『キミのオーラをワタシイロに変えちゃえ♪』
寝ぼけた耳にぼんやりと聞こえる甘い声。
カーテンの向こうから、これでもかと差し込む太陽。
いかん、朝だ。
時計の針は9時を廻っている。
耳がとろけてしまいそうな位に愛しいミクミクたんの目覚ましボイスは、毎日聞いても飽きるという言葉がついてこない。
あぁ、もっと聞いていたいけど…。
名残惜しくなりながらも、そっと時計のアラームを切った。
「って、何でテメェがこの部屋で寝てンだよ」
しっとりと纏わりつくシーツにぐるりと巻き込まれ、ぐっと背筋を伸ばしていた俺の上に、誰かの影が掛かった。
どうやら料理長のリグラットが朝飯を持ってきてくれたらしい。
ミルクがたっぷり入ったカフェオレの香りが鼻をくすぐる。
良い朝だ。
「おぉ、いつも悪いな」
「テメェのじゃねぇよ」
至極当然のように手を出した俺に、リグラットがひょいとお盆をずらした。
マグカップを掴めなかった手が、行き場をなくす……のは嫌なので、更に腕を伸ばしメインを奪う。
「テメェっ」
リグラットの制止の声を無視し、手に入れたピザトーストにかぶりつく。
酸味のきいたトマトソースと、すこし甘めのモツァレラチーズが口一杯に広がった。
厚切りトーストに自家製ソースとチーズ、その上に可愛らしい飾られた輪切りの玉ねぎ、ピーマン、サラミ。
「うん、今日も最高に美味い」
「だからテメェの為に作った訳じゃねぇンだけど」
ばくばくとピザトーストを胃に収めていく俺を観ながら、リグラットが大きなため息をついた。
「で、魔王様は何処に?」
マグカップの乗ったお盆を、皿回しのように指で軽く廻しているリグラット。
口調は軽いが、返答次第ではその銀のお盆が俺の頭めがけて飛んでくるに違いない。
ま、この俺様には関係ないけど。
トーストの最後の一欠を口に詰め込み、あっさりと答えてあげた。
「町内会の清掃」
「…清掃?」
単語が判らなかったのか、一瞬だけ不思議そう表情を作る。
せっかくなので、その隙にマグカップを奪った。
「あっ」
「うん、今日はコロンビアか」
きっと毎朝挽いているのだろう、コーヒー豆の香ばしい匂いとミルクの甘い香りが飲む前から旨いことを主張している。
一口ぶんだけ含めば、少し乾いていた喉に優しい潤いをくれた。
朝の目覚めにちょうど良い苦味と甘さ。
毎日飲んでも厭きさせないだけのレパートリー。
魔族なんて輩はすべて排除しなきゃなんねぇけど、コイツくらいは残してやっても良いかな。
なんて考えて。
「…ったく、旨そうに喰いやがる」
苦々しいような笑みを浮かべて、リグラットが再度大きなため息をついた。
「ん?」
ぼふり、と大きな音を立ててベッドの縁に腰をおろす。
おい、此処は魔王のベッドだぞ。そんな簡単に座ったりして良いのか。
と、さっきまで大の字で寝ていた俺が言えることでもねぇけど。
「口の周りに沢山つけてンぞ」
「おぉ、さんきゅう」
胸ポケットから取り出した白いスカーフで俺の口元を拭いてくれる。
最近口を利いてねぇ二人目の兄貴を思い出して、思わず苦笑した。
「…なんだよ」
「いや。…リグラットって、弟いるだろ」
「いるけど? 自由奔放、我が儘で自分中心に世界が廻っていると信じ込んでやがるヤツが」
「なるほど。俺とは正反対な弟だな」
「残念ながらそっくりだ」
「それは残念だ」
淡々と流れるように進む会話。少しだけ優しく感じる空気。
魔族なんて臭いか気取ったヤツしかいない筈なのに、リグラットの側にいると、なんでこんなに落ち着くンだろう?
ただ単純に兄貴に似ていると感じるからか、それとも…。
「アニマルセラピーか!」
「ぁんだと?」
頭の中で言ったつもりが、どうやら音として発してしまっていたようだ。
「いや、ほら、だって」
言い訳するのも面倒くさいので、リグラットの耳の下辺りをがりがりと掻いてやる。
気持ちが良かったのか、それともただびっくりしただけなのか、リグラットが僅かに目を細めた。
「狼もやっぱ犬と同じような場所触られると気持ち良いのか?」
「てめぇ……」
俺の素朴な質問にいらいらとした様子を見せながらも、撫でている手を止めようとはしない。
と言うことはきっと気持ちいいンだろう。
勝手な解釈をした俺は、よっこらせと身を起こし、リグラットの耳の下から首の下にかけて強めに撫でてやった。
地肌が見えない程に全面が漆黒の毛でおおわれている。確か背中の一筋だけ、茶色の毛が生えているらしいけど。
「うん、やっぱ動物と戯れるのは癒されるな」
「誰が動物だ!」
「お前に決まってるだろ」
ちょっと剛毛で撫でていると手のひらがチクチクする。
犬用シャンプーに変えたら、もっと柔らかな毛に生え変わらないだろうか?
「……バカなことを考えるなよ」
「バカなことは考えてない。とても大切なコトを考えた」
「ふぅん?」
「リグラットの毛が柔らかければ、昼寝の枕にしてやれるのになぁって」
「意味判ンねぇよ」
予想外の返答だったのか、リグラットが楽しげに笑みを零した。
あれだ、やっぱ犬が笑った顔に似てるな。
魔族特有の鼻にツンとくるような臭いも、獣臭に誤魔化されていて顔を寄せても耐えられる範囲。
リグラットが目を細めているのを良いことに、俺は心行くまで動物との戯れを楽しむことにして。
「……其れにしても、遅いな」
「なにが?」
不意に思い出した。
「魔王のやつ、朝7時集合だって出掛けたのに…」
「町内会の掃除ってのは、そんなに時間が掛かるものなのか?」
「いや、長くても2時間あれば十分だろ」
「なにっ!?」
あまりの心地よさにか、やや仰向けの状態でベッドに倒れ込んでいたリグラットが、がばりと起き上がった。
「まさか、魔王様の身に…っ」
「いま戻ったぞ〜」
慌てて部屋を出ようとベッドから飛び降りたところで、魔王のやつが帰って来やがった。
「なんだ、勇者殿はまだ寝ておったのか」
「まぁな」
「町内会の掃除はどうした? 勇者殿の家からは誰も出ていなかったぞ」
「そんなかったるいこと、誰が参加するかよ」
一体どんなことをしたなら、此ほどまでに汚れるのだろうか?
不思議に思えるほど泥だらけになっている魔王が、俺に笑いかけながらも服を脱ぎ散らかしていく。
ってか子供の姿をしているからって、魔王ともあろうヤツが人前ですっぽんぽんになるのは如何なものか。
そんなことを考えている俺をよそに、リグラットが用意したタオルで体を拭いている魔王。
「てか、あれ?」
いつもと違う何かに、気がついた。
「魔王、悪臭を何処においてきた?」
「ん?」
気づかれて嬉しい…というかのように、魔王がにやりと笑った。
此処最近、屋敷全体を包み込む悪臭がなくなっていることには気がついていた。
それには消臭効果のある木材を使って屋敷を建て替えたり、悪臭を取り除く機械を持つ業者に毎日通わせるなど、まぁ色々と手を尽くしているからだ。
お陰で勇者様宛の苦情boxも、最近は空の日が続いている。
それはとても良いことなんだけど。
まさか体臭まで消すとは……。
「此が結構利くのじゃよ」
思わずじぃっと見つめた俺に、何処か誇らしげな魔王が棚から何かを取り出した。
「それは……」
「「ミクミクたんの『君のオーラまで変えちゃうぞ』ガム!!」」
「なんて間抜けな名前だ」
あまりに勢い込んで魔王とハモってしまった俺に、やや失笑気味のリグラットがぽそりと呟いた。
「なんてコトを言いやがる! 此れは2,300個限定生産の幻のガムだぞ!!」
「中途半端な数…」
「もう市場から消えたはずのガムを、なんで魔王が持ってやがる!?」
「ワシ等の為に、再生産させたからじゃ」
えへん、とふんぞり返る魔王。
な、なんだとう…。
「お、お前、いつの間にそんな権力を!?」
「権力ではない。金だよ、金」
子どもの姿には似つかわしくないコトバを吐きながら、更にえへんと胸をはる魔王。
この俺がどれだけミクミクたんを愛しているかを知っての此の狼藉か?
だったら、許すまじ。
「しかし、勇者殿も彼女のファンだったとは知らなかったの」
思わず質屋に入れた【魔王を倒せる唯一の剣】とかってヤツを買い戻せ……
ないのでいっそ強盗という手段まで考えていた俺に、何を気にした様子もない魔王が、手に持ったガムをぽいと俺に投げた。
「……ぁ?」
「欲しいのだろう?」
「あ、あぁ」
「一つでは足りないという顔じゃな。ならば好きなだけ持っていくが良い」
間の抜けた声を出してしまった俺に、魔王がにこにこといつもの笑みを浮かべて見せた。
そうか、すっかり忘れていたが、コイツは俺がねだれば何でもくれるヤツだ。
せっかくだからあるだけ全部貰ってネットで転売しようか。でも俺しか手に入れられない優越感ってのも捨てがたい。
さて、はて。俺にとっての最良の策とは何だ?
「……平和だな」
悶々と悩み始めた俺に、魔王に渡されたガムを噛ンでいるらしいリグラットがため息をついた。
平和?
いやいや、此の世界は魔族が蔓延る大変危険な世界だぜ?