「琉夜、琉夜?」
 洞窟の入口側から鬼の声が聞こえた。 奥に隠れて出てこない俺の様子が気になったのだろう。
 背中を丸めて座り込む俺に気がついたらしく、少し早足で俺の直ぐ横まで来て、立ち止まった。
「……琉夜」
 しゃがみ込んで俺の顔を見ようとする。鬼の困っている顔を見たら気持ちが負けてしまいそうで、俺は慌てて顔を反らした。
「未だ怒っているの?」
 まるで子供をあやす様な口調。俺が初めて鬼と会った時と変わらない。 出逢ってから8年。でも鬼にとって、俺は未だ幼いままだ。
 ……優しい鬼は大好きだけど。でも。
「怒ってない」
「怒っているじゃないか」
「怒ってないってば!!」
 どこか呆れた声に、俺は思わず立ち上がった。急な行動に、鬼が目を大きく開いて驚きの表情を作る。
「怒ってなんか、ない」
 子ども扱いされるのが嫌なのに、子供っぽい言い方しか出来ない自分にいらいらしてしまう。 鬼と喧嘩なんかしたくない。でも、どうしても許せないンだ。
「僕は鬼神様としての使命を果さなくちゃいけない。……本当は判っているんだろう?」
 勢い良く立ち上がったものの、それ以上如何していいか判らずに立ち尽くす俺に、鬼が優しく微笑んだ。
 鬼神様としての使命。そのコトバに、俺は項垂れるしかなかった。


***


 あの日、祖父等が俺を連れ戻しに来た日。
『琉夜を傷つけるのは、僕が許さないよ』
 これが怖ろしい鬼と呼ばる本当の理由なのか。 判らないけど、でも鬼と一緒にいることが当たり前になっていた俺でさえも息を飲むような、冷ややかな表情でそう言った。 其の時俺は鬼の直ぐ近くに居たのだけど、何でか声も出ないくらいに震えていて。多分、祖父達も俺と同じくらい怯えていたと想う。 見たもの全てを怯えさせてしまうような表情。
 そして松明を掲げたまま立ち止まってしまった祖父達に、鬼は右手を軽く振った。 すると祖父達の身体が宙に浮いて、鬼が手を下げると同時に、祖父達は一斉に地面に叩きつけられた。
 祖父達の松明には火が灯ったまま。勿論身体が浮いた時に其の手から離れ、地面に転がっていた。
 前夜に雨が降ったお陰で未だ燃え広がっては居ないけど、雑草たちがちりちりと燃え始めていた。此のままでは山火事になってしまうかもしれない。
『鬼っ、止めてくれっ』
 其処でようやく、俺の身体が動いてくれた。祖父達だけを見ていた鬼に抱きつく。俺の両腕は未だ震えていた。
『……ぁ』
 俺が鬼に怯えている。其れに気がついたのだろう。鬼がすぐさま俺に視線を移し、俺以上に、何かに怯えるような顔をした。
『ごめん、琉夜っ。僕、琉夜が連れて行かれちゃうと想って……琉夜が、傷つくと想って……』
 かたかたと歯の鳴る音が聞こえる。それだけ鬼が震えているということだ。 琥珀色の綺麗な瞳も、怯えの色に染まっている。長い睫もふるふると震え、零れ落ちそうな涙に濡れている。
『良いンだ、俺の為にやったコトだって判るから。だから、ちょっと落ち着こう』
 人を死に至らしめる病を飲み込み、其れでも平然とし。雨雲をさも当然のように呼んで。膝まで隠れる雪を、一気に溶かした。 今までの鬼の特殊な行動は、全て俺の為だ。祖父等にたいしてのコトも、俺の為だってコトくらい考えなくても判った。
『ごめん、ごめん……』
『大丈夫、大丈夫だから』
 震えながら、俺に抱きついてくる鬼。柔かな髪が、俺の頬にあたる。優しい、優しい鬼は、俺の為に怒り、俺の為に祖父達を傷つけた。 其れをどうして責められるだろう。
 少しずつ俺の震えが治まり、同じようにして鬼の震えも治まり。
『ッゴホン』
『あ、じいちゃんっ』
 いわゆる2人の世界に入り込んでいた俺達に、どうやらそんなにたいした怪我を負わずに済んだらしい祖父が、俺達に聞こえるように大きな咳払いした。 地面に転がっていた松明も、お供の村人達に回収され山火事の心配はなさそうだ。
 其れから祖父は俺達と改めて話し合いをしたい、と提案してきた。俺を鬼から引き離すことは無理だと、身をもって実感したのだろう。 鬼は提案を飲んだ。どうやら祭司が俺の祖父であることを覚えていたらしい。俺が傷つけられてしまうと想った瞬間、怒りに我を忘れたのだとか。 鬼の想わぬ一面に俺も驚いたけど、鬼自身が一番驚いていたから笑える。
 ……まぁそんな感じで俺達は翌々日に話し合いの為に村に降りて。幾つかの条件を飲む上で、俺と鬼の結婚を認めてもらえることになった。ただ、其の条件というものがクセモノで。


***


「鬼神様は村人全ての神様だから、村人の願いを聞かなくちゃいけないなんて可笑しいだろ……」
 項垂れたまま、俺は力なくしゃがみ込んだ。鬼がそっと俺を抱き締めてくれる。俺ってば、いつの間に泣いていたんだろう。鬼の肩に水滴が落ちて気がついた。
 そう、鬼と俺との結婚を認めるための条件。
 先ず第壱に、鬼が『鬼神様』として白谷村に祭られること。第弐に、俺は神様の嫁でありながら、祭司という職も継ぐこと。 第参に、山で生活することは認めるが、一年の半分は村で生活すること。 第四に……此れが一番問題なのだが、鬼神様は村人の願いを……現祭司の認める範囲の願いを全て叶えてあげること。
 現祭司というのは、未だ俺の祖父が行っている。俺が祭司になった時には、第四の条件は多少変化させるとか言っていたけど。
「床を共にすると言っても、相手は出産を直前に控えた妊婦さんだよ? 何を心配しているの?」
「でも、だって……」
「生まれてくる子供に神様のご加護があるように、出産予定日の前夜だけ隣で眠って欲しいなんて。可愛らしいお願いじゃないか」
「けど、同じ部屋で寝るなんてっ」
「同じ部屋には、他にも其の方の旦那さんも一緒に居るんだよ?」
「……なら俺も」
「其れは駄目」
「なんでっ……」
「琉夜は凄く綺麗で可愛い。……間違いがあったら困るだろう?」
「あっのなぁ!」
 耳元で優しく語り掛けられて、此のままでは流されてしまいそうで。俺は急いで鬼の腕から逃げ出した。
「琉夜……」
 鬼が悲しげな目を向けてくる。綺麗な目。長い睫に縁取られた、琥珀色の綺麗な瞳。
 此の瞳に映るのは俺だけなら良いのに、『鬼神様』は、村人全員を見なくてはいけない。 こんな瞳で見られて、こんな優しい微笑を向けられて。今では怖ろしい鬼ではなく、村を守る鬼神様という認識も変わってしまって。 もし一晩でも共に過ごせば、白谷村の娘達は此の鬼に惹かれてしまうだろう。其れが嫌だと言っているのに、どうして鬼はわかってくれない?
「っ……鬼の莫迦!!」
 切なげな琥珀色の瞳に見られているだけでも、そんな不安は増大してくる。俺は駄々っ子のように大声で叫び、また走って逃げようとした。




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 ★後書き★  【鬼の花。の其の後のお話】
 えー…記憶では2話目で終るとか言っていた気がしないでもないですが、3話完結です!(待てコラ。
 次で終ります! 今度こそ嘘じゃないよ! ちゃんとR−15シーン入ります!(どんな主張だ。
 ……ホントすいません。でも凄く楽しく書かせていただきましたv 鬼がちょっとクロイ辺りが特に(苦笑
 3話目も待っていて下さると嬉しいです。というか、宜しくお願い致します!!汗   07/9/2 端宮創哉