赤縄−蛇足−








 ふと、目を開ける。
 はて、いつの間に寝ていたかと真剣に考えるが、出遅れた記憶が眠る前……正しくは倒れた理由を思い出させた。思い出すと、色んな意味での疲れが目眩となって小十郎を襲う。
 相変わらず身体の感覚は鈍い。だが、能動的には意識と身体が伴わないとしても、受動的なこと──聞くであるとか見るであるに関しては、ハッキリしてきた。
 首を少し動かすと薬師の膝が。そして心配そうに自分の顔を覗き込む小さな主の姿が映る。
 なんとか、命に別状はないらしい。
「小十郎!」
 そう聞き慣れた声で呼ばれたかと思えば、布団の上から覆い被さるように幼い主は抱きついてきた。その愛情表現は非常に嬉しいのだが、今の小十郎にその愛情表現は、重い痺れで身体を改めて縛り付けるものなので、少々ご遠慮願いたい状況である。激しい痛みではないにしろ、正座での痺れが解けるか解けないかという時の、感覚は鈍っているわりに肉の中心辺りにまだ痺れが残っているようなあの感覚が、体重が乗っかるたび、締め付けられるたび、ピリピリと襲う。
「う……」と小さく呻くと、初老の薬師はこちらの状態に気付いたらしく、柔和な笑顔でやんわりと覆い被さる主に声をかけた。
「ホッホッ。若様、もう大丈夫のようですが、小十郎殿がご自分から動かれるまでそっとなされませ」
 そう声をかけられると、彼は素直に「ん。」と頷き了承した。
 ゆっくりと離れる間、ジッとこちらを見つめる隻眼が酷く自分を切なくさせることに小十郎は目眩を覚える。
 真っ直ぐ真っ直ぐ向かってくる感情が、有り難く怖ろしく、また応えることが出来るか心配になってゆく。等価か、それ以上でなければ真意など伝わりにくいと小十郎はよく知っている。だからこそその瞳にこれから先も仕えると誓った小十郎は、その“これから先”の幸せな苦労に対して目眩を先取ってしまった。
「まぁ。気がつきましたか」
 彼が退くことによって開けた視界に、ニコリと微笑む女房の姿。
「……あ、姉上?」
 舌が上手く回らず、力ない声でそう言うと、義姉の喜多は了承するように微笑み、主・梵天丸の傍に歩み寄ると横に座って、並んで小十郎の様子を窺った。
「大変でしたね」
 その言葉には“労る”というよりも“まぁこんなこともあるでしょうよ”といった、返答しづらい意味が上乗せされているように聞こえ、小十郎は笑顔を引きつらせるのみに止めた。
「若、此度の一件は言わずもがな、よろしいことではありませんよ」
「……」
 やさしく喜多に諭される彼は静かに俯く。チラリと小十郎を見るが、罪悪がすぐさま彼の視線を逸らせた。少し可哀想になってくる。
 確かに悪いことではあるが、自分はこうして生きている訳だし、反省していただけたならそれでいいと思う。……まぁ、甘い思考ではあると思うが。
「小十郎は確かに丈夫でございます。鬼役も兼ねておりますが、それは若を守るための鬼役。毒を喰らうが仕事ではございません。お解りなりますね?」
「……ん」
 項垂れ、心から反省する姿にこちらの胸が痛む。
「なぜ、痺れ薬など?」
 続く喜多の言葉に間を空け、もじもじと梵天丸は膝の上で指を動かす。だが言いにくい事柄から逃げるためでなく、説明するために落ち着かないのだと、小さな口が何度も開かれかけることで察っしつく。
「小十郎は一度、俺の元から去ろうとした。……だから、ずっと、一緒に居てくれるように……」
 元気なく俯いてゆく。その気持ちだけを聞くと心底有り難いのだが、行動がかっ飛びすぎる。
 大体、痺れ薬で押し倒した後、いったい何を企んでいたのか。想像力が浅はかなのか豊かなのか。何をしようとしていたのかその先を聞きたいような。そして聞いてしまったら聞いてしまったで最後のような気持ちになる。
「まあまあ若。あの時の小十郎は、乱心この上ないもの……。そんな小十郎に目をかけていただき、喜多は嬉しゅうございますが──」
 もうよく解っておいでなのだからと諫めるため、小十郎は口を開こうとした。
 が、
「せめて人用のものにして下さいませ。」
「───────はぁ?」
 責めるだろう言葉を止めようとした小十郎の口から、間の抜けた声とは言えない音が漏れた。しかし、そんな音は聞こえなかったように喜多は続ける。
「小十郎は死んでも死なないように見えますが、一応人間。ですから、それ相応に人間としてお扱い下さい」
“論点そこか?”と突っ込みたくなるが、流石に主もそこは負けない。
「俺も考えた。だが小十郎は鬼役だぞ? 本当なら鎮痛阿片を考えていたが、どのくらいで効くのか見当がつかなかった。それに阿片は中毒性があると聞いた。小十郎が中毒になっては困る」
「まぁまぁ! そこまで小十郎の事を考えて下さっているとは! 喜多はまこと嬉しく……」
 声に出せるものなら、会話の中におけるおかしな点や不満を一気に出したかったが、例えこれが健康な、通常の身の上で会話されていたとしても多分……いや、十中八九、小十郎はそのおかしな論点に突っ込みきれないで声を呑むことになるので、あまり変わりはなく。
 視界の端で薬師がガタガタと薬箱を探っているのが見えた。自分が出来るのは、この薬師に丈夫な箱か錠を渡すことぐらいなのかも知れない。
「他の薬でも考えたが、倍を盛ってしまうとすぐばれると思った。熊なら、そこまでの量を盛らなくても済むだろ?」
「まぁ、そう言われてしまえばそうですね」
 もう……頭上で繰り広げられている会話を理解しようなどと、小十郎は思わなくなった。
「しかしですね若、熊はやはり熊でございます。これからもし又こういったことを思い立つのであれば、ちゃんと薬の事を勉強なさって、薬師とご相談なされた上で適量を盛られるのがよいかと存じます」
「あぁ、わかった!」
 元気のよい返答が、頭の中でわんわんとこだまする。
 薬師が、少し同情するようにこちらを見てくれている。最後の砦はまだ味方のようだ。
 喜多との会話が終わると、梵天丸はくるりと小十郎にむき直し、顔を覗き込んで微笑む。
「安心しろ。当分はしないからな」
“……当分と言うことは、この先又あるのですか?”とも聞けず。
「それより俺は、もっともっとあれが欲しい」
 笑顔を作る彼に、喜多は小首を傾げた。
「……若。あれとは何でございますか?」
 喜多の言葉に梵天丸は屈託なく返す。
「小十郎の気持ちだ」
「気持ち──でございますか」
「あぁ。すごいぞ! フワリとしてて、トロリとしてて……もっともっと欲しい」
 その表現に喜多は更に首を傾げる。気持ちがフワリとしてトロリとしてもらえると表現するのだから、幼い彼を甘い菓子かなにかで餌付けでもしたと思っただろう。
 それに対し梵天丸の、高揚感に少し染まった頬と熔けそうな瞳を見てしまい小十郎はドキリとする。すると本人、その時の興奮を思い出したのか、耐えきれずにまたも勢いよくガバリと小十郎に抱きついた。
「──〜っっ!!」
「若様っ」
 二人の制止は何処吹く風か、梵天丸は何度も頭を擦りつけ抱きしめる。
「早く良くなれ小十郎。そして早くいっぱい俺にくれ」
 これは多分、言葉にするとなれば幸せなのだろうが“幸せ”という言葉にするには何かがどこかがちぐはぐとして。
 覆い被さって、少し落ち着いたのか梵天丸はゆっくりと離れるのだが、離れる際に、自分を覗き見るその隻眼が、いやな光を放った。
 正常な状態であるなら避けられたというのに。予見していたことを避けられないというのは、なんとも無念なことだろう。
 ちゅうっとまたも小十郎は、いとも容易く唇を幼い主に奪われてしまった。
 そして同席していた二人は、その光景に言葉が出ない。
「わわわわわわわわ、若っ!!」
 やっと正気に戻った喜多がおかしな声で彼を呼び、素早く彼の両脇を持って、勢いよく引っぺがした。
「な、何をやっておいでですか!?」
「何ってkiss……」
「は?」
「南蛮……伴天連ではこうやって口を付けるのが、親愛の証だったり挨拶なんだぞ」
「は……ぁ……いや、そうであったとしてもですね」
 顔を赤らめてどもる喜多とは逆に、小十郎は少しあぁなるほどと納得した。
 いくら虎哉和尚から少し歪んだ知恵を入れられたとしても、いとも簡単に抵抗なく口付けてきたことにおかしいと思っていたのだ。そういった、余計な下知識があったために、口付けるという行為に対し更に抵抗がなかったのだろう。
 大体この時代、一般的には口付けは性行為にかなり直結している行動で、春画として絵になるほど。喜多が慌てるのも無理はなかった。
「何度もしていると離れられなくなると聞いた。だから小十郎が離れられないように毎日する」
「マッ──」
 あぁ。凄い宣言が来たと、布団の上だというのに小十郎は目眩に襲われる。視界の端にいる薬師は、コメントできずに笑顔を引きつらせる一方だ。
 喜多はどこから、何から言葉にしようかと、何度も言いかけてはやめを繰り返し、やっとのこと声に出した。
「いったいそんな話をどこから」
「和尚。」
 放たれた犯人の名前に、瞬間、喜多の目が据わる。
 一つ自分がしなくてはいけない仕事をする手間が省けたと、小十郎がホッとしたのもつかの間だった。
「それに、小十郎もこれならいいと」
“いってないいってない”と怪談話に出てきそうな形相の喜多に向けて小十郎は首を振るが、視線が離れることはなく。
 そんなこと自分がいつ言ったのか、彼に問いただしたいのは山々だが、彼にしてみれば、嘘を言ったつもりもなく、多分本当にそういう事として解釈されているのだ。こんな所にだけ、幼い子供に良く見受けられる、都合のいいところだけを理解し話をくっつけてしまうと言う特性が出ていた。
 いつもの彼であるならあまり見受けられない事。なので真偽は全て自分へ……
「──梵天丸様。」
 改まった喜多の気配に「なんだ?」と幼い主は真摯な目を向ける。
 喜多はにこり、緊張を解すように微笑んだ。
「梵天丸様が気にかけてくれるこの小十郎が早く良くなるように、喜多は今から特別な治療を施しますので、席を外していただけますか?」
「?」
 彼は、その小さな顔を動かし、笑顔の喜多を見、言葉のでない小十郎を見、もう一度彼は喜多を見る。
「すぐに済みますのでご安心下さいませ」
 その笑顔が怖ろしいものだと、薬師も察しただろうと思いながら、小十郎はゆっくりと目を閉じる。
 己のことに関して諦めが早い性分はいいことなのか悪いことなのかは解らないが、ただただこの途切れない目眩が治まる介錯が欲しかった。










書いた当初から思っていた展開。
片倉姉弟は種類の違う梵大甘でいいです(笑)
梵天丸は計算と子供らしさが入れ替わり立ち替わりなので、
小十郎は手玉に取られるがよろしいです。
むしろ私の理想です。