小夜 

 不楽是加何 小夜嵐之篇03









 海上で小田原城組と一夜城組、二手に別れることとなった。
 襲撃のタイミングは一夜城への夜襲。自分たちが助っ人であるという意味と華を持たせるという意味で、号令と一番槍は北条の爺様に任せることとした。
 風魔は北条への文を届ける指名もあり、一足先に小田原城に。政宗と元親も一旦小田原城へ入ってから、やってくるだろう秀吉が来る北西へと向かう。
 一夜城組の小十郎とは海上での別れとなった。
 乗組員等の入れ替えや戦支度の手伝いを軽くしてから別れたのだが、元親はふと身を整える竜の右目を眺めた。
 衣は、左前だった。
 それに少し驚いて見ていると、右目はニコリと、とても心地よく笑いかけてきた。
「では鬼の坊や、ご自慢の船とカラクリ‥‥そして部下を少し借りうける」

 あまりにも思い残すことのないような笑みに、胸が、痛んだ。

 




■小夜■





 雄大で壮大な白壁の城と総構え。全てを合わせると二里と少し──今の単位に置き換えると九キロにも及ぶ小田原城に、元親は呆れた。
 こんなに立派な城と風魔という伝説の忍を有しながら、一体何に怯えるのか理解が出来なかったからだ。
「無駄に歳は取りたくねぇな」
 元親の胸の内を察したかのように、北条氏政から分けられた栗毛馬を撫でながら、ぼそり政宗は呟いて大きく溜息。
「全くだ。」
 これには同感するほかない。
 小田原城に入ったとはいえ、城内に上がることなく政宗達は戦の支度を始めた。
 日が暮れ始め、もう夜が近い。少しでも遅れればこの作戦の負担は全て小十郎に行くと言っていい。風魔は北条が有利になる方法を建設的に見て動くので、この作戦で自分がどの位置であるか理解していい働きをしてくれるだろう。が、北条本体はといえば微妙である。
 動いてくれるであろうがこちらの戦力として考えるには無理があった。一応、北条の中でも動きそうな部隊には手を回し、戦力として加えたが、本陣豊臣に備え、一夜城には動きそうな部隊を一切回していない。
 小十郎単騎ではないが単騎──つまりそういう事だ。
「野郎ども! 夜釣りだ!」
「おぉーー!!!!」
 長曾我部軍の男共の野太い掛け声を合図に、行進する足音がザッザッと海波のように響いて前進してゆく。
 それを眺めながら二人の頭は馬にまたがった。
「さてどうする。」
「どうするも何も、最初は所定位置まで進み、猿の出方を待つしかないな。」
 初めて乗せる人間に警戒してか、馬がその場で足踏みするのを宥める政宗は落ち着き払っていた。穏やかすぎて気味が悪いほど。
──嵐の前‥‥
 眺めながら思う。
 嵐にぶち当たる前のあの波の穏やかさそのもので気味が悪い。
「独眼竜。」
「‥‥あん?」
「思わなかった訳ないだろう? もし、豊臣が動かなかったらと。」
 その言葉に動揺するでもなく、政宗は馬上から馬をなで続ける。
「“もし”は嫌いだ。猿回しの猿は舞台にだしていくらだろう? それに、その時はその時で動けと各所に言ってある。‥‥お前も聞いてただろう?」
「そうじゃねぇ。俺の言いたいことは」
 近い人間だということも息が合うことも解っている。が、こうやって共同で何かをすることはもちろん初めての上に、長く時間を共有することも初めてだ。すると見えてくるというものは多くなり、本質を見抜きやすい元親だからこそ、船上からどんどんと大きくなってゆく歪さは気になるばかりで。
「‥‥時間が惜しいな。」
 静かにそういって、政宗は鐙に力を込めた。






「おーおー。派手な花火が打ち上がってるもんだ」
 そう軽口をたたき、小十郎は手袋をもう一度締め直す。
 竜と鬼が居ればおのずと人はそちらに目をやるが、結局この男とて竜の右目を務められる“人外”。己を抑えている時ならばともかく、自由にさせれば異質な光を放ち出す。
 打ち合わせ通り上陸後、程なくして戦の合図となる鉄砲音が山々にこだまし、派手に響きはじめた。
 思った通り一夜城の資材は海から運ばれていたらしく、険しいながらも攻略しやすい道が出来ていた。そして道が出来ているにもかかわらず、道すがらの警戒が一見してない。
──誘われてる‥‥か。
 海から山に上がる入り口で、小十郎はその先を見上げた。
 誘い込んで一網打尽。そんな事は地理と陣形を見れば百も承知していたが、ここまであからさまだとは思わなかった。
 まったく貧乏性な軍師さんだと小十郎は溜息を吐く。徹頭徹尾完璧、無駄なことは一切したくないらしい。
──策も過ぎれば下策だ。
「右目の旦那、俺達はどうしやす?」
 ついてきた元親の部隊に声をかけられ、少し思案する。相手がここまで無駄な動きをいやがるとなれば、あまり手段を選ばないタイプだろう。そこそこ腕の立つ者でなければ身が危ない。
 基本的に軍師は腹の探り合いが仕事なのだから、あまりいい性格の者は少ないが、それにしても話が合いそうにないことは確か。
「船の中でも言ったように、進軍は遅くなるが回り道して絡繰り部隊と合流し、もう少し北条軍寄りから攻めてくれ。そして弾を惜しむな。これはお前らの戦いじゃない。金なら後からいくらでも北条に請求すればいい。命を惜しめ。無茶はするな。」
「右目の旦那‥‥」
「あ、でも俺らの部隊は右目の兄さんを助けろと、元親アニキから」
「あぁん?」
 眉を寄せた小十郎に、男共は一斉に頷いた。
──まったくあの坊やはお節介が過ぎる。
 クスリと笑ってもう一度考え倦ねる。断ってもいいが、そこまで心を無碍(むげ)には出来ない。
「なら半分、前進しながら絡繰り隊と合流。もう半分は俺の殿(しんがり)と伝令の仕事を頼む。」
「オォッ!」
「あっと‥‥ただし俺を目測で捉えられるギリギリの位置でついてくること。それから──もし俺が切れたら近づくな。」
「は?」
「俺は少し短気でな。切れたら敵味方変わりなくなる可能性がある。正気に戻るまで、ぶっ倒れるまで誰も近づくな。頭の二人が来ても近づけさせるな。傷つくところはみたかねぇだろう?」
「へ‥‥へぇ」
「そうなったら味方部隊も退散させるようにしろ。勘だが‥‥どうも切れて横っ面たたかねぇと目の醒めねぇヤツのようだからな。このお山の大将は」
 そう言ってもう一度小十郎は険しい山を見上げ睨み、するりと愛刀・黒龍を抜く。
「いいか、俺が見えるか見えないかの距離だぞ。無理だと思えばすぐ引き返せ」
「オォ!!」
 活きのいい返事に伊達の若衆を思い出し小十郎はにこりと微笑むと、足場の悪い闇の中を走り出した。
──裏道‥‥いや、行っても意味ねぇな。
 策が読まれているならば、その読まれた策を行うのもまた“策”。
 策など、物事を上手く運ばせるための方法であり、実行成るものではない。行動が、相手の描いた策の上を行けばいいだけの話だ。
 闇の中、目をこらす。
 立ち止まっている暇はない。迷っている暇はない。
──何かと一緒だな。
 ざわざわと小夜の夜風に木々の枝が揺らされる。
 視界の先に灯り。開けた場所と簡易の砦が数基見えた。が、人の姿はない。
 ‥‥いや、あった。
 薄明かりの中、闇に浮かぶ白い衣装がまるで亡霊のような。
──衣のせいだけじゃねぇな。
 生気がない。
 そこに立つ者は生きた人の気がなかった。
 小十郎は走る速度を落とし、こちらに背を向けて四方の砦の中心に立つ者の近くへと歩み寄る。
 一定の距離まで歩み寄り、足を止めた。
 静まりかえるその場には、遠くで響く北条の砲台音が時々届くものの、生気のない闇が静かにこの場を制圧していた。

 ‥‥パチ‥パチパチパチ‥‥

 背を向けていたものが、持っていた細身の剣で拍手しながらこちらへと振り向く。
 白い衣装に負けず劣らずの白い肌。短く切りそろえられたクセのある髪。そしてその目は、特殊な仮面で隠されている。
 誰かは知らない。だが、誰であるか解っていた。
「今晩は、片倉小十郎君。お会いできて嬉しいよ」
「‥‥竹中半兵衛‥‥」
 ニコリと半兵衛は、あまり心地の良くない笑みを浮かべる。
「まさかとは思ったけれど‥‥一人で乗り込んでくるなんて」
「遊びがてらで戦を仕掛ける坊ちゃんに割く人員はないんでな」
 呆れた口調の言葉に、微笑んで返す。
 挑発には乗らないと言いたげに半兵衛は視線を送った後、剣で横にある砦を指し示した。
「これが何か解るかい?」
「八門遁甲の崩し陣ってところか」
「正解。どうやら本当に軍師でもあるようだ。僕はてっきり特攻専門だと思っていたよ」
「大人は忙しくてな、一人で何役もしなくちゃならねぇ。残念ながら遊びにもあまり付き合ってられなくてな」
 まだ余裕を見せる小十郎を理解できないと言いたげに、半兵衛は首を捻る。
「片倉君、竜の目ばかりして視野が狭くなったのかい? 現状も理解できないなんて」
「現状? これがどうした」
 足場を少しならし、小十郎は静かに構える。
 半兵衛は大きく溜息を吐いた。
「やれやれ。やはり特攻専門のようだね。策も見えないし話も出来ないなんて」
「策が見えたら変えればいい。それに、話が出来ても理解出来なきゃ意味はねぇだろう?」
 口元で笑みを作って結ぶ小十郎を少し驚いたように目を見開いてから、半兵衛も口元で笑みを作って見せた。
「そうだね、その通りだよ片倉君!」
 同意するように高らかに上げられた声と供に、人の気配がなかった砦から小十郎に向かって矢が放たれる。が、矢がその場を射る頃には小十郎の姿はなく、駿足をいかし男は半兵衛の懐に飛びかかって刀を合わせていた。
「まったく、せっかちな人だ」
「言っただろ? 大人は暇じゃねぇと」
 応酬する刀の音と鍔迫り合い。
 互い身のこなしが軽く、力押しではないので立ち位置がころころと変わる。矢は射てない。それを見込んでの飛び込みだとイヤでも解る。
「僕はあまり肉弾戦が得意じゃないんだよ。」
「なら静かにオネンネしてな」
「──君がね。」
 異様な気配に気付いたのとその台詞は同時だったか。細身の剣刺と思われた物は小十郎の前から姿を消した。
 いや、崩れた。
「!?」
 咄嗟、背後に感じた何かを黒龍で払いのける。
「‥‥おや。流石気付いたね」
 カシャリと金属音を立て、又それは剣の姿になった。
 剣ではない。多節鞭だ。
「本当に趣味がよろしくねぇな」
 背後に直接ダメージを受けなかったものの、咄嗟に払いのけたおかげで腕を引っかけてしまい、血が溢れ出る。刃がささくれだったようになっており、肉を汚く裂くように出来ているからだ。
「趣味がよろしくないのは君だろ? 片倉君。才も武もあってこんな無茶なところに特攻してくる。規律の取れた軍を作ろうともしない。それでいて天下を取ろうなんて言っている‥‥僕にはまったく解らないよ。──何故政宗君に附くんだい?」
「‥‥政宗様の名前を気安く呼ぶんじゃねぇ。」
「フゥン? 竜の目ばかりやると本体が見えないからね。彼は不安定で幼すぎるよ!!」
「気安く政宗様を語るなぁっ!!」
 本来の剣の力をふるい半兵衛は応戦するが、半切れの剣豪相手には、手傷のハンディを付けてもらったところで圧されてしまう。
「チィッッ」
 バックステップで場を離れ、半兵衛が片手を軽く上げると、ぞろぞろと四方の砦から竹中軍の兵が現れた。
「まったく‥‥残念だよ片倉君。君ならこれから秀吉がどういった存在になるか容易に想像出来たと思ったんだけどね」
「‥‥そうだな。奴は大きくなるだろうな」
「!? なら!」
「聞いてるさ、竹中半兵衛。秀吉の邪魔になるものは、目立たず静かに無くしていく‥‥まぁ、その気持ちは解らなくもねぇ。が、そんな過保護に育てられた野郎の望む未来など‥‥己の傷も直視出来ねぇ野郎に、未来なんぞ任せてられるか!!」
「!? きっ君に秀吉の夢の何が解るっ!!」
「わからねぇな! 一つの道しか無いと思っている小僧の考えなど解ってたまるかっ!」
 ドゴッという音と供に地表に突き刺された黒龍。その柄頭を押さえ小十郎は四面楚歌の状態で不敵に笑った。
「‥‥気でも狂ったかい?」
「いや、まだ正気さ。──さて坊ちゃん。さっきどうして特攻してきたかわからねぇと言ってたな? そりゃぁなぁ、あんまり大人しくしているとテメェら図に乗って、竜の恐ろしさが解らなくなるからここらで一つ解らせてやろうってぇー親切心だ!!」
「なっ!? 君はわざと」
 辺りに渦巻き始める異様な気配に、下級兵などは落ち着いていられず、辺りをキョロキョロと見回す。
 目の前には男がたった一人。だが、取り囲む何十という隊を易々と威圧してその場に抑え込む。
「落ち着いて! 相手は一人だ!」
 そう叫ぶ半兵衛も無意識に後ずさっていく。
 それは本能だ。
 命を守りたい・正気を保ちたいという人間の本能。
「あやめ あやめ あやめてしょうぶ‥‥しょうぶあやめて ははのきり‥‥」
 笑みを保って穏やかに謡われる歌。
 だが男が支配してゆくそれはまったく違うもの。

「さばえなすかみ とわよとみ!!」
 
 夜の闇に落ちる雷光は、一瞬にして辺りを包んだ。









 北条の夜襲が始まったと伝令を受けて少し。政宗と元親の連合軍も併せて動き出したが、秀吉の軍はほぼ防衛でピクリとも動かない上、半兵衛の軍もこちらにはさほど参戦してこなかった。
 小隊を打ち払いながら前に進む。少数精鋭とはいえ、その少数という現実がどうしても足を引っ張る。
 何を思って一夜城に兵を結集させているか解らないが、それでも秀吉の元には当たり前だが隊が散らばせている。下手に突っ込んで包囲されてしまってはこちらが危ない。気は焦るが、確実に火の粉を払いながら進まなければ、あっという間に火がついてしまう。
 事を早めに片づけるためにも、政宗はすでに竜の爪六本を抜いていた。
 技としては体力の消耗も激しく、防御をいささか無視したものではあるが、一掃するには丁度いい。ただその激しさは、一夜城の方面から見える光に比例するかのようでもあった。
「いやっほー!っと。おらよっ」
 後方で露払いを終えた元親が剛鎗についている鎖を利用し、敵を蹴散らしながら一足飛びに政宗の横へと降り立つ。
「後ろにはもう釣るもんなんざねぇぜ」
「こっちも今終わったところだ」
 ガチャリと爪を一本に戻す政宗を見て、元親は言いようのない気分に見舞われていた。
 表情は静かながらも瞳は闇夜の中ギラギラと光り、顔や腕には多くの返り血。辺りの死体は無惨なもので、噎せ返る血の臭いに混じり、髪や肉の焦げた独特の臭いが鼻にべとりとへばりつく。
「‥‥とんだ大食漢だ」
「? なんだ」
「何でも」
 訝しく一睨み。だが、大体何を思っているか想像はついた。
「鬼。現状は?」
「損害はほとんどない。だが気になることが」
「‥‥?」
「統率の取れた兵を置きすぎだ。この奥に大猿だとは思うが‥‥」
「居ても居なくても、解っていることは時間稼ぎ‥‥」
 そう結論づけ、“チッ”と大きく政宗は舌打ちする。
 木葉を隠すなら森の中。だがその木葉が政宗ではなかったとしたら?
 確信に政宗の息が荒くなってゆく。己を落ち着かせようと冷静を装うが、装えば装うほどバクバクと脈打つ鼓動が感じ取られ、焦りが増してゆく。
 血潮に合わせるかのように。渦巻きだした感情に気が高ぶる。
「鬼よ」
「あん?」
「計画変更だ。一部の部隊を残して引くぞ」
「なっ!?」
「お前も感じてるだろう。こちらから攻撃しなければ、向こうは動かねぇと」
 元親は黙った。それは同意の意。
「つまり?」
「つまり奴らの一番の狙いは俺でも城でもねぇ」
 ゆっくり、政宗は振り返る。
 振り返り、闇との境目がとけた石垣山を睨んだ。







 そこは、紛れもなく地獄。


 死体があるから地獄ではなく、全てが、人も木々も何もかも全て各々が、伝えられない思い思いの何かを語って呻いているように感じた。
 おのれの、おのれの、おのれの話を聞け。
 おのれの想いを、思いを。
 無念じゃ、無念‥‥
 暗闇に呻き声だけが響き、誰もが生気無く、生者なのか死者なのか解らない。
 そこに立つ男は、ただ闇よりも濃い影を落としている。


 突きつけられた光景に、緊張で喉が一気に干上がった。






 作戦を変更し、踵を返した政宗達が山の麓まで辿り着くと、一夜城攻めの北条軍は全て撤退完了している異様な光景だった。いや、撤退が異様なのではなく、生きているものがその暗い山を畏れて離れたように見えて。
 生者であるものが殆ど近くに居なくなった山は、生者を求めているような雰囲気を辺りに充ち満ちさせていたのが異様だった。
 撤退の早さは、小十郎に頼まれていた伝令の者達が辺りの者を引かせていたからだった。
 小十郎の願いと供に山の‥‥あの場の恐怖を語りながら。


「‥‥‥‥なんだよこりゃぁ」
「‥‥」
 中に入ることを止められた竜と鬼だが、彼らが従うはずもなく。小十郎が居るだろう辿り着いたその場は、言葉通り“死屍累々”。
 砦の篝火は転がる人の身体を、ただの地表の盛り上がりとして浮かび上がらせ、時折長い影を交錯させ、激しく動かす。
 その影正体は、小十郎と風魔だった。
「! 小十郎」
「!? なにやってんだ、あいつら」
 薄明かりの中で戦うその姿は、両者何かがおかしかった。
 小十郎はいつもの刀の振りではない。切るモノ・神聖な物としてまったく扱っておらず、ただ相手を嬲るための武器としての扱い方だ。決して愛刀・黒龍でなくてもいいのだ。人を傷つける道具であれば何でも。
 風魔も、今回助力を願った伊達軍の腹心を殺してかかる訳にもいかず、ただ攻めてくる小十郎に圧されるばかり。
 だが隙を見ては両手を忙しなく動かしている。
「‥‥印?」
「封じにかかってるな」

『右目の旦那の様子がおかしくなって、俺達‥‥』

 困惑し・怯えながら状況を語った部下達を元親は思い出す。
 小十郎の誰も近寄らせるなという言伝は、こういった事を危惧したのだろう。
「‥‥呪に喰われやがったな」
「──」
 静かに、さも当たり前の如くソレを呟いた政宗を、元親は驚いて見る。するとその驚いた顔へ、なんとも言い表しようのない皮肉気な笑みを浮かべて政宗は応えとする。
「どういう‥‥事だ?」
「‥‥アレは奥州の呪を一手に引き受ける“人形(ひとがた)”だ。“死国”の鬼よ」
「!!」
「詳しい説明は後だ。アレの足を止められるか?」
 不審や不可解さが憤りにも似た感情を呼び起こさせるが、かといって説明をしない彼が、心ない者でないことも元親はよく知っている。
 今までの彼を信じるほかない。この竜が、決して暴れるだけの竜でないと。
「──利くかどうかわかんねぇぞ」
「それでいい」
「貸しだぞ」
「それは小十郎につけろ」
「お前の腹心だろうが」
「喰われたのは小十郎だ」
「冷てぇぇえ」
「奴は俺に一切呪術は触らせなかったんだ!!」
 冷静な物言いが一気に崩れ、元親の言葉を遮断する。荒げた声を後悔するように政宗は視線を逸らした。
 感情の垣間見えた一言が、怒りではなく、どこか悲鳴にも聞こえ。
 深く突っ込まず元親は、視線を政宗から激しく鬩ぎ合う並はずれた二人へと移す。
 北条を想う風魔としては、例えて言うのであれば“荒ぶる神”となってしまったこの男を何とか抑えようとするものの、この状態を見ればまったく上手くいってないことが解る。
「‥‥闇の風じゃ祓いになんねぇだろなぁ。滞留するだけだ。」
 今、目の前に広がる現状が、さも日常のように元親は呟く。
 政宗にかける言葉など、そんなものある訳無い。無ければいつも通りに行動する。それが一番いい。
 ばすんと、元親は政宗の肩を叩いた。
「竜よ、呆けてる場合じゃねぇぞ」
「言われるまでもない」
 顔つきを変えた政宗を見て少し安堵すると、元親は部下からもらい受けた徳利の中の酒を口に含み、両手に霧吹きのように吹きかけてから武器を構え手前に進む。こんな所で役に立つとは思いもしなかったが、気休めのお清めだ。
「おい忍っ!! 役者交代だ!」
 押されていてもやはり余裕はあるらしく、こっちの声に軽く頷き、忍は一瞬にしてかき消える。
 獲物を逃がした小十郎だろう男はギロリとこちらを見たかと思うと、切っ先を地上に這わせながら、ゆっくりとこちらへ向かって歩み始めた。
「ちぃぃっ!! 何処まで利くか…期待すんなよ、竜よ」
 目の前のよく知る人物の禍々しい気に押されまいと、元親は睨みを利かす。
 利かせて、“ひゅーっ”と音が鳴るほど息を吸い込み呼吸を整えた。
「東方朝日の天道血花くづし、ちりまくさの大神様行い下す!!」
 声上げ法文を叫ぶと、頭上で碇型の剛鎗を一回転させるやいなや、“ドゴッ”という地響きと供に地上に突き刺し、方陣の中心を成す。
「打つ剣 飛ぶ剣 薙ぐ剣 切る剣と行い下す 天地守護天地要合天地和合の小鷹の印と 言車の矢ぐいの ひつ手にむすんで 巻立て 巻下す」
 気の高ぶりが地鳴りに変わる。夜の法文は響きすぎる。いや、唱えるものが四国の鬼だからだろうか?
 そして小十郎の足はピタリと止まった。
「ha 流石“死国”の鬼だ」
「生血と切りこむ 白血と切りこむ 青血と切りこむ 黒血と切りこむ 真血と切り込む 五式五色の血花がおちこめ ちりこめ 五方天道血花くづしの法もつて 悪まの体わ 玉水魂魄 みぢんに切つて放す!!」
 パキッと空気の割れたような音。と供に、小十郎の身体にはまるで重しが付いたかのように、ガクリとその場に片膝を着いた。
「お。利いた」
 行った元親が半信半疑だったように呟いて、チラリと政宗を見た。
「で? この後どうするんだ? 足止めしたまま正気に戻るまで放っておくか?──っておい!」
 政宗は、ゆっくりと歩き出す。小十郎に向かって。確かに、膝は折って足止めになっているものの、決して元に戻っているとは言い難い小十郎の元へと。
「おい! 独眼竜!!」
 慌てて止めようとするが、小十郎の足止めとして法文を唱え突き刺した剛鎗を抜く訳にも、まして無視して動く訳にもゆかず、元親は見守る他ない。
 そうこうしている間にも、政宗は小十郎の側へと辿り着く。
「小十郎。」
 その顔は別のモノで。まるで抜き身の刃。
「小十郎」
 味方でもなく、従うモノでも支配するモノでもないそれに、政宗は何故か穏やかな笑みを浮かべつつ、その名を唱える。
「こじゅうろう」
 唱え、政宗は警戒を剥き出しに表すソレの両頬を捉える。
 まるでそれは、刃の切れ味をおのが手で確かめるようにも見えて。

「お前の主はここだ──。」

 そう言い括って、唇を、ソレの唇へと宛う。
 深く。深く。
 その光景は、異様だった。
 抒情的にもかかわらず、あまりにも穏やかで、それでいてあまりにも禍々しい。
──な、んだ?
 意識しなければ、呼吸を忘れる。そんな圧倒される何かと元親は戦いながらその光景を見る。そして徐々にソレは、よく知る者の表情を浮かび上がらせていった。
 まるで、口付けの深さと比例するように。
「終──了。」
 長い口付けの後、呟いて政宗が唇を放すと、途端、糸の切れた操り人形のように小十郎はガクンと政宗へと倒れ込む。
 力無く倒れ込んだ小十郎を抱きかかえ、とんとんと、重臣の背中を政宗は撫でるように、宥めるように叩く。が、その表情が又異質で。
 どこか恍惚感を拭くんだ笑みに、何よりも恐ろしい禍々しさを感じて。
「なんだ、それは。」
 耐えきれず、言葉が漏れた。
「想いは──呪いは国主が受け持つモノだ。それを──いや、それだけじゃねぇ。一見して半端ないぞ。そんなもの──」
 何度も言い換える。言い換える度に元親は首を振る。言いたい事を口にしようとする度、言葉として成り立たず、もどかしい。
 言葉として、言葉として‥‥
「ソレはなんなんだ!?」
 濡れた唇を小十郎の旋毛に寄せてから、ゆっくりと政宗は元親を見る。
「帰ってゆっくりと話そう。‥‥ここは寒い。」
 闇に揺らめく篝火が、あやしい灯を生み出す。
 その中で、竜はニタリと唇を上げた。









   ■□■


 人が生活する際、その土地の神に許可を頂く・覚えてもらう風習がある。土地神・地主神や氏神に、“この土地に住まわせてもらう”という報告をし、許可を頂く。許可をもらった人は、その土地で何事もなく暮らせる感謝を神に奉納する──よく見られる循環。
 さて、住むだけでなく土地を統べるとなれば、その土地土地の神の期待も人の期待も大きくなり、想いという呪を受けることとなる。統べる者は呪を引き受ける代わりに力を得る。が、有り余る力は器に合うもの以外が継承すれば、飽和し、器が崩壊する。
 国を統べる者とは知恵や人徳という目に見える才だけではなく、天地人があってこそと言うがまさしくその通りだ。




「お前だってそうだろう? “死国”を統べる鬼」
「‥‥‥」
 脇息に半身を斜めに預け、火の点いていない煙管を手持ち無沙汰に眺めながら、政宗は呟いた。
 対面して、これまた脇息に身を預ける元親も、退屈げに話を聞く。
 しかしそのお互いの態度は、話の内容が内容だからこそでもあった。あまり意識しない・改めて意識したくない現実の話。それが重い枷だとかなんだとかと甘っちょろい文句は言いたくないが、イヤと言うほど自分達の立場を突きつけられるモノでもあるから、もう見たくないのが本音。
 目に見える所だけではなく、目に見えないところまでなにかで縛られ、ともすれば“個”がぼんやりしてしまう。
 この時代珍しい全面畳み張りの広い居間に、二人は顔を付き合わせた。“歴史歴史”と爺様──北条氏政が言うだけあり、造りも、闇夜の忍ぶ部屋を灯す明かりの量もすばらしいモノだったが、今の彼らにとって物質的なきらびやかさは虚無感を増すだけのものだった。
 変貌した小十郎を止め山を下りた頃には、戦は休戦していた。豊臣軍にも感じるところがあったのだろう。いや、もしかするとこの戦の本懐を遂げたからこそ、素早い停戦の申し出があったのかも知れない。ともかく戦いは終わり、小田原城に入城した政宗と元親達は湯浴みもし、用意された小綺麗な装束に身を包んで氏政と謁見したモノの、氏政のどこか的を外した天然っぷりと、小十郎負傷というこれ以上なく政宗の機嫌を損なう要素があいまって、話は‥‥それはそれは簡単に納まった。
 まあ元親も、どうでもいい茶番に付き合わされるよりは、これからまだ付き合いが長くなりそうな二人の謎を知っておきたかった。いや、正確には竜の右目を担う人間の変貌の訳を。
 火を点けない煙管を少しもてあそんでから、政宗は退屈げなフリをし続け自分に付き合う元親に観念したかの様に口を開いた。
「紀州の“鬼州”、四国の“死国”‥‥土地には土地の想いがあり、良きモノ悪しきモノ混同して蓄積する呪いとなる。──奥州も、負けず劣らずの呪は多くてな。例えば悪路王」
「‥‥騒擾の鬼か」
「中央ではどう云われているか解らんが、ただの騒擾の鬼ではない」
「あったりまぇだ。語り継ぐ者なんぞ勝者であり、何かの一面しか語られねぇ。そんなモノだけ信じて何になる」
 あっさりと言い切る元親に、政宗は敬意を持って呆れ顔を送る。流石に“姫若子”と呼ばれるほど幼い頃は家に閉じこもって文学や神話に精通していただけあり、ものの見方が粗野な成り上がり武将とは訳が違う。高い視野と達観性を持ちながら、及び腰ににならないところが、政宗が彼を気に入る一つの理由だ。
「人の思いだけではなく、見えぬものの想いさえも統べるのが国の主本来の姿──それは何処も一緒だと思うが、奥州の呪いは更に酷い。呪も鬼も蔓延して飽和し、一所では納まらん。そのための近親婚が多く行われ、呪い拡散のための頭が増える一方で力にしろ何にしろ纏まりがなかった」
 元親は一層退屈げな、興味なさ気なフリをして政宗を見た。
“なかった”という過去形と彼が今“奥州王”と名乗っていること。それは何を意味しているか悟っているからだ。
 無駄な説明をする必要のなさに政宗は更に機嫌を良く口端を上げる。
「親父は俺を覇王と成すため、受け入れる器のある俺に物心つくかつかないかで英断をした。で、結果がこれだ。」
 カツカツと政宗は笑いながら小鍔の眼帯を煙管の吸い口で軽く叩く。
「だがあまりに強い呪いの力に危機感を覚えた親父は、幼い俺では耐えられそうにない呪いや力の拡散・昇華を考えた。それが──」
「片倉小十郎景綱──右目の兄さんの存在か」
「the right answer‥‥正解。」
「通りで。強さが半端ねぇ。」
「当たり前だ。正直言って呪いの殆どをあいつが担っていると言っていい。本領発揮すれば並じゃねぇ。」
「あれで抑えてるのかよ‥‥」
 乾いた笑いが自然と口から出る。初めからただ者ではないと思っていたが、もう出てくる言葉もない。
「小十郎に流れてるのは殆どが呪い。呪いは力。だが必ずしも呪いと力は同じものではない。所詮呪いは呪い。」
「それを何とかするのも国主の務め」
「そうそう。でも思った以上に奥州の呪いは手強くてなぁ。」
 笑いながら政宗はそう言う。だが、決して声は笑っていない。
「十数年経ってもまだまだ収まりきらねぇ。結局解決策なくずるずるとこの有様。‥‥八幡神の元に生まれた口減らしの人間。生きようが死のうがいい人間が昔から人身御供には丁度いい。あれは──“伊達政宗”の生きる人形として傅役に納まった。」
「そいつは‥‥」
「俺の闇を呪いを喰って封じる、子供の健やかな成長を望む親が用意した、生きる雛の人形(ひとがた)だ」
「‥‥」
「そのために存在した人間。‥‥ただ、運悪くと言うべきか運良くと言うべきか、元々の素質と器のおかげで、アイツは呪いを厄災に変えず封じ込めることが出来ているし、それを見事に力に還元することも出来る。そして“伊達政宗”が王である選択を取る限り、アイツはそれを自らの喜びとして存在する、まったくもって見事な竜の右目で厄災を受ける“変わり雛”。」
「そりゃまたえれぇ代物だ。」
 やっと元親は、何とも言えず違和感の感じる二人の関係の謎を垣間見た気がした。
 否応なく強い主従として結びつけられ、本人以外の思惑で繋がってしまったからこそ、本来の想いが歪む。
 確かに個の感情など二の次の時代だ。“だか”と言うべきか、“だからこそ”と言うべきか、真っ直ぐでありすぎる二人の想いは行き場なく溜まり、澱む。
 想いは呪い。
 ならば果たして、本当に想いは昇華されているのだろうか?
──主従で人形で‥‥体験したくねぇ感情が渦巻いてそうだな。
 感受性の強い、情の深い鬼にしてみれば、だからこそ見えてくる複雑に絡んだ想いに胸が重くなる。
 己とて頭を勤めているので大事な家臣はいる。だが政宗のように対(つい)の様な絶対的責務を担う家臣ではないし、誰か一人にそんな重いものを持たせたくない。そんな家臣が、本人の意思に関係なく存在するのだ。更に言えば、それが肉親の様な寄る辺。そう、愛でる対象ではなく、寄る辺なのだ。
 そこに好き嫌いの感情が絡めば更に重く──
──吐き気しそうだ。
 先刻、呪の影響を受けた小十郎の暴走を政宗は止めた。その止め方は半端ではなかった。呪という外圧的障害で狂わされた正気を、ただの“口付け”という行為で元の意識を引きずり戻した。
 元親よりも呪術に関して全くずぶの素人が、奥州の想いと言う呪いを一身に受け、狂った男の正気をただの口付け一つで。
 何か種があるのかと聞けば、ないと返ってきた。ただ、誰が主で誰が従者か思い出させただけだと。
 おのれは、誰のものかと。
 ゾッとした。
 ただそれだけの事が勝ったのだ。
 奥州の延々たる呪よりも、その想いの呪は右目を引き戻した。そして右目も又しかり。 歪すぎて言葉も出ない。
「しかし‥‥どうすんだ? 兄さん」
「あん?」
 つれて返ったはいいが起きる気配は全くしない。それこそ、死んでいるのかと思ってしまうほど、安らかな寝顔と寝息で、一見して当分起きないだろう事は想像に安かった。
「まぁ、一応話し合いの結果、当分この城は自由に使っていいと言う事にはなったが、俺達の目的は違うだろう? 小田原城で冬越しが目的じゃない。」
 元親とて小十郎が冬を越すまで起きないとは思っていないが、予定が色々とずれ込んでしまうのは目に見えてはいるし、主が政宗であっても、大事な舵の要を小十郎が担っていることぐらい解る。
 呪術には素人といっていい政宗に、知識としてはあってもかじった程度元親。この先‥‥
「あぁ。それか。安心しろ。今から叩き起こす」
「た、叩き起こすって、もう深夜だから寝かせておいてやれよ。それに、あれは俺が見ても解る呪術的な影響の睡魔だろ? 」
「かといってこのまま寝かせるわけにもいかねぇ。俺だってここで冬を越すつもりはないからな」
「だが、」
「初めてじゃないねぇ。昏睡のような近いことは何度かあったから、何とか出来る」
 意外な言葉に、元親は目を丸くすると同時に胸をなでおろすが、自分よりも呪術に関し素人臭い彼に何が出来るのか疑わしかった。
「ちなみにだが」
「an?」
「何するんだ?」
 ちらりと元親を見てから煙管に視線を移し、政宗は言い澱むが、一つ溜息をついて表情を整えた。
「お前には、隠す必要もないか 」
「ん? ま、その見解は光栄なこったが、言いにくいならいいぞ」
「いや。どうせ旅は長いしな。──鬼よ、人間の三大欲求は?」
「? 食欲・睡眠欲・性欲か」
「その通り。で、今の小十郎はその欲に忠実だ。元に戻るため、眠りを貪りっている。が、それだといつ起きるか、正気に戻るかわからねぇ。となれば、残りで奴を満たせるしかないだろう」
「残りッたって、食欲に性欲って‥‥て、まさか」
「叩き起こして夜伽だ」
 思いっきり元親の眉が寄る。小十郎が不憫で仕方ならない。
 戦でフル活動させられたかと思えば、呪術的心労を加えられ、果ては主の命で信じられない起こされ方をされる。もう、あまりしんどくなったら俺の所に逃げてきていいぜと言っといてやりたくなった。
「なんつーか‥‥まぁ、お前の部下だから深くはつっこまねぇが、この城、そんないい伽女いたか?」
「a? 相手は俺だ」
「ふ〜ん、お前が。‥‥‥‥は?」
 見直す元親に、「俺だ」と平然とした顔で政宗は言う。
「まて。お前?」
「そうだ」
「‥‥犯るのか?」
「精確には犯られる。」
 平然と返ってきた言葉に、元親は軽いパニックを起こす。別にこの時代の衆道が珍しいとも思わないが、あの右目が竜を抱くなど想像が難しすぎた。逆も勿論しかりで。
 確かに、確かにあの口付けを見た際、ただならぬものは感じた。呼吸すら気を抜くけば忘れそうな緊張の中で、政宗が小十郎に施した口付けは劣情を煽っていた。あの中でだ。だからこそ異常性を感じた。
 あってもおかしくない激情を懐いている事はわかったが、それにしても‥‥
「そ、そんなもの伽女に任せりゃいいだろう」
 動揺で、こう言うのが精一杯の元親を、政宗はチラリと見る。
「何人‥‥使い物にならなくなると思う?」
「は?」
「女でも男でも、今の小十郎がどれだけ食い散らかすと思う?」
 溜息混じりに言われた言葉に、元親は背中に汗をかく。
 多分、相当な事実だろう。
「起きはするが正気のような正気でないようなままが続かれてもこっちが困る。俺が相手してやった方が治りは早い。だったら、主である俺が面倒見るのが妥当じゃねぇか?」
「‥‥御自ら──ねぇ」
「俺の右目だ。当然だろう?」
“クッ”と、喉の奥で押し殺したはずの声が微かに漏れたのを、元親は聞き逃さなかった。
 恐ろしい。
 脈々と息づく呪いに、生きた人間が想いの呪いをかけて対抗しているのだ。いや、人間ではないか。
 独眼竜‥‥そしてその右目。
──常識は通用しそうにないな。
「ところで鬼よ」
「あ?」
「参加するか?」
「────────は?」
「流石にこの時の小十郎には、俺も根を上げる。だったら分担した方が負担軽減だ」
「お、お前、ちょっとっっ」
「安心しろ。小十郎は上手いぞ」
「バカやろう、そこが問題点じゃねぇだろう!」
 真っ赤になって却下する元親に、政宗はつまんな下げに唇を尖らせた。
「そうか。ま、そういう事でそろそろいってくる。参加しねぇんなら、野暮はなしだぜ。鬼よ」
 手持ち無沙汰に持っていただけの煙管を置いて立ち上がると、にっこりと政宗は微笑んで見下ろした。
「アレの前を必要以上にうろうろするな。気が散る。」
 静かに言い残し、部屋を立ち去った政宗を見送ってから、元親はおかしくもないのに笑い始めた。
 くつくつと煮えたぎる想いのマグマ。
 禍々しい呪いの中から、唯一つのものだと手を伸ばす男と、唯一つとさせる男。
「げに恐ろしきは人間‥‥か。たまには、深いところに釣り糸を垂らすのも悪くないかな。」
 誰に聞かせるでもなく鬼はそう呟くと、置いていかれた煙管を手にとり、ゆっくりと火を灯した。