伊達成実の受難

  伊達成実の憂鬱シリーズ2.








「なら襲えば?」

 俺の一言に、退屈そうに肘掛に両肘をつき、口を尖らせていた政宗は、ちょっと驚いた風に俺を見た。
 いや、この場合“閃いた”風にだろうか。
「そりゃお前、相手は得体のしれないこじゅ兄だぜ? 慣れないネコやってるってだけで、政宗が不利だろうよ」
 政宗は、目を丸くしたまま黙って俺を凝視する。何も語らなくても、その目は「あぁ。そうか」と語っていた。
「こじゅ兄に勝ちたきゃ、タチで挑戦してみれば?」
 相変わらず黙って返答もしないが、多分、俺の言ったことを遂行しようと企んでいるだろう。
 この際、本来の問題と目的がずれているのは不問にしてほしい。
 ごめんな、こじゅ兄。俺も自分の身はかわいいんだ。


 さて、どこから話を始めようか。
 俺の名前は伊達成実。奥州を統べる伊達政宗の従弟でもあり、幼馴染で部下でもある。んで、この伊達政宗ってのがまぁ一癖も二癖もある奴で、説明するのが面倒だから割愛するが、気性の荒い天邪鬼。そのくせ酷い人情家でもある。で、こじゅ兄ってのが、片倉小十郎といって政宗の傅役だった男で、今は軍師であり重臣。といっても俺たちにとってみればいい兄貴分である‥‥のだが。
 まー、うん、えっと、説明面倒くさいや。とりあえず、紆余曲折やら色々とあったものの、二人はできちまったわけだ。うん。
 ただ問題が。
 傅役が主と関係をもったという禁忌に加え、政宗がタチ‥‥言うならば男役だな、だったらまだしも、組み敷かれるネコで収まってしまったので、これがバレると古株連中等はお家騒動へと発展させて厄介ごとを増やしかねない。ので、二人の関係は秘密なのだ。
 俺以外は。
 ぶっちゃけ、“古株連中”などと格好いいこと言ったが、一番ばれたら怖いのは喜多だ。政宗の乳母で小十郎の義姉。そして伊達家を取り仕切る一の女房と言っていい。あの喜多にバレたら多分、「輝宗公からお預かりした若を!!」なーんていって、小十郎の首を仕留めるに違いない。うん。そして仕留めそうでヤバイ。
 となるとだなぁ、二人の秘密の愚痴に付き合う相手は俺しかいないから、俺が政宗の愚痴を全部引き受けることになったのだが、これがもう、なんと言っていいやら‥‥
 二人の関係がこんな風に成り立ったのはつい最近だが、政宗の想いはつい最近ではない。はっきり言って十年越しの恋が実ったといっていい。なんせ幼少期から、片時も離れずずっと自分を見守ってくれた兄貴分である。部下とはいえ、憧れや信頼は絶大だ。そして、その純粋な想いは恋に似てなくもない。‥‥ってこれだけ聞くと、なんて純愛とでも言いたくなるのだが、恋をしているのが政宗だから一筋縄でいくわけがない。つーか、はっきり言って歪んでいる。
 十年分歪んでる。
 それが実ったのだ。大人になって。実らないと思っていたものが。で、ここんところの愚痴は何かというと、小十郎に閨で負けているのが不服らしい。
 政宗曰く「弄ばれている」らしい。まるで小娘みたくあしらわれているだの、自分だけ何回イかされるかわかんねぇだの。‥‥でもそれって逆に言ってしまえば、相性がいいって事なんじゃねぇの? とも思うのだが、まぁ、男として気持ちは解らなくもない。ヤツにしてみれば、その敗北感が妙な反骨精神に火をつけている。が‥‥いいじゃんよ! 大きな問題もないんだしさ! 俺を巻き込んでくれるな!

 ‥‥と、いうわけで、こじゅ兄、今日は素直に組み敷かれてくれ‥‥。



 ──次の日。
 俺は前日とまったく様子の変わっていない小十郎に、政宗の朝餉の席に呼ばれて同席することとなったのだが、部屋で待っていたのはこれまた昨日と様子の変わっていない政宗。
 ‥‥えっと。俺は確かに昨日焚き付けたはずだ。つーことはヤってるはずだ。で、こういう雰囲気ということは、みなまで言われなくともわかる。
 小十郎が何かを取りに部屋を去った後、敷居を跨いで開口一番俺は、
「‥‥失敗したか」
「失敗した。」
 あのこじゅ兄を組み敷くには高い壁があるようだ。
 用意されていた膳の前に座り、俺もいつもと変わらぬように、食事を口に運びながら、政宗の様子を見る。どうも、昨晩の精神的・肉体的ダメージを引きずっているらしく箸が進んでいない。
 ちょっとかわいそうに思えてきた。達成しようとしている目的は間違っているとしても。
「‥‥具体的な問題で失敗?」
「いや、それ以前っつーか」
「以前?」
「途中まではいけてたはずなんだ。はずなんだが‥‥」
 と言って渋い顔になる。
「気がつくと逆転?」
“こくり”と黙って頷く政宗は、どこで逆転になったか納得がいかないのか、目を据わらせて考え込んでいる。‥‥その真剣さを政務にもつぎ込んだら、奥州って凄い国になりそうなんだが。
「絶対おかしい。なんでだ」
 いや、俺に言われてもわかんねぇし。
「何回挑んだ」
「挑んだのは三戦」
「‥‥全敗?」
「全敗。」
 政宗の眉間の皺がどんどん深くなる。あわせて俺の眉間の皺もどんどん深くなる。
 三戦も挑んでる時点でお前すごいよ。つーか“挑んだのは三戦”ってことは、挑んでない場外戦もあったって事かよ‥‥。しかも逆転されるって言うことは、
「政宗、頼まなかったのか?“今日は俺にヤらせろ!”とか」
「馬鹿。それじゃ妥協させてることになるんだ。そんなもの意味がねぇ。正々堂々とぎゃふんといわせねぇと」
 なにが正々堂々なのか、なにがぎゃふんなのか、もうよくわかんねぇけど。俺。
 口の中でたくわんのバリボリといういい音が響く。
 とにかく政宗の不満どころって言うのは、あしらわれているというか、余裕の対応が不満の一つなんだろうが、海千山千の小十郎に戦い挑むなんてすげぇ。これって“そこに山があるから”の心理か?
 つーか、やっぱり歪んでるよな。十年越しの恋ってこんなモンなのか?
 もう、政宗に対して呆れの溜息も出なくなった。人間って環境によく対応できるようになってる。
「なにやら、楽しそうな話をしてますね」
 と、小十郎が追加の茶などを持って、涼しい顔で部屋に入ってきた。
 知らないとは恐ろしい。お前をどうやって押し倒そうか、計画練ってるんだぜ?政宗は。そんでもって、この小十郎が政宗を抱く‥‥ねぇ‥‥。
 少しふて腐れている政宗になにやら小言を言いながらも、甲斐甲斐しく目の前で“従”を展開されると、俺には本当にこの二人が出来ているのかピンとこない。いや、もっと言うと小十郎が政宗を‥‥
「? 成実殿、どうかなさいましたか?」
「いや‥‥」
 だめだ。俺には想像力が乏しいのか、どうも成り立たねぇ。かといって成り立っても恐ろしい。でも、政宗が嘘を言う事なんてないから事実なんだろうしなぁ。
 ‥‥この場合、やっぱり俺がなんかしてやった方がいいんだろうな。──自分のためにも。



──昼。
 日中の太陽の暖かさと、土の何ともいえない柔らかさはこんなに癒し効果を含んでいるとは思わなかった。
「珍しいですね。成実殿。貴方から収穫の手伝いを申し出てくださるとは」
 そう言って、畑に鍬を小十郎は振るう。
 まぁ、こうでもしなきゃゆっくりと込み入った話は出来ない。数人の若衆に混じり、真面目に収穫を手伝って機を窺ってたかいがあったってモンだ。
 人前で小十郎は、俺に対して極力丁寧な言葉を使ってくるが、この言葉使いが実はくせ者で。
「俺も丁度気分転換したかったしな」
「で? お話は何でしょうか?」
 ほれ見ろ。バレバレだ。
 とりあえず掴んでいた小松菜を背中の篭にぶっ込んで、また何事もなく鍬をふるう小十郎の元へと歩み寄った。
「小十郎、お前、政宗に手出したんだって?」
“ざくん”と、土以外の何かに鍬が入った音がして、慌てて刃先をみると、無惨な里芋の姿が‥‥
「なー! 里芋もったいねぇ。周りの土を削る程度でいいのによ」
 固まったまま動こうとしない小十郎を確認して、里芋を救出する。
「その話、どこから‥‥」
「政宗本人からだって! って、危ないからその振り上げてる鍬おろせ!」
「政宗様が‥‥」
 ぼてりと鍬が下ろされる‥‥というより落ちる。
 よかった。一瞬だが小十郎の表情が伺えなかった。絶対あの鍬は俺の首を狙ってた。
 命の危険がないように城ではなく、外のまったりとした空気の中なら大丈夫と思っていたが、甘かったぜ。小十郎の元では葱すら十分な武器になっちまうのに、鍬なんぞ振られたらひとたまりもない。
 黙り込んだ小十郎の顔を見ながら、「本題はそこじゃねぇんだ」と俺は続けた。
「そこじゃない?」
「あぁ、そこじゃない。その点に関してはむしろ政宗の願いをよく受け止めてくれたと拍手してやりたいし。たださぁ小十郎よ、政宗に花持たせてやってくれ」
「は?」
「いや、あれだ。政宗がな、俺に愚痴るんだよ。“勝てない勝てない”って」
「勝つ?」
 小十郎の顔が、何の話か飲み込めずに歪む。
 確かに閨話を勝負として持ってこられるとは思えないよな。俺、その点慣れちまったから‥‥
「小十郎に、閨でいいように扱われるのが気にくわないんだってよ」
 数秒間をあけて、表情は変わらないまま、小十郎は耳まで顔を真っ赤にさせた。
 ‥‥おもしろい。
「なにを、また」
「だからさ、政宗も男だって事だ。小十郎に不満はないし、あの分だとむしろ満足してると思う。が、ほら、小十郎が上手いのが気にくわないらしい」
“また無茶な‥‥”と言いたげに、小十郎の眉間に深々と皺が刻み込まれる。うん、俺もあいつは無茶言ってると思う。
「だからこう、な、あれだ、手を抜いてやるとか、一芝居打つとか、そういった事を‥‥」
 眉間の皺を一層深くさせて目を閉じると、小十郎は何かを振り切ったように瞳を見開いた。
「でしたら政宗様に、今後一切この小十郎にちょっかいをかけないよう言って頂きたい」
 ちょぉっっ!!
「ちょ、おい、まてよ。どうしてそんな極論に…」
「元々、この小十郎が触れたこと自体間違いなのです。根本から正す事が一番手っ取り早いでしょう」
「て、手っ取り早いとかそういう問題じゃねぇだろ。事がなった後に真っ新に戻すなんて無理だって、そんなものこじゅ兄が一番解ってるだろうに」
「それでも」と続けられる言葉にカチンと来た。いや、言葉じゃねぇ。崩れない表情にだ。無理矢理崩れまいとするその顔だ。
「ふざけんな、兄。言っちゃ悪いが今、一番正せないのはこじゅ兄の方だろが」
「なっ!?」
 ふん。言うまいと思ったが勘弁ならねぇ。俺は嘘吐いて、誤魔化してすまされるのが一番いやなんだ。
 世の中も、他人も、自分も。
「もう梵に手を出した時点で、こじゅ兄完全アウトだろうが。そんなところで自分だけマトモなフリすんな! 梵の方がよっぽど素直だ」
「──」
「ストッパーかかってないのは兄の方だろう。閨の次の日、根を上げてるのはいっつも梵だもんな。それでも──」
 あぁ。
 あぁそうか。
 十年越しの恋だから。触れられるだけで幸せなんだ。あいつは。
 幸せで、幸せすぎて“慣れない”んだ。んで、幸せすぎるから不安なんだ。自分だけが相手を感じてるんじゃないかって。一人で、自己満足の世界に入っているんじゃないかって。
 だから、小十郎の反応が欲しかったのか。
 くそ。こじゅ兄の糞馬鹿野郎!
「こじゅ兄がそんなすましてるから、せっかく梵は十年越しの想いが実っても、不安で一杯なんだろうが! 禁断だろうが何だろうが糞食らえだっ。成ったなら、手出したなら最後まで面と向かって正直に付き合え、馬鹿小十郎!」
 俺は、吐き捨ててその場を後にした。
 くそ。素直じゃない奴らばっかりだ。
 こじゅ兄だって本当は、その成しちゃいけない関係を続けちまうほど、政宗の事思ってるってのに。なんだよこれ。
 罪悪感持ったまま互いが互いに恋してどうすんだよ。
 そんなの、違うだろうが。
 絶対、違うだろうが。

 俺は…つまんない、はた迷惑な愚痴に付き合わされていただけだと思っていたけれど、本当に、つまんないことに巻き込まれてたな。

 少しは、俺が役に立ったならいいんだが‥‥




 その夜、鬼は音もなくやって来て、俺の部屋の障子を開けた。

「し〜げ〜ざ〜ねぇぇえ〜」
「!?!?!?!?」
 真っ黒いオーラ。力無くだらんと落とされた腕には、その腕とは反対にしっかりと握られた抜き身の刀。極殺状態の小十郎を再現しているその姿は、政宗だった。
「てぇめぇ〜‥‥小十郎になに吹き込みやがった!」
「!? ちょっ、まっっっ! 話が飲み込めねえっ」
 と、言いつつ俺はただ事ではない殺気に、その場から前転回避した。瞬間、“ざくっ”と畳に刃の刺さる音。
 やばい。マジだ。
「飲み込んでどうする。お前は余計なことをした。それだけだ。」
 ゆらりと刀が描く軌道を読んで、置いてあった自分の刀を掴み取り、一撃を防ぐ。ざくりと鞘に刃が食い込む。ここまで来てももちろん抜かない。抜いたら最後だ。色々と。
「俺を殺してなんになるんだ、政宗よ!」
「何になる? 気が晴れるに決まってるだろ?」
 にたーっと政宗は笑う。
 マジだー! 目がイってるっっ!!
「政宗様! 成実様!!」
 廊下からの救いの声に思わず顔がほころぶが、政宗はその声に振り向きもせず、ぐいぐいと刃を力任せに下ろしてくる。
 ぎゃぁぁああああああ!!
「政宗様! なにをなさっておいでか!」
 やってきた小十郎は政宗の右手を掴み、力を入れるその手を制止させるが、政宗はそれが不服なように小十郎を睨み上げる。
 こじゅ兄‥‥本当、なに余計なこと言ったんだ? 俺は至極まともなことしたはずだぞ?
「刀をお引き下さい、政宗様」
 確かに、振り下ろしてくる力は弱まったが、小十郎の静かな物言いにすら動じることなく、政宗はその刀を納めようとはしない。
 ゲージマックス過ぎるって‥‥
「成実殿は何も関係ございません」
 腕を掴むのをやめたかと思えば、小十郎は俺を庇うように、諸膝を着いて前に座る。それでやっと政宗は刀を静かに引いた。
 ‥‥助かった‥‥のか?
 黙ったまま俺たちを見下ろす政宗を、小十郎は真っ直ぐと見つめ返す。
「ただ、事実を述べたのが成実殿であっただけです」
 ‥‥何余計なこと言ったんだ? こじゅ兄ホント‥‥
「それがっ!」
「事実は事実です。余計なことでも何でもありません。政宗様がもし弄ばれることや小娘のように扱われる事が不服であれば、この小十郎にちょっかいをかけないで頂きたい」
「!?」
 こじゅ兄ぃぃ〜っ! 俺の話は聞いたよな? 聞いたはずだよな!?
 わなわなと肩を振るわせる政宗が見ていられない。もう、溜めゲージの針は振り切れている。
「残念ながら今後、さらに酷く扱う可能性もございますので、この辺りでお戯れは止した方がよろしいかと」
「!?」
「!!」
 こ、こじゅ兄ぃ!? そこまで言ったら俺もろとも切られるぞ!? マジで!
「戯れ‥‥だと?」
「戯れで、ございましょう?」
 カチャリと、政宗が刀を握り直した音がした。
 どうしてそう逆鱗剥ぐようなことばっかり言うんだよ、こじゅ兄!
「申し訳ございませんがこの小十郎、戯れに付き合えるほどの精神を持ち合わせておらず」
「──言ったな」
 振り上げられる刀。
 政宗の表情が見えない。
 小十郎の表情が見えない。
 違うだろ?
 お前ら、そうじゃないだろ!?
「言いました。戯れでなどで政宗様に付き合うことなど出来ません。」
 ‥‥‥‥え?
「情けない話ですが、この小十郎も男でございます。愛おしい者を前にして、自制が出来るほど出来てはおりません。」
「──」
「戯れになど抱けません。 」
 小十郎は、少し自虐的に笑った。
「手加減なしで抱かれる覚悟がございましたらどうぞ。」
 政宗の表情が見えた。
 顔を、首まで真っ赤にして、振り上げたその切っ先のもってゆく方向を忘れて固まっている。


 え、えっと‥‥
 俺、このバカップル‥‥どうしよう?





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