「これで、一枚目は終わってますね」
ふぅと一息ついた拓斗は振り返り、自分に背を向けて座る和樹を見た。その視線を感じつつ、和樹は正直な感想を述べる。
「そうか、結構細かく書いてあるもんだな」
日記とは、もっと大まかに書かれていると思っていたが、と続ける。
「にしても、このロボット……優心君が薫博士に持った感情とは」
拓斗はもう、このロボットを優心と呼ぶことに決めたようだ。
今のページを読んで何らかの疑問を感じたらしい拓斗は、未だ背を向けている和樹に何かを訴えかけるような視線を送るが。
和樹はあくまで拓斗の方を向く気はないらしい。壁の一点だけを見つめて、動こうとはしない。

その、実は全てを知っているんじゃないかと思わせる和樹の表情に、拓斗は問い詰めてやろうかとも考えたが、そこで止めておいた。
拓斗は、和樹が言わないと決めたことは、例えどんな手段を使ってでも言ってはくれないことを知っていた。
そして和樹は今、全身で『言わない』ことを現している。
仕方なく拓斗は和樹を見るのを止め、手の中にある日記帳をパラパラと捲った。

「あ」
その中の一文が、拓斗の目を引いた。
呟いた一言への、顔も見ていない状態からの和樹からの問いかけ。
「あ、いえ。あの、全部を読むのは時間がかかるので、今は少し飛ばして読んでみてもいいですか?」
少々の不安と期待の混じるその一文を早く読みたいと思う拓斗は、和樹の問いかけには答えずに返した。
「あぁ。構わないが」
拓斗のお願いに戸惑いつつも、拓斗が態々そういうのには何か理由があるのだろうと、和樹は承諾した。
「では、優心が目覚めた日から一ヶ月が過ぎた日」


***


『最近僕は 恋というものを覚えた。
僕の中には恋という言葉は入っていたけど、それを説明する語句が薫り博士自身にも判らなくて入力していなかった。
だから薫博士は毎日、恋愛に関係する本やDVDを見せてくれた。そして僕は、僕が薫博士に恋しているコトに気がついた。

薫博士といると、僕も嬉しくなる。
薫博士が笑うと、僕も楽しくなる。
薫博士を思うと、僕の胸が音を立てる。

薫博士を見るだけで僕の感情ってモノが可笑しくなって、時々無性に「僕のこと好き?」って聞いてみたくなる。
でも。それと同時に、僕は薫博士も恋をしていることに気がついてしまったんだ。一人の男性に恋をしている薫博士の存在に』


***


僕が目覚めた日に貰った自室の扉がノックされた。薫博士に借りた本を閉じて「どうぞ」と言うと、一人の男性が入って来た。
初めての訪問に驚きながらも、僕はその人にソファーに座るように勧める。
この人は薫博士と同じで、ロボット学について研究している長羅直樹さん。まだ発表前の僕を知る貴重な人。
何故ならこの研究は薫博士が単独で、しかも極秘研究しているとかで、僕の存在を知らせているのはこの人だけらしい。

そして、この人が薫博士の好きな人。しかも恋人という名前の。

初めて直樹さんに会った時は、僕が博士に恋してるなんて気がつかなかったから何も思わなかったけど。
それを知ったときは、何故か胸の辺りでズキっとなった。その後も二人でいる姿を見ると、同じようにズキッとなった。
そうなると僕の色々な所がズキッとなるから、僕はあんまり直樹さんを見たくないのだけど、直樹さんはよくこの研究所を訪れる。
それは薫博士に会いに来るのと、僕の様子を見るため。

「突然だが、お前は自分に欠陥があると思うか?」
本当に突然、直樹さんが言った。
欠陥……っていうのは、僕に何か問題があるってことだろうか。
「そんなの、僕には判らないよ」
だって僕は人の手で造られたモノだから、欠陥があったとしても教えて貰わなければ判らない。
「そう、だな」
直樹さんが溜息をついた。こんな顔の直樹さんは、いつもより五歳位年を取って見える。

なんだろう?

「僕に、欠陥があるの?」
考え込んでしまった直樹さんに、もしそうだと言われたらどうしようとビクビクしながらも、僕は尋ねた。
もしも僕に欠陥があるなら、僕はどうなってしまうのだろう。
やっぱり壊されちゃうのかな?
穏やかに、ひどく恐ろしい考えが浮かぶ。
ーっいやだっ!そんなの絶対………………。
壊されるってコトがどんな事かも判らないけど、ただ自分が薫博士の側に居られなくなると思うと、怖くて仕方がない。
だってロボットの僕が壊されるってことは、僕が薫博士にとって『イラナイモノ』になるからでしょう?
―…………いやだよ、嫌だ。

「いや、俺はお前に欠陥があるなんて話は聞いてはいない。ただ」
一瞬だけ直樹さんの言葉に喜びそうになったけど、その後に続く言葉に息を飲んだ。
「ただ、薫はお前を発表する気がないようなんだ。本当ならもう発表すべき段階なのだが、俺が何度そう言っても聞かない。
それで、だな。本当は俺にも言えないような重大な欠陥があるんじゃないかと思って・・・」
直樹さんがゆっくりと吐き出した言葉を、有能すぎる僕の頭脳が理解するのはあまりに早い。僕に欠陥の疑いがある。
「馬鹿なことを言ってすまない。お前に欠陥があるなんて俺の考えすぎだ。多分まだ論文が掛けてないんだろう。気にしないで欲しい」


***


「ゆ、優心。どうしたのよ一体」
直樹さんが「変なことを聞いて悪かった」と言って帰った後。僕の全身が何故かズキズキと痛んだ。
直樹さんは「俺の考え過ぎだ」と言ってくれたけど、あれはきっと僕を気遣っての言葉。
だって前に見た近未来モノの映画で、ロボットの欠陥をロボット自身に告げるのはいけないことだって台詞があった。
直樹さんは言った後に、それに気がついて言い直したんだ。そしてあの直樹さんがそんなミスをするってことは……。
考えれば考えるほどに、嫌な答えが僕の頭に打ち出される。

僕にはそんなに大きな欠陥があるの?僕は薫博士にとっては『イラナイモノ』?
聞きたくても聞けない思いが、僕の中を廻っている。こういう感情を、人は何と呼ぶのだっけ?
判らない。僕にはナニも。
けど、この感情があまり良くない意味を持つことだけは判るから。

「ねぇ優心、どうして泣いているの?」
薫博士は、突然部屋に押し掛けてきて泣き出した僕にオロオロとしながらも、気遣うように優しく聞いてくれる。
けど僕には何で泣いているかなんて言えなくて、勝手に溢れ出してしまう人でいう泪ってものを、服の袖で拭いた。
こんな細かな所まで作ってあるなんて、初めて知ったよ。
でも今の僕にはそれを喜んだりする余裕はなくて、ただ溢れ出る液を拭きつつ首をブンブンと振る。

聞けないよ。『僕には欠陥があるの?』なんて。
聞きたくないもん。『僕はこれからどうなってしまうの?』なんて。

だから。だから僕は自分の中の情報で、今のこの状況を一番上手く誤魔化せる言葉を捜した。
「ぼ、僕の部屋にゴキブリが出たのぉーっ!!!」




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