June bride








 しとしとと雨が途切れる事なく降るこの季節は、五月の一時の温かさとは打って変わって寒さが逆戻る。しかも、晴れ間があまりないせいで身体をあまり動かすことも出来ず、心までじめりとして。
“ふう”と吐いた溜息が白い。“寒い”と大声で主張するほどでもないが、気がつけば身を小さくして温もりを探すような寒さ。
 早くこの鬱陶しい雨が過ぎれば良いのにと思う。己でも身体も気持ちも心細くなるのだから、天候もあいまって部屋に篭もりきりの彼が、この天候と寒さにやられてないかと少し心配しつつ、いつも通り様子見に部屋を窺うこととした。





「小十郎」
「はい」
「結婚しよう。」
「──」


 窺った部屋で小さな彼は、興味深げに読んでいた本から顔を上げるなり開口一番そう言った。
 これは又、剛速球がやって来たと青年・片倉小十郎は冷静に思う。
 伊達家嫡男・梵天丸の傅役となって一年以上ともなれば、この破天荒な彼の発言にも行動にも驚かなくなって、この程度では寧ろ“きたか”と予想出来る範囲内だったと言おう。
 跳ねっ返りで子供扱いをされる事を心底嫌い、また頭の回転も話自体も大人との方が合うのも事実なのだが、それでもやはり子供。一つしか無くなったその目を守るためのように、壊れやすいその心を守るためのように、虚勢をまず先に覚えただけの子供。甘えや寄る辺を必要としていない訳では無い。必要としていないのは、彼の頭の部分であって本質ではないこと、長く時間を共にするうちによく理解した。
 とはいえこの時代の、しかも将来この国を統べるだろう子供を甘やかす事は良くないとと解ってもいる。
 様子伺いの口実に甘味と茶を持ってきていた小十郎は、目を剥きそうな発言に対してすぐには反応を返さず、何事もなかったように部屋の障子を閉めた後、それらを乗せたままの盆を少し端に置いて小さな主・梵天丸の前に向かって正座した。
 無茶を言い出すというのは、自分の話を聞いてくれる相手だという認識と信頼の表れだ。もちろん“どこから突っ込めば……”と途方に暮れる事もあるが、本質はいつも別の所にある。ならばどんな言葉であっても真摯に受け止めるのが己の務め。
「さて……突然結婚などと申す此度は、いったいどういったお考えで?」
「冗談だと思っているな! 俺は本気だぞ!」
 彼は老成している。知識も、考え方も。ただやはり子供らしい都合の良さは拭えないので、十中八九、結婚すればずっと一緒にいられるであるとか、そういった発想だろう。純粋な、ただそれだけの発想なのだ。
 仕える身としては嬉しく思うが、そのままその考えを放っておける訳にもゆかず、今回はどう切り返そうかと考えを巡らせて、一つずつ摘んでいくことに決めた。
「さてそれではどちらが嫁になりますかな?」
「小十郎に決まっているだろう。俺は伊達家の嫡男だぞ」
 少し凄むように厳しく眉を寄せ、大きな瞳を真っ直ぐにこちらへと向けてくる。本当に至極真面目な話のようだ。
「では片倉家はどうなりますかな?」
「喜多が婿をもらえばいい。それにお前が嫁に来れば一門だ」
「なるほど。では梵天丸さまの御子はどうなさいますか? 小十郎では子は成せませんよ?」
「なにも嫁は子を成すだけが仕事ではない。それに他にも嫁をもらい、子を成してもらうという手がある」
 これはこれはそうきたか。彼は彼なりの計画があるらしい。
「そこまで考えておいでですか」
「そうだ。ちゃんと考えた上だ。」
「大殿にはなんとご説明いたしますか? 反対されると思いますが?」
「反対はせん」
 キッパリと言いきる言葉と強い自信を宿した瞳。一体その自信はどこから来るのだろうか?
「何故そう思われますか?」
「父上は俺に必要なモノを用意してくれる。必要と判断すれば、父上は何も反対しない。」
 真っ直ぐ心を射貫く瞳。

「俺には小十郎が必要だ。そうだろう?」

 一撃必殺の殺し文句に、反撃の余地はない。
 ただ、正しく言い換えるなら彼に自分が必要なわけではなく、自分に彼が必要なのだ。
 甘やかしているようで甘やかされている。温もりを知らない己の手が、温かい彼の手を求めている。それが反転して伝わっているだけ。
 どこか、幼い彼の気持ちを利用しているような自分に薄々と気付いている。それでも……
 小さく息を吐いた後、微笑む。そしてゆっくり手を差し出しながら広げると、待っていましたとばかりに梵天丸は勢いよく小十郎の懐に飛び込んだ。
「なぁ、良い案だろう? 結婚しよう、小十郎」
 縋り付いてくれる柔らかさと温もりに、甘やかされていると自覚する。応えるように彼の背に手を回せば、するりと胸に頬を擦られ、愛しさが増す。
 互いが、互い以外他の誰にも見せることの出来ない甘えの形。
 彼はいい。まだ子供なのだから甘えも許される。だが己は、もう大人なのだ。
 情けないと自分を嘲笑する笑みしか漏れず。
「──さて、突然この案を思い立った根拠は何ですかな?」
 飽和する互いの甘えを宥めるように背中を撫でれば、渋々といった風に彼は抱きつきながら口を開いた。
「外国では、水無月に祝言を挙げると幸せになれるそうだ」
「ほぅ……それを知って梵天丸様は思いたったと」
「それだけじゃないぞ! 俺はちゃんと前から考えてたからな!!」
 着物をしっかりと掴みながら顔を上げ、突発的な想いではない事を梵天丸は真剣な面持ちで訴える。その痛いほどの真っ直ぐな気持ちが、どれほど伝わっているか、そしてどれほど彼を全てとさせてしまうかなど知りもしないだろう。
「それはそれは、ありがとうございます」
 躊躇いか否定の言葉が出て来るかと思っていたらしい彼は、小十郎の言葉を聞いてホッと顔の筋肉を緩ませた後、綻ぶ花のような笑みを隠すように、又胸元に顔を埋めた。
「なぁ。ずっと一緒にいられるんだ。幸せになれるんだ。結婚しよう。良いだろう?」
 その言葉だけでも、いや、今の状態だけでも、小十郎にはこの上なく幸せだと彼は気付いていない。これ以上の幸せなど己にはないことも。
「はい。有り難き幸せにございます」
 笑みしか作ることの出来なくなった顔をいかにして引き締めるかと考えながら、当たり前の事、この申し出を断る言葉を小十郎は用意していた。
 彼を傷つけないように。それでいて、そんな事がなくとも自分は生涯彼に付いていくと誓う言葉を。
 今度はこちらが彼を抱きしめやすくなるように、抱きつく彼の身体を少し抱き起こし、腕の中へと抱きしめ直す。顎や頬にかかる彼の柔らかい髪が少しくすぐったい。
「なら、すぐにでも父上に報告して」
「いえ、それは無用です」
 間を置いて、彼は不思議そうに男の顔を見る。
 今、承諾のような言葉を出した口が、何を言い出すのかと言いたげに。
「梵天丸様、小十郎を嫁にという話は無理にございます」
「! 何故だ、今お前は承諾しただろう? それとも何か、俺が気にくわないか」
「滅相もない」
「なら! ──……なら男同士だからといって逃げるか?」
 怒りと不安を入り混ぜた瞳が男を捉える。
 何処までも複雑な感情を抱く子供だと思った。
 決して、子供特有の都合の良い考えだけで押し切れない、現実を見る瞳を持っていて、そして考える頭を持っていて、普通の子供のように感情だけで押し切れるほど、彼は幸せでも愚かでもなく。
 そんな感情と現実と考えが綯い交ぜのまま、それでも感情を、この己を選んでくれたのかと思うと愛おしく。
「……小十郎?」
 ぎゅっと力を入れて抱きしめられたことに疑問符を付けて梵天丸は男の名を呼ぶが、この抱きしめる行為が小十郎の甘えだと悟った彼は、微笑んで抱きしめ返した。
「小十郎、なら何故無理だという?」
 腕の中の身体を伝って、落ち着いた声が届く。
 己を甘やかす小さな声。歪だと、解りながらも離せぬ腕。
「それはその──小十郎が未熟故です」
「未熟?」
「はい」
「小十郎の、何が未熟か?」
「そうですね……」と相槌を打ちながら、又抱きしめる。
 そうだ。この状態が未熟で問題なのだ。
「もし嫁ぐとしても若は他にも嫁を娶られるでしょう?」
「そうだな」
「……小十郎には耐えられません」
「なに?」
「耐えられないですよ」
 やっとの思いで腕の力を緩め、少しだけ身体を離し、彼の瞳を覗いてからニコリと笑う。
「他にも、若には小十郎の代わりがいると思うと、耐えられません」
「何を言う。小十郎は小十郎だろ?」
「えぇ」
「小十郎は子を作れぬだろ?」
「無論。」
「ならばそれしか──」
「だからこそですよ」
「?」
「解っていてもどうにもならないモノが、人の感情にございます。そして小十郎は未熟故、若の傍らにずっと居ることが出来るという確固とした立場を頂いてしまえば、分を弁えず少しずつ嫉妬に狂いましょうぞ」
 静かに、己を見つめる大きな瞳。そこに偽りなく、真っ直ぐ伝える。
 大げさでも嘘でもなく“さもありなん”な仮定。
 有り得ない空想の中で見え隠れする、歪んだ己の愛情。
「小十郎は梵天丸様に仕える者です。ですから、そのような無様な姿を晒さないためにも、この話は先に延ばして頂けませんか?」
 彼は真っ直ぐ双眸を見続ける。
 何を言っているのか、何処に真意があるのか見極めるために。その心が何処にあるか、偽りではないかと。
「──わかった」
「若……」
 ホッと一息をついた胸に、彼は又勢いよく飛び込んで頬を擦り寄せる。
「なら小十郎、早う祝言が挙げられるように忍耐を鍛えろ。気が短いのが良くないのだ」
「はは……そうでございますなぁ。」
 事実に苦笑いしか浮かばない。そして己の言葉が、彼の中でどういう形かはともかくとして、納得いったことへ安堵する。
「小十郎」
 又柔らかく、腕の中で声が響く。
「はい?」
「時が来たら、絶対だぞ?」
「……その時は、喜んで──」
 抱きつく彼を優しく撫でながらそう答える。叶うことのない約束を誓う。偽りのない言葉と共に。
 そんな日は、一生やってくるはずもない。
 現実云々ではなく、これは今日の、今現在の彼の言葉であって、明日の彼の言葉ではなく。
 一日一日、日々彼は目まぐるしく成長し、変わってゆき、この言葉や想いは真剣であっても明日にはどう変わるかは解らない。嘘であるとか移り気だというものではなく、それが成長という変化。
 今とは違った考えになることも、向けてくれるこの想いが記憶の隅に追いやられるだろう事も十年先を生きている己には解っている。
 解っていて今、この瞬間の彼に誓いを立てる。
 彼がこの先どう変わろうとも彼の傍に居、仕える事を。己の気持ちはもう、変わりようがないのだから。
「早く来ると良いな」
「……そうですね」
 温もりを探るように縋り付く彼の温もりを逆に感じながら、小十郎は外に耳を傾ける。
 しとしとと降り続く肌寒い雨が、もう少し続いてくれないかと願いながら。













−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
六月お題として書いていたのですが六月中に間に合わず、
さらに何だか、このバカップル何とかしてくれと成実な気分になってお蔵入り。
だったのですが、アップできるモノがないかとサルベージ(笑)
多分サルベージすると色々と上がってきそうです(笑)
ちなみに、皆さんも薄々気付いていると思われますが、
絶対こんな小十郎の甘い考えに梵天丸が収まる訳はなく、
この後、ことある事に「結婚」の二文字を口にするのは言うまでもありません。
不用意な発言は、陥落するまで言い続けられるぞ、小十郎(笑)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−