【魔王と勇者】〜飴と鞭〜




柔らかな雨粒が窓を叩く。
紫陽花の花が鮮やかに咲き誇る季節。
こんなに日には雨音を聞きながら、ゆっくりと本を読みふけるに限る。
入れたての紅茶に手を伸ばし、俺はほぅと小さく息をついた。

「……本って、漫画じゃないですか」

バサリ。
丁度良い位置にまで身体を沈みこませてくれるソファー。
ごろりと寝転がって愛について学んでいた俺から、誰かが教材を奪った。

「てめっ、俺の人生のバイブルを返しやがれ」
「バイブル……エロ漫画じゃないですか」

即効で起き上がり、さり気なく中身を確認したらしいヤツから【赤外線を3Dメガネ】をひったくる。
貴様、【赤外線を3Dメガネ】を単なるエロ漫画と一緒にするンじゃねぇ!
これにはノーマル以外にも百合要素が含まれているンだぞ!!
と心の中だけで怒鳴りながら、いそいそとソファーに倒れこみ本を広げる。
あぁ、やっぱりキャベツ花子ちゃん可愛いなぁ。こんな女の子がリアルに居てくれたら、世界だって救っちゃうのに。

「貴方ごときが世界を救えるわけないでしょう。それ以前に、なにから世界を守るおつもりですか」

どうやら俺の心が読めるらしいヤツが、聞こえよがしに盛大な溜息をついて見せた。
なにから世界を守る?
そんなのは決まっている。

「この地域周辺に漂う悪臭からだ」

視線はキャベツ花子ちゃんから外さずに、びしっと効果音をつけてヤツを指さす。
この地域周辺に漂う悪臭。
其れの意味がわかったのだろう、ヤツがぴちっと音を立てて俺の人差し指を叩いた。
いてぇな、此の埃臭き吸血鬼野郎が。

「私は誇り高き吸血鬼です。しかも体臭はバラの香り、そこいらのアンテッド系と一緒にしないで頂きたい」
「トイレの芳香剤飲んだのか?」
「……殺しますよ?」

パシンっ……と大理石を敷き詰められているとか言う床が、ヤツの手に握られた鞭によって痛々しい音を鳴らせた。

「うるせぇ、SM大好きヘンタイ吸血鬼」

ちらりと一瞥だけして、特に気にした様子も見せずに吐き捨てる。
ビチィッ……と今度は鈍い音が鳴った。実際は鈍い音が鳴るときの方が蚯蚓腫れが出来て痛いらしい。そっちの趣味を持たない俺には関係ないけど。

「まぁ今日は時間もないので許してあげましょう」

俺が余りに無関心な態度を取っている所為か、いつもならもう少し喰い付いて来るヤツ……吸血鬼のヴァンが舌打ちをした。
そいつはどうもありがとー。
でも許してやると言いながら舌打ちするのは如何だろうか。そして未だに大理石の床がピチピチ鳴いているのは何故だろう。
牛皮製でオイルもたっぷり染み込ませてあるとご自慢の鞭なら、其の程度でも多少傷がつくんじゃないのか?
深く追求すればまた面倒なことになりそうなので、特には言わないけれど。

「で、魔王様はどちらに?」

あぁ、あと3ページで【赤外線を3Dメガネ】が終わってしまう。
もう一度最初のページから読み直そうか。
でもこの本は必ず最後のページにキャベツ花子ちゃんのエロ……もとい性について色々と学ばせて頂けるイラストが載っているのだ。
其れは其れで早く見たい……。

「勇者殿、魔王様はどちらに行かれたかと聞いているのだが?」

ぺち。
考えあぐねた結果、取敢えずキャベツ花子ちゃんの曲線美を堪能した後にもう一度読み直そうとぺらりページを捲った俺の頭から、可愛らしい音が奏でられた。

「……てめぇ」
「人が丁寧に尋ねているというのに、漫画に没頭しているヤツがありますか」

ぺちぺち。
可愛らしい音の原因はヴァンの鞭。手に握りやすいようにと柔らかい素材で作られたとかいう柄の部分で、俺の頭を叩いているのだ。
痛くはない。が、むかつく。ならば嘘でもついて莫迦にしてやりたいところだが、一瞬だけ思考を巡らせた後、俺は素直に教えてあげることにした。

「魔王は中庭の花壇に埋まってるぞ」

ぺらり最後のページを開く。
あぁ、キャベツ花子ちゃんがキャベツ花子ちゃんが花子ちゃが……!!!

びしゅんっ。

「危ねぇっ」

白く柔らかそうな太股とその奥を露にした、まるで女神のようなキャベツ花子ちゃん。
思わず手を合わせて祈りだす勢いだった俺の頭の横を、鋭い鞭が通り過ぎた。
というか、実際は先ほどまで俺の頭があった場所を、だ。
気配を感じて避けていなければ、今頃このソファーには美しい真っ赤な薔薇が咲き誇っていただろう。
ったく。

「俺が無理やり埋めた訳じゃねぇぞ」
「魔王様が自ら埋まりたいと仰るわけがないでしょう!」
「いや、言った。アイツが自分で埋めてくれって言ったんだよ。今だって結構楽しんでいるンじゃねぇのか?」
「そんなっ……」
「あ、でもそういえばアイツ埋めてからそろそろ1時間くらいか。そろそろ雨に打たれすぎて溶けているンじゃねぇか?」

ソファーの背もたれ部分に立ち、けろりと吐き捨てる。
ほら、早く行かないと魔王の寒天が出来ちゃうぜ〜、なんて言って中庭の方向を指差す。
ちぃぃっと長ったらしい舌打ちをし、挙句再度俺に向かって鞭を振りかざした後で、ヴァンが中庭の方にと駆けて行った。
背もたれ部分で鋭い鞭を避けるという神業を披露した俺は、ソファーに寝転びなおす。と、同時に遠くからヴァンの悲鳴が聞こえた。

「ま、魔王様っ、なんてコトを……!!!」

悲痛な叫び声。
あぁ、そういえばヴァンには説明し忘れたが、中庭にあった花壇は全て取り壊され、代わりにビーチサイドのミニチュア版が作られているのだ。
理由? 別に海に出掛けるのが面倒だから、時空歪ませて此処の庭と海をつなげてくれとか、まさか言ってねぇよ?
そんでせっかくだから中庭に咲いていた花を撤収させて、ビーチ作れば? とか提案したわけじゃないぜ?
ま、ちょっと呟いたかもしれねぇけど。あれはあくまで独り言。
それに。
ビーチに埋まりたいっていったのは、去年の海開きの映像をみた魔王自身が本当に言ったことだから。
別に今日埋まりたいって言っていた訳じゃねぇけど、ほら、そういうのは想ったら即行動したほうが楽しいだろ?
俺って優しいなぁ。

「わ、私の愛する花々が……」

遠くのほうで魔王専用庭師ヴァンの声が聞こえる。
お可哀想に。
口の端だけで笑って、俺は【赤外線を3Dメガネ】の一ページ目から開きなおした。
キャベツ花子ちゃんがリアルに居てくれたら、もっと勇者も頑張るンだけどなぁ。



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