『飼われるモノの存在意義と自尊心のワルツ』

 2009/03/15 YUKISA MIX 寄稿






 深く、息をつく。
 それは少し呆れにも似ているが、彼だから仕方がないという、どこか了承と諦めの入り交じった溜息で。
 本当なら少し汚い手ぬぐいでも出して、その涙でぐしゃぐしゃになった顔を擦り落とすように拭いてやりたいのだが、いかんせんそれが出来る体勢ではない。
 手首を縛られている自分。そして、そんな自分の手を泣きながら縛る──主。
 細かく刻まれる年齢に合わない幼い嗚咽が途切れないことに、忍はもう一度深く溜息を吐いた。
「ねぇ旦那。何も俺様死ぬ訳じゃないしね、ちょっとの間一人にして欲しいだけなの。説明したでょ? お解り?」
「わかっておる! だがこうなってしまったのは、」
「あのねぇ旦那。俺様は俺様の仕事をしただけ。それを褒めてよ」
「わかっておる!」
 ぐしぐしと子供のように、流れる涙やら何やらを時折二の腕で拭いながら、忍の若い主は又改めて手首に縄をゆっくりと巻き始める。その間も、スンスンと定期的に鳴る彼の鼻に、また一つ溜息が零れた。
 毒を──食らったのだ。戦場で主に変わって。それはこれと言って特別な話ではない。彼の手足となって働くのも仕事であれば、彼を守るのも仕事なのだから、ごくごく当たり前に彼を庇い、たまたま毒を受けた。たったそれだけ。
 それより問題なのは食らったという事実だ。疲れが腕を鈍らせたのかとふと頭を過ぎったが、その結論に意味はない。それが事実であれ、改善できなければ直結死に繋がるだけで、思い巡らせるだけ意味のないこと。
 ふわふわと軽い己の命。
「よし。縛り終わったぞ。他には?」
 手首の縄を縛り終え、若い主は顔を上げる。
 忍は、その縛られた手首をまじまじと見つめてから、確認するように何度か手を動かそうとする。
「うん。有り難う旦那。助かったよ」
 にっこりと安心させるための笑顔を作れば、安堵の表情が返ってくる。
「そうか。ならばよかった」
 浮かべる笑みは武将のものというよりも、幼い子供の、あの混じりけのない笑みに近い。今更ながら、不思議な人に仕えていると呑気に思う。そして己も、この分かり易く理解しがたい人間によく仕えているものだと改めて思う。
 考えてることも望むことも行動も、何もかも筒抜けだが、予見できることと理解することは違う。
 自分は彼をよく知っていても、決して一生理解は出来ない自信がある。
「佐助……傷が痛むのか?」
 心配そうに腕に巻かれた手当の後を彼は眺める。
「ん? 何でもないよ。大体、本当なら擦り傷なんだって」
「ならよいが……」
 思案に暮れかけたことを笑顔で誤魔化す。
 己のどうでもよい思いが意識を引っ張った。思ったより毒と薬の巡りが早い。思考がうまく制御出来ないことが物語っている。
 傷は深くなかったが、毒が少々厄介だった。
 あまり長い間戦線離脱する訳にもゆかず、傷も深くないのだから、とっとと毒だけを抜き取って復帰する方法を考えた。──荒療法ではあるが。
 毒をもって毒を制すという言葉通りの薬が……いや、毒がある。単品で使えば毒だが、身体の内に他の毒が入った場合は薬の役目もするモノだ。普通の人間には、決して胸を張って勧められる代物ではないことは確か。己のような者だからこそ、意味をなす代物を先ほど呑み込んだ。
 今、身体の中で二つの毒が渦巻く。これが、なかったものとして相殺し合うなど、考えてみれば不思議な話だ。
 少しだけ瞼を伏せてから肺に溜まっていた息を、いらない、余計な意識と共に吐き出し、また笑みを作る。
「さ、準備万端。水筒もあるし、寝やすそうな藁もお誂え向きにゴザまであるし。えっと……」
 そう言って光の差し込む天井を少し見上げる。庵と言えばまだ聞こえはいいが、天井の隙間からは空が少し見える荒ら屋。いや、納屋か。ともかく、時刻の確認には不自由しないようだ。
「日が傾く前には合流するよ。だから旦那戻って」
「しかし、」
「しかしもないの。大将クラスが忍にかまけてどうするの。手伝ったら戻るって約束でしょ? さ。行った」
 不満を、眉を寄せることで表現し、解せない気持ちを上目遣いで訴える主に、くすりと笑みが漏れる。
 幾度対峙したか解らないその表情と態度。対処の方法など千も承知。
「行った行った。もう旦那に手伝える事はないんだから」
“約束だよね?”──諭すようにそう言うと、流石に観念したのか俯く。俯いて「あい解った」と勢いよく顔を上げた。
「佐助が戻る前に某が片付けてみせる。心置きなく養生するのだぞ」
「はいはい、ありがとう旦那」
 キリリと眉を上げ、目つきを変えて武人の面構えとなるが、汚れた顔には涙の跡がしっかりと付いていて。でもそれが、よく知った彼で何故かホッとする。
「気をつけてね〜」
 いつも通りの笑顔を浮かべ、先に選択肢を突きつける。
 指をぱらぱらと動かして手を振る代わりとすると、立ち上がった彼は笑顔を応えとし、鉢巻きを結び直して足早に立ち去った。
 途端、庵は水をうったようにシンと静まりかえる。たった一人去っただけで。
 ──やれやれ。
 彼の気配が消えたのを見計らって胡座をかいたまま、横倒しに己の身体を倒した。気合いで止めていたイヤな汗がどっと吹き出す。身体は正直なものだ。
 ──げんか〜い。
 心の中でふざけてそう呟いた。気持ちではどうすることも出来ない身体の異変を前にすると、自分も人間だったんだ……などと呑気に思ってみる。
 厄介な伏兵は始末している。それに簡単な戦局だ。黙っていても主が勝つだろう。かといって呑気に構えているのは自分のガラではない。
 目を閉じる。
 静かになれば身体の中で様々なものが蠢いているのがよく解る。動悸が激しくなったために感じる血流の早さだとか、余りの気分の悪さで、出るものもないはずなのに胃の中で蠢く嗚咽感。毒と薬が身体と思考を鈍くさせてゆく感覚。
 意識が遠くなる訳ではない。律するものがなくなってゆくような。本性がむき出されるような。
 痛みに、苦しみに。
「くそっ……」
 よく効く薬だが、この波だけが酷い。大げさに暴れ回ったり、のたうち回れればいっそ清々しく鬱陶しい思いから解放されそうな気がするが、それは妄想だ。ジッと我慢するしかない。
 呻こうとした口を閉じる。
 苦しい時や痛い時は、その苦しみと痛みに対し、詳細に説明を付けることにしている。何処が苦しいのか、何が痛いのか、どんな苦しみか、どんな痛さか。身体はどんな感じか、自分はどう思うか。苦しいとは何だろうか、痛いとか何だろうか。辛いこととは何か? 説明できるか? 出来ないならソレはない。気のせいだ。そんなものは元から何もないのだ。何もないのだ──
 子供の時からの癖。いや、自己防衛で独自に編み出した自己催眠というか。自分自身に今の状況を事細かに逐一報告する。報告できなかったら何も無かったこととする。そうやって何も無かったことにしてきた。そして何も無くなった。
 今回も、いつものように無いものとなるはずだった。一人で葬り去るはずだった。なのに……何故だろうか。見つかった。
 一番見つかりたくなくて、一番見つかってはいけない人物に。
 案の定心配をかけた。
 何か出来る事があれば手伝うと言いだした。
 想像通りの反応に、心の中でモヤッとしたものが生まれたが、説明できないものだったので、まず最初に無かったものとした。
 多分ここで下手に戻れと言っても、心配するなと説明しても、頑として聞かないことも想像出来て。

『じゃぁ縛ってくれる?』

 そう言った時の自分の笑みは、とても上手に出来てたと思う。
 ゆっくりと目を開けて、縛られた手首を見る。己の意識を留めるために、思い出すためにと縛ってもらった縄。
 勿論こんなもの、忍にとって縛ったうちにも入らない。本気を出せばスルリと解ける、単に手首に縄を巻いているだけ。本当の縛る意味は成さない。
 いつでも解けて自由になる、形だけの縄。
 再び目を閉じる。
 出てきかけた本性を封じ込めるように。
 いつもそうだ。痛みとか苦しみとか、そう言った解りやすいものを無いものにすると、替わりに出てくる詮方ない思い。
 何故ここにいるだとか、何故存在するだとか、生きていく上で必要のない壮大な虚無が、頭の端から侵食し始める。
 これが一番気分が悪かった。まだ生きている人間との、無意味な善悪論をする方が楽しい。
 虚無への答えは、まだ持っていない。いや。己の立ち位置にはその答えがないどころか、それ自体が答えなのだから。
 軽く、息が漏れる程度の唸りを上げる。
 又意識が持って行かれかけた。
 呑んだ分量を間違えたのかと不安になる。己の思考で気分が更に悪くなる。
 首の後ろに時限発火のからくりを仕掛けられたような、焦りや憤りがじわじわと全てを呑み込もうとする。微かに恐怖を交えて。
「……」
 不思議な気がした。
 忍という、無いものとしての存在の自分が何に焦っているのかと。虚無や絶望や死は、隣同士のお仲間だ。なのに……

 有るのか? 望んでいるのか? 生きているのか?

「──っ!」
 勢いよく起き上がって頭を振る。思考の悪酔いが酷い。一体全体今日に限ってなんだというのか。戦場に出ている方が気が紛れてまだマシだ。だがこんな状態では何の躊躇いがでるか解らない。それでは意味もないし役に立たない。
 肩で頬の汗を拭う。
 いつの間にか胸で呼吸をしている自分に気付く。思ったよりも身体の中で飼っているものがのたうちまわる。
 痛さや苦しさのような、そんな、いつかは過ぎ去るだろう感覚ではなく、生きている限り一生つきまとうようなそれが暴れる。
 俯きながら、己の手首を見る。見て、それを瞼に焼き付けてから、自分のものとは思えない呼吸を落ち着かせる。
 卵が先か鶏が先かの答えなど自分は求めていない。
 求めているとすれば──
「──!?」
 外からこちらへと向かってくる人の気配に、一瞬舌打ちをし、縄を解こうとしたが次の瞬間思いっきり眉が寄った。
 よく知った気配だったからだ。
 誰でもない、先刻立ち去ったはずの、
「佐す──」
「旦那何やってんの!」
 姿を現すと同時に怒鳴った。黙って迎えるなどそれこそ無理だ。本当なら尻でも蹴飛ばして追い返したい。
「約束したよね。ちゃんと戻るって。聞いてた?」
「あぁ、聞いてた」
 そう答えながら彼の視線は忍を見ておらず、自分の代わりに負傷した腕を、瞳で捉えながら近付いてくる。
「聞いてないっ! 聞いてたら旦那がここにいる訳無いでしょ」
「戻った。戻って新しい手拭いと水を持ってきたぞ」
 そう言って彼は、腰に挟み込んでいた手拭いと竹筒を取り出す。忍の心とは対照的に、水がちゃぽりと緩やかに音を立てた。
「そんな屁理屈いつから言えるようになったの!? 旦那は将なんだから、早く持ち場に戻」
「あの場はもう、某を必要としてはおらぬ」
「──は?」
「もう詰めだ。佐助は伏兵を片付けたのだろう? ならばあの場は詰む」
 忍を見ぬまま目の前に屈むと、縛られた手を取り、少し覗き込むようにして彼は傷口に巻かれていた手拭いを見る。そこに広がる、じんわりとぼやけた赤。
 ドキリとした。毒のせいで出血が少し早かったかも知れないが、思った以上に広がりが早い。
 ──いや、そうじゃない。
 主の肩越しに、忍は外の光が差し込んでいる床を見る。
 唇を噛む。大して時間は経っていないものの、己が思っていた以上に時間が過ぎていた。
 ──いつの間に。
 失態だ。何故こうも今日に限ってこんな事に。何より、これだけへまをやらかしていながら、まだここに自分が在るということが信じられない。
 意識を飛ばしてしまったことも、毒を受けたことも、そして、彼に見つかってしまったことも。
 こんな調子の自分では、彼を追い返すことも出来ないだろう。
「佐助。」
 力強く己を呼ぶ声。
 落ち込んでもいられない。何事もなかったように「なに?」と応える。
「某は武人だ。」
「うん、そうだね」
「武人というものは戦い、己を磨く。だがそれは、己のためだけではない」
「お屋形様や領民のためだね」
「違う。」
「へ?」
 続く言葉を言ったつもりが、キッパリと否定された事に少し驚いて彼を見る。
 ゆっくりと顔を上げた彼と目が合った。
「某を必要としてくれる者のためだ。」
「え? あぁ……」
 迷いなく澄んだ、力強い大きな瞳は、忍の中の荒れ狂う何かを捕らえる。
「佐助。」
 ビクッと無意識に肩が震えた。
 縄で縛られた忍の手をしっかりと握りしめながら、彼は言う。
「今、佐助には某が必要だろう?」
 確かに、語尾には疑問符がうたれていた。しかし断定だった。
 口が、少し開く。何かを言おうと。だがなにも出てこない。
 返す言葉を探そうと頭の中で言葉を掻き集めるが、毒のせいか薬のせいか、一向に集まらない。
「必要だろう?」
 もう一度聞かれる。
 握られた手は、手首に巻かれている縄よりも解けないと忍は思う。そして、いつの間にかのたうつソレは、彼に縛り上げられ、治まっていた。
「のぅ、佐助」
 にこりと向けられた笑みは、無邪気であるはずなのに、どこか確信的に自分を捕らえ。
「……あぁ。あぁそうだね旦那。」
 目を、閉じる。
 瞼に映は、主という名の──











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 「幸佐書きませんかぁ〜」と素敵なお誘いを頂き、尻尾振って参加(笑)
 確かあみだで条件を決めたのですが、一番引っかかって欲しくない、
 『泣く』と『縛る』を引いてしまい「ぎゃー!!」とモニターに向かって
 叫んだ覚えが(笑)  私は小政ばっかり書いていますが、基本全キャラ大好きなので、
 このお誘いは嬉しかったです。ただ幸佐か佐幸か今一解らないのは仕様です。
 通常小政で書きたいものがいっぱいいっぱいなので、
 本当に誘われなければ、こんな機会でも無ければ──!!
 又、ゲストなんて貴重な経験もさせていただき、思い出深い一本です。
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