Happy Bear(仮)


白馬に乗った王子様、的な ...04

いつまでもトイレに篭っているわけにもいかないので、私は気合を入れ直して外に出た。

言ってもあと30分くらいで帰れるよね。みのりさんが折角段取りしてくれた合コンだから先に帰って水をさすわけにはいかないし……

と、再び気合を入れて出たはいいけれど、早々に心が折れそうになった。

「あ、彩ちゃんはっけ〜ん♪」

運悪く、ちょうど男子トイレから出てきたらしい染谷さんと偶然鉢合わせ。

にんまりと得体の知れない笑みを浮かべられ、本能的に一歩足が下がる。

「な、さっきは邪魔が入っちゃったからさ。本気で考えない? 俺とのデート♪」

またその話。 本当にしつこいこの人。

「いえ、しません」

散々相手をして辟易していた私はもう、顔に笑みを浮かべることもなくきっぱりと言い切って彼の前を通り過ぎようとした……

「……っ?!」

けれど突然ギュッと腕を掴まれて行く手を阻まれてしまった。

「なっ?! ちょっ…離してっ」

「なぁ、いいじゃ〜ん。そんな冷たいこと言わないでさぁ。一回だけ、な? 一回だけ♪」

一回だけ、一回だけってほんっとにしつこい!!

だから彼女も出来ないんじゃないですかっ!? と、言いたいのをグッと飲み込み、離して!ともがく。

だけどいくらもがいても腕が解放されることはなく、更には引き寄せられて肩に腕までまわされてしまって。タバコと口臭となんだかわからない臭いが私の鼻をつき、思わずウッと眉間にシワが寄った。

「な、な? 彩ちゃん、いいじゃ〜ん♪ 彩ちゃんってさ、処女だろ? 俺っちが優し〜くしてあげるからさ♪」

なんなの、一体?! 話が変わってきてる!! 処女って何? デートじゃなくて、それが目的だって事?!!

ようやく彼の本当の目的を理解して、サッと顔から血の気が引いていくのがわかった。

「はっ、離してくださいっ! ヤダ、離してっ!!」

「だ〜いじょうぶ。やさし〜く、するからぁ」

「嫌っ、離してっ!! はなっ…してっ! 離してってば!!」

何度言っても離してくれず、逆に腕の力は強まるばかりで。 引き寄せられ、髪に顔を寄せられて、あぁ〜、いい匂いだ〜♪ なんて呟かれた瞬間、ぞぞぞっと悪寒が背中を駆け抜けた。

体を捻り、突っぱねて、何とか逃れようと暴れてみても、酔っ払いとはいえ相手は男性。力の差は歴然で、私の抵抗などなんの意味もなさない感じで軽くあしらわれてしまう。

トイレから出てくる人も怪訝そうな顔をするだけで助けてくれる素振りもなく、段々と泣きたい気分になってきた。

誰か…誰か助けて!!

そう、心の中で叫んだとき、ふと、私にまとわりつく染谷さんの腕から解放された。

あれだけ暴れてもビクともしなかったのに、いとも簡単に解放されて放心状態のまま顔をあげると、そこには染谷さんを背後から抱え込み、動きを封じているこの店の店員さんらしき姿がチラリと見えた。

「お客様、店内でそういう行為をなされるのはおやめください。他のお客様の迷惑にもなります」

「あぁ?! あんだと、コラぁっ!!」

「聞いていただけないのであれば、ここからすぐに出ていただくことになりますが……」

「あてっ、イテテテ! ちょっ、おまっ。痛いって!! 離せや、コラぁっ!!!」

どんな状態でどうなっているのか、私には詳しいことはわからないけれど、後ろから羽交い絞めにされている染谷さんの顔が苦痛に歪んでいるように見える。それでも吠え続ける染谷さんの態度に、店員さんは店内の誰かに合図を送ったのか、すぐに恰幅の良い見るからに迫力のある黒人さんが現れて、暴れる染谷さんを抱え上げて連れ出してしまった。

この一連の流れをポカンと見ていた私。店員さんに声をかけられるまで少しの間意識が飛んでしまったようにボーっとしていたようだ。

「お客様、大丈夫ですか? お客さま?」

「え……あ、……はい。大丈夫…だと、思います」

ありがとうございます。と告げた声が意外にも震えていて自分でも驚いてしまった。

気づけば手も足もガクガクと震え始めていて、今しがたの出来事に恐怖を感じていたのだと今更ながらに痛感する。

私をジッと見ていた店員さんは労わるように私の肩に手を添えて、お客様、こちらへ。と、何故か客席とは逆の、関係者以外立ち入り禁止と掲げられた先にある階段を下りていくように促す。

まだ頭がほんの少しボーっとしていた私は、促されるままに店員さんに連れられて階段を下りた。



*** *** *** *** ***



店員さんに連れてこられた先は荷物が雑に置かれている従業員の休憩室のようだった。

長テーブルの近くの丸椅子に座るように促され、私はそれに素直に従って腰を下ろす。

「大丈夫だった?」

そう言って店員さんが私の目の前に片膝をつくように屈みこんで見上げてくる。

先ほどは気が動転していたのもあって気づかなかったけれど、目の前に現れた顔が、びっくりするほど整っていて思わず反射的に顔を後ろに引いてしまった。

白馬に乗った王子様……的な?

「あ、だっ、大丈夫です……ありがとうございました」

「暫く落ち着くまでここにいるといいよ。ちょっと雑然としていて申し訳ないけれど、その顔で戻ったらお友達も心配するでしょ?」

「え……?」

店員さんの言っている意味がわからなくて首を傾げると、少し困ったように笑いながらスッと親指の腹で優しく目元を拭ってくれる。

そこで初めて自分が涙を流していたんだと気がついた。

「あ、わっ! すいません…私、泣いて……」

慌てて自分でも両手の指先で目元を拭う。

その様子にクスッと安心したように小さく笑ってから、店員さんはポンと私の頭に優しく手を置いて立ち上がった。

「俺は、ここのCLUBを任されている江本大輔(えもと だいすけ)って言います。何かあったら遠慮なく言ってくれていいし、暫くここにいてくれていいから。お友達には俺から状況を伝えておくし……あっ、お茶…が、いいかな?」

「え?あ、いえ……その…大丈夫です」

「そう?じゃあ、何か飲みたくなったら飲み物はその角にあるから適当に飲んでくれていいからね。ところで、間違っていたら申し訳ないんだけど、君ってもしかして……」

「…………?」

そこまで言いかけて誰かから呼ばれたのか、その江本という店員さんは耳につけたイヤホンを押さえつつ胸にある小さなプラスチックの筒を摘んで何やら小声で指示を出した。それから一つ息を吐くと、ごめん、行くね。と、私を見て爽やかな笑みを浮かべ、休憩室のドアまで歩いて行くと、そこから一旦顔だけを外に出して誰かを呼ぶ。

「捺っちゃん……捺っちゃん? あぁ、ごめん。こっち来てくれる?」

そう言われてひょっこりとドアから顔を見せて入ってきたのは、お人形かと思うくらい華奢で可愛らしい女性だった。

「大ちゃんさん、どうしたんですか?」

「ごめん、捺っちゃん。悪いんだけど、彼女についててあげてくれないかな。ちょっと性質の悪い酔っ払いに絡まれちゃって」

「うわー、そうなんだ? うん、いいですよー」

「ありがと。その酔っ払いがまだ外で喚いてるらしくて、ちょっと行って来るから。じゃあ、宜しくね」

そう言って慌しくドアを出て行こうとして、何かを思い出したのか彼が、あっ。と言って数歩戻ってくる。それから真っ直ぐに私の目を見て言った。

「よかったら名前、教えてもらってもいいかな」

「え? あ、はい。春野彩と言います。あのっ…今日はありがとうございました」

慌てて立ち上がって深くお辞儀をすると、クスクスと笑い声が頭上から聞こえてきて頭をポンポンと優しく叩かれた。

「春野彩ちゃんね。いえいえ! 大事にならなくて良かった」

じゃあ。と、今度こそ本当に江本さんは爽やかな笑顔を残して走って行ってしまった。

「大変でしたね、大丈夫ですか?」

江本さんを見送って一呼吸置いていると、私に座るように促してくれながら先ほどの「捺っちゃん」と呼ばれた女性が声をかけてくれる。

その彼女が寄ってきた際にフワッと届いた心地よい香水の香りに、張っていたものが幾分か和らいだ気がした。

「あ、はい。もう、大丈夫です。ありがとうございます」

「ホント、酔っ払いって嫌ですよね! 蹴ってやればいいんですよ、酔っ払いオヤジなんて」

可愛らしく頬を膨らませながら、えいっと蹴る振りをする彼女の様子に思わずフッと笑みが洩れる。

彼女もまた、それに安心したような笑みを浮かべて私の前にある丸椅子に腰掛けた。

彼女の名前は、綾瀬捺さん。来年の春には高校を卒業するそうで、大学には進学せず専門学校に進むことに決めた彼女は卒業までの間、ここでバイトをするために学校には内緒で雇ってもらったそうだ。

本当はホール希望だったけど、学校関係者に見つかる危険性もあるし、何より付き合っている彼氏が猛反対したんだとか。そりゃ、これだけ可愛い彼女だったら彼氏もそんな場所に出したくないだろう。と、こんな私でさえ酔っ払いの染谷さんに絡まれたんだからと先ほどの出来事を思い浮かべて苦笑が洩れる。

「だからね、ずーっと裏方の仕事ばっかなの」

面白くな〜い。と言って、プッと口を尖らせた彼女は現役の高校生の表情に戻っていて。その言い方がおかしくて微笑みかけた私だったけれど、ん? と、ある事に気がついた。

あれ……高校3年って事は17とか18歳? え……私よりも2つ下?!

あまりにも大人びた色気があったので、私と同じ歳か年上だと思っていただけに年下と気づいて幾分かショックを受けた。

でも、彼女はとても話しやすくて、私にしては珍しくすぐに打ち解けられた気がする。

そうして暫く彼女と他愛無い話をしていると、突然、休憩室のドアが開いて、おはよーっ。と、長身の男の子がのそりと入ってきた。

見ればこれまたかなりな美形の持ち主で、思わずあんぐりと口が開く。みのりさんの彼には申し訳ないけれど、彼のお友達とは比べものにならないほどのカッコ良さだ。

さっきの店員さんもそうだったけど……ここのCLUBって美形揃い?

「あ、優哉。おはよー。今日は早いね?」

「うん。途中まで捺と同じシフトだったからね。少しでも長くいられたらって思って。そう言えば、大ちゃんが下で酔っ払いとモメてたみたいだけど、アレ…うちの客?」

「あ、うんー。そうそう、うちの客らしいー。それでね、彩さんが迷惑被られたんだよね?」

と、そこで、初めて気づきました。とでも言うように、「優哉」と呼ばれた男の子がこちらをチラリと見た。それから私に向かって軽く頭を下げて会釈すると、大丈夫でしたか? と、声をかけてくれる。

「あ、はい。ありがとうございます。もう、大丈夫です」

そう応えたけれど……

なんだろう。同じトーンなのに、彼女と私に対する彼の雰囲気がまるで違うような……? 気のせい、かな??

でも、彼女の事を呼び捨てで呼んでたし、少しでも長くいられたらとか言ってたって事は彼が彼女の彼氏?

だったら凄いなぁ……美男美女カップル。私、初めてみたかも。こんな芸能人のような美形の子たち。

もしも本当にこの二人が付き合っていたら、かなり絵になるよね。

なんて。実際付き合っていることを知らない私は、仲睦まじく会話をする二人を眺めてそんな事を思うのだった。