11/02/13に発行致しました『根方彼方』の余話です。若干ネタバレ+読んでいないと解らないことがございます。ご了承下さい。

 星

 不楽是加何 伍 根方彼方篇 余話








 物心ついた頃から、星は読めた。


 それは受け取りようによってご都合主義の物語に出てくるような能力だ。追々、軍師になる者が星読みの能力を才として持っているなど。だが、官兵衛は極力その力を使わなかった。それどころか、余計なモノは見たくないとするように、目が隠れるまで前髪を伸ばしていた。
 人の世は、人の力だけにあらず、見えぬ力が糸を引く。その中でも、軍師は人とその見えざるモノの糸を見極め紡ぎ織る役目。持って生まれたその能力は軍師の強みであるにもかかわらず、頑なに、頑なに官兵衛は見ようとしなかった。
 見たところで、誰も従わぬからだ。
 そこにあり、見える幸の星を誰も見ようとはしない。幸福になる星を見つけ伝えても誰も願わぬなら、その星の存在を伝えたところで言いしれぬ悲しさが残るだけ。
 そんなことを言えば大概の者は不思議がる。幸せを望まぬ者はいない。それはお前の勘違いではないかと。
 だが人は望まない。
 それが幸の星だとしても、人は望まぬ星を掴もうとはしない。
 人は決して幸福を願っている訳ではない──それが、官兵衛の知る現実だった。

「……」
 夜が差し迫る冬の夕焼けは朱く短い。黒に浸食され始めた空の端では、うっすらと月が姿を現す。月が出る時は星が隠れる等という話しもあるが、そんなことはない。しっかりちゃっかり星は出る。加えて冬の星は大層輝いて見えるから厄介だ。
 恨めしく外廊下から空を見上げるのを止め、官兵衛は白い溜息をついて逃げるように宛がわれた部屋へと戻る。
 諸事情により官兵衛は己の城ではなく、毛利元就の居城に居た。
 大国中国の国主であり於巫でもある毛利元就は、大国であるが周りを敵に囲まれていること、そして中国安泰のための贄的祭主であること並びにその安泰さえ守ることが出来ればよいという立場をとっているため、今のところ豊臣軍も織田軍も無駄に戦を仕掛けようとはしなかった。
 そんな中、つい最近発生した豊臣・織田軍の本願寺攻め、その流れに乗じた織田軍本隊の雑賀衆殲滅作戦の裏に第三勢力の影がいくつかちらつき、結論としてその影が存在したおかげもあり、雑賀衆は全滅を免れた。
 もし……その影の一つが動けぬと考えられていた、中国に縛られる謀略の於巫・元就であった場合、一時的にでも堺近辺に居り、しかも本願寺寺内町に居た住民そして殲滅・相当されるはずだった雑賀衆の退路に関し見えざる助力をした──などとなればまさに一大事。
──戦略地図が一気に変わっちまうからなぁ……
 動けると解れば話は別だ。特に豊臣はああ見えてまだ盤石ではない。その辺り、竹中半兵衛は何かを察していたようで、本願寺攻めの前に官兵衛へと仕事を言いつけた。元就が中国にいるかどうか確かめるようにと。
 そして結果、官兵衛は摂津近辺で山越えをしている元就を見つけた。こうなっては黒に近い灰色ではなく真っ黒で。その時点で半兵衛に言いつけられた仕事は終わったのだが官兵衛は毛利に言ったのだ。
『毛利元就が中国にいることを確かめてこいと言われた。決して近くにいて、今回のことを噛んでいたか報告しろとは言われていない』と。
 そんな訳で官兵衛は今、中国に居る元就の元にいた。これなら半兵衛に“毛利元就は中国にいる”といえる。決して嘘ではない。……だがここまで来たはいいものの、雪や時化で退路を断たれ、滞在という形になっていた。
 後先を考えないというのは、軍師として詰めの甘さとして欠点となるのだが、官兵衛の場合どこか“何とかなるだろう”という慎重の無さと楽観性がさらなる不運をもたらすこと、本人は気付いていない。
 ──使いの者を出しているし、ま、問題は無いと思うがね。
 元就と共に中国へと足を向けたのは官兵衛の独断だ。
 毛利に関しては噂と、戦略を見たり、遠巻きながら同席したことがある程度で確固とした情報はなかったためしっかりとした人物像が掴みたかったからだ。……結論としては持っていた印象や想像や噂などとあんまり変わらなかったのだが。
 ──どうしても自分の目で確かめねぇと落ち着かないのは……貧乏性かね?
 そんなことを思いながら首の後ろを掻き歩いていると、宛がわれた部屋の前にその元就がおり、驚いて目を見開くだけ見開いた。
「よう。どうした、小生の部屋まで来て」
 声をかければゆっくりと振り返って不服げにチラリと元就は睨み見る。サラサラとした髪。整った日本人特有の顔。雛人形のお内裏様がそのまま人になればこんな感じかも知れないと思いながら近づいて見詰めていれば、もう一度眉を寄せて睨み直された。
 あまり近くで彼を見詰めれば、身長差のため見下ろす形となる。二度目の睨みはそういった意味らしい。
 官兵衛は一歩下がり、肩を軽くすくめてから仕切り直した。
「小生に何のようだ?」
「明日、天候が安定する。早朝に発てるよう荷物を纏めておけ」
「急な話だなぁ、おい。小生をそんなに追い出したいか?」
「何を当たり前の事を言っている。貴様の用も済んだであろう」
「済んだっちゃぁ済んだが……」
 頭を掻く官兵衛を、元就は不思議そうに見詰めた。
「こちらとしては貴様は煩わしいだけの存在。貴様はここに居る間、欲しい情報も手に入った。後は命ある間に国へと帰る事が得策だと思うが?」
「わー……。今なんかさらりと怖い事を言ったよな、お前さん」
「現実を語ったまでだ」
“まぁそうなんだが”と納得しつつ、官兵衛は頭を変わらず掻く。そんな官兵衛を無視して通り過ぎようとした元就だったが、ピタリと足を止めた。どうやらまだ腑に落ちない官兵衛が気になった……と言えば聞こえはいいが、鬱陶しかったのが十割と言うところか。
「命あっての物種であろう」
「もちろんそうだがね」
 言葉を連ねながら官兵衛は頭の端に浮かんだソレも、言葉にして連ねるべきかどうか考える。
「貴様にこれ以上得られるモノはないと見るが」
「それも同感だ」
「では、」
「毛利よ」
 元就が言いかけた言葉を遮り、官兵衛は決意するように振り返って元就を見詰めた。
「もし、……もし星が見えるとして……」
「?」
 言いかける官兵衛を元就はジッと見詰め、視線が次の言葉を催促する。催促するが官兵衛の口からそれ以上の言葉は出てこない。決意したにも関わらず、出てこない。
 官兵衛がここに来て解ったことといえば、調べれば調べるほど中国という国と要であり楔の元就が歪であること。
 毛利元就は本来の国主ではない。彼の兄が国主として立つ者であって、元就はその厄災を祓うための於巫であり贄に過ぎなかった。国主である兄が無事でいること国が安泰であること、ただそのためだけに存在する者。それが幼くして主軸である兄が居なくなった。それは同時に元就の存在意義がなくなるも等しい意味で。
 中国の安泰を成すための兄が居なくなることは、贄であること代わり身であることの意味もなくなる。つまり彼は“個人・毛利元就”として何かを選択できた。しかし彼は選択せずにここに居る。“出来ずに”ではなく“せずに”。もっと言えば彼の中に選択というものすらなく、あったところで不要なモノ……いや、不可解なモノ。
 個人なく、国の贄としてそこに立つのだ。疑問も何もなくただ当たり前の事として。
 それをこちらの価値観と勝手で歪だと、不幸と誰が言えるのか。
 ──むしろこいつの不幸は、己の星になる何かを見つけた時……か。
 それは今まで築き上げたモノを覆すものになるのだろう。揺るぎの知らぬ彼の揺るぎになるのだろう。
 そんなものが在ることを、教えられるわけがない。
 揺らいだ責任を取れる者がその星を教えるべきであり、己ではない。
「いや、いい。忘れてくれ」
「……」
 途中まで言いかけて止めたことに元就は不満げに視線をなげ、短く溜息をつく。
 星を、教えたところで何になる?
 幸の星が見えたところで、それが望む星でない限り、人は掴まぬと重々承知であるはずが。そう、軍下にもいるじゃぁないか。己の幸なる星を主の見つめる星と考え、命を削る者。己の幸なる星のありかに目を瞑り、勝手な暗示を己自身にかけて突き進む者。そして星見を専門としながらも、幸の星には目も眩れぬ者。
 誰も、幸せを望んでいる訳ではない。
 物事は、知れば知るほど重くなり動けなくなる。気がつけば、心に深く傷がついてゆき、人は自ずとその傷を恐れて更に動けなくなる。
 ──あぁ知ってるよ、知ってるさ。
 自然と吐く息が重くなる。が、相対するようにその息は白くなってふわりと消える。その息のように、出してしまった結論も消えればいいと思いながら、少しだけ前髪を掻き上げた。
 元就は勝手に一人で落ち込んだ官兵衛を一瞥し通り過ぎようとしたが、もう一度その足を止め振り返った。
「星ならば、今宵は満天であろうよ」
「!」
「明日は日輪の加護があり晴れる。であるなら今宵は久々の星空であろう」
「……」
 元就にもちろん他意はない。だが少し、少しだけだが官兵衛は何かを堪えるように口端を上げた。
「そうだな。そうだろうよ」
 一度笑みを固定できれば、後は維持できる。
 官兵衛は前髪で瞳を隠したまま、一層笑って見せた。
「では、明日の小生の出立を祝って席を設けてくれんか? 星空を肴に酒が飲みたい」
「……図に乗るな。しかもこの寒空にまた酔狂なことを」
 呆れるように溜息をついて元就は脚を進めるが、去り際に「考えてやろう」と言葉を残した。
 官兵衛は笑む。本当に微笑むことが出来ているかは定かではないが。
 話をしている間に、日はとうに暮れた。真っ暗とまではなってないものの、急いで部屋の灯明に火を灯さねば。あまりこちらの小姓の世話になるのも悪い。
 ──……。
 たとえ星を見ぬよう努力したところで、星はそこにある。目を閉じようともそこにある。朝に昼に、その目に映らなくともそこにある。ならば、そこにその星が存在することぐらい己が知っていてもよくはないか?
 部屋の障子に手をかけ、官兵衛は振り返りもう一度空を見上げる。
 そこには美しい月の輪郭と星が浮かび上がっていた。