Ozone-1o
買い出し二号時速20キロ
夜道に軽快というよりは間抜けなほど軽いエンジン音が響く。両ハンドルにビニール袋を三つも下げた動力付きのキックスクーターが、暗い国道の路肩を走っていた。時刻はすでに真夜中の2時。幹線道路でも車の通りは少ない。しかし、だからこそたまに走っている車は速度を出している。一応、後輪の上に反射板はつけているが、よくよく用心して走らなければならない。
キックスクーターの運転手、沢渡は不貞腐れた顔で出せる限界ギリギリの時速20キロのまま大きくうねるようなカーブを曲がるべくハンドルを切った。ガサガサと音を立てて荷物の入った袋が揺れ、車体がふらつく。
沢渡はチッと短く舌打ちをして両腕に力を入れた。
「ったく、ユリアンヌの奴……」
ぼやきを潮のにおいのする風がさらっていった。峠が終わりに近い。
最後の一息とばかりに唸りを上げてカーブを抜けると、視界が開けて黒い岬の影が横たわっていた。弱い月の光に夜の海が鈍い光を放ってうねっている。海岸沿いにまばらに散らばった灯りだけの暗い夜の漁港が眼下に広がっていた。
さかのぼること2時間前。
「嫌がらせだろ……」
沢渡は何となく気の抜けた気分で空になったタバコの箱を握りつぶした。気がつけばもう長い間、外にも出ずに待機の状態だ。ずっと潜水行動中のシャングリラにこもりきりが続いている。
待機というのは沢渡が最も苦手としている状況だ。ともかく待つというのは性に合わない。
一方、次の作戦行動に向けて待機の命を下した総司令の加藤久嵩は呆れるほど我慢強く、いつまででも、それこそ気が狂いそうなほどの時間であっても、執念深く待つということができる男だった。
久嵩は待つことを全く苦にしない。やろうと思えば尽きない寿命に任せていつまででも深海魚のように海の底で待っていられる。そういう男だから誰もが同じように出来るとでも思っていたとしてもおかしくはない。
ふと、そんな事を考えて、沢渡は握りつぶされたタバコの箱と一緒にゴミ箱にその考えを投げ捨てた。
ただ単に作戦行動が最優先の久嵩にとって、沢渡が海中で缶詰になって気分を害そうと全く頓着しないだけのことだ。つくづく酷い上官だと思う。そういう仕打ちをしても結局は沢渡がついてくることを承知していて雑に扱ってくれるのだから。
ブツブツと文句を零しながら薄暗い発令所をのぞくと、久嵩は定位置で悠然とゲームに興じていた。考え事をしている時の常だ。横では置物のように無表情でマサキが直立不動で立っている。たいていこの景色は変わらない。
「なぁ、久嵩、いつまで待たせるんだよ」
久嵩は画面から視線を全く動かさなかったが、意識がこちらに向いたのは感じられた。
「そうだな……。予想が外れてなければ明後日頃にでも動きそうなんだが」
「タバコ切れたから買い出しに行きてーんだけど」
一瞬の沈黙の後、相変わらず目はモニターに向けたまま久嵩が小さく笑みを浮かべた。
「そろそろ、そう言うだろうと思って全員からリクエストを募っておいた」
呆気にとられている沢渡にマサキが数枚のメモを無言で渡した。見ればそれぞれのメモに品物の名前が書いてある。
「よろしく頼んだよ」
沢渡は忌々しげに舌打ちしてメモをズボンのポケットに突っ込んだ。
どうせ外に出るのは一緒。しかも総司令直々の命とあっては逆らうわけにもいかない。
結果、コンビニを一件、ドラッグストア3件を回り、買い物袋が三つにもなってしまった。
せっかく外に出たのだからバイクで颯爽に走りたいところだが、本来なら1時間もあれば往復できる距離。買い出し用のキックスクーターで十分用は足せるはずだった。そう、最初の予定では1時間もあれば帰ってこれるはずだったのだ。色々と予定が狂ってしまって倍もかかったが。
そのせいもあって沢渡の機嫌は良くない。
漁港に着いた沢渡はイライラと袋の中をあさって取り出したタバコの封を切った。重い荷物を乗せた上に限界まで回転数を上げて峠越えをしてきたキックスクーターのエンジンは熱を持っている。あとは海岸の岩場の陰に隠してあるイダテンでシャングリラまで帰るだけだが、このままではたたむこともできない。
エンジンが冷えるまで、たっぷり時間をかけてタバコふかす。
吸い終って一度、手で触れる程度には冷えたことを確認してから二本目に火をつけ、ポケットに突っ込んでいたメモを取り出した。
書いてある字も内容もバラバラだ。雑誌やお菓子、化粧品と様々な物が入り乱れている。それを一つずつ確認して買い忘れがないか確認する。
確認が終わったところで、まだ残り半分ほどあるタバコをポイと投げ捨てた。
「さーて、帰るか」
キックスクーターをたたんで肩に担ぎ上げた。両手にビニール袋を提げ、夜の浜辺へと出る。人の気配はない。
砂浜は大きく湾曲しながら続き、ついに大きな岩山で途切れた。峠で見た岬だ。近寄ると叩き割られたようにささくれ立った壁面が高くそびえている。波打ち際には大きな岩が無数に波間から顔を出していた。
夜では近づく人も居ない。仮に近づいたとしても明かりの無いここでは、岩の間、半分水に漬かった格好で隠されているアルマは岩と同化している。ここに何かが隠してあると知っていて探しに来たのでなければ見つけるのは難しい。
沢渡は一応、背後を確認した後、コックピットに荷物とキックスクーターを放り込んだ。
緩慢な挙動で岩の間から抜け出し、まるで闇に溶けるようにイダテンは海に姿を消した。
帰ってくるといつもは久嵩とマサキ以外に人の姿のない発令所に、ユリアンヌ、真田八十介、そして王政陸の姿があった。
「そろってんな。つーか、お前、いつの間に帰投したんだよ」
その質問にユリアンヌは腕を組んで斜めに向けた不機嫌な顔に歪んだ笑みを浮かべた。
「昨日。それにしても遅かったじゃない」
「お前なぁ……、誰のせいでこんなに遅くなったと思ってんだ。テメーの買い物が多いからだろ。だいたい男にこんなわけわかんねーチャラチャラした雑誌買わすんじゃねえよ」
ドッと疲れのにじんだ顔で沢渡はユリアンヌからの頼まれ物の入った袋を乱暴に揺すった。それだけで雑誌のインクとマニュキュアのにおいが強烈に漂う。
この一袋分を買うだけで沢渡にとっては苦行と言っても過言ではなかった。棚から手にとるだけでもむず痒い心地のする女物の化粧品をレジまで持っていかなくてはならなかったからだ。レジの店員が無関心そうに会計をしている間、あまりの居心地の悪さにカゴの中身を全てぶちまけたいような衝動にさえ駆られた。
しかし予想通り、ユリアンヌは同情するわけでも、感謝するわけでもなく、うんざりとした顔をしただけだった。
女には決してこの心地の悪さは理解できない。なにしろ女というのは男の下着でも平然と買える生き物だ。
「それより悪いけど、早く買ってきたもの渡してくれる? 夜更かしは美容に悪いし」
ユリアンヌは悪びれるでもなく当然という顔で手を差し出す。沢渡は無言でビニール袋を押し付けた。
沢渡はこの年上の女がどうしても好きになれない。ユリアンヌも沢渡を面倒を見てあげないといけない子供的に扱っているところがある。仲が悪いわけではないが、勝手に違いのことを面倒だと思っている節があった。
「悪かったよぉ、年寄りに無理させて」
ボソッと呟いた嫌味をユリアンヌは聞き逃さなかった。
「今、なんて言ったのかしら?」
「耳まで遠くなって……がっ!いってー!」
ヒールで足の甲を踏みつけられて沢渡が悲鳴をあげた。
悪戯っ子にちょっと仕返しといったふうに笑ってユリアンヌが踵を返す。その背中をにらんで、今度はガサガサと袋を漁る音に沢渡は慌てて足元に視線を移した。
足元に置いた袋を陸が漁っている。
「おう、コラ!礼ぐらい言えよ」
しかし、陸は完全に沢渡を無視して、こそ泥のように袋から取り出した菓子を両腕で抱え込んだ。
そのまま去るのかと思いきや、思い出したように一番上に乗せていた板チョコを一枚、器用にも両手一杯に菓子を抱えたままで掴んでぬっと突き出してくる。妙な押しの強さに断りきれず、沢渡はそれを受け取ってしまった。
「な、なんだよ。もしかしてお礼のつもりか?」
「まぁ、駄賃ってことで」
ニタニタと笑って、強引に押し付けた陸が背を向ける。
「なにが駄賃だ。寝る前に歯磨けよ」
くるりと首だけ回して贅肉で盛り上がった肩越しに笑みを含んだ視線を投げかけた。愛想笑いなのか、感謝の意でもあったのか。割りと饒舌な男ではあるが、両手一杯の菓子を前に気もそぞろといった風だ。
「どいつもこいつも感謝が足りねーな……」
そう言いながらも袋から胃腸薬を取り出して真田に渡した。
「ほい、胃薬。無理すんなよ、じいさん」
「うむ、すまんな」
受け取る真田が気恥ずかしそうな曖昧な笑みを浮かべる。
常識的なやり取りにホッとしながら、袋の中をのぞきこむと後には新品のタバコ数箱と封を切ったタバコの箱が一つ、そして後はヘアワックスだけになっていた。
「ああ?誰だ?」
そうは言ったものの、残ったのは久嵩とマサキだけだ。となれば自動的にどちらかということになるが、この場合、マサキの物だろうと判断するのは当然と言えた。なにしろマサキは背中にかかる長髪。しかもいつも綺麗に手入れがされている。一方、久嵩の方は切ったままという風情に短くしてあって、おおよそブラシどころか櫛さえ必要だとは思えないし、たとえ寝癖がついていたとしても余程ひどくない限りはわからないだろう。
「マサキ、てめーか。感謝しろよ、こいつのおかげでドラッグストア2件も回ったんだからな」
得意満面の沢渡だったがマサキの返答は素っ気ないものだった。
「違う」
マサキのその一言と同時にヌッと横から伸ばされた手が沢渡の持っていたワックスを掴んだ。
「ご苦労」
「ああああ?」
素っ頓狂な声をあげる沢渡にはお構いなしで、久嵩はワックスをほんの少し、それこそゴマ粒程度指にとると髪に馴染ませてなぜかため息をつく。
「やっぱり無いと髪が落ち着かないなぁ」
「いやいやいや、お前はそれつけるより前に育毛剤つけた方がいいんじゃねえの?」
そう言った刹那、刺すような殺気に沢渡は襲われた。殺気というよりは怨念に近い眼差しを感じる。じりっと一歩近づくマサキに思わず沢渡が身を引いた。
「なんでお前がキレてんだよ……」
前から知ってはいることだが、マサキの久嵩への異常にも見える心酔っぷりが沢渡には理解できない。確かに久嵩には人を惹きつけるところはあるが、マサキに関しては沢渡の理解の度を越えている。
それに久嵩にしても、あの無造作を通しこしてズボラ頭にしか見えない髪の毛に一体なにをどうこだわるところがあるというのか。こういう時、沢渡はファクターになって長生きしていると感性がおかしくなるのか、感性が元からおかしいからファクターなどやっていられるのか、と軽く悩まされる。別に沢渡としても馴れ合いがしたいわけではないが、決定的にこの二人とはどうも相容れないと思うところがあるのも事実だ。
元から無言のマサキと、思わず黙り込んでしまった沢渡の間に剣呑な雰囲気が流れる。そこへ完全に場違いなまでの陽気な声が割ってはいってきた。
「沢渡、秀でた額は知性の証なんだぜ?」
「ふーん……って、ゴシゴシ?なに人の服で手拭いてんだよ!」
いつの間にか久嵩が服の背中を摘むようにして至極当然のような顔で指先を拭いている。しかも、「後でちゃんと手を洗おう」とオマケの一言がついてきた。
もう駄目だ、と胸の中で呟いて沢渡は肩を落とした。元々、自分も含めて個性的な面々が多いとは思っていたが、今日はなにがいけないのか一方的に疲れが溜まる。
きっと缶詰状態が長すぎてテンションが下がっているに違いないと自分に言い聞かせて、沢渡はタバコの入った袋を肩に担ぎ上げた。
「あー、もういい!ともかく寝て待つわ。お前が予想外したことないし。二日後っつたら二日後なんだろうしよ」
ため息をつきながら沢渡は青い空のことを思った。太陽の下を思いっきり走り出したいような衝動に駆られる。
空や風に思いを馳せるようになるとは沢渡自身思ってもみなかった。
「退屈すぎて気ぃ狂いそうだぜ」
独り言のつもりだった。誰に言ってもわかるはずもないことだ。なにしろここに居る二人は根が生えたようにじっとしていることが多い。
「オレだって飽き飽きしてるさ」
それは沢渡の言葉同様、まるで誰にも聞かせる気のない独白のようだった。予想外の返答に沢渡はほんの少し興味をひかれて久嵩に視線を戻す。
椅子に腰掛けて、組んだ脚に肘をついた久嵩は顔をそっぽに向けているので表情は見えない。しかし、その言葉にはどこか万感の思いが込められた響きがあった。まるで想い人を待ち続けることに疲れ果てた悲鳴のようだ。そして、いつまで待てばいい?という一縷の望みにすがる問いのようにも聞こえた。
そのあまりにも長すぎる時間を前に沢渡はかける言葉を持たない。元より理解する気も最初からなかった。
ただ、久嵩の内に抱えている鬱屈を垣間見てしまうと、一時の退屈などどうでもいいような心地にさせられる。相変わらず人をコントロールするのが上手いな、と半ば呆れながらも沢渡は湿っぽい空気を振り払うように軽口を叩いていた。
「だからってオレをいじって遊ぶなよ。横に居る奴でもいじめときゃいーじゃねえか」
「マサキは反応が薄くてつまらない」
久嵩が拗ねたように言う。一方のマサキは他人事のような顔でただ黙ったままだ。
ここで何かひと言あればまだ会話にもなるが、マサキは喋る気がないらしい。ある意味賢い対応なのかもしれないが、やり辛くてしかたが無い。
居心地の悪さをごまかそうと袋の中から封を切ったタバコの箱を掴み取って、1本を手にしようとしたところを横からマサキに手首を掴まれた。
「ここは禁煙」
向こうでは久嵩が必死に笑いをこらえている。
今にもこっちを向いて、やーい引っかかった、と言い出しかねない。それが照れ隠しでも本気でも、真剣に考えたこっちがバカらしいというものだ。沢渡はそれ以上何か言うのも億劫でタバコの箱をポケットに突っ込んで肩を落とした。
発令所から逃げ出してきた沢渡は今度こそとタバコを取り出して、しかし結局のところそれをまた元に戻した。
入り口横にキックスクーターが置きっぱなしになっていた。
不恰好な、どう見ても後からつけたと思われる後輪の上の反射板。泥避けにマジックで大きく書かれた『買い出し2号』の文字。お世辞にも格好良いと言える代物ではない。
全て沢渡が後からつけたした物だ。一応、艦の備品ではあるが、実質使っているのは沢渡だけだった。ある意味、沢渡にとってはお手軽なオモチャのようなものだ。
「ジェットエンジン積んじまうぞ、こら」
当然、キックスクーターが何か反応するわけもない。全て他人事の無反応だ。しばしの沈黙。そして無感動に、のそりとそれを持ち上げて沢渡は欠伸を一つかみ殺した。
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初出 / LBオンラインイベント[I am Justice!!] / 2009