恵方巻き

 節分






 どうしてこうなってしまったのか。
 いや、こうなる事は想像に易く理にもかなっていたが、そう思わざるえなかった。
 西国・商人の街大坂では節分に、豆まき行事と並び恵方巻きなるものが流行っている。七福神に見立てた七つの具材を巻いた太巻きを作り、その年の恵方に向かい食べるというもの。その巻き寿司の食べ方には決まり事がある。巻き寿司は“縁”を見立てるものであるから切ってはならぬ事と、縁を逃さぬよう願いを心の中で唱えながら無言で食べるという決まり。
 そんな変わった行事ごと、元来お祭り騒ぎ好きの若い主の耳に届けば『レッツ・パーティー!』などと言ってやり出す事は目に見えていた。行動として何ら不思議はなく、現実ものの見事にそうなった。
 厨房は侍女等総出で豆まき用の炒り豆と、城中で働く者に行き渡る数の巻き寿司作る作業に取り掛かり、城内は戦場と化する。ただ太巻きを一本丸々というのは、材料だけでも膨大な量になる上食べにくくあり、作る段階から具材を細めにして巻き寿司を細くし、食べやすくするため短くした。
 大半はそういった食べやすい巻き寿司を用意して振る舞うが……まぁ、主が主であるためそんな大人しい連中がこの城にいるはずもなく、長巻きの太巻きのまま無言で恵方に挑戦する阿呆が後を絶たず、しかもそれを笑わせたり話しかける事で験担ぎを阻止しようと狙う馬鹿も現れ、静かに黙々と食べるはずの行事は、一種異様なお祭りとなってしまった。
 そして勿論、このお祭り騒ぎをしかけた張本人が短かく食べやすい巻き寿司を選ぶ訳もなく、通常の長さの太巻きを選ぶのはそれはそれはよく解る話なのだ──が。

「……」
 毎年の大混戦の豆まきが始まる前にと、早めの夕餉として政宗の部屋へ茶と太巻きを運んで来た小十郎は、そのまま退席を許されなかった。
 主の言い分は“願い事をしながら食っている最中に邪魔が入ってはいけない”ので小十郎がそういった邪魔から政宗の身を守る警護としてここに居ろという訳だ。
 しかしながら常識的に考えて、政宗にそんな悪戯をしかけられるのは従弟の成実ぐらいであり、その成実も、何事も本気でとりかかる政宗に対し命をかけてまで悪戯するほど馬鹿でもない。つまり、言いつけられた仕事は“無駄な取り越し苦労”であるはずなのだが──
 恵方に向かい畏まって正座をし、不安定にぐにゃりと曲がる長い太巻きを両手でしっかりと掴むと、大きく口を開けてパクリと太巻きに食い付いた政宗の横顔を眺めながら、小十郎は土瓶から注ぎ入れた茶を彼の膝元へそっと差し出した。
 恵方に向かい黙々と食べ始めた政宗は口いっぱいに太巻きを頬張り、時折苦しげに“はふ”と息を吐く。
「……人と言葉を交わさぬようという約束事はございますが、休憩を挟むなという約束は入っておりませぬので、少しずつ、よく噛んでお食べ下さい」
「……」
 ちらり横目で小十郎の視線を確認すると、次の一口は舌を出し、そっとその上に太巻きを乗せてゆっくりと軽く口に含み、ニタリと、口元で笑えない分政宗は眼を細めた。
「!」
「……」
 一気に小十郎の顔が歪む。確信が頭痛を生んで。
 やはり知っていた──と。
 実はこの恵方巻きという行事は元々無かった。原形となる言い伝え等は確かにあったようだが、その原形が本来どんな形のものだったかすら分からなくなっているので“無い”に近い。では何故変わった験担ぎとして流行っているかと言えば、上方花柳で行われている卑俗なお遊びが外に出ただけなのだ。
 好きな芸子や芸者に縁を切らない験担ぎという名目で長いものを無言で食わせ、客はそういった行為を想像しつつその表情を愉しむという、全く品のない遊び。卑猥な妄想がより想像しやすいようにと外注で太巻きを頼んだ事から、寿司屋は“花柳で流行っている験担ぎ”として恵方巻きを広めた──というのがこの行事の本当のお話。
 つまり……元々そういう遊びである。
 溜息を一つついて視線を下げ、せめて彼のその行為が視界に入らない所へ移動しようと腰を浮かせようとした瞬間、行動を読んでいたようにパシッと膝を手で押えられた。
「……」
「……」
 流し目で退席を咎める主と、射貫く目で小言を語る従。
 なんという嫌がらせなのか。ここでヘタに小言を口にすれば政宗が反論に出てしまい喋ってしまうかも知れないので声に出して責める訳にもゆかず、眉間をいつもの二倍増し寄せ、鋭い眼光で注意するがやめる気配はなく、加えて悲しいかな、一度考えが偏ってしまうと人間の脳は中々元に戻らず。
 小十郎とて人間だ。
「……」
 溜息を吐いて目を閉じる。視界に入らなければいいのだと結論ついて、まるで修行僧の様に厳しい顔で目を閉じていると、膝の上に置かれていた彼の手に体重がかかり“何事か”と目を開ければ、政宗は太巻きを口にくわえ恵方を向いたまま、ズルズルと腰を横に移動させて、唖然としている小十郎の膝の上へ“よっこらしょ”とばかりに横座りに腰を据えた。
「ま、政宗さ」
「……」
 絶句する小十郎に対し、又もニタリと政宗は目で笑うと、小十郎の肩に片腕を引っかけた。
“あぁもうこの人は”と肩に掛かった腕の重みではない別の重みに、小十郎は疲れを感じ目を閉じると、凭れ掛けられながら、自由になっている手でぺちぺちと軽く頬を叩かれた。どうやら目を閉じるなと言いたいらしい。
 渋々目を開けると、太巻きをだらりと口に咥えたままこちらを見ている政宗の顔が目の前にある。
 手を添えられず咥えられたままの太巻きというのは情けなく垂れ下がり、その……あれである。
「政宗様、恵方はこちらではなくあちらにございます」
 そう言って軽く指差すのが小十郎の精一杯で。
 すると“分かっている”と言うように鼻で溜息を吐いた後、念を押すように又ぺちぺちと小十郎の頬を叩いてから政宗は横を向いて食べ始めた。
 さてここまで来て再び目を閉じれば機嫌が悪くなるのでそうもいかない。腹を括って見ていれば、微かに先端を囓るか囓らないかの食べ方を試してみたり、舌を突き出し、巻き寿司の中の具材を舌先で穿り返すと、中から三つ葉を一本引き抜き、唇から垂れ下がったソレをちゅるちゅると微かに音を立てて吸い上げる。
 最初とは違い、少し……というよりも米粒三つ四つ単位で囓るように食べるかと思えば、再び口いっぱいに含んでゆっくりと口を動かす。
 もう、完全にお堅い小十郎への嫌がらせだ。
 確か……何だかんだと理由をつけて彼に触れていないのはもう一週間と経つだろうかと、他人事のように小十郎は考える。
 こんな男の何処が良いのか。城主なのだからその一声でやって来る伽女はわんさかといるだろうに、自分と関係を成してからは一切と言っていいほどその話は聞かなくなった。まるで操を立てているような彼の姿が愛おしく、身の程を時折忘れてしまうのだが、それでは己にかせられた課せられた仕事がまっとう出来ない。
「政宗様、お好きなように食べて下さって結構ですが、どうか喉に詰まらせないように」
“本来の仕事”とばかりに顔色一つ変えずそう言う小十郎をおもしろくなさげに横睨みして、政宗はわざとらしい食べ方に飽きたのか、口の中に頬張っていた巻き寿司を一生懸命噛み砕き始めた。
 小十郎としてはそれはそれで昔を思い出す可愛らしい仕草に思え、無理して食べていたせいで彼の口の端に零れ付いていた米粒を、一つ一つ摘んで自分の口の中に入れ味わう。
「……」
 なにか言いたげにこちらを見つめるので、悪戯心も手伝い、最後に残っていた一粒を唇に挟んで取ると、彼は途端、顔を真っ赤にさせた。
 このどうしようもなく初心な悪ガキは、手間のかかる分小十郎にとってはどうしようもなく愛おしい存在だ。愛しいあまりに思わず頬を緩ませると、からかわれたと勘違いしたらしく、キッと凄味のある目で小十郎を睨みつけ、物言えぬ状態を何とかしたいと思ったのか、残りの太巻きを一気に口の中へ押し込めた。
「! 政宗様っ、そんなに慌てて食べては」と、言うと同時に「コフッ」と政宗は小さく噎せた。
 慌てて茶をと思うが膝の上に座る政宗が邪魔になり、先刻政宗へと差し出した茶碗に手が届かない。しかも立ち上がろうにもその政宗が膝の重石としてのっている。
 ハッとして身体を少し横へ傾かせて手を伸ばし、何とか茶の入った土瓶の方を手に取った。
 土瓶自体を手で触れると“温かい”程度ではあるが、このまま土瓶の中の茶を彼に飲ませるにはまだ少し熱いかも知れない。
 小十郎は躊躇いなく土瓶の中の茶を口に含むと、政宗を抱き寄せ、顔を上向かせて口内へと流し込んだ。
「──っふ、」
 コクリと白い喉を上下させ口の中にあったものを飲み下すと、政宗は少しトロリとした瞳で小十郎を見る。
「大丈夫ですか?」
 すると、もう巻き寿司を食べ終えたので喋る事が出来るというのに政宗は喋らず、小十郎を眺めながらトントンと唇を指先で軽く叩く。小十郎は困ったように笑うと、もう一度土瓶の口から茶を含み、促された彼の口へと流し込む。
 コクリコクリと小十郎の中で人肌の温度に調えられた茶を飲みながら、政宗はもう片方の腕も首にかけ、小十郎の口内へと舌を差し入れる。
 トロリと、彼の口端から移されていた茶が零れた。
 発せられる鼻にかかった甘い吐息に、引き寄せていた小十郎の手に力が籠もる。その動きに触発されるように彼も激しく舌で小十郎の口腔を探る。久しぶりの口付けは、ただそれだけで思考がプツプツと途切れるような錯覚を覚えた。
「ふぅ……ぁ」
 息をするためにやっと唇を離すが、息を吸って肺に空気を入れればすぐさま政宗は唇を押し付けニコリと笑った。
「なんだこの美味い茶は。甘かったぞ?」
「いつもの、茶でございます、が」
 小十郎が話しているのもお構いなしに政宗はチュウチュウと唇を押し付けてくる。
「政宗様」
「なんだ?」
 咎めるように名を呼んでも一向に口付けはおさまる気配無く、小十郎は諦めたように溜息を吐いた。
「それにしても小十郎」
「はい?」
「この恵方巻き、想像していた以上に御利益があるぞ」
「御利益……でございますか」
「あぁ、願った事がすぐさま叶いそうだ」
 にぃっと唇の両端を上げてから、政宗は再び小十郎の唇へと食らい付き始める。
もうこれは、別の腹も括らなければならないらしい。
「ところで政宗様」
「Aa〜?」
 さぁ押し倒してやろうという体勢を取ろうとした政宗は小十郎の言葉に『まだ抵抗するか』と言わんばかりの顔で睨み付ける。
 ……この後、いつまで解放されなくなるのだろうか。
「豆まきがまだ残っておりますが」
「豆まき?」
「えぇ、豆まき」
 鼻先の政宗へメインイベント豆まきを話題を振り、先延ばしか時間短縮を望むが、政宗は少し考える素振りを見せるだけで小十郎に抱きつき直し、またキスをした。
「するわけねぇだろ」
「はい?」
「今から恵方で願った鬼との縁結びだってぇのに、その、せっかくの鬼に逃げられちまったらたまったもんじゃねぇからな」
“まな板の上の鯉”とはこういった心境なのだろうか? しかしこうもニコニコと上機嫌に微笑まれると、出すものは白旗しか無く、小十郎は白旗の代わりに軽く口付けた。
「後から豆まきをしなかった事、後悔しないで下さいよ?」
「安心しろ。“独眼竜”は福も鬼も身の内なんだよ。」
 真正面に向き合えるように政宗は小十郎の身体を跨ぎ直すと、ピタリ、腰と腰を擦り寄せて口付けるが、擦り付けている間、ハタと思い出したように顔を上げた。
「そうそう、安心しろ小十郎」
「?」
「小十郎のモノは食い千切らないように、やさぁ〜しく喰ってやるから」
「……」
 満面の笑顔の政宗を前に“どうしてこうなってしまったのか”と考えずにはいられない小十郎だった。










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 まぁあの、節分後に思いついた節分ネタです。
最初は拍手用に作っていたのですが、ダラダラと長くなってしまいました。
いつもの悪い癖です。ハイ。
 さて、このお話には嘘がいっぱいあります。(いつもの事ですが)
確か米酢と板海苔は江戸中期だったか末期だったです。
恵方巻きに関しては、時期は違いますが本当の事です(花柳のお遊び)
芸子や芸者は芸を売る人であり、身体を売る人ではないので、
余計にこういう遊びが流行ったのだと思います。
 もっとその、あっちな方向に......とも思ったのですが、
取り敢えずこの程度で。(笑)
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