「ゴキブリって……」
拓斗が一息ついたことを確認し、和樹はぼそりと呟いた。
「判りやすいことは確かですよね」
和樹の独り言が聞こえたらしく、日記を閉じ拓斗が和樹の方にと歩いてきた。
「それよりも、ロボットにも恋愛感情がるのですか?」
「ぁん?」
「ほら、最初の一文で『薫博士といる時に鳴る胸の音が、恋だと気がついた』 と書いてあったでしょう。ロボットにも恋愛感情が?」
「それは……」
拓斗の問いに、和樹は小さく呟いてそのまま口を閉じた。

『ロボットが恋愛をする』 という話は聞いた事がない。
ソレは勿論、既存のロボットにはこれ程に発達した感情を持たせることが出来なかった所為もあるだろう。だが。
「俺にも判らない。本当にこのロボットの言うドキドキが、人で言う所の恋と同じモノなのか。今の状態では……な」
椅子に座ったまま、拓斗をチラリとも見ずに和樹は己の考えを述べた。
「ではもしソレが恋ではないとするなら、その感情はなんと言う名が付くのでしょうね」
「さぁな」
和樹が、苦しそうに息を吐いた。
今まで和樹は絶えずロボットについて学んできた。それは和樹が物心ついたときから、今現在まで。
だがコイツはなんだというのか。今まで頭に詰め込んできたことが一切役に立ってはくれない。判らないことで一杯だ。
和樹にはコレを動かし、学会で発表する義務と責任があるというのに。

「博士?」
眉に深い皺を刻み考え込む和樹を、膝を軽く曲げた拓斗が覗き込んだ。驚いた和樹が椅子ごと後ずさりをする。
その行動に一瞬笑いそうになった拓斗だが、これから起こす行動を考えて、どうにか耐えた。
「あの、一つお尋ねしたいことがあるのですが」
口が勝手に笑いそうなのを必死で堪え、和樹の顔を見ないで済むようにきちんと立つ。
「この日記に出てくる『直樹』さんて、もしかして博士のお父様ですか?」
「……」
バレたか。無言の後、和樹は苦虫を噛んだような顔をした。
「ああ、もしかしなくとも、直樹とは俺の親父だ」
「やっぱり。この前お会いした時に、お父様も以前ロボット学を学んでいたと仰っていましたからね」
「ほぉ〜……」
ぼんやりと相槌を打ち、和樹はハタと気がついた。
「ちょっと待て。お前、今なんて言った?」
聞き間違いだよな。と訴えかけるような目で拓斗を見上げる。
「この前お会いした時に、お父上も以前ロボット学を学んでいたと仰っていましたからね、ですか?」
「って何でお前が俺の親父と会っているんだよ!?」
拓斗の答えに、和樹が勢いよく立ち上がった。その反動で、椅子が倒れる。
「前に博士のご実家にお邪魔したことがあるから、ですが?」
何か問題でも?とあくまであっけらかんとして話す拓斗。止めておけば良いのに、和樹が食いかかってしまった。

「それは、初耳だな」
「えぇ、今初めて言いましたから」
「何で言わなかったんだ!」
「別に言うことでもないでしょう」
「っ……俺の家だぞ!」
「もう直ぐ僕の家にもなります」
「…………は?」

すっぱりと言い切った拓斗の言葉に、和樹は耳を疑った。
ど、どういうことだ? 俺の家がこいつの家になるというのは。まさか親父、膨大な借金でも作って家を売ったか? それとも……。
和樹の頭の中で、様々な理由が想定される。
だがその答えは、拓斗によって直ぐ、それも被きにとっては最悪すぎる形となり和樹の元にやってきた。
「いやぁ、素晴らしいお父様ですよね。『息子さんを僕にください』 と言っても、全然同様とかしなくて」
「そ、んなコトを言ったのか?」
「はい。お父様は、『男気のある奴で良かった。まぁウチは一人息子だから、君に婿養子として来て貰うことになるが構わないか』 と」
サー……という音とともに、和樹は自分の頭のてっぺんから血が引いていく気がした。
「親父が、承諾したのか」
嘘だろう? という疑問と共に、あの人だからな……という考えも和樹の中に生まれる。

和樹は、堅物な父親が、要らない所で融通の利いてしまう人であることをしっていた。
何事も途中で投げ出す人は、和樹の父親は嫌いだ。己の行動に責任を取れない人も、また同じく。
だが上記2点に当てはまらず、しかも笑顔の似合う挙句に愛想が不必要な程に良い人間は、とても気に入りやすい。
それは多分、自分とその子供が、あまりにも笑顔の似合わない無愛想な人間だからであろう。
つまり残念なことに。拓斗は和樹の父親にとって、気に入りやすい分類に当てはまるということで。

「まだお母様にはお会いしてないので、今度は2人でご挨拶に行きましょうね」
思考回路を一気に働かし、出てきた答えに停止した和樹の横で、拓斗がウフッと笑った。手は頬に。寒い程の笑顔。
和樹はこの数分で、己が一気に老け込んだことを確信した。心なしか若白髪が生えたような。
いや。若白髪が生え出したのは、拓斗と知り合って直ぐだった気もする。
「ってふざけるな! 何で俺に言わずにそんな勝手なコトをしたんだっ」
心行くまで呆けた後、和樹は一気に怒りを放出した。
「だって、言ったら博士は止めたでしょう?」
「当たり前だ!」
「何故?」
「……は?」
そこまでは和樹をからかうようにしていた拓斗が、急に悲しげな表情を作った。眉を中央に寄せ、目には涙を溜めている。
「何故止めるのが当たり前なのですか。僕はこんなにも博士を愛しているのに」
「あ、愛〜?」
「僕が男だからですか。もし女だったら好きになってくれましたか?」
唐突に真剣そうな顔をして、真っ向から和樹に迫り出す。
「そ、そういうわけじゃないが……」
拓斗の熱い眼差しに、さっきまでの怒りも何処へやら、和樹は完全に退いていた。
涙目の拓斗に、鳥肌の上から冷や汗が流れ落ち、出来るなら今すぐ殴り飛ばして逃げ出したいと、心の中で願う。
「なら、良いでしょう?」
語尾にハートマークを付けた拓斗が、和樹の手を握った。和樹の顔は、もう真っ青である。
「博士、意地張らずに認めたらどうです? 貴方みたいなロボットおたくの傲慢親父に付き合えるのは、僕ぐらいだって」
「ロボットおたくの傲慢親父って……」
愛している、と言っておきながら、なんという言い草だろうか。しかしこの言葉には、和樹も少々同意してしまいそうになった。

確かに和樹には、今まで付き合った女性で三ヶ月も持った相手はいなかった。
皆が皆、『私とロボットと、どっちが大事なのよ!?』 と言い、和樹の前から去っていったのだ。
助手にしても似たようなもので、頑固で仏頂面な和樹には、拓斗以外に長く続いた相手はいない。
気がつけば、和樹の頭の中では『拓斗を受け入れる』 という考えが纏まり始めているような。

「博士」
「ん?」
又も一人で悩み始めた和樹を、拓斗が呼んだ。
自分の脳が打ち出した答えに困惑し、視線も定まらない状態で拓斗を見ると。
「愛してますよ」
ウフ。と、いつもの和樹であれば泥でも吐きそうな、可愛い子ぶった拓斗がおり。
………プチ。
和樹の中で、ナニかが切れた。
一見堅物で頭の固い人ほど、壊れた時は恐ろしいというが。
「……俺も、愛してる」
和樹の壊れ方は素晴らしかった。このことは和樹にとっての一生の汚点となるであろう。
ともあれ、この壊れてしまった和樹が『口説く用』 の顔を作り拓斗を抱きしめようとしたが。
「なに言っているんですかっ、気色悪いっ」
バキッという爽快な音を立てて打ち出された拓斗の左カウンターパンチにより、和樹の動きは強制的に止められた。

「き、気持ち悪いって……お前が先に言い出したことだろう」
殴られた衝撃で尻餅をついた和樹が、呆然として尋ねるが。
「あんなのは冗談に決まっているじゃないですか。僕、男は嫌いです」
拓斗はあっさりと、そう言い放った。
「あ、もしかして本気にしちゃったんですか? あっぶないですねぇ」
「危ないって、俺は真剣に考えて……」
「あははは、バカですよね〜」
ケラケラと笑う拓斗に、さっきの真剣さはない。
朦朧とした意識の中で、ようやく己が遊ばれていたことに気がつく。
「……またか」
年下に遊ばれていたことと、それに己が乗ってしまったことに、和樹は大きな溜息をついた。

「ではでは、続きを読みましょうね〜」
ふと拓斗を見れば、もう椅子に座り日記を開いている。
仕方なく和樹はもう一度大きな溜息をつき、さっき倒した椅子を直してそこに座った。




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