ぷれぜんと

 クリスマス








 その日突然、朝から厨房は戦場となった。
 我が主である伊達政宗は、思い立ったら即行動の性質を持つ。確かに元々、新しい料理に腕を振るう趣味があったが、これほど大々的かつ大量に作るのも珍しい。即席とはいえ、料理用の変わった石釜を作るほどだ。
 何人分だ? こんなに沢山‥‥。
 あまり嗅いだことのない、だが美味しいだろうと解るような、香ばしい匂いも立ちこめる。
 料理によって各班が決まっているらしく、その陣頭指揮を執るのは、政宗様ではなく義姉の喜多。忙しそうだが目が生き生きとしている。
 料理は出来上がる端から侍女達が盛りつけたりと、まったく何をやり始めるやら‥‥
「で、この度は何事ですか?」
 厨房に居る侍女達が、目の前を忙しなく往来する中、やっと彼の下にたどり着いてそう告げると、ちらりとだけ顔を動かしてこちらを確認し、また菜箸を振るい始めた。
「見てわかんねーのかよ。料理作ってんだよ、料理」
「それは見て解ります。が、おせち作りで忙しい厨房を占領してというのは、少々‥‥」
 基本保存食であるおせちは、大晦日一週間以上前から用意をしなくてはならない。そのため、厨房はいつも以上に食料に溢れているその中で、この大量の料理を作り始めたのだから計りかねる。
「han? 文句言うなら食わせねぇぞ。用事が済んだらお前も宴会に参加しろ」
 背後に立った自分に対し、振り返らず、菜箸で抓んだ得体の知れないモノを肩越しに差し出してきた。
 食えというのだろうか?
 これで食べなければ、機嫌が悪くなるのは目に見えている。菜箸から直接頂くのは抵抗があったが、もたもたしていればまた何を言われるか解らない。
 溜息と交換に、口の中へとソレを頬張る。
 不思議な味だ。だし巻きに総菜が混ざったような‥‥いや、茶碗蒸しを堅くしたというべきか、不味くはないが‥‥慣れない味に感想が難しい。
「どうだ? うまいか?」
「美味しいとは思いますが‥‥何とも不慣れな味です」
「Quicheだ」
「きっしゅ‥‥ですか?」
「あぁ、今焼いている大きい方の中にはな、クジが入ってる、誰に何が当たるかは食べてからのお楽しみだ」
 上機嫌に鼻歌を混じらせるが、こちらの疑問の答えにはなっていない。
「宴会とは?」
「南蛮にはな、Christmasというお祭りがあるらしい」
「くりす…ます‥‥ですか」
「待降節というヤツだそうだ。聖(ひじり)が生まれた日だとか、木に七夕みたいな飾りをするとか、子供はいい子にしていたらpresentがもらえるだとか」
「ほぅ」
“ぷれぜんと”は確か贈り物という意味だったか。自分も色々な言葉を覚えたものだ。
「まぁ色々聞いたが、なにより俺がいいと思ったのは、家族とすごすって事だ」
「家族と?」
「あぁ。家族と過ごし、その感謝や愛情を食事やモノに変えて表現する──‥‥俺にとって、家臣(あいつら)は家族も同じ。正月になる前に、一年の労を労う宴って言うのも、何とも粋だとは思わねぇか」
 幸せそうに、あまり緩むことのないその目尻が優しく弧を描く。つられて、自らの唇も自然と上がる。
 この背中を守っている自分が、この上ない果報者だと実感する。
「なんといとおしい人か」
「ん?」
「いえ、こちらの話ですよ。して、この小十郎を呼んだ理由は?」
「そこの重は和尚用の料理を詰めている。届けてくれるか?」
「承知。」
 机の上に置かれた、紺の風呂敷に包まれた重箱を確認し、手に取ろうとしたところ、その横にある、鮮やかな朱色の風呂敷に包まれた物を見つけた。
 虎哉和尚への重箱より明らかに小さい物だが、なにか‥‥いや、わざわざ目に付くところに置かれてある。
「政宗様、こちらは?」
「それは…関係ない。捨てるものだ」
 口調が変わる。瞳が、とても冷静な色に変わった。
 なるほど。本題はこちらか。
「参考までに。中身は?」
「杏と木の実のQuatre-Quartsだ」
「かとる‥‥? あぁ、あの“けーき”とか云う焼き菓子ですね」
「そうだ」
 抑揚を極力押さえ込んだ口調に、溜息が出てしまう。
“なにより俺がいいと思ったのは、家族とすごすって事だ”──か。
 彼の、避けることのできない、そして生きている限り治ることのない、大きい傷。そしてその傷を彼は時折見つめる。まるで、その傷でさえ愛していると言いたげに。
(こっちは痛々しくて見てられないんですがね‥‥)
 まだ真っ赤な鮮血が流れ出るその傷。
 傷口の血を拭うことぐらいしか、自分には出来ないが。
「もし、捨てるような物であれば、この小十郎に頂けないでしょうか? 和尚に渡しに行く際、客人もいらっしゃるかもしれません。たとえば、甘い物や杏の好きな比丘尼であるとか」
 菜箸を持つ手が止まる。そしてゆっくと振り返り、その隻眼を向けてきた。
 大きく見開かれた目は、まるで子供の様だ。ただ、縋ることを知らないだけで。
「‥‥好きにしろ」
「はい」
 プイと背を向け、そのまま動こうとしない。そして、考えあぐねたように、やっと口を動かした。
「それは、」
「はい?」
「‥‥居るかもしれない客に合わせて作った物ではないから、口に合うかどうかは解らんからな」
「そう伝えておきます。」
「食う客がいたらだぞ」
「はい」
 机から、紺と朱の風呂敷包みを引き取り、一礼する。
 その背中は動かない。
「小十郎」
 踵を返す間際に声をかけられる。
「はい?」
「その‥‥」
 微かに、聞き取れる程度の声が、言葉を最後まで告げる前にかき消える。
 その背中と、少し頭を項垂れさせているせいで見えるうなじから、彼の感情がにじみ出ていた。
(離れがたいものだ)
「くり…なんとかですが、」
「ん?」
「いい子には“ぷれぜんと”とやらが届くのであれば、政宗様にも届きますよ」
「han! 俺はもうガキじゃねぇっつーの」
「‥‥親にとって、子供はいつまでも“子供”ですよ」
 この上なく残酷な台詞だと言うことは解って言った。この人にとって。
 それでも。否定しても、否定されても彼の求めるところはそこなのだから。
 家族と過ごす夜──それが一番この人には遠い。
 それでも、彼が傷でありながら、後生大事にその感情を抱くのと同じく、傷をつけた者もまた、その行き場のない想いを抱いているだろう。
 だからこそ──
 小さく見える背中を見つめていると、肩で大きく溜息を吐き、彼はくるりとこちらを向いてほくそ笑んだ。
 ‥‥いやな予感がする。
「一つ言い忘れた小十郎」
「なんんでしょう」
「子供に渡されるpresentってのはなぁ、夜中、子供が寝静まった頃、枕元に置いてあるそうだぜ。──欲しいモノが」
 料理を置いている背後の机に、両肘を着いて凭れ、彼はその言葉の中に含んだ意味を、微笑にして浮かべた。
 ‥‥あぁ‥‥しまった。
「政宗様は子供ではないのでしょう?」
「なーに、まだまだ甘えたい盛りでな」
 ぺろりと舌なめずりをされ、妙な絶望感が頭をよぎる。余計なものを踏んだか。
 両手に携えた重箱が、いきなり重くなったように感じた。
「‥‥兎に角、行って参ります」
「おー。早く帰ってこいよ。」
 一礼し、背を向ける。
 立て込む厨房の中、使用人の声に紛れ「すまねぇな」と今にも消えそうな小さな声が届いた。
 あぁ。まったくもって、本当にこの人は‥‥

 いい子に届くという“ぷれぜんと”とやらは、たぶん、彼の下にも届くだろう。