Magical hand 番外編


− 傷跡 −





明美と口を利かなくなって、1週間が過ぎた。

本当は、あいつのことが心配で心配でたまらないくせに、意固地になって自分からは連絡を取ろうとしなかった俺。

明美からも連絡がないところを見ると、あいつもきっと意固地になってるんだろうと思う…多分。

クラスが別々になった今、会いに行かない限り、偶然にでもなければ学校内で会うことはない。

ここ1週間は特別な行事も入っていなかったから、本当に明美と会うことはなかった。

日に日に増すため息の数。

眉間のシワが深くなってきているのは、気のせいじゃないと思う。

今までにも何度かあったんだ…明美と喧嘩して、口を利かなくなったこと。

だけどそれは、半日だったり数時間だったり。ここまで長く続いたことはない。

さすがに、ちょっとヤバイかも?と、思った。

それに、ずっと考えているんだけど、明美のあの様子もちょっと気になるところだった。

あの時、暑さからかやけに俺も気が立ってしまって気付けないでいたけれど、明美らしくないと言えばらしくなかった。

妙に突っかかる言い方。神経質とも思えるほどの体重への拘り。


――――1kg太ることがどれほど私にとって恐怖なのか…


そんなことを言ってたっけ…恐怖って、たかが1kg増えることが?

ついこの間まで、綺麗に痩せたって満足そうにしていたのに、急にそんなことを口にしだすなんて。

あいつ、何かあったんだろうか。

俺は、自分の席でキコキコと椅子を傾け前後に揺らしながら、片手をポケットに突っ込み、もう片方の手で意味なく携帯を弄る。


俺から連絡を取ってみようか……

いや、やっぱりあいつからの連絡を待つべきか。

はたまた、今年も明美と同じクラスになった、幼馴染の美和に先に様子を聞くべきか…


…3つめはダメだろ。なんて、頭の中で考えていると、3限目の授業を知らせるチャイムと共に、教室の後ろのドアが勢いよく開いたかと思うと、美和が血相を変えて飛び込んできた。


「こっ、こうちゃん、大変!明美が…明美が倒れた!!」


え…明美が?……倒れたっ?!


俺の頭がフリーズした。

同時に体も固まった。

視界に映る美和の姿が、徐々に斜めに傾いていく。

俺は何の対処もすることなく、椅子と共にそのまま後ろに……ド派手に転んだ。




『――――あの子、ここ1週間ほどロクにお昼ご飯食べてなかったのよ。幸一に反対されたから、美和たちのところでダイエットするんだぁって言って。でも、段々元気がなくなってきて、顔色もさえなくなってきてさ…さすがに心配になってきて、こうちゃんに相談しようと思ってたところで明美が倒れちゃって…』


俺が教室を飛び出す前に、慌しく教えてくれた美和の言葉。

なんでもっと早く相談してこなかったんだ、と、全速力で保健室に向かって走りながら舌打ちをする。

いや、違う…責めなきゃならないのは俺自身だ。

俺がもっと強く反対していれば…

あの時、明美を置いて一人で教室に戻ったりしなければ…

意地を張らずに明美に連絡していれば…会いに行っていれば……

色んな後悔が押し寄せる。

昼を抜いたぐらいでは、美和の言ったような様子にはならないはずだ。

ましてや倒れるなんて。

明美のことだ…きっとあの調子で朝晩もロクに食ってないんだろう。


クソッ…クソ、クソ、クソッ!!


なにやってんだよ、明美。

なんでお前はそこまでして…


息を切らしながら保健室の前まで辿り着くと、ちょうどタイミングよく校医がそこから出てきた。

確か、鈴木かづみって名前。生徒から友達感覚で「鈴木」と、『先生』抜きで呼ばれてる人物だ。

去年、結婚退職した前の校医の代わりに赴任した、まだ若くてサバサバした性格の彼女は、話がわかるヤツだと生徒の間でも結構人気がある。

すらっとした長身で、ショートヘア。綺麗な顔のクセに声が少し低くて言葉遣いが少々荒い。

なんとなく宝塚の男役を彷彿させる、中世的な雰囲気を持っている。

鈴木は俺の姿を見て一瞬首を傾げたけれど、すぐに何を目的でやってきたのか分かったらしく、腰に手をあて、ため息混じりに少し笑った。

「おい、こら。授業サボって彼女の見舞いか?」

「あ…っと…」

「あははははっ!全速力で走ってきました〜って感じだな。額に汗、浮かんでっぞ?」

そう言って鈴木は、今度は大きな口をあけて豪快に笑う。


感じじゃなくて、実際全速力で走ってきたんだよ…3年の教室、3階から1階の隅っこにあるここまで。

しかも相変わらず気温が高い。そりゃ汗も出るだろうよ。


俺は手の甲で額の汗を拭いつつ、ドアの前に立つ存在に視線を向ける。

わかってるなら話は早い。

「それで、彼女…須藤の様子は…」

言いかけた俺の言葉を遮るように、鈴木が、へぇ〜。と、声を洩らす。

「しっかし、あんた…えらくお洒落な髪型してんじゃん。色も何?ちょっと変わってっし。はぁ〜、いいわぁ。その髪型。どこの美容院行ってんの?今度教えてよ!」

聞いちゃいねえ…人の話。

「いや、だから…」

「ここの学校っていいよなぁ。自由だしさぁ、あたしもこういう学校に通いたかったなぁ。そしたらあんたみたいな髪型して、お洒落してさ…あ、こんななりだから男装してもおっけー?…」

何もなければ、こうしてフランクに話してくれるのは嬉しいかもしれない。

しかも自分で弄った髪形を褒めてもらえるなら尚更。

だけど、今はそれどころじゃないんだって。つーか、人の話聞けよ…

「あの!そんなことはどうでもいいんで…須藤の様子、教えてもらえませんか」

自分より少し身長が高めの存在に向かって、言葉を遮るように少し大きめの声を出す。

すると、ちょっとびっくりしたように目を丸めてから、すぐさま体を仰け反らせて大きな声で笑い出した。

「あははははっ!いいなぁ〜、若いって。いい!真っ直ぐでいいよ、あんた。気に入った!顔は好みじゃないけど、あたしのお気に入りに入れてやるよ。名前、なんつーの?クラスは?」

……一言余計だろ。

って言うか。別にお気に入りに入れてもらわなくていいし…

そう思いつつ、聞かれたら答えなきゃいけない気がして、考えるより先に口が動いていた。

「3−B。内藤…幸一…」

「3−Bの内藤、ね。おし、覚えた!あ。彼女が倒れたって聞いて、血相変えて飛んできたんだもんな?悪い、悪い。話が逸れて…あの子なら心配ない。たっぷり寝て、たっぷりメシ食ったらすぐによくなるよ」

「そう、ですか…だから、メシ抜きダイエットなんてやめとけって言ったのに…」

鈴木の言葉に幾分かホッとしつつ、それでも自分が心配した通りの結果に、僅かながらも苛立ちを覚える。

無意識に、ボソッと呟いた言葉を拾った鈴木が、腕を組みながら、ほぉ。と、言う。

「内藤は止めたのか、彼女のダイエット」

「そりゃ止めるでしょ…あんな無茶なもん、倒れることが目に見えてるのに」

「ふむ、確かにな…という事は、昼メシは一緒に食べてたのか?」

その言葉に俺は力なく首を横に振る。

「いえ…俺が止めたことで喧嘩になって。ここ1週間ほどは会ってもいません…」

「ふーん、喧嘩ねぇ…なんて言って止めたんだ?」

「え?……そりゃ、まあ…充分すぎるぐらい痩せたのに、それ以上痩せる必要ないだろう…みたいな」

なんとなく言葉を濁しつつそう答えると、鈴木は、なるほどね。と、呟き、暫く黙り込んで自分の世界に引きこもってしまった。

今すぐにでも明美の姿を見たいのに、ドアの前に立ちふさがるように立つ鈴木を何とかしなければ、中に入ることすら叶わない。

俺はそれがもどかしくて、鈴木を現実の世界に引き戻すべく声をかけた。

「あの…で、今は?」

「ん、今?寝てるよ。起きたら今日は帰らせようと思って、今から担任のところへ報告しに行こうと思ってたところだ。だから、ついでに内藤の担任にも言っといてやるよ、早退するってさ…」

「…え?」

「どうせそうなったら、内藤も彼女と一緒に帰るつもりだろ?だったら、無断早退よりお墨付きがあったほうがいいじゃないか。あたしがうまい具合に言っといてやるから」

「あー…」

って、いいのかよ。あんたがそんなことを率先してやっても。

オレ的には願ってもないことだから異存はないけれど…バレたらやばいんじゃないの?

そう思ったことが顔に出ていたのか知らないけれど、何の前ぶれもなしにいきなり頭を軽く叩(はた)かれた。

「………っ!?」

痛…くはないけど、いきなりなにするんだよ。

俺、なんも言ってないのに…

「言っとくけど、健気な少年の為に、彼女と2人きりにさせてやるために言ってんじゃないからな。今のあの子にとって、内藤という存在が必要だと思ったからそう言ったまでだ…だから、勘違いするな?」

「え…俺?」

叩(はた)かれた部分に手をあてながら、きょとんとする俺の様子に、鈴木が複雑そうな表情を見せる。

「あの子のことは、ここに運ばれる随分前から知ってたよ。須藤明美…去年、劇的に変わったって、職員室でも少し話題になってたしな。綺麗に痩せたよなぁ。一緒に頑張ってた男子生徒っての…内藤だろ?」

「あー…まぁ…」

そんなことまで伝わっているのかと思いながら、気恥ずかしさもあって、そう曖昧に答えると、うむ、だと思った。と、感慨深げに頷き、やっぱりあたしの判断は間違ってないな。と、鈴木がボソッと呟いた。

「………?」

「…ん?あぁ、気にするな。独り言だ。そっか、愛のなせる業(わざ)…ってか?微笑ましいねぇ。でも、
内藤さぁ…それで須藤が悩みから解放されたと思ってないか?」

「え…」

「太っていることで悩みがあった彼女が、劇的に痩せて美少女という称号を手に入れた。もう、何も悩むことはないって思ってるだろ。甘いねぇ、実に甘い!まあ、君はまだ若いから仕方ないかもしれないけどさ…そんな簡単な問題じゃないんだよ。特に、あの子の場合は…」

そう思っていただけに、そのことを指摘されて、自分の眉間に訝しげにシワが寄る。

他にどんな悩みがあるって言うんだよ。

あれほどまでに綺麗に痩せて、『チビデブス』なんて忌まわしいあだ名で呼ぶやつなんかいなくなったって言うのに。

そんな簡単な問題じゃない?

明美の場合は特に?

……全然、意味が分からないんだけど。

首を捻って考え込む様子の俺に、鈴木はクスクスと小さく笑った。

「全然わかんないって顔してるな。少し頭を捻って考えてみればわかると思うがなぁ…もう、充分魅力的になったのに、食事を抜いてまで痩せようとしたのは何故か…もう、何事にも悩まされるはずがないのに、寝不足になったのは何故か…倒れてしまうほど、須藤を追い込んだのは一体なんなのか…」

真剣な顔つきで、徐々にその表情のまま顔を近づけてくるから、思わず体を仰け反らせつつごくりと喉を鳴らしてしまう。


つか…顔、近いって。


鈴木は、俺との顔の距離を10cmほどのところまで近づけてくると、ニヤリとした笑みを見せた。

「それは…自分で見つけな」

「……は?」

「あたりまえだろ。そこまであたしは優しくないんだよ!人に、なんでも教えてもらう簡単な人生なんて意味がないんだよ。自分の頭で考えて、悩んで、答えを出すから人間は成長するんだ。しかし、まあ…須藤の生い立ちを知らない内藤にとっては、少し難しい問題かもしれんな…」

「え…?」

「なあ、内藤…一旦手に入れたものを失うことほど、怖いものはないと思わないか?苦労して手にしたものほど、その思いは強い。今回の須藤の場合もそれに近いものがあるけれど…あたしの読みでは、まだ恐怖よりも一歩手前のような気がするんだ」

「恐怖よりも一歩手前…」

呟いてみたけど、さっぱり意味がわからない。

生い立ちだとか、恐怖だとか、一体全体なんでそんな言葉が出てくるのか…

ただのダイエット関係のことだとばかり思い込んでいた俺には寝耳に水の話で、鈴木の口から紡ぎだされる言葉の羅列を追いかけるだけで精一杯だった。

「あのな。須藤のあの外見は、あんたの協力もあって手に入れたものだが、須藤明美そのものの姿は、あの子が色んなものを乗り越えて築き上げたものなんだ…自分ひとりの力でな。そうして手に入れた今の環境だからこそ、今、あるものが須藤を悩ませている。本当は痩せた太ったの問題じゃないんだよ、そんなものはキッカケにすぎない。大元はもっと別の場所にあるんだ…まあ、それを聞いてやるのが内藤の役目だな。一人で抱え込んでいたものを吐き出せば、きっとあの子も随分と楽になるだろうよ」

「どういう意味…」

「まあ、表ばっか見るんじゃなく、裏側もちゃんと見てやれってことだよ。須藤の…ココをな」

そう言って鈴木は拳を作ると、ポンポンと俺の体の一部分を拳の横側で軽く叩いた。

そこはちょうど左胸の辺り…心臓がある場所。

つまりは…

「心…?」

「そういうこと。一方的にダイエットというものに反対するんじゃなく、須藤がどうしてそういう行動を取ったのか…心の内側を見てやれってことだ。決してあの子は、今の体型に満足してないわけじゃない。いや、きっと満足してるだろうよ…だからこその行動…」

鈴木はそこで一旦言葉を区切り、俺の肩にポンと手を置いてくる。

「…って、ことで。少しは冷静になれたか?」

「え?」

「ちょっとは須藤の心の裏側に耳を傾けてやるくらいの余裕ができたろ。……さ〜てと。思わぬところで、あたしも時間を食ってしまったけど…そろそろ職員室でも行くかな。じゃ、須藤のこと、頼んだぞ?」

一方的に話を切り上げると、鈴木はそう言って俺の肩に手を置いたまま脇を通って一歩踏み出す。


――――大いに悩みたまえ…青少年よ。


そう言葉を残して、鈴木はスタスタと大またで職員室に向かって歩きだしてしまった。

「えっ、ちょっ待っ…」

俺の制止が届いたのか、あ、そーだ。と、鈴木がふと足を止めて振り返る。

そしてニヤリとした笑みを浮かべると、両手を白衣のポケットに突っ込んだ。

「内藤に須藤を任せると言ったが、神聖な保健室でやましいことすんなよ?」

「………はぁっ?!」

予想外の鈴木の言葉に、素っ頓狂な声と共に、口があんぐりとあいてしまう。

……何言い出すんだ、こいつ。

「保健室には都合よくベッドがある。が!ゴムもなければ玩具もない。物珍しい機器はあるかもだが、それは治療に使うものだ。間違ってもそれを使って何かイカガワシイことをしようなんて考えるなよ?」

考えるか、そんな事っ!!

この非常事態に、なに不謹慎極まりないこと言ってんだと、非難めいた視線を向けると、鈴木がおかしそうに口を大きくあけて大笑いする。

「あははははっ!まあ、内藤ならそんな心配はないだろうがな。たま〜に、そういう目的で保健室を使おうとする輩がいるもんだから、全員に言ってることだ。気にするな…じゃあ、頼んだぞ?」

笑い声を乗せたまま、鈴木はポケットから片方の手を出してあげると、今度こそ本当に職員室へと歩いて行ってしまった。

なんか、ぶっ飛んでんなぁ…。

しかもあの笑い方…もうちょっとしおらしくすりゃ、生粋の美人校医ともてはやされるだろうに。

あの人、喋り方と笑い方で絶対損してる。

俺は、ため息を漏らしつつ、保健室のドアに手をかける。

と、そこで、先ほどまで自分を取り巻いていた焦燥感のようなものが、幾分か和らいでいるのに気付く。

思わず、ドアに手をかけたまま後ろを振り返ってしまった。

そういう意味だったのか…


――――…って、ことで。少しは冷静になれたか?


ドアの前に立ちふさがるように立って、話をしていた鈴木。

俺の視線や態度などから、中に入りたがっているのはわかっていたはずなのに、一向に入れようとはしなかった。

だけど、ああして話をしていなければ、俺はあの勢いのまま明美に詰め寄っていたかもしれない。

――なにやってんだよ、明美!だから言っただろ!!

なんて、声を荒げながら、自分の意見だけを押し付けて。

そうなることをわかってたのか?…鈴木のヤツ。

だからワザと俺を落ち着かせるために、この場所に留まらせたのか…


――――ちょっとは須藤の心の裏側に耳を傾けてやるくらいの余裕ができたろ。


俺は、鈴木の言葉を思い出しながら、ゆっくりと静かに保健室のドアをあけた。




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