bitter&sweet

 バレンタイン








 この時期、この日、伊達家の厨房は毎年戦場となる。
 女中は忙しなく働き、今年大活躍は蒸し器なのか、その隙間から湯気を途切らせる事はない。一定の火力を保つため、竈に薪が燃べられるお陰で (くりや) はぽかぽかとして、真っ白な銀世界の外とは打って変わり、日だまりのような温かさ。いや、動いて働いている分暑い。
 襷をかけ、髪を束ね、額に手拭いを巻き、料理役も女達も必死である。
 そんな中、その女達に指示を送っているのはこの城の城主・伊達政宗であった。
“男子厨房に入るべからず”──等という言葉があるが、料理をするのは女性と決まったものではない。少なからず男の料理人は多い。が、城主が先陣切って料理の腕を振るうのはやはり珍しい。

「おーおー。やってるねーやってるねー」
 甘いモノに群がる蟻のように、厨房から漏れ広がる匂いに誘われて厨房の木戸に山と群がる若い部下達の背中へ、成実は意地悪な笑みを浮かべながら声をかけた。
「し、成実殿! こ、小十郎様っっ!!」
 成実の姿を見ただけでも部下達は慌ててわらわらと木戸から離れ、正座して姿勢を正すが、その後ろに小十郎の姿を見つけるやいなやそのままカチコチに固まってしまった。
「ひゃひゃ。毎年の事ながらそりゃ政務も稽古も身に入らなくなるわなぁ。こんないい匂いをさせて気になる事されてちゃぁ」
 笑いながら成実が後ろの小十郎に視線を移せば、男は仕方なさげに同意の溜息を一つ零す。
「まぁこの時期ですから……大目には見ますが」
「寧ろこの時期だからこそ、羽目を外して楽しめるんだしなー」
 成実の軽く弾む声とは裏腹に、小十郎の意識は少々沈んだ。


 まだ雪深い二月。節分の過ぎた奥州筆頭の住まわれる城では、毎年変わった風習がいつからか催されることとなった。
 南蛮・伴天連好きの政宗が説明するところ“ばれんたいん”という風習は、己の親愛なる者へ、日ごろの感謝を込め甘い物や花を贈るのが習わしだと言うことだ。これには“ちょこれいと”なる黒くて苦い薬の塊のような板を贈るのが定番の習わしだそうだが、海を渡った国では味覚が違うのか、あまり美味しいものではなく、しかもその“ちょこれいと”たる物の高さと言えば半端ではない。
 この国ではない他国の、その儀式めいた行事をまだ幼かった政宗が、少しの好奇心とちょっとした憧れと、そして何らかの期待を混ぜた瞳で黒い破片を渡してくれたことを、小十郎は今でも昨日の事のように覚えている。
 何を欲しがることなく仕える自分に対して、まだ目に見えて何と返すことの出来なかった政宗が、色々と考えて気遣ったその心が大層嬉しかった。
 が、さっきも述べたように、あまり美味い代物ではなくしかも馬鹿高いチョコレートに対し、その頃から政宗は戦闘意識を燃やし始めたのだった。
 コストを抑え、より美味しく食せないものかと毎年この時期になると調理方法を考え始める。冬という時期のため暇もあり、チョコレートに対する戦闘意欲を削がれる有事も起きないので、毎年毎年試行錯誤が重ねられ、レベルアップをしていった。
 最初は政宗と喜多だけだったが、そのうちに女中や料理役も混ざり、美味しさもコスト的なものもどんどんと進化し続け、チョコレートの料理や菓子が沢山作れるようになり出すと、政宗は手伝ってくれた女中や料理役にそのちょこれいと料理を分けてやるようになった。ばれんたいんの逸話をつけて。
 すると、ある女中が自分で食べるには甚だおしい事と、逸話を思いだし、好きな者に告白をかねて渡したところ、二人の間は上手くいったのだ。又、料理役も親愛なる友と一緒に食べたところ、武功等が上がったという……少々うますぎる話ではあるが、偶然にも実際そういったことが起こってしまった。
 それからというもの好きな者がいる女共は、政宗の料理を手伝い、ちょこれいと料理を分けてもらおうと増える一方であるし、武功が高まるということで、伊達軍の者に振る舞われる一大イベントとなってしまった。


「鬼を祓った後、内に入れる福のちょこれいと料理ってヤツ、俺は好きだけどなぁ」
 上機嫌にほろ苦く甘い匂いに鼻を鳴らす成実とは対照的に、小十郎は又溜息を吐く。
「しかし使用するちょこれいとの額を考えると……よく小林殿が黙っておられる」
「へ? そんなに高いんだ。だけどよぅ、士気は高まるし、春になったらポコポコ縁談まとまったりするし、秋になったら収穫祭みたいに子供出来るし、めでたいことずくめで俺は好きだぜ」
“最後の例えはどうかと思うが……”と眉を寄せながらも小十郎は異を唱えない。
 実際そうなのだ。
 士気や心の結束などは金で買えるものではない。しかも縁談や子宝というのも、意図してなんたると出来なくもないが、こう、自然の流れに沿ったというものが貴重であることは確かなのだ。
 幼い政宗が自分を気遣いくれたあの黒い小さな破片が、こういった行事になっていることが不思議にも、そして嬉しくも思う。
「こっとしのちょこれいと料理はなにかな〜?」
 そういって木戸の隙間を覗こうとする成実の襟首を、クイッと小十郎は引っ張った。
「もう少し待たれてはいかがですか? 焦らずとも頂けますから」
「えー! 確かに貰えるには貰えるがよぅ、どうせなら可愛い子から貰われたいじゃん。告白付きで」
 固まって正座していたはずの若衆達が一斉に“うんうん”と頷く。この統一感がいつも欲しいと小十郎は呆れた。
「小十郎だって貰いたいだろぅ? ……つか毎年山のように貰ってるか」
「貰ってませんよ。毎年政宗様が可哀想に思って下さり、有り難くも直に頂けますが」
 素でそう言う小十郎に「あ゛〜」と成実は軽く唸るだけで喉のすぐそこまで出かかった言葉を呑み込む。“それって政宗様が直々に渡されることを女中連中が知ってるから渡すに渡せないだけじゃ……”と場にいた者は全員心の中で突っ込むが、口に出せるほどの度胸はない。
「ま、小十郎はいいよな。一番親愛で最愛の人から貰えるから」
 ちょっと揶揄や皮肉を交じらせた台詞で返してみるが、それに対して「えぇそうですね」と穏やかな笑顔で応えられるから、重症だと成実は確信する。
「とにかく、小十郎と俺達とは立場が違うの。若い俺達にとって、この隙間から見える先には浪漫が……」と、成実は懲りずに黒く細い隙間を覗く。と、ぎょろりと大きな瞳と視線がかち合った。
「ふんぎゃー!」
「なんだっ、成実。大きな声出しやがって」
 ガラガラと木戸がいい音を立て開かれると、もわり、外へと逃げ切れなかった熱気と甘ったるい匂いと共に、襷掛けした政宗が現れた。
「hamm.これはまたずいぶん揃いも揃って……」
 辺りに正座したままの若衆と腰を抜かした成実を眺め見てから、政宗は小十郎に視線を合わせた。
「お前も居るとは……意外だな。気になるヤツでもいるのか」
 面白半分といった感じで政宗は、親指で背後の厨房を指す。
「まさか。皆がこの状態で浮き足立ち使い物になりませぬ故、少々、」
「a〜……まぁ今日は見逃してやるにしろ、気合いの入れ直しだな」
 二人に見下ろされ、ビクリと反射的にその場にいた者は身震いする。
「それに、」
「それに?」
「気になる方は出てこられましたので」
 時間差で、ポンと政宗の顔が赤くなる。恥ずかしげもなく素直にそう言われてしまうと、意味を理解するのに時間を要してしまったらしい。
 珍しいものを見上げる視線と、腰を抜かしたままニヤニヤと笑う成実に、政宗は牙をむいた。
「テメェら、持ち場に戻れ! シゲ!! テメェもだっ!」
 突然落とされた雷から、ワッと蜘蛛の子を散らしたように退散する若衆の後を、ゆっくり「お邪魔虫は退散しますよー」と、余計な一言を添えて成実も退散する。
 小十郎はそんな彼らの後ろ姿を見送りながら、留まるべきか一緒に退散すべきかと、無言で政宗の瞳にお伺いを立てた。
「あぁ、小十郎はちょっとこい」
 ちょいちょいと手招きをして厨房に入る政宗の後に小十郎は続く。と、土間の縁側に、茶と皿に載った丸っこいちょこれいと菓子が用意されていた。
「これは?」
「今回の品だ。chocolateの蒸しまんじゅう。中は白あんにしてみた」
 なるほどと小十郎は思う。皮に練り込めば少ないチョコレートでも何とかなる。
 光沢のある焦げ茶色をした小さな蒸しまんじゅうの横に、小十郎は腰を据える。並んで政宗も座った。
「俺が直々に作ってやったヤツだぜ? 有り難く食えよ」
「はぁ……」
 と、少し浮かない調子の返事を思わず小十郎は返してしまった。それもそのはず。部屋にいる女中や料理役は持ち場にいるものの、ジッと小十郎に向けて突き刺さるような視線が外される事はなく、つまり、
 ──毒味か。
 毎年行われるようになり、チョコレートの味に比較的慣れている者達が多いとはいえ、まだまだ未知の味で未知の素材。
「鬼役なら慣れております故」
「a?」
「いえ、独り言でございます」
 そのままパクリと、一口サイズのまんじゅうを小十郎は口の中に放り込んだ。
 薄皮と白こしあん。だが、薄皮に練り込まれているちょこれいとの苦みが、上品な甘さを引き立たせていた。
「これは──大変美味しゅうございます」
「だろ!?」
 途端、刺さっていた視線がなくなったかと思えば、場に充満していた緊張の空気は解け、歓声は上がらないものの、一人一人の呼吸がとても喜ばしいものに変わったことを小十郎は肌で感じた。
 政宗もまた同じだったらしく、小十郎に屈託のない笑みを向けてから声を上げた。
「よーしお前ら、鬼の小十郎も唸る美味いまんじゅうだ。皆に振る舞う用意を!」
「ハイ!」と一層活気づく厨房の中で、小十郎は皿に載っていたもう一つも思わず口に頬張った。
 癖になる、上品な苦さと甘さ。
「美味いだろう?」
 それはそれは満面の笑みで顔を覗き込む政宗に、小十郎は「はい」と素直に応える。
「これは、こしあんの甘みを引き立たせるにも良い苦みですな」
「お前、前に言っただろう?『抹茶のようなものでしょうか』と」
「えぇ」
「だから、甘みも抑えてchocolateの風味が引き立つようにしてみたら、上手くいった。皮に練り込んでるし、結構大量に生産できるぜ」
「それはそれは、喜ぶ者が増えますなぁ」
「あぁ」
 パタパタと、女中達は忙しげに振る舞われるまんじゅうを用意し始める。その忙しさの中で政宗と小十郎がいる場だけは、切り取られた空間のように落ち着いた空気が流れ始めていた。
「こんなでっかいpartyになっちまったけどよ」
「?」
「Valentine.最初はお前を労うためにやった事が、今じゃこんなにでかくなっちまって。……でも、よかったと思う」
 胡座の上に肘を立て、顎肘をついて政宗は忙しなく働く女中を眺める。
「なぜ?」
 その言葉は疑問ではなく、続く政宗の言葉を柔らかく促して。
「女は──言えない。こんなに俺達と変わらずに考え、働き、支えてるってのに自分達からは何も言えない。気持ちすら……封じ込む。それが立場であるって言葉で片付けるなら簡単だが、それはやっぱり……辛いだけだ」
 どこか遠くを見て、思い出の中から言葉を探るように政宗はぽつりぽつりと呟く。彼の経験が、境遇が、決して女を語っている訳ではなく、人を語っているのだと小十郎の胸には届く。
「上手くいかなくてもさ、後悔は残らねぇし、自分という人間が好きだったものは何か再確認できる。もらった方もほら、自分は誰かに気にかけてもらえるって解るしな。今はすげぇいいpartyになったなと思ってる」
 片肘に変え、小十郎に向かい政宗は主の顔で微笑む。緩む頬を笑みに変え、小十郎も微笑み返した。
「本当に立派になられましたな。それにこのぱーてぃも、最初はこの小十郎を労っていただき生まれたもの。そのやさしいお心の賜です」
「労ってって、あ〜……」
 何かを言いかけたままその声を呑み込み、政宗は笑う。
「そうだぜ。俺のやさしぃー心の塊が今、お前の中に入ったんだ」
 つんっと隣に座る小十郎の腹を、政宗は人差し指で軽く突く。
「bittersweetだ」
「……それはどういった意味で?」
「secret.」
 政宗は笑ってそう応える。意地悪な返しだと解っているがこれくらいなら許されると。
「しかし……政宗様はこれほど多くちょこれいと菓子をお作りになってますが……ご自身は?」
「a?」
 変な質問をすると目で訴える政宗に、微笑んでから小十郎は立ち上がった。
「あ、おい」
 振る舞う用意の出来た者から一人ずつ消えてゆく厨房の棚の中を小十郎は覗き始める。
 不思議な行動をする背中を眺めていると、小十郎は少し背の高い重箱を取り出して戻ってきた。
「?」
 その重箱を政宗の横に置くと、今度は皿と箸を取りに行く。合間、政宗の視線は大きな重箱に釘付けだ。いったい何が出てくるのかと気になって、そろりと手を伸ばしかけるが耐える。これは、絶対待っていた方がいいと。
 戻ってきた小十郎は、子供のように目を輝かせながら行儀良く待っている政宗の姿を見て、気付かれない程度に笑みを零して元の席へと戻った。
「あの様な立派な物をいただいた後にこれは、少々気が引けるのですが……」
 蓋から視線の外れない政宗に対しいい訳をしながら、小十郎は蓋を静かに開ける。とたん、朝からずっと嗅ぎ続けていたチョコレートの良い香りが政宗の鼻をくすぐった。
「これ……は?」
 そこには食べやすいように切りそろえられた、以前食べた覚えのあるカステーラという食べ物に似たものが並んでいた。だが色は美しい焦げ茶色をし、チョコレートの香りがする。しかしその香り、自分が使用していた時に感じた苦い印象より、どこか甘い印象を受けるのは何故だろうか。
「政宗様のように凝った作りは出来ませんで……小十郎にはこれが精一杯でした」
 そう言われ、政宗の頭の中には疑問や質問がポコポコと湧き出、どれからそれを口に出そうかとしている間に、小十郎は一切れを皿に取って政宗に差し出した。
「お前、これ……」
 その後に続く言葉がありすぎて続かない。
「小十郎には政宗様のような料理の才能がないので苦労しました。貿易商と話して、かかおとやらの率が低い物なら何とか手に届きそうでしたので」
「買ったのか!? あんな高い物!」
「買いましたよ。高い物と認知していましたが、金額を聞いた瞬間、その場に倒れたくなりましたよ」
「ば……なにやってんだよ。勿体ない使い方しやがって」
「いいんですよ。無理はしていませんし金など必要な分あれば良し。それに小十郎は、政宗様のお側に居ることが出来るだけで十分です」
 さらりと恥ずかしい台詞を吐いた本人はその自覚なく、小皿に載った物を勧める。勧められるまま政宗は小皿を持ち、箸でそれを少し割いてから口に運んだ。
 それはふわふわとして、しっとりとして……とろけるように甘かった。
「うめぇ……。なんだこれ?」
「そう言っていただけると嬉しいですが」
「いや、本当に美味い。──何したんだ?」
 軽い敗北感と驚きと。今度は割かずに、残りをそのまままるっと口の中に押し込める。やはりふわふわとしてしっとりとして甘くて。重箱にきっちりと切りそろえられ、規則正しく並べられているそれからは想像のつかない味で。
「いえ……砂糖で味を誤魔化したのと後は……卵で嵩増ししました」
「卵!? 卵って卵だけか!?」
「はい。」
「嘘だろ? なんでこんなに……」
「溶かしたちょこれいとと黄身と砂糖とは別に、白身を泡立てました。──茶筅で。後は小釜を取り出し、その中で焼きました。」
 ぱっくりと口を開けたままの政宗に、小十郎は苦笑いする。
「なんとか……手に届く材料で嵩増しできないかと考えた、お恥ずかしい苦肉の策です」
 いたってシンプルな作り方と材料。だがそれが、素直に美味しくて。
「もう一個もらっていいか?」
「もちろん」
 空になった小皿に取り分け、政宗に差し出す。政宗はそれを受け取ると、何も言わず黙々と食べる。
 厨房にいた最後の一人が、二人に軽く頭を下げてから部屋を出る。気付いた小十郎は黙礼して見送るが、政宗は気付かず黙って口の中に広がる味を確認していた。
 ふわふわと、口の中に素直に甘く広がるチョコレートの味。
「政宗様はこの小十郎や部下に気を配り、この高価な物を振る舞われますが……政宗様も、振る舞われる立場になっていただきたく思いまして」
 小皿から、視線を小十郎に移す。すると自分を包むような笑みに迎えられた。

「政宗様は小十郎の、親愛であり、最愛の人ですから」

 混ざり気のない……これもチョコレートの味なのだ。
 微かなbitterと驚くほどのsweet。癖になりそうな素直な甘さ。
「……お前、これの味見したのか?」
「はい?」
 眉を寄せ、いきなり難しい顔をし始める政宗の顔を覗き込む。
 先刻“美味い”と言ったばかりだというのに、この表情とこの問いはおかしい。
「あ……。小十郎は切れ端を一枚食べましたが、枚数を食べられたのが良くなかったのかも知れませんね」
「甘い。酷い甘さだ。」
「それは失礼を。今、茶を」
「テメーも味わえ」
「!? 政む──」
 前合わせを掴み引き寄せる。
 口の中に広がるその甘さを、政宗は、男の口に流し込む。

 己を満たした、とろけるような甘さを。