『 僕 に 欠 陥 が あ るな ん て、 未 だ 誰 も 言 わ な い。 僕 も 知 ら な い 振 り を し て い る。
何 も 変 わ ら な い 日 々 を 演 じ て、 有 り 得 な い と さ れ た こ の 恋 心 を 隠 し て の 生 活。
僕 は、 い つ 壊 さ れ て し ま う の だ ろ う。
時 々 出 て く る 疑 問。 僕 は 無 性 に 溢 れ 出 す 泪 を 止 め る 方 法 を 知 ら な い で い た。 』


***


「優心。薫が何処にいるか判るかい?」
「多分、自室の方じゃないかな」
「そうか、ありがとう」
廊下に突っ立て居た僕に愛想笑いだけを残した直樹さんは、白衣の裾を翻して薫博士の自室の方にと行ってしまった。
近頃直樹さんは毎日この家を訪ねてくる。薫博士の様子も可笑しい。
きっと僕を処分する話し合いをしているんだ、なんて考えてしまうのは、僕の欠陥が酷くなっているからかもしれない。

胸が痛い。
誰かにぎゅっと握り潰されているんじゃないかって位に、苦しい。1人出歩いているだけなのに、泪が出てくる。
でも、それは薫博士たちには言えない。
苦しくても痛くても辛くても、二人には言わない。泪も、二人の前では出てこない。ただ、無邪気に笑うだけ。
だってそうしないと、僕は壊されてしまう。欠陥品の僕は、いつ暴れ出すかも判らないのだから。

「優心?」
突然、横からの声。
「っ博士……、部屋にいたんじゃなかったの……?」
下を向いていたから、全く気がつかなかった。泣きそうになっていたのを誤魔化すために、瞼の辺りをゴシゴシと擦る。
「えぇ、ちょっと庭に水を撒こうと思って。……どうしたの? 目に何か入った?」
心配するような表情で、薫博士が僕の顔を覗き込んだ。
どうしよう。こんなにジッと見られたら、泣きそうになっていたのがばれてしまうかもしれない。
ううん。それよりも今、僕の胸が大きな音を立ててしまっている。こんなコトが博士に知られてしまったら。

「あ、うん。なんかゴミが入っちゃったみたい」
僕は慌てて博士から顔を反らした。嫌だ。こんな僕を見ないで。欠陥品だって、もう壊すしかないんだって言うのなら。……なのに。
「大丈夫? ほら、こっちをむいて。ゴミをとってあげるわ」
僕の思いも空しく、博士が僕の顔をグッと自分の真正面に向かせた。黒い瞳に、僕が映っている。
「あら、何も入ってないわよ」
僕の目を精一杯開かせて、博士が言った。
博士の視線は今、全てが僕にと注がれている。大好きな人の目が、僕だけを映している。それがただ、どうしようもなく嬉しくて。

「ならきっともう取れたんだね、ありがとう博士っ」
僕を捕らえる手が少し緩んだことを感じ、僕はお礼だけを言って逃げるように走り出した。
博士が驚いたように僕の名前を呼んだけど、それをも無視をして自分の部屋にと向かう。急いで中に入り、鍵を掛けた。
最低だ。
僕はあの日、僕のドキドキが欠陥だと判明した日から、まともに薫博士の顔が見れなくなっていた。
普通を装っているのだけど、あの瞳に捕まると、頭の機械が正常に動かなくなってしまうから。
そして今、僕はあまりに不自然な行動を取ってしまった。博士が好きなのに、それは間違いだから。

ドサリと音を立てて、僕はパイプベットにダイヴした。眠らない僕には必要ないのだけれども、博士は何故か用意してくれた。
だから僕は考え事をするときに、ベットに寝転がることにしている。そうすると、何だか自分が本当の人間になれた気がするから。

「……はかせぇ」
うつ伏せの状態で、枕に顔を押し付ける。声が、何処にも漏れ出さないように。
「薫博士、好きだよぉ」
本人になんて言えないから、自分の中で何度も反芻させる。博士への告白。
「凄く、好き」
絶対伝えることはない、この気持ち。
「好き、なのに……」
この思いが、欠陥のシルシだから。
「……ふぇっ……」
泪が出た。唇を噛み締めれば、嗚咽だけが漏れる。
「……はかせぇっ」

苦しくて苦しくて、どうしようもなくて。ただ押し付けた枕を、水滴で濡らす。
どうして僕を作ったのが、薫博士だったんだろう。今更変えようもない事実にさえ、恨み言を口走る。
嫌だ。そんなことを考える自分が嫌なのに、そうせずには居られなくて。
もし僕を作ったのが薫博士ではなければ、僕はこんなにも苦しまずに済んだのに。
僕は薫博士を好きにならなくて済んだのに。僕は欠陥品にならずに済んだのに。

それからどの位の時間が経ったんだろう。そんなには経ってはいない。窓から夕日が差し込む時間。
薫博士の声が、いつもとは少し違うような声が聞えた気がした。急いでベットから飛び降り部屋を出て、声がした方にと向かう。
すると少し行った先、博士の部屋の前でしゃがみこんでいる人影があった。
「……博士?」
具合でも悪いのだろうかと、優しく呼びかける。
「ゆう、しん?」
僕の声に反応して、下を向いていた博士が顔を上げた。
その時のショックは、もしかすれば自分に欠陥があると言われたときよりも大きかったかもしれない。
僕は目を見開き、呆然としてしまった。
「いやね、いい大人が泣くなんて……」
大粒の泪を零して、悲しそうな笑みを浮かべる薫博士。そして僕が言葉を出すよりも前に。
「変な所をみせてごめんね」
とだけ言い、僕から逃げるように部屋にと入ってしまったのだ。
僕は何も言えず、何かを聞くことも出来なかった。


***


「へぇぇ……」
自分で読んでおきながら、日記を閉じた拓斗はそんな感想を口にした。
「薫博士が泣くなんて、どうしたんですかねぇ」
日記を片手に持ち、立ち上がる。
和樹が背もたれに腕を乗せ、上半身だけを拓斗の方へと向けた。これについては答える気があるらしい。
「親父が、自分の研究のために海外に出ることにしたんだ」
「海外に?」
「あぁ。多分ソレを告げた日だろう」
特に感情の見えない冷めた眼差し。
なるほど。拓斗は少しだけ納得しかけ、けれど直ぐに疑問を生み出した。
「でも研究者にとっては、海外に出るなんて良くあることでしょう」
「親父はそのに定住する気だったんだよ。あの人の夢だったらしい。この国を出て、研究に一章を費やすことは」
スクリと立ち上がり、和樹は窓の側まで行った。

窓の外は日記の一文と同じように、ゆっくりと日が沈み始めている。
このまま飛ばし飛ばしで日記を読んだとしても、終わる頃には真暗になっているだろう。

「薫博士は親父と結婚する気だったのだと思う。長く付き合っていたらしいからな。だが、親父は海外に出ることを決めた」
「なら、薫博士も付いていけば良いいじゃないですか」
外を見つめる和樹の背に、拓斗が問うた。そんなに好きならば、付いて行けば良いのに。
「薫博士は付いていくといったらしい」
「では……」
「親父が許さなかったんだ」
「何故?」
「薫博士は、優心の研究が済んでいない。それなのに連れて行くなんて、堅物な親父には出来なかったんだろう」
「だから置いて行くといって……」
「あぁ。親父は薫博士に伝えた数日後には、海外に出た。見送りに、薫博士は来なかったそうだ」
溜息混じりの声。それを遠くのほうで聞きながら、拓斗はぼんやりと考えていた。

これで優心と薫博士は2人きり。そして優心こそが、薫博士が直樹さんについていけなかった原因。
さて、これからあの2人はどうするのだろう。もしかすると、その先に自分たちの求めている答えがあるのかもしれない。
拓斗は外を見つめて動かない和樹から、視線を日記へと移した。

「……あれ」
日記の一番後ろの頁に、何かが挟まっていることに気がついた。そっと取り出し、広げる。
「どうかしたのか?」
拓斗の声が聞えたのだろう。和樹が振り返るが、真剣にナニかを読んでいる拓斗は答えない。
「何かあったのか?」
不思議に思って聞いてみるものの、やはり無視。いや、和樹の声なんて届かないほどに集中しているのだろう。
それならば。と和樹は拓斗の隣にまで行き、勝手に覗き見ようとした。
しかし和樹が内容を見る前に、拓斗がさっさと閉じて己のポケットにと仕舞い込んでしまった。

「……おい?」
俺には見せてくれないのか? 口には出さずに尋ねる。
だが拓斗は聞えない振りをして、にっこりと笑った。
「では、次を読みましょうね。てかもう一気に読みますから」
独断で決めた挙句に、有無を言わさぬ笑顔。そんな拓斗に、思わず和樹も頷いてしまった。
おのれの愚かさに呆れながらも、反論しても無視されるだけだろうと悟った和樹は、また視線を窓の外にと向けた。




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