手






 うーっと、軽く唸ってみる。
 障子から差す薄日で朝だと解るが少々早い。かといって目が覚めてしまえば二度寝はしない主義なのでゆっくりと身を起こす。
 頭も痛いが身体もだるい‥‥昨日、調子にのって酒を飲み過ぎたか?などと思いながら、唸って自分の額に手を当ててみるが、一応熱はない。
 とりあえず、このぼんやりとした意識を何とかしようと、肩に羽織を引っかけ、伊達政宗はふらふらと部屋を後にした。

“政宗”という名前、まだ少し慣れていない。いや、名前だけではないか。
 つい最近、“藤次郎政宗”という名前を頂戴した。それは確かに、一人前の大人として認められるための名を頂いた事になり嬉しいのだが、それに見合った態度や責任をどんどん要求されてくる。
「‥‥」
 言いようのない期待と不安がぐるぐると胸の中で巡る。
 現実的に何かが変わった実感はないというのに、周りが変わってゆく。まるで城の外堀を埋められ、じわじわと攻められているような。
 実感が欲しくて手短なものに手を出すが、そんなもので実感が湧くはずもなく。
 このギャップに吐き気がする。
 何かができるようになったとされる周囲の目と、まだなにもできない自分。
 焦り、苛立ち、戸惑い‥‥そんなものが自分を押しつぶしそうで。
 昨晩の飲み方は、はっきり言って逃げだった。逃げる場所がなくて、無意識に酒に逃げていた。逃げている場合ではないというのに。
 それにしても、自分のペースではなく、他人のペースで大人にされることが、こんなに怖いとは思っていなかった。
 ただ大人になれると思った。
 自分のまま大人になれると。
「!──おはようございます」
 静かに厨房へと足を踏み入れたはずだというのに、政宗の気配に気付いた傅役‥‥いや己の一の重臣となる片倉小十郎は、竈の側でそう言って微笑んだ。
「あら、お早いお目覚めです政宗様。まぁどうされましたか?」
 小十郎の側でなにやら話していた己の乳母を務めていた喜多は、少し驚いた風な表情をしてから微笑む。
「なにかございましたら、用聞きの者にでも」
「いや、昨日少し酒を飲み過ぎたせいで頭が痛くて。」
「それはそうです。あんな飲み方は感心しません。小十郎に聞きましたよ、酔いつぶれるまで飲むなど」
「‥‥」
 ちらりと小十郎を睨むように見ると、少々申し訳なさそうに首を竦めた。
 昨日は止めに入った小十郎の制止も振り切り飲んで、記憶が多少飛び飛びである。やはり自棄を起こしていたかと、少し反省した。
「今日は遅いお目覚めかと、二人で話していた所ですよ」
 本当に、小さな頃からの付き合いというモノは、知られなくていいところまで読まれていて、なんだか恥ずかしくなると同時にホッとする。彼らの中ではまだ自分は“梵天丸”なのだと。
 まだゆっくり、大人になれると。
「──とにかく、何かないか?」
「あら、それでしたら丁度お味噌汁を作っている最中です。お豆腐多めにしますので、少し召し上がっては?」
「助かる」
 そう言って竈のある土間へと歩むと、段差に足を投げ出し、ちょこんと座る。
 酒が残っているせいか、目は覚めているはずなのにどこかぼんやりとする。胃に何か入れればもう少し目も覚めるだろうと考えていると、視界に影が差した。
 いつの間にか側に小十郎が立っていたのである。
「ぁあ、なんだ?」
 少し驚いたことを隠しながらそう言って見上げると、小十郎は短く「失礼」とだけ呟いた。
「──!!」
 ばくりっと心臓が跳ね上がる。
 ざわりっと全身の毛が逆立ったような気がした。
 するりとうなじに滑り込んだその大きな手が、政宗の全神経を叩き起こす。
 その手が冷たかったからだとか、ごつごつと固かったからだとか、そういった物ではなく、もっと別の‥‥
「熱がありますね。残り酒で感覚が騙されているかと。──義姉上! 卵酒の用意を」
 感覚は叩き起こされたというのに、思考が固まったままどうすることもできない。自分が、今、何に動揺したのか見当が付かなかった。
 ただ心音が、小十郎に聞こえそうなくらいバクバクと脈打っている。
「政宗様の熱は時々身体の中にため込まれる事が多いですから。まだ自覚がないようでしたらそろそろ節々が痛くなるかと。そうなる前にお部屋で休みましょう」
 静かに、ゆっくりと抜かれるその手を、無意識に感覚が追う。
「政宗様?」
 問いかけに、応えられない。どう応えていいのかわからない。
 ただ、熱を測られただけ。初めてではない。小さい頃にも何度かあった。
 なのに──
「まぁ! 政宗様、お顔が真っ赤! 卵酒はお部屋に運びますので、小十郎、早く政宗様を部屋へ」
「はい」
 腕を取ろうと伸ばされた手を、慌てて払いのける。
 こんなおかしな感覚はあまり味わいたくない。
「いい。一人で立てる!」
 そう言って政宗は来た道を逃げるように戻った。
 味わいたくないと思った手の感覚が、触れられたうなじで再現され、それを振り切るかのように、足早に部屋へと向かう。
 そして、着いた部屋の前で立ち止まり、政宗はそっと、自らのうなじに手を当てた。










余談:私の母やかかりつけのお医者様は熱を額ではなく、首の後ろ、うなじで量っていたのですよね。子供の頃は特に。
ノドの腫れ等も判るからだと思います。
小十郎が意識せず、不意にそんな事したら、梵以外のウチのムネ様'sは一発KOだと(笑)
変なところでウブなんです.........。