ると、複雑だ。安堵しているのか目を反らしたいのか、もっと別の何かなのか、自分でも分からないほどに。
本当はもう、会話を切り上げるべきなんだろうな、と、思いながらも景時は目を細め続けた。
「言ってみればいいんじゃないかな」
「何をだ?」
「君にもあるんじゃないの? 友達だから言えない言葉が」
好きだって。行かないでって。
言うと、九郎が顔をあげた。合った瞳は怯えていた。俯くかわりに景時に背を向け、空を仰いだ。
「……言えるか」
「言えるよ、君なら」
オレだったら言えないけどね。そんな言葉は飲みこんで笑いかけても、九郎はもう何も言わなかった。
景時も何も言わなかった。
雲のない空はまっすぐに肌を焦がす。瞳も焦がして、黒い影が空に浮かぶ。
最初に九郎を見た時に目を奪われたのは、とにかくその立ち姿の美しさだった。毅然とした居ずまいは清々しい程にまっすぐで、それは同時に白びた銅のような脆さを連想させた。とはいえこんなにもあっさりと、容易く折れそうになるなんて。
この分だと戦が、もしくは誰かが九郎の命を奪うより先に、弁慶の強さが九郎を切り刻んでしまいそうだと思った。
(26/08/2010)