Ozone-1o
スキマ風
人気の無い夜道はやけに静かで暗くて、点々と落ちる街灯の頼りなさが一層寒々しい。視線を上げると、葉を落とした街路樹の間にはまばらに凍った星が見えている。加藤は襟から忍び込んできた冷気にひょいと首をすくめてに後ろを振り返った。さっきまでついてきていたはずの足音が消えたからだ。
探すまでもなく、今来た暗い夜道に細い後ろ姿を発見して、やれやれと踵を返す。
「マサキ、追ってきたりやしないよ」
そう声をかけると、ゆるゆると吹き抜ける風に舞い上がる髪をまとわりつかせるようにしてマサキが振り返った。
降り注ぐ街灯の青白い光が濃い陰影を落とす顔の、瞳だけが獣のようにギラギラとしている。
「あの正義の味方君はともかく、森次という男は存外頭が良さそうだ。諦めろ」
その言葉に明らかに失望の色をにじませて、マサキは未練がましく後ろを振り返ると足早に加藤に追いついた。
特務室の三日遅れのクリスマスパーティーに顔を出した帰りだが、マサキは彼らが追ってくることを警戒しているのではない。むしろ追いかけてくればいいと思っているのだ。そうすれば力いっぱい殴り飛ばしてやれるのに、と思っている。
諦めろと言われてなお諦めきれないのか、猛々しい殺気を振りまくマサキに加藤は苦笑して行こうと促した。
「お前がそんなに怒るのは久しぶりに見たな」
からかうように言うとマサキは気まずそうに視線を下へ落す。
「そういえば外へ出るのは久しぶりだ。デートでもするか?」
歩きながら後ろについてくるマサキを見ると、もういつもの取り澄ました顔に戻っていた。
「しかし、帰艦予定時刻が迫っていますが」
「いいじゃないか、この後、特に予定があるわけじゃないんだ。問題があるなら留守番の沢渡に電話でも入れろよ」
一瞬、マサキが思案するような気配を滲ませる。
その様子に加藤が面白がるように小さく笑うと、マサキはばつが悪そうに表情をひっこめてしまった。マサキと沢渡の相性があまり良くないことは加藤が一番よくわかっていて、そういうことを言う。
マサキは何でもなかったかのような顔を作って加藤に向けた。
「構いませんが、どこへ?」
「そうだな、デートの定番といえば東京タワーなんだが、もう無いしな」
まるで他人事のように言って、加藤はかつて東京タワーがあったはずの方向の空を見た。
王政陸に爆破されて以来、すでに電波塔としての役目をほぼ終えていた東京タワーは早々に解体が決まってしまっていた。元々、わずかに残った電波塔としての収入と観光収入だけではメンテナンス費用も賄えず、都からの補助金でなんとか運営してる状態だったのだ。それでも一時は東京のシンボルを惜しんで再建の話もあったが、爆破の際の落下物による被害が大きく、その補償問題等で完全に立ち消えてしまった。
「勿体無いことをしてくれたよなぁ」
「そうですか?」
マサキの問いには微塵の感心も興味もない。純粋にただの相槌でしかなかったのだが、加藤はそういったマサキの反応には慣れっこだった。
マサキはいつも横には並ばない。常に間合いには入ってこない。気安い返事もしない。
「案外、俺はああいう形が好きでね」
自分の影を追うように、コートのポケットに両手を突っ込んで足元を見ながら歩く加藤にマサキはただ黙ってついていく。
会話が途切れたことをどちらも気にしない。いつものことだ。加藤は返事も求めずに自分の言いたいことをただ喋る。マサキは必要がなければ返事をしない。それが常で、むしろ会話が続くことの方がよほど珍しい。
「寒いな」
不意に立ち止まって加藤が呟いた。
マサキも同時に立ち止まって、凍えた夜空を見上げた加藤の後姿を見る。
「なぁ、せっかくデートするんだ、手でもつなごうか」
悪戯っ子の顔で斜めに振り返った加藤がポケットから手を出して、ほんの少しだけ差し出した。
だが、マサキは困惑したような、思案するような顔でただ立ちつくす。いつもなら、そんなマサキの顔を見るだけで満足するのだが、今日は少し待ってみる。
吹き抜ける風がゆるゆるとマサキのコートの裾と髪を揺らした。
空気の流れに乗って滑り込むように間を詰めて、一瞬躊躇ったマサキが加藤の手をとる。
「こうですか?」
おずおずと柔らかく掴む手を加藤は逆に力を入れて掴み返した。
「デートだって言っただろ」
グイと引っ張って横に並ばせる。
「なぁ、俺の隣を空けて待ってたって帰ってきやしないんだよ?」
加藤は自分に言い聞かせるようにそう言って、返事のないマサキの手を引いた。
20120604