*大嫌い!!




隆志が弱音を吐いたのは、入院初日のあの日1日だけだった。

次の日からはもう、いつも通りの隆志に戻っていて、多少痛みに顔を顰めることはあっても『痛い』という言葉をいうことはなかった。

噂によるとこの病院の医師は、処置が上手なひともいれば下手なひともいるらしく。

どうやら隆志があたったのは後者のほうらしい。

同じ処置を受けたという同室の山田さんから、

「あの先生、管入れすごい下手なんだよ。俺、再発組なんだけど前回あの先生にあたってさ…三日三晩痛くて死にそうでさぁ。いっそのこと殺してくれーって思ったくらい。みんなもそう言ってるし、下手なのは間違いないね。あんたも運が悪かったね。今回俺があたった先生だったらそんなに痛みはなかったのに。その痛み、暫く続くよ?」

なんて、怖ろしいことを初日に教えてもらった。

こんな苦しそうにしているのが3日も続くのか…と、先行き不安になっていたけれど。

次の日の隆志の様子には、さすがだな。って内心感心した。

だけど、隆志の場合それが同時に心配な部分でもあったりして。


週明け2日間、課長に無理言って有休にしてもらい、隆志の見舞いにやってきた私。

だけどベッドの上は蛻の殻で、隆志の姿が見当たらない。

どこに行ったのかとあの山田さんに聞くと、携帯を使える場所を聞かれたから教えたけど…そこに行ったんじゃない?と、返事が返ってきた。


携帯を使える場所って…まさかとは思うけどあの男!?


私もその場所を教えてもらい、一直線にそこに向かう。

その場所は院内でも携帯やインターネットを使える部屋らしく、ちょっとしたラウンジのようになっていて、数人の患者の姿が見受けられる。

ひとりひとりの顔を確認しながら部屋の中を見渡して、窓際の一番奥の席に隆志の姿を見つけた。

隆志は、吸引機や点滴などが吊るされたスタンドを脇に立たせ、窓に向かって椅子に腰掛け携帯で何やら話している。

ヤツに近づくにつれ、私の中の疑念が確信へと変わった。

「……そうそう。その場所は見積もり通りの分で手配してくれ。あ、そこは違う…うん、まだ変更の打ち合わせ中で…あぁ、俺から連絡しとくよ。うん…」


やっぱり…仕事の電話をしてやがったか。


私は隆志の背後まで歩み寄り、聞き取れた会話の内容に思わずため息が漏れてしまう。

確かに、重要なポストにいる隆志が突然入院したことによって、事務所内がてんやわんやしているのは想像がつく。

現在取り掛かっている大きな現場も彼の指示なしでは上手く事が運ばないだろう。

だけど、それでもこんな時ぐらいは事務所の人間に任せてゆっくり休めばいいのにと思うのは、傍にいる者の我侭なんだろうか。


全く…ひとには仕事休めとか言っておきながら、自分はちゃっかりこんなところで仕事してさ。

課長に散々嫌味言われたんだからね?

君は大事な仕事よりも男を選ぶんだなぁ。ってさ。

奥田君の見積もりは君がしているのに、その君にまで休まれたらこっちが困るんだけどね。とか言われたし。

あさって仕事に行くのが憂鬱だっつうの。

課長の小言と2日間のあいだに溜まった仕事と…奥田ビイキ女子社員の冷たい視線。

その色んな障害に代えても、あんたの為に仕事を休んでやったんだぞ。

わかってんのか、コラ!


私が背後にいるとも気付かずに、仕事の話を続ける隆志の頭を軽く叩(はた)く。

叩(はた)かれた場所を押さえつつ、怪訝そうに眉を顰めて隆志は振り返った。


なんだ…その顔は。え?


腕を組み、自分を見下ろしている人間が私だと知った隆志は、…あ。と、短く声を洩らし、悪い、またあとでかけなおす。と、携帯の向こう側にいる人間に伝えてからそれを切った。

「なにやってんのよ、こんなところで」

「なにって…仕事?」

「あんたねぇ…。仮にも病人なんだから、病室で大人しく寝てなさいよ!なんの為に私が課長に小言を言われてまで会社を休んだと思ってんのよ!!」

「んな目くじら立てて怒んなよ。お前だってわかってんだろ?俺が悠長に病室で休んでらんねえってことぐらい」

「わかってるけど…会社の人間は何も隆志ひとりじゃないじゃない。木下君だって中野君だって、他の若い子だっているんだしさ。こんな時ぐらい任せたらいいでしょ?」

「任せられるかよ。あいつらにだって他の現場の仕事があって大変だっつうのに、これ以上増やせらんねえだろ。第一、俺の仕事はあいつらでは勤まりきらねえ。俺はな、なにがあっても自分の仕事は責任持って最後までやる主義なんだ。こんなもん、大したことねえって言っただろうが」


昨日の弱々しい姿はどこへやら。

寝て起きて来てみたら、いつも通りの隆志に戻ってた。

昨日ほどの痛みはないんだろうかと心配になるけれど、隆志のことだ。きっと気力で痛みを抑えつけているんだろう。

額に少しだけ滲んでいる脂汗が、痛みが引いていないことを物語っている。

らしいって言えばらしいけれど…ちょっとそれが気に食わない。


「半べそかいてたクセに…」

「…かいてねえよ」

「今だって相当痛いくせに」

「痛くねえよ」

「ふ〜ん…ねえ、隆志。痛みもなく大したこともないんなら、私がここにいる必要もないわよね。私、フレックスで今から仕事に行く事にする」

冷やかな視線を隆志に向けてそう言い放つと、踵を返して歩きだそうとした。

が、後ろから腕を掴まれてそれを阻止される。

「誰が必要ねえって言ったよ」

「あたし」

「俺は言ってねぇ」

「そんなの、知るかっ」

「おまえ、なに怒ってんだよ」

「怒ってねえよ」

「怒ってんじゃねえかよ」

私は別に怒ってるわけじゃない。

ただ、こんな時にまで仕事をしなくてもいいじゃないって思ってるだけ。

体に支障が出たときは、体が疲れてるんだってSOSを出してるんだって思うから…

少しでも休んで欲しいって思ってるだけ。

確かに仕事が大事だってことは私だってわかってる。

隆志が突然休んだことで、色んな方面で迷惑をかけてるってこともわかる。

だからこそ痛みに耐えても今こうして隆志が仕事をしようとするのもわかるけれど、もう少しだけ休んでよって思ってしまうんだもん。

私が無理言って2日間も休みをもらったのは、隆志に言われたのもあるけれど、第一に自分が隆志のことが心配だったから。

社員の代わりはいくらでもいるけれど、隆志の代わりはいないのよ。

もし万が一があってからでは遅いの…休めるときには休んでよ。

昨日、少し不安な気持ちになっただけに、余計にそう思ってしまう。

それを素直に言えたらどんなにか楽だろう。

だけど私は、口が悪くて素直じゃない女。

「怒ってねえって言ってんだろっ!シツコイ!!」

やっぱりこんな言葉でしか返せなかった。

昨日思ったのにな…もう少し素直になって口の悪さも直そうかな、って。


隆志は少しため息を漏らすと、掴んだ腕はそのままに私を見上げてくる。

「怒ってても怒ってなくてもどっちでもいい。とにかく有休とったんだろ?だったら、このままここにいろ」

「いろ?いろって、命令すんの?」

「あぁ、命令だ」

「あんた何様?」

「もちろん、俺様」

そう言って隆志はニヤリと笑う。

完璧いつも通りの隆志に戻ってる…。

今度は私の口から短いため息が漏れて、体から力が抜ける。

そして、抵抗することを諦めた私は、隆志の隣りの椅子を引きそこに腰掛けた。

大きな窓から見下ろせる景色を視界に映しながら、再度私の口からため息が漏れる。

「はぁ…もう。私にだって隆志から頼まれた仕事の他に色々あるんだからね?それに、課長の嫌味と、あんたの取り巻きからの嫌がらせ…色々オマケがついてくると思うと頭が痛くなる」

「ま…それももう暫くの辛抱じゃね?どーせ、近いうちにお前会社辞めるんだし」

隆志は突然そんな意味不明な言葉と共に、机に頬杖をつきながら視線を窓の外へと向ける。

「……は?なに言ってんの。辞めるなんて一言も言ってないけど」

「そ?」

「なによ突然。なんで辞めるなんて言葉が出てくんのよ」

「別に。さっきここからこうして窓の外の景色眺めてたら直感的にそう感じたから」

「……………」

意味不明…。なに言ってんだ、この男。

隆志の言葉に訝しげに眉を寄せると、それを頬杖をついた姿勢のままチラっと横目でみたヤツが、
おかしそうに小さく笑って、すぐに辛そうに顔を顰めた。

「痛むの?」

そう、すかさず聞くと、

「別に」

と、すぐに返事が返ってきた。

まったく…

「素直じゃないわね。痛いなら痛いって素直に言いなさいよ」

「素直じゃねえ女にその言葉は言われたくねえな」

「ムカツク…この強情っぱり男」

「うるせえよ、天の邪鬼女」

「私のどこが天の邪鬼なのよ!!」

「自分で気付いてねえのかよ、鈍感娘」

「ムーカーツークー。天の邪鬼たら鈍感娘たら…さっきから言いたい放題言ってくれるじゃないっ。ひとが心配してこうして2日間も有休とって見舞いに来てやってるっていうのになんなのその態度はっ!?心配して損したっ。不安になって損した。休めるときには休んで欲しいなんて思った私がバカだった…そこまで悪態つけるなら、とっとと退院して仕事に行けよ!」

なんとなく隆志の挑発に乗ったように、勢いに任せて一気に捲くし立て、言い終わったあと、ハッと我に返る。

しまった…余計なことまで言ってしまった。

遅ればせながら手が口元を覆う。

そんなことをしても今更おそいのはわかってるけど。

案の定、隆志はそれを聞き終えると再び机に頬杖をつき、意味深な笑みを浮かべてこちらを見た。

なによ…その表情は…

「やっぱりな。そんなことだろうと思った」

「なにがよ…」

「お前が怒った理由。ホント、素直じゃないねぇお前は。俺の体が心配なら心配って素直に言やあいいじゃん。病院に来る前からずっと泣きそうなツラしてたくせによ」

「そ、そんな顔してないわよっ」

「自分で自分の顔見えんのかよ、お前は」

「………ぅっ」

見えない…けれども!

そんな表情をした覚えはない…多分。

「まあなぁ。俺、ここんとこずっと働きづめだったし?食事も不規則で外食が多くて栄養も偏ってっし。
タバコも吸うし酒も飲む。いつか倒れるんじゃないかって心配だったんだよな?優里は。で、昨日のアレで俺が弱音を吐いちまったから余計に不安になったりして。俺って愛されてるよなぁ〜、優里に」

「自惚れんな」

「ほー。自惚れんなとな。たった今、その口から聞いたけどな?心配したし不安にもなったっつって?」

うるさい…

「休めるときは休んで欲しいって?そんな事を思ってたんだ。くぅっ。可愛いこと言うじゃねーか。俺の
可愛い優里ちゃんはよ。クスクス。お前の口から言われりゃ素直に聞きたくなっちまうなぁ、俺」

うるさい、うるさい、うるさいっ!!

改めて口に出して言われると、何故か急に恥ずかしくなってくる。

私は俄かに頬が紅く染まった気がして、ぷいっとそっぽを向いた。

「クスクス。まあ、そんな心配すんな。そこまで軟じゃねえから俺。どーも、お前は俺を重病人にしたいみたいだが、大切な女を置いて逝くほど薄情な男でもねえし?不安になることもねえよ」

そう言って隆志は私の頬を優しく指の背で何度か撫でる。

私の心を隅々まで見透かしているんじゃないかって思った。

「聞いてんのかよ、心配性」

「聞いてねえよ…不健康男」

隆志はそれに、口数の減らねえ女。と笑い、うにうにっと軽く頬を摘んだ。

能天気オトコめっ…

そこまで見透かしておきながら、どうして肝心な部分を実行しようとしないのよ。

まったく、ひとの気も知らないで。この男だけは…

大体、説得力に欠けるのよ。

パジャマ姿に体から管を出してさ。

点滴も一緒にこうしてスタンドに吊り下げて傍らに置いている、どこからどう見たって病人です。って姿で、軟じゃねえって言われてもさ…。

現に体壊してるしっ!!

そう思いながら隆志の顔をコッソリと睨むと、当の本人はそれに気付かずに視線を窓の外へと向ける。

「でも、まあ…今回のこの入院は悪くなかったなって思うよ」

「え?」

「お前じゃねえけど、俺も色々考えてさ。仕事から少し離れられて…いい機会だったかもしんねえ」

「隆志?」

「朝起きて一番にここに来て、こっから街をボーっと眺めててさ。のんびりしてんなぁって思った。毎日毎日、朝から時には夜中近くまで馬車馬のように働いて…俺の人生って一体なに?って思ったわけよ」

隆志はため息混じりにそう呟き、視線を窓の外に向けたまま頬杖をつく。

一体なにを話し出すのかと、私は少し首を傾げながら、どう返していいものやら返事が出来ずに同じように窓の外へと視線を移した。

「もちろん仕事は大事だし、やりがいもある。ひとつひとつ現場をこなすことで自分のキャリアにも繋がるし、ステータスもあがる。それも俺の人生において重要なものだとは思うけど、仕事人間にはなりたくねえなって思った」

「充分今も仕事人間だと思うけどね…」

隆志の手の中にある携帯を指差しポツリと呟くと、確かに?と、隆志が苦笑を漏らす。

「まあ…自分の請け負った現場は無下に出来ないタチなんで、最後まで責任を持ってやらなきゃ気が済まねえけどさ…その、自分の中での仕事のあり方が少し変わったっつうか…」

「……あり方?」

「俺、27でもうすぐ28になるだろ?この年にもなるとよ…自分の為だけじゃなく、傍にいるヤツが安心して生活できるために頑張るもんじゃねえのかなって思ってさ」

「たか…し?」

「俺もそろそろイイ年だし。お前もさ、そろそろ……」

――――ブルルルッ…ブルルルルッ…

突然、隆志の手の中にあった携帯のバイブ音が鳴って、彼の言葉を奪ってしまう。

隆志は、少し気分をそがれたように苦笑を漏らしつつ、ため息混じりに携帯に出た。

耳に届く話の内容からして、得意先の中でも特に口うるさい工務店の親父からだと察しがつく。

呆れ顔をしながら話をする隆志を見て、少し長くなりそうだな、と、私の口からも苦笑が漏れた。

それにしても…

先ほどの隆志が言いかけた言葉


――――俺もそろそろイイ年だし。お前もさ、そろそろ……


私もそろそろ……

そろそろ…そろそろ?……………??


隆志のあの振りも、普通の女ならすぐさまピン。ときたことだろう。

だけど、全く気付いていない私って…

こういう部分が隆志から『鈍感娘』と言われる所為なんだろうなぁ…なんて、この時の私は思ってもいなかった。

私は、ふぅ。とため息を漏らすと、長々と続く隆志の話し声を聞きながら、暇を持て余すように両手で頬杖をついて窓の外を眺めていた。

  

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