想紅







 まるで奥州の冬のような白い肌の中で、赤い唇が異様な存在感を出していた。しかし、その女の紅は魅力的なものではなく、警戒心を異様に駆り立てる赤。
 寒さだけではない、ピリリとした空気が部屋を占めている。
「ぬしを呼んだのは他でもない」
 赤い唇が静かに動く。
 彼は、ただ深々と頭を下げたまま聞き入った。
「此度、梵天丸の傅役としての心構えを聞きとうてな。──ぬしは伊達家のために働くのか、それとも梵天丸のために働くか」
 淡々とした物言いに、ゆっくりと、彼は顔を上げる。
「どちらじゃ?」
 真っ直ぐ、彼は女を見据えた。







 その日は、朝から雪が静かに降り続いていた。
 広い城内、伊達屋敷奥の中庭も白く雪化粧をされ、渡り廊下を歩くかすかな足音すら吸い取ってしまうような静けさを生み出す。まさに深々と降り積もる雪。
 外は真白く塗りつぶされ、色を無くしていく。しかしその白い雪の狭間から、時折覗き見える深い緑と赤い色が、外廊下を歩く片倉小十郎の視線を奪い、足を止めさせた。
 なんと鮮やかな寒椿だろうか。埋もれることなくその色を、存在をこちらに知らせているようだ。
「小十郎。」
 先に歩いていた義姉の喜多が、足の止まった彼に声をかける。
「失礼」と断りをいれ、小十郎は歩き出した。
 この役を、初め彼は渋っていた。伊達家嫡男・梵天丸の傅役という大役──人生の全てが決まるこの命に対し、戸惑うなという方がおかしいが、命が下った以上絶対となる時代で、彼は長く、拒否にも近い戸惑いを見せていた。
 やっと首を縦にしたものの、義姉として、先に梵天丸に仕えている乳母として、彼女にはそれが気がかりである事は否めない。
 しかしその戸惑いがあるからこそ、小十郎が傅役として向いているという、彼を薦めた遠藤氏の意見もあった。梵天丸の事を考えているからこそ、自分に何が出来るのか、彼は冷静に、そして心から考えているのだと。全てを。まだ傅役ともならないうちから。
 部屋にたどり着き、裾に手を添え、喜多は冷えた廊下に膝を着ける。小十郎は半歩後ろで片膝を着いた。
「梵天丸さま、喜多にございます。」
「入れ」
 襖越しに、子供らしいハキハキとした声が聞こえる。
 ゆっくりと開けられる襖。それにあわせるように、小十郎の頭は垂れる。
「失礼いたします。──傅役となります小十郎を連れてまいりました」
「通せ」
 喜多は俯いたままの小十郎に合図し、中に入るよう促す。促され、やっと顔を上げると、仁王立ちでこちらを見るあの子供がいた。
 子供は、つまらなげに小十郎を見下ろす。
「‥‥お前が小十郎か?」
「お初にお目にかかります。片倉小十郎景綱にございます」
 右目に包帯を巻いた少年・梵天丸は、小十郎の嘘に対し、満足げに微笑んだ後、襖の仕切りがある奥の、小さな火鉢のある上座に座った。
 お互い、一度だが会った事があった。まだそれは、互いが誰かは知らず‥‥いや、お互い薄々知った上だったが、それは公ではなかった。だからこそ、この白々しい嘘が意味を持つ。
「“そんなところで突っ立ってないで、座って身体、温めろ”」
 そう言って、上座近くにある火鉢を指差すと、梵天丸はニタリと笑う。
──これはまぁ‥‥
 その台詞は、互いの立場を伏せていた際に、小十郎が梵天丸に対して投げた言葉だった。
 記憶力がいい‥‥いや、根に持ちやすいタイプというべきか。
 一礼して、小十郎は梵天丸の傍まで歩み、腰を下ろす。
 喜多は大丈夫と判断したのか、静かに頭を下げた後、部屋を出て行った。
──さてさて。何が飛びだすやら‥‥
 傅役として向き合うのはこれが初めてである。どう転ぶかはまだ未知数だ。
 自分の主となる梵天丸は、子供ながら整った、理知的な顔つきをしている。右目は包帯で覆われているが、そのために全てを見ようとする残った目が、ギラリと時折光る。まるで刃物だ。そこらに転がっている大人と対峙するより気が抜けない。
 お互い、黙って見詰め合う。保っていた均衡を破ったのは梵天丸だった。
「作麼生!(そもさん)
「──説破。」
 突然の禅門等の掛け声。表情を変えることなく応えた小十郎に、梵天丸はまた笑う。お気に入りの玩具を手に入れたように生き生きと。
──本当に性質の悪い瞳だ。
「さて小十郎、お前は俺の傅役になる事、渋っていたそうだな。それは──」
 危うく言いかけた本音を梵天丸は飲み込む。幼いながらのプライドの高さが見えた。
「それは俺が伊達家当主として向いていないからか?」
「非。むしろ逆にてございます」
「逆?」
「お館様は若に対し、伊達家当主となるべく一流の人材・教材を揃えております故、そこへ自分が傅役などと‥‥」
 小十郎は長男ではない。歩小姓等の才覚を表したところで、実際片倉家のあぶれ者である。実力を出したところで、正しい評価をするものは少なく、むしろそれが片倉家を叩く要因ともなる、皮肉な立場。
 夢を見ることも、己を誇示する事もできない。ただ、いればいい──それが彼の長年の立場だった。
 瞳を静かに伏せてゆく小十郎を、梵天丸はまたつまらなげに眺める。
「ではなんだ、父上は傅役だけ一流を選ばなかったと?」
「‥‥」
 今度、何かを言いかけ、飲み込んだのは小十郎だった。
 仏頂面の彼の困った反応に、梵天丸は楽しげに笑む。
「作麼生」
「‥‥説破。」
「傅役とは主に仕え又、主を守り、導くものと聞く」
「いかにも」
「どう導く?」
「──非。」
「非?」
「この小十郎、まだ若の目指す道を聞いておりませぬ。目指す道が決まっていないのであれば、道標は意味の無きものでしょう」
「ほぅ‥‥異な事を言う。この時代の城主の嫡男として生まれれば、何を目指すかなど、わかりきった話だと思えるが?」
──そうくるか。
 小十郎は心の中で笑う。
 この子供、困った質問を投げかけるのが趣味と言える。しかもそこに独自の価値観を置いて試してきている。遊びで振り回すチャンバラの刀が真剣なのだ。趣味が悪い。
「この小十郎、若の傅役として決まったその日から、この身を捧げる覚悟にてございます。だからこそ、直にその声、その心を聞いてこそのわが身。」
「‥‥」
 黙り、その隻眼で小十郎の顔色を覗くと、唇の端を上げる。
「では、今、お前は俺を伊達家の当主として育てようという気はないというのだな?」
「是。」
 言い切った言葉に対し、梵天丸は露骨に口をへの字に曲げる。
「是だと?」
「育てるは乳母が役目、自分は若がこれから見る先を共に見、ご助力いたす身。梵天丸様が何を望んでいるかわからない今、自分は傅役でもありますまい」
 否定的・マイナス的な発言を、隠そうとはせず言い切る小十郎を、梵天丸はしげしげと見続ける。
「作麼生。」
「説破。」
「俺の機嫌をとらんでいいのか? とった方が身のために思わぬか」
「非。おべんちゃらや褒め言葉が欲しいのであれば他の方を所望されよ。過保護もよいものと思いません。そして我が身を思うなど、傅役など勤まりますまい」
「はは。確かに。お前はこの俺を守るんだものな。‥‥よし、身のためを考えていないのなら、言葉遣い、許可してやる。どうせ地ではないだろう?」
 片眉だけを器用に上げ、小十郎は梵天丸を見る。まったく、どこまで子供の悪戯で、どこまでが大人の意識かわからない。
 にこりと笑い、梵天丸は立ち上がったかと思うと、何の前ふりもなしにベタリと小十郎の首‥‥どちらかといえば頭にへばりついた。
「若?」
「俺が見る先を見せてやる。庭へ」
 梵天丸が何を望んでいるか察し付いた小十郎は、“はいはい”と言いたげに、右腕に抱えるようひょいと梵天丸を乗せて立ち上がる。
 子供は、はしゃぐように笑った。
 元より、武家の子供は甘えたい盛りに突き放される事が多い。その中で、強い忍耐や精神が養われるが、梵天丸の場合、それでは納まりきらない。
 子供らしい甘えの心情と、人を信じきれなく拒絶してしまう心情が、網目のように交錯する。
 それが、まだ二回しか会ったことのない主に対する印象だった。
 部屋を出、渡り廊下を歩き、外廊下へと出る。
 雪は変わることなく降り積もり、外廊下の一部にも降り込んでいた。そろそろ雨戸を用意すべきか。
「あれだ、小十郎。見えるか?」
 足を止め、梵天丸の指差す方を見る。すると、部屋を伺う前、小十郎の足を止めた椿の木が一本、そこに立っていた。
 垣根代わりの椿は降り続く雪のせいか、そのすがたを白く、雪に隠すものも多いが、指差したその椿だけは、色を失くさずそこに立っていた。

「俺は、奥州の雪に埋もれる気はない。」

 耳元で力強く、主は宣言する。
 湧き上がる気持ちに、小十郎は微笑んだ。
「さすればこの小十郎、雪を払い、また、雪に強くなられるよう、お仕えしましょう」
「あぁ、期待している。それと小十郎」
「はい」
「俺に仕えるなら、その身もかわいく思え。俺は使い捨てなどいらん」
 ただ、頷く。
 会って二度目。そこで頂く存在を肯定する言葉は、小十郎にとって何よりのものだった。
「‥‥ところで若」
「なんだ?」
「あの椿には雪吊りの用意をしなくても良いのですか?」
 寒い冬のやってくるこの地では、大概の植物に雪対策・防寒対策が施される。最低限の対策はなされているものの、少々心もとない。
「ん〜」と軽く小首を傾げた後、梵天丸は閃いた。
「あまり過保護もよくないのだろ?」
 目を丸くする小十郎に、子供は笑う。
──やれやれ。
「では、頃合をみてかけましょう。あまり厳しすぎ、花が散ってしまっては意味がない。愛でる花があってこその椿ゆえ」
「そうだな。一緒に愛でる先があってこそ──だな。」
 愛でる椿の紅は鮮やかで、雪に埋もれる事はなく。
 梵天丸は、はらはらと振り込む雪の結晶を掴み、小十郎へと見せようとするが、子供の体温に包まれた雪が、その原型を留めておくことなど無理な話。

 鮮やかなるは、椿の紅のみか。とかされるのは雪の結晶のみか。






「この小十郎、若君の傅役と決まったからは、全ては若君の為に存在する身」
 静かながら、はっきりとした口ぶり。
 退くことを知らぬ双眸に、女は“クッ”と喉の奥で笑う。
「よう申した。わらわの前で、よう‥‥申してくれた」
 赤い、女の唇が、緩やかに弧を描く。
「伊達家を考えるは‥‥伊達家の者でよい。ぬしは梵天丸のために働き、仕えよ」
「お方様?」
 弧を描き、いいようなく伸ばされる赤は、唇を噛み締めると同時に、白い肌に埋もれる。
「伊達を考えるものは、伊達の者だけでよい──」
 どこを見るでもなく、泳がされる瞳。だが彼と変わらぬ強い決意も見える。
「承知、仕りました」
 深々と彼は頭を下げ、埋もれる赤を見送った。