Magical hand 番外編


− 傷跡 −




――――チビデブス。


それが俺の彼女、須藤明美の小学校時代から高校2年までの裏のあだ名だ。

チビでデブでブス…だから、略して『チビデブス』

誰が言い始めたのか知らないけれど、全くふざけたヤツだと思う。

人をバカにした言い方。そいつの神経を疑う。

そのくだらないあだ名をつけたヤツに、今の明美を見せ付けてやりたい。

こいつの、どこがデブでブスだって?って。

お前、女を見る目ないんじゃないの?って。


まあ、背のことはいくら頑張っても伸ばす事は出来ないから置いておくけれど、明美は高2の秋口から半年かけて死に物狂いでダイエットに励んだ。

最初は、惚れた男の彼女になるために。

それが、自分をあざ笑う為の約束だったと知ると、今度はそいつを見返すために。

あいつは毎日毎日頑張った。

最初こそ弱音を吐いていたけれど、本来生まれ持っての性質がそれを許さなかったんだろう。途中からは、一切弱音を吐くことはなかった。

俺の立てた少しきつめのメニューも、文句も言わずにこなし、あいつは見事、誰が見ても納得する美少女へと変化を遂げた。

それを明美は俺のお陰だと言うけれど、明美自身が頑張ったからこその結果。

ずっと傍で見てきた俺が、それを一番わかってる。

俺は、ほんの少し手を貸しただけ。土台を変えたのは、明美自身の力だ。


正直、明美はすごいヤツだと思う。

『チビデブス』と陰で罵られていると分かっていても、明るく振舞い、いつも笑顔を絶やさなかった。

こう、と決めたことは最後まで絶対にやり遂げるし、人一倍努力もする。

俺の幼馴染でクラスメイトの美和が、一発で明美を気に入ったって言ったことが、俺にもわかった。

女子達の間では、人気者だということも。

陰ながら傍で見てきた彼女の姿…

元気で明るくて、頑張り屋。

だから惚れたんだ…須藤明美に。

まさか自分の彼女になるだなんて思ってもいなかったけれど。


元々顔のパーツが整っていた明美は、痩せてそれが浮き彫りになって、誰もが羨む、誰もが認める、綺麗で可愛らしい女の子になった。

まさに、美少女と呼ぶに相応しい容姿。

だから3年になってからは、明美の事を『チビデブス』というあだ名で呼ぶやつはいなくなった。

逆に、言い寄る男たちが増えて、俺の悩み事が増えたのは言うまでもないけれど、一先ず、明美は今まで自分を罵っていた人物になど靡くわけがないと言い切っているので、それを信じることにしている。

その美少女が俺の彼女だなんて、未だに信じられない話だけど、俺は別に外見に惚れたわけじゃないから、もしまた体重が元に戻ってしまったとしても、気持ちは変わらない自信がある。

……と、いうより。俺は、その『チビデブス』と呼ばれている頃から明美に惚れていたわけだから、変わるわけがない。

そう、断言できる。

だけど、明美にとってはそれは許されない事らしい。

10年もの間、自分を苦しめてきた体形に戻ることは…。

そりゃ、太っているよりは痩せているほうが健康面から見てもいいと思う。

だけど、そこまで気にしなくてもいいと思うんだ、俺は。

体型で人間性が変わるわけじゃないんだし、明美は明美らしくいられればいいんじゃないかって。

そう思っていたから、俺は気付けないでいた。

『チビデブス』という呪縛から解き放たれたと思っていたのは俺だけだったなんて。

明美の中には、まだ根深くそれがはびこり、苦しめ続けていたなんて。

きっとそれは、俺が高校に入ってからの須藤明美の姿しか知らなかったからだと思う。

元気で明るくて、頑張り屋の明美の姿しか。




***** ***** ***** ***** *****





「ご馳走様でした」

――――昼休み。

俺はクラスが別れてしまった明美と一緒に、裏庭のベンチに座って弁当を食べていた。

ちょうど木陰になっているこの場所。

時折湿度の高い生暖かい風が、俺の頬を撫でるように吹き抜けていく。

その風に乗って届いた明美の声にふと顔をあげ、箸と弁当箱を一緒に片手で持つと、あいたほうの手でシャツを掴んでパタパタと数回扇いだ。

夏本番というにはまだ少し早い今の時期。

なのに、既にもう気温は本番かと思うほどに高い…。

風も生ぬるいし…明日はもっと涼しい場所で食おう。なんて思いつつ、視線を明美の手元に移した。

以前より随分と小さくなった明美の弁当箱。

その半分も食べないうちに、彼女は早々に弁当箱の蓋を閉じてしまった。

「なに…もう、食わないの?」

「うん。だって、今朝体重を量ったら、1kg太ってたんだもん…」

「は?1kgって…そんなの、太ったうちに入んないだろ?」

俺は箸を握りなおすとミートボールを口に放り込みながら、呆れたようにため息を漏らす。

すると、間髪いれずに明美が返事を返してきた。

「入るよ!これで気を許したら、どんどん体重が増えてまた元に戻っちゃう!!」

「あのなぁ…前の晩に食ったメシの内容で、1kgぐらい上下するっつうの。それに、メシを減らすダイエットは必ずリバウンドして倍以上になるぞって、前から言ってるだろ?気になるなら食った分、運動すればいいじゃん」

「してるよ。幸一が立ててくれたダイエットメニュー、今でもちゃんとやってるもん。腹筋とか背筋とか足あげとか…あれを回数増やしてるし、走る以外のものは毎日やってる。なのに、1kg増えるっておかしいでしょ?絶対太り始めてるんだって」

そう、明美は必死に訴えてくるけれど…


ちょっと待てよ。回数増やしてって…一体どんだけの量をやってんだ、こいつ。

相当な量だぞ?俺が立てたメニューって。

提案したからには自分もしなきゃいけない気がして、俺も毎日やってるけれど、結構辛くて回数減らしてやってるっていうのに…明美は更に増やしてるって?

信じられねぇ…


明美の言葉に目をまるくしつつ、俺はゴホンと軽く咳払いをしてミートボールを飲み込んだ。

「だからってメシを減らすのはダメ。俺が許さない。体壊したら意味ねえだろ?」

「そう言われても無理。食べたくないもん」

「お前なぁ…無茶なダイエットはすんなって。倒れたらどうすんだよ」

「大丈夫。体だけは丈夫だから、私。1食や2食抜いたくらいで倒れたりしないもん」

「ダメだって。食えよ…そんなので痩せたって意味ねえって」

「嫌。体重が落ちたらまた食べる。だから今は食べたくないし、もう食べない」

明美はその宣言通り、弁当箱を可愛らしい模様の布でキュッと縛ると、小さなカバンに仕舞ってしまった。


……強情っぱりめ。


こうなると、テコでも自分の意志を曲げない明美。

俺がここで何を言っても聞き入れないことは、この半年弱の付き合いから学んだこと。

こういう時は、この性格もちょっとクセモノだと思う。

暫く様子を見て、食わせる方法を何か考えよう。

俺は諦めの意味も込めて、はぁ。と、ため息混じりに言葉を吐き出した。

「あっそ。じゃあ…好きにすれば?」

その言い方が気に入らなかったらしい。

明美は口を尖らせ、ムッとした表情を見せた。

「なによ、その言い方…」

「は?その言い方って…他にどう言えばいいんだよ。俺が何を言っても明美は食わないんだろ?じゃあ、好きにしろって言うしかねえじゃん」

「だからってそんな言い方しなくてもいいじゃない。1kg太ることがどれほど私にとって恐怖なのか、幸一にはわかんないよ。私の気持ちなんて、幸一には絶対わかんない」

今度は俺のほうが少しムッとした。


お前こそなんだよ、その言い方…

絶対わかんないだなんて言い切りやがって。

メシ抜きダイエットなんて、リバウンドすることが目に見えてるからやめとけって忠告してんのに…


徐々に険悪になっていくこの場の雰囲気。

この予想外な暑さが手を貸していたのかもしれない。

「あぁ、わかんないよ。俺は今のままでも充分だって言ってるのに、俺がお前を綺麗にしてやるって言ってるのに、それを無視して勝手にやろうとしている明美の気持ちなんかわかんない。その弁当だって、お袋さんがお前のことを思ってカロリー計算しながら毎日作ってくれてんだろ?その思いやりを半分以上残して、申し訳ないと思わないのか?」

その言葉に、明美はグッと唇を噛んで押し黙った。

少し言い方がキツかったか…

そう思いはしたけれど、俺の口は止まってはくれなかった。

「大体、あの頃目標に掲げてた体重より、更に2.3kg減ってんだろ?充分過ぎるくらい痩せたじゃんか。それ以上痩せてどうすんだよ。もっとみんなから注目されたいのか?俺の心配事を更に増やしたいのかよ。それともなに、骨と皮だけになりたいのか?やつれて、ガリガリになったら気が済むのかよ…」


――――俺は、そんな明美の姿なんて見たくない。今で充分なんだから、それ以上痩せようなんて思うなよ。


とは、続けることが出来なかった。

「誰もそんなこと言ってないじゃない!!」

と、明美の大きな声がそれを遮ってしまったから。

明美は、何とも言えない表情を浮かべ、唇を噛み締めながら俺を睨みつけてくる。

「なんでそういう言い方するのよ!なんでわかろうとしてくれないの?!私がどんな思いで過ごしているか…幸一からそんな風に言われるなんて思わなかった。サイテー…すごいムカツク!」

さすがの俺も、この言葉にはカチンとくるものがあった。

人が心配して言ってるのに…

明美のことを思って言ってるのに…

それがなんで…

「サイテーって…なんだよそれ。ムカツクって、俺のほうがムカツクだろ!心配して言ってやってるのに、お前こそ何もわかってねえじゃん!」

「誰も心配してくれだなんて頼んでない…」

ボソッと顔を背けて呟かれた言葉。

完全に、頭の中でプチンと何かが切れた。

「あぁ、そうかよ。じゃあ勝手にしろよ…もう、知らねえよ」

俺は食べかけの弁当箱の蓋を閉めると、乱雑に袋に放り込んで立ち上がる。

すると、明美の口からも負けじと言葉が放たれた。

「幸一に言われなくても勝手にするもん…暫く、口も利きたくないから話しかけないで!」

「言われなくてもそのつもりだから」

俺は明美の顔も見ずにそう言い残し、彼女を置いて一人その場所を立ち去った。




***** ***** ***** ***** *****





なんでこんな展開になってるんだよ。って、教室に向かって歩きながら思った。

喧嘩したいわけじゃないのに…

ただ、俺は明美のことが心配なだけなのに。


なんであいつは、それをわかってくれないのか。

なんでそこまで体重に拘るのか…

なんで…1kg程度増えたぐらいでそんなに大騒ぎするのか。

誰が見たって今の明美は、華奢でスタイルが良くて、可愛らしい女の子なのに。

俺にとっては充分すぎるほど、勿体無いほどの女なのに。

なんで今の自分で満足できないんだ…

なんで更に痩せようとするんだよ…

俺には、明美の気持ちが理解できなかった。




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