伊達成実の傍観
伊達成実シリーズ 04
がたん、ばたばたばたばた‥‥
えらくけたたましい足音が廊下に響いている。
どたんっという音がして、“あ、転んだ”と俺は冷静に分析していた。
いったい誰だ? あんな慌ただしい足音。敵襲かとも思ったが、敵襲なら「敵襲!」と大声で言うだろうし、足音はどう聞いても俺の部屋に向かっている。
なんだ?いったい。と、障子に視線をやった瞬間、ガラリと勢いよく障子が開かれる。
そこには珍しく、鬼庭綱元の慌てふためいた顔があった。
「‥‥よう」
と、気軽に声をかけてやると、少し冷静さを取り戻したのか、息を整えて障子を閉め、その場にペタリと座り込んだ。その表情は、能面のように少々強張っている。
鬼庭綱元──伊達家に無くてはならない家臣の一人。小十郎より少々年はくっているが、だからこその伊達家に数少ない“静”の人物で、小十郎の義姉・喜多の義弟にあたる。‥‥と、説明したがまぁその辺りは深く考えなくていい。とにかく重臣の一人だ。
「どうしたんだ?」
と、俺が冷静に聞くと、「──」と、何かを言いかけて口を開いたまま固まった。固まって、そのまま俺に言っていいものか悪いものかと考え倦ねている。
瞬間、俺は察した。
「あー‥‥見ちまったのか」
その一言で綱元は俺が何をさしたのか解ったようだ。
「し、成実殿は知っておられたのですか?」
「うん。知ってた」
寧ろいやというほど聞かされていた。つーか最近は、みんなが知っていて見て見ないフリをしているんじゃないかと疑ってたぐらいだ。
「綱元、知らなかったんだ‥‥」
「知らなかったも何も、政宗様と小十郎が‥‥」
途中まで言って、綱元は顔を真っ赤にさせた。いったい何処まで見てしまったのか。
「まぁ、よくあることなんじゃないか? 衆道たしなむのも、今時珍しくねーんだし」
大事にしないため、俺は事も無げに返して、あくびを一つ。
「し、しかし元傅役との戯れは‥‥。しかもあのようなせ、接吻‥‥」
「へ? 接吻で終わってたの?」
「は?」
綱元は目を丸くしてこちらを見る。
危ない危ない。閨から小十郎襲う計画から、何から何まで聞いていた俺は、感覚が大分麻痺しているらしい。視線をちょっと逸らして誤魔化した。
「なんつーか、一応もうちょっと控えろと俺からいっとくわ」
「いや、それもありますが‥‥」
そう言って、綱元は言葉尻を濁す。
俺は、頭を掻きながら俯く綱元を見た。
たしかに、解る。綱元の危惧する所は。別に衆道に手を出すことを悪いと言っている訳じゃない。傅役と結ばれると言うことが、小十郎と結ばれると言うことが危惧なのだ。傅役なんてものは一番感情の拠り所になりやすい。そして小十郎が政宗の一番近い処に位置するのは誰が見ても解る。だからこそそれは主従としてダメなのだ。んーな事は解ってる。だが、
現実問題、あの二人を引きはがせるものなら引きはがしてみやがれ。
「まーなんだ。二人とも大人なんだし、早々バカなこともやらないからいいんじゃねぇ?」
と、俺は本音を明後日の方向に投げてそう言う。
「いえ、それは元より承知ですが」
「あ? なに? そこ問題じゃなきゃ何が」
「義姉上──喜多殿は知っているのでしょうか?」
「‥‥知ってたら小十郎の命があると思うか?」
「いえ‥‥」
“はぁ”と俺たちは同時に溜息を吐く。やはり最大の難関は政宗の乳母であり小十郎に勝るとも劣らない、政宗命の喜多だ。俺たちは、政宗と小十郎という人物を知っているからこそ、普通はするだろうの下衆の勘ぐりはしない。それよりも、
「問題は、喜多の目からどうやって逃すかってところか」
俺が余計なことをしたせいで、バカップル度は五割り増しといっていい。綱元に見られたということは、大人になってあまり身の回りの世話を喜多がしなくなったとはいえ、やっぱりばれるのは時間の問題だ。
「そうですね。喜多殿に見つかりでもしたら、小十郎がどんな優秀な人材だと言っても、一撃でしょう」
「一撃だな。」
“ふう。”と俺たちは同時に溜息をついた。
それでいて俺たちは、二人を引き離そうだとか、そういったことも思わなかった。実際問題とかじゃなくて。そういったところではなくて。
政宗は名実ともに奥州筆頭だ。これほど思いを寄せている小十郎相手でも、必要となれば厳しい決断を、判断を、何のためらいもなくするだろう。完璧な将として立ち振る舞うだろう。それこそ、命すら取るだろう。でもそれは、薄情だからとかではなく、政宗はよく知っている。自分の立場・自分の価値を。そして小十郎も命は惜しまないだろう。また、命が下ればそれを絶対として貫くだろう。ヤツの欲は、政宗が信頼という言葉にする事がばからしくなるほど、そこにいて当たり前の、それこそ政宗の一部として存在することだ。まったく欲が無くて、酷く欲深い。
そんな二人だと知っているから、俺たちはあいつらを引きはがそうだとかなんとか思わない。
だってそうだろう? 二人でいる時は、人としての純粋な欲が持てるんだ。純粋な想いや願望が持てるんだ。それまで取り上げようとするほど、俺たちは鬼じゃねぇ。
どれほど重い荷を、政宗が持っているか知っているからこそ。そしてその辛い姿を見ながら、手もさしのべず、肩代わりせず、ただ歩む道の露払いを黙々と小十郎がしているからこそ。
‥‥ま、それが通用しないのが喜多なんだが。
「まぁ、でもちょっと自重させないとダメだな。」
「はぁ、しかし、なんと言いましょうか‥‥」
そう言って、最後まで述べず、綱元はもごもごと口ごもる。
お前さぁ、あいつらのキスシーン見ただけで動揺してどうするよ? 俺なんて夜事話されたんだぜ!? 夜事!
俺って本当に偉いと思う。
「おい、成実はいるか?」
と、部屋の中を確認する声と同時に、障子が開く。来客の多い日だ。
「こっちに綱元が‥‥」
と途中まで言いかけた話題の主の政宗は、見上げる俺と綱元の姿を確認する。
「やっぱりここにいたか」
「あ、いや、はい、」
動揺を隠しきれない綱元は、何かよくわからない片言を口走りながら、赤くなった顔を隠すように頭を下げた。
それを見て、俺を見て、また綱元を見て、政宗はここで何が話されたか理解したようだった。
「OK、綱元、そういう事だ」
「まてまてまてまて! 主語は? 述語は!?」
立ち去ろうとした政宗を慌てて呼び止める。大体想像したような話がされてたとしても、いくら何でも酷いだろうよ!?
ぶすりと口を尖らせて、仕方なくその場に政宗は座ると、綱元を見て、俺を見て、綱元を見て、
「話に聞いた通りだ。」
「だから、会話になってねぇだろうが」
「ham? 一体この状況で何説明するんだ。大方の話と結論は出たんだろうが」
「そりゃそうだけどよ、もっとこう、なんだ‥‥。綱元の慌てふためきよう凄かったんだぞ。廊下で転んでたし」
「まぁ、そりゃ悪かったと思うが…」
「大体さ、念願叶ったのも解るが、小十郎は逃げねぇからもうちょっと自重しろ」
「逃げない!? han!! 逃げてばっかりだぜあいつは。まだ一度もあいつから手ぇ出されたこと無いんだぞ!」
いや、そりゃ、いくら既成事実がなったとはいえ、あいつから手はださねぇだろうよ。
つか政宗、隣に話のついて行けないヤツがいること、気付いているか?
「ヒートアップする気持ちも解るが、まぁ落ち着け。」
「落ち着いてられるか。手は出されない上、俺ばっかりが小十郎に仕掛けるって、なんか納得いかねぇ。やり始めたら酷いのはあいつのクセによ。時々身体ついていかねぇし。あーっ‥‥やっぱり納得いかねぇ!」
腕を組み、難しい顔をして真剣に悩み始める政宗の横では、展開される話の処理について行けず、目を白黒させている綱元の姿が。まぁ、いつもの小十郎を考えると想像つかないだろうが、天下御免のバカップル状態を見た俺にとって、小十郎はただのムッツリすけべだと理解している分楽だ。
「まぁ、お前の気持ちも解らんでも無いが(ということにしておかないと収拾つかないし)、あんまり小十郎に挑戦していると、喜多に見つかるぞ。」
「喜多には見つからねぇようにしてる。それだけは俺だって解ってるさ。」
「‥‥‥‥」
口を真一文字に結び、綱元は複雑な顔をしてこちらを見る。
うん。無理するな。こんな会話乗らなくていい。いや、乗ったら最後、言い表しようのない愚痴に付き合わされ‥‥ん? なんだ?
綱元が、妙な目配せをしたことに気付き、一瞬にして血の気が引いた。
まさか。
「この喜多に見つかると、何ですって?」
「!!」
「でたー! ラスボス!!」
「ら、らす‥‥? ともかく、出たとは何事です! 失礼な!」
馬鹿政宗! 障子閉めなかったな、てめぇ!
俺と政宗は喜多を見上げたまま固まり、綱元はただただ動向を窺うに留まっている。
「で、この喜多に見つかってはならないものとは何ですか? 成実様? 政宗様?」
ちろりと目配せがされるだけで、思わず俺たちは姿勢を正した。
子供の頃の教育というものは恐ろしいものだ。
「あ、いや‥‥」
誤魔化しにかかろうとする政宗を見つつ、俺は気がついた。話の内容が全部聞かれていたのなら、喜多は既に小十郎の首を上げているはず。てことは、下手に誤魔化す方がまずい。
「政宗がよ、小十郎に政務押しつけてるくせに、又新しい技で一本取ろうと小十郎に挑戦してるから、止めてたんだよ。喜多に見つかっても知らねーぜって」
その言葉に慌てることなく「言うなよ」などと話を合わせてそっぽを向く。
“嘘をつくなら堂々と”。まったく、流石政宗だ。
「別に武芸でしたら咎めませんよ。政宗様の相手をするのが小十郎の努めでもありますから」
「だよなー」と、ワントーン声を上げて政宗は喜多に同意するが、お前、喜多の言葉とお前の意味は違うだろうと小一時間(以下省略)。
「ですが、政務は政務としてしっかりこなして下さいませ」
「OK、OK。」
腰に手を当てて“ふう。”と喜多は一段落の溜息を吐く。
“疑いは晴れたか?”と俺たちは気付かれないようチラリと喜多の表情を伺うと、喜多はにんまりと不気味に笑った。
げっ。
「その程度の話題で、この喜多が誤魔化せるとお思いですか?」
「なっ!?」
「どうせ貴方達が顔を付き合わせて悪巧みとなれば、西山の女衒にでも行かれますか?」
「‥‥い?」
ん? この誤解は、良いのか?悪いのか?
「喜多は何でもお見通しですよ。特に政宗様。」
「!」
「この所、大層健全な夜を過ごされておいでですが、下手な女衒の君に引っかかってはいないでしょうね?」
あ〜‥‥なるほど。確かに小十郎へとその気がいってしまってたら、城で認めている石女やら稚児は早々用が無くなるな。つーか、何処まで管轄してんだ、喜多の姐ぇちゃんは。
「ham そんな安っぽいものに俺がハマると思うか?喜多は。気にしすぎだ」
手をひらひらと動かし、政宗は喜多をあしらう。
‥‥悪くいえば、それ以上にやっかいなものにハマってるがなー。
喜多は証拠不十分でこれ以上問いつめる訳にもいかず、仕方がないように溜息を吐く。
「まったく、小十郎が政宗様に甘いからこう‥‥! 小十郎。丁度いいところに」
そう言って、喜多は俺たちからは見えない、廊下の先に視線を移す。
‥‥こじゅ兄、なんてタイミングの悪い‥‥。
「どうかしましたか? 義姉上」
「どうしたもこうしたもない。お前が政宗様を甘やかすから、悪巧みなさっている。」
そう喜多に説明され、部屋の中を覗いた小十郎は、部屋にいるメンツを確認するだけで何がどう話されていたか理解して、冷静に呼吸を整える。が、政宗の含み笑いに一瞬頬を強張らせつつ、すました顔で喜多と向き合った。
「しかし義姉上、政宗様も子供ではないのです。“限度”と“分別”はついているでしょうから、そうそう酷いことは考えておられないでしょう」
政宗が露骨に口を尖らせた。
うん、俺も、今の『限度』と『分別』は釘刺しだと思う。
「それに成実殿と綱元殿までがついて、そう悪巧みな──」
「喜多。言っておくが先刻話したことは本当だぜ?」
は?
全員の視線を集め、政宗はにんまりと微笑む。
‥‥あぁ。こりゃよからぬ顔だ。
こじゅ兄、成仏しろよ‥‥。
「武芸とか戦術とか、他にも色々と小十郎に挑戦してるんだが、まったく相手にしてくれなくてなぁ」
「政宗様!」
「そりゃ政務とか? 立場上とか? その辺りまぁあるだろうが、あんまり相手してくれねぇんなら、ちょっとぐれてやろうかなぁ〜‥‥なんて思うのも嘘じゃない」
「まぁ!」
「政宗さまっ!」
うっわぁ〜。
確かに嘘は言ってないが、ちょっとどうだ? それ以前に、お前、それ以上のグレようあるか?
運悪く小十郎の狼狽を、政宗の言葉の信憑性と取った喜多は、目くじらをたてて小十郎を睨み付ける。
南無南無。
「小十郎。確かにお前は立派な重臣となりましたが、元を言えば政宗様の傅役。尽くすのが筋でしょう」
「義姉上、この場合、筋云々ではなく‥‥」
勝敗の見えている義姉弟の喧嘩を、政宗はとても満足げに眺め、頃合いを見て立ち上がった。
「とりあえず喜多。俺は多くは望んでない。小十郎が相手してくれるってなら、大人しいモンだぜ?」
政宗は、それはもう見事な勝者の笑みを浮かべ、小十郎の顔が一層引きつる。
‥‥‥‥‥‥‥‥まぁ、嘘ではないな。
「小十郎」
「‥‥はい」
「そんなに政務は滞っているのですか?」
「‥‥いえ」
「なら今すぐにでも政宗様のお相手をなさい。」
あー。今、完璧勝敗のゴングが聞こえた。
にっこり政宗は笑い、「後で茶もってこいよ」と喜多の前で小十郎に命令すると、俺たちにも上機嫌な笑顔を見せてからその場を去った。小十郎はというとがっくりと肩を落とし、喜多の後ろに付いて厨房へと去る。
さて。残された俺たちはと‥‥
そう思って綱元を見ると、綱元もそう思ったらしく、二人無言で顔を付き合わせた。
「──成実殿」
「ん?」
「とりあえず自分は、政宗様の居る棟の人払いでもしておいた方がいいでしょうかね」
「そうだな。そうしておいてくれると助かる。」
一部始終の会話で、政宗と小十郎がどの程度の関係か察知した綱元はそう言って、重い腰を上げた。
流石御家老。読みも順応性もたけぇ。
慌ただしく部屋に転がり込んできた綱元が、別人になって部屋を出て行く。
あぁ、あのバカップルの破壊力は想像を絶したようだ。
まったく、色恋沙汰に巻き込んでくれるな。いや、それはその分今が平和だって証拠だけどさ。
命の取り合い。きった張った。騙し騙され、人の信じられないヤクザな世界の中で生きてる俺たちにとってさ、どれほどその思いが綺麗か、健全かって思うさ。それでいて、そんな思いを持っていたとしても、多分政宗も、小十郎も、最終的には不健全な選択を取るんだろうよ。
俺だったら、絶対に取らない選択を。
だから。
だから‥‥
‥‥‥‥‥‥てかさ、
この間政宗、愚痴ってなかったか? 悪戯過ぎるとヤり殺されそうになるとか何とか。
‥‥‥‥‥‥。
あれ、どう見ても小十郎、怒りゲージ溜まってた気がするなぁ。うん。多分というか、反撃されるな。絶対。政宗って昔っから、頭良い割には学習能力低いからな。ちょっと痛い目見た方が良いかも知れない。でも、ってことは、
「明日、また俺政宗の愚痴に付きあわなくっちゃいけないのか?」
俺は、ほぼ決まっただろう決定事項に大きく溜息を吐いた。
えーっと。‥‥綱元付き合わせる訳にもいかんよなぁ。
「──はぁ」
俺は、声に出して大きく溜息を吐いた。
春はすぐそこだというのに、気が滅入る一方だ。
多分、これからくる穏やかな春も、あのバカップルの騒ぎに全部取られる気がしてならない。
「‥‥はぁ。」
もう一度溜息を吐く。
そして憂鬱だというのに、俺はなぜだか微笑んだ。
投了