「これで日記は終わっています」
小さな溜息と共に、拓斗は日記を閉じた。壁に寄り掛かっていた和樹が、軽く目を伏せる。
結局、何も判らなかった。いや、判ったことは沢山あるけれど。ロボットを動かせる方法以外ならば。
「博士」
何時の間にか拓斗が目の前にまで来ていた。床に落としていた目線を拓斗に向ける。
「何だ?」
「この研究を、止めにしませんか?」
なんとなく予想していた言葉に、微かな溜息をつく。
「俺にはこのロボットを動かす義務があるから、此処で止めるわけにはいかない」
「でも、優心は自分自身で停止を望んだのですよっ? それなのに無理に起こすなんて……」
シャツの袖を強く握り締めた拓斗の手が、和樹の目の端に映った。
「そんなことは、俺には関係ない」
「っ博士!!」
拓斗の本当の怒鳴り声が、和樹の鼓膜を震わせた。一瞬だけ怯みそうになる。だが。
「俺は何としても、このロボットを動かさなければならない」
そう。その所為でこのロボットが傷ついたとしても、これだけは譲れない。
迷いのないその声に、拓斗の目が怒りと悲しみの色に染まる。

「どうしてっ……」
「親父の、願いなんだ」
ふいに和樹が視線をそらした。
「俺が幼い頃から聞かされつづけていた、親父の願いなんだ。
命の恩人であり、間接的にでも自分が殺してしまった薫博士の最後の最高傑作を、自分の手で世に発表したいという」
遠くの方を見つめながら、ポツリポツリと話してゆく。

「本当はあの事故が起こった三ヵ月後、親父はこのロボットを迎えに来ていたんだ。薫博士の研究成果を人々に知って貰おうと。
いつか綴られる歴史の書に、薫博士の名を刻もうと。それが唯一の懺悔だから。だがその時にはもう、このロボットは動いていなかった。
親父は何度となく修理を試みたらしい。けど親父は事故の祭に両腕を失っていてな、一応義手はつけているが精密なものは扱えない。
だから親父は俺に託したんだ。この研究所を取り壊そうとしていた薫博士の両親を説得し、誰にも触れさせないように莫大な金まで出して。
そして俺が大学で様々な実績を積み上げた頃を見計らい、親父はこの研究の話を大学に持ち込んだ。
親父の時代ではこの手の研究は個人で極秘に行うのが主流だったが、今は大学などに属して行う方が便利になっているからな。
……親父はそこまで手間を掛けても、この研究を世に出したいと願っている。俺には、このロボットを動かす義務があるんだ」

長い話を終えた和樹が、ゆっくりとした動きで拓斗の方に視線を向けた。
「頼む、手伝ってくれ」
それは初めての、和樹からの真剣な頼みだった。拓斗が眉を顰める。だが。
「嫌です」
次の瞬間には、迷いなどなくなっていた。
その拓斗に、和樹の細い目が大きく開かれる。縋るとも、怒っているとも見れる表情。
「コレ、どうぞ」
しかし何かを言おうとして言葉を詰まらせていた和樹に、拓斗は先程ポケットに入れていた手紙を取り出し、押し付けた。
怒りを爆発させるタイミングを失った和樹は、ジックリと手紙を睨みつけた後でソレを広げた。眉間には、深い皺。
その和樹を悲しそうな目でチラリとだけ見て、拓斗は近くにあった椅子に腰を掛けた。

長い溜息。

短い手紙は直ぐに読み終えたのだろう。椅子に座った拓斗が顔を上げる頃には、和樹の目は閉じられていた。
「博士、この研究は打ち止めにしませんか?」
幾分かの間をおき、和樹を見上げる形で尋ねる。薄っすらと目を開けた和樹が、拓斗と視線を合わせた。
数十秒の無言の空間。そして。
「そう、だな」
風でも吹けば掻き消えてしまいそうな声で、和樹が呟いた。持っていた手紙をくしゃりと握り潰す。
「……こんな不良品を発表したら、どれだけ苦情くるか判らないしな」
諦めたような、それでいて清々しくも見える顔。拓斗が一気に微笑んだ。
「博士なら判ってくれると信じてましたよ」
すぐさま立ち上がり、和樹に抱きつこうと両腕を広げ近寄る。
「それは、どうも」
その拓斗を払いのけ、和樹は思いついたように呟いた。

「にしてもコンナコトをなんて大学に報告したら良いんだ? 俺たちには無理でした、なんて言ったら他の奴に廻るだけだぞ」
「あ、それは大丈夫ですよ」
「何でだ?」
「大学創立以来の天才で無理だったんですから、大学側も諦めますって〜」
「……大学創立以来の天才」

自分で言うか、ソレ。
小声で言ってみるが、そんな言葉は全く無視の拓斗は。
「そうだ、もし博士が大学を首になったら僕が養ってあげますよ」
などとふざけたことを言っている。あげくに。
「て、俺が首になったらお前も危ないだろ」
「わ、運命共同体ってやつですね」
「……いや」
「なら2人でバイトでもしましょうよ。スマイル0円……博士は笑顔の練習からですね〜」
「おいっ!」

和樹が逆襲を試みても、すぐさま切り返してしまう。
もうコンナ助手は嫌だ……。なんて思ったところでどうしようもない。
和樹は本日何度目かの、大きな溜息をついた。

「さて、親父には何て言うべきか。この研究の成果をとても楽しみにしていたのに……」
「あはは、縁切られたなら直ぐに教えて下さいよ」
「どうかしてくれるのか?」
「指さして笑ってあげます」
「……絶対に教えんぞ」
「それは残念ですねぇ」

なんていう軽口と共に、2人の今回の研究は此処で幕を閉じた。




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