咲酒 

 不楽是加何 小夜嵐之篇01







 時は冬を向かえる。
 ここ奥州で冬という季節はキーポイントとなる。他の地域よりも一足も二足も早く来る上、絶対的な自然の驚異を前に人間の小ささを痛感する季節。大事を避け、受け流すことがもっとも無難であるが、これを味方にしない手はない。
 文机、床、ありとあらゆるところに文を散らかし、出てきた情報にこの国の主はほくそ笑んだ。
 東国・武蔵──北条は、一応の同盟国だ。西から奥州へと来るモノの関東門番の役割を果たしてくれている。正直、戦力としての期待はしていないが、あれにはあれの意地と歴史がある。だからこそ防御には一定の評価をつけるが、こちらに攻め込んでくるほどの気力はないと考えて正解。
(そろそろ隠居するとか、大人しく食われるってのも一つの手だと思うがなぁ。あのじっ様は)
 拠点として欲しい。が、正直あそこの攻略には骨が折れる。
 秋の収穫期を終えれば、確かに出稼ぎとして農民の武士傭兵が増えるが、今季は情報収集に使うと決めた。一兎を追う者は二兎獲ず。見切りは肝心だ。
 ぴらぴらと文を一摘みし、文箱の中に入れる。
(はい消えた〜っと)
 北国・越後──上杉はその特異な立場‥‥いや、上杉謙信の考え方が特異であるが故、こちらに攻め込んでくる事はまずない。また、今回の“漫遊”に対し挨拶はきっちりとすませたので、問題はなしと考えて等しい。
 正直に言うと、そんな不確定要素で攻め込んでこないと決定付けるのは危ういが、かといって気にしていては行動など起こせない。彼らが“義”の下で動くというのであれば、その上で胡座をかこう。
(義に過ぐれば固くなる‥‥てな)
 美しい文字に、もう一度軽く目を通してからきれいに畳み、これも文箱へと入れる。
 東国…いや、木曽を手にかける甲斐の虎──武田信玄は、これも謙信に並ぶ特異な人物である。
 謙信が、人間が目指すべき心に固執するように、信玄は、人間本来が持つ人間らしさを美徳とする。達観の利く人物でもある上、あそこの人海戦術は並ではない。
 自らの実力・国の実力を自身がよく理解しているからこその生まれる余裕‥‥隙がある。行動を起こすなら、そこに付け入るほかない。
(虎のオヤジも興が好きだからな)
 手元に持っているあの虎の若子を愛でる習性を、彼もよく知っていた。この時代において素直なまま、ありのまま生きようとする、真っ直ぐ成長する玩具──信玄には、天下を取ろうとする考えはもとより、あの若子を育て上げたいという心が見える。気持ちは解らなくもない。あれは楽しい。じっくりと愛でる価値はある。が、
(興も程々にしねぇとなぁ?)
 微笑みながら勢いのある筆捌きの文を閉じ、これも箱へと入れる。
“後は‥‥”と、とっちらかった文を眺め見るが、さして気にかかる文もなく。
(いや‥‥)
 床の端の方に広げていたそれを思い出す。
 明智光秀からの書状。いや、織田軍からの様子見の書状。
 天下に一番近いといわれる織田軍。だが、将が揃いすぎている。簡単に言ってしまえば天下布武は容易なのだ。しかし容易なはずのそれが出来ない。将は有能。ただ一枚岩ではない。
(前田‥‥ぐらいか)
 明智はつい最近、信長の計にはない北の虐殺を行った。得にもならないその行動の意図は量りかねるが、信長に謀反をした・反逆をしたというレベルではないにしろ、アレは織田軍に納まるモノではない事が公にされたのだ。
 そして豊臣秀吉は聴くところによると、風変わりな参謀と行動を共にしているらしい。時を急く参謀・竹中半兵衛。豊臣自身、元々知恵は回る。そこに有能な参謀が付いたとなれば、することは一つ。
(強敵は豊臣になるか?)
 織田のように奇抜な力業で押してくる訳でもなく、明智のように虚を突く戦法でもなく、平均的に壁となるのはこの豊臣と見て取れる。
(竹中半兵衛‥‥か)
 情報がまだ聴くところしかない状態では何も出来ないが、妙に引っかかった。“時を急ぐ”という事。それは戦略的に時を急いでいるのか、個人的になのか。ともあれ、つけ入るのならそこだろう。そして時を急いでいるというのであれば、相対するのもそう遠くはない。
(誰もが生き急ぐのが戦国の世だ)
 文机に片肘を着き、己の唇に触れながら、くくくっと声が漏れる。
 考えるだけで楽しい。今年の冬は退屈しないですみそうだ。
「政宗様。」
 障子戸の向こうで己を呼ぶ声に顔を上げる。
「来たか。」
 唇で、綺麗に弧を描いてから、奥州筆頭・伊達政宗は立ち上がる。そしてまるでその行動が見えていたかのようなタイミングで障子戸は開かれ、廊下では片膝を着き彼を待つ重臣・片倉小十郎の姿があった。
「思ったよりも遅かったな」
「何を又。早いですよ。流石は四国──西国の海を制す鬼と豪語するだけあり」
 廊下に出てきた政宗の肩に、「失礼」と一声かけ、小十郎は持っていた羽織を掛ける。
「じゃぁあれか。“陸に上がったカッパの足並み”」
「政宗様‥‥」
 呆れたように溜息を吐いた小十郎に対し、政宗はクスリと笑うと、不意打ちとばかりにそのへの字に曲がった唇へ、己の軽く唇を押し当てた。
「!? 政宗さまっ!」
「これからあーんなことやそーんなことは当分控える事になるんだから、いいだろ? これくらい」
 悪戯っぽく笑い、手をひらひらさせながら歩き出す主君に、「まったく」と小十郎は又溜息を吐いてから微笑む。

 全ては、始まったばかりだ。









   ■□■



 懐紙の上に丁寧に乗せて差し出された見た事のない小さな塊を、少女はただじっと見つめた。
 それは小さく椛の形や梅の形に象られ、一見は良いが、“食べ物だ”と言われてしまうと少し気持ちが引ける。何せそれは薄い砂色。そして形はかわいくとも、色と同じく砂を固めたモノに見えてしまう。
 決心がつかず眉を寄せ、「うー」っと困ったように少女は唸って見せた。
「どうした? 食べねぇのか? じゃ、こっちならどうだ。」
 と、初めて会う少女に対し人懐っこい笑みを浮かべながら、男は持っていた巾着から、これまた砂が固まった小石の様な粒を取り出し、懐紙の上に数個乗せた。
 少女の眉はさらに寄る。
「いーからいーから、ガキは遠慮なんかせずに食え」
「ガキじゃねぇ。おら、いつきだ」
 遠慮をしている訳では無い事を察せない男は、またもニコニコと笑む。その笑顔に悪意は見えないモノの、勧める男が怪しい。
 少女が招かれた先は、奥州を統べる国主の本城。だから多分、目の前にいるこの男も侍であるだろうが、歳若い割に銀‥‥いや、見事な白髪を逆立て、左目には紫色の大きな布の眼帯を巻き付けており、風貌からすると怖い。が、向けられる表情はとても軟らかく、体からはどこか‥‥なにか上手くは言えないが、懐かしい香りがする。
 この風貌のちぐはぐさと未知の食べ物に戸惑っている少女にしてみれば、新手の嫌がらせのように思えた。
「着きが遅かったじゃねぇか。長曾我部元親。」
 突然名を呼ばれ、男は相手にしていた少女から背後へと視線を移す。
「ふん。お前の城がこんな山奥とは思いもしなかったぜ、独眼竜」
 男とは逆の右目に、小鍔の眼帯と小生意気な笑み。
 現れた城主・伊達政宗に対し、立ち上がらず口元だけニヤリと上げて迎える長曾我部元親を、これまた政宗も口端を上げて返した。
「竜とて空には住めん。どこぞも城は山ん中だ。それとも、鬼の城は海の上か?」
「あー。まぁ、設計的に上手くいくならそうしたいのは山々なんだが…」
 揶揄混じりの台詞に対して真面目に返ってきた言葉に、政宗はかなわないとばかりに少し吹き出してから上座に座る。左右にはついてきた小十郎と、先に部屋で待っていた、政宗の従弟であり、伊達三傑の一人伊達成実が控える。
 一見すると物々しい雰囲気であるが、実質はそうではなかった。
「政宗さ。こんなモン貰ったんだが‥‥」
「aha〜?」
 元親の隣で、貰った物に戸惑ったままの少女を見る。
「あぁ、和三盆貰ったのか。よかったな、いつき」
「“よかった”?」
「それ一粒でお前の所の米、何合分ぐらいになるか‥‥」
「!?」
 身近にある米でその価値を例えられ、驚いた面持ちでいつきと呼ばれた少女は、そのカケラ達をもう一度まじまじと眺めた。
「こっちにも回してくれんだろうな、なぁ鬼よ」
「おぅ。一応は持っては来たが、お前が言う量は無理だ。」
「そこを調整するのがテメェの腕の見せ所だろ?」
「ったく、あれがいつ出来るものなのかとかそういった事を考えてからその台詞吐け。とりあえず来年の納品には加えといてやっから。‥‥第一この間、かなり融通してやっただろう? あれはどうしたんだ」
「あぁ、あれは‥‥」
 少しどもった主に、重臣は“くすり”。
「飽きもせず、毎日食べてましたよ。最初の頃などは、一気に五粒ほど口に含んで、『甘い』と文句など言っておいでだったが」
「ハァ!?」
「馬鹿、小十郎っ、言うな」
「甘いの当たり前だろうが! これは砂糖のかた…」
「うっめぇ〜」
 男共の言い争う声をかき消すように、少女は目をきらきらと輝かせて声を上げた。
「政宗さ、これ、口の中に入れたら溶けた。新雪が甘くなったみてぇだ。なんだ、これ。天竺の食べ物だべか?」
 大きな瞳がうるうるきらきらとし、その感動は元親にも向けられる。そしてそのうるうるとした瞳に伝染されるかのように、元親も目を輝かせ感銘する。
「こうやって食べるのが正しいんだ! こうやって!!」
 食い付く勢いで政宗を一睨みするが、途端政宗は、“聞こえない”と言いたげに、明後日の方向へ向いた。
「あーもー、ガキ‥‥じゃねぇ、嬢ちゃん。食べろ食べろ。やりがいのない竜にやるより、嬢ちゃんにやる方がどれだけ‥‥」
「outt、やめろ長曾我部」
「‥‥嬢ちゃんじゃねぇ。いつきっつー名前がある」
 放っておくと本気でこちらに渡るはずの品をいつきに渡しそうで、政宗は慌てて止めに入る。
 小十郎と成実は静かに眉間に皺を一本作った。まだ本題に入っていないというのにこの騒ぎでは先が思いやられる。
「ったく。交渉品を他にやろうとするか?」
「まぁ、交渉品って物ではあるけどよ、どちらかっつーと、その品がよりよく喜ばれるところに行く方が、俺としちゃぁ嬉しいかなぁ」
 そう言って笑うは“西海の鬼”。
 西はこちらよりも海賊が多く、その海賊をさらに狩る海賊でありながら、男は四国の地も統べていた。
 四国は、四方を海に囲まれながらすぐ際に険しい山が並び、平地が少ない。又その少ない平地の中に、清流渡川とも呼ばれる四万十川・大きくうねり暴れる三土地川とも呼ばれる吉野川等の川をようし、攻略も統べるも難しい土地を、彼はこの若さで統べた実力者でもある。
 もっぱら船を乗り回し、あちこちと飛び回っているのが常だが、その船の技術は勿論その辺りのものとは訳が違う。それは最強と謳われる隣国──中国の毛利水軍を前に潰されていない所からして物語っていた。
 飄々とした態度とは裏腹に戦力も戦略も、そして交渉術も兼ね備えているという事だ。
「大事にしておりますよ。もっぱら、あの土佐和紙などはこの小十郎はもとより、筆まめの政宗様も酷く気に入られていた」
「小十郎。」
 あまり褒めるなと言いたげに名を呼ばれ、小十郎は了承するように笑みを浮かべながら目を閉じた。
「へぇ。右目の兄さんが言うんだ。ならいっか。」
 自国を愛して止まない元親としては、自分の国の品というものは、素直な自慢の延長線である。あまり知られていないながら四国には、目を見張る技術や品が数多くある。それに付加価値をつけて他国に売り込むのが、男の一つの趣味でもあった。
「じゃ、これが納品書だ。確かめてくれ」
 懐から差し出された書状を一端成実が受け取り、政宗に手渡す。
「ふ〜ん。OKOK。──成実」
 書状を確認しながら合図すると、今度は成実が元親に書状と書本を数冊手渡した。
「こっちの品と約束の南蛮絡繰り図だ」
「ヒュ〜、ありがてぇ」
 納品書には目もくれず、絡繰り図をまとめた書本を楽しげに眺める。まったくもって素直な男である。
「どうもな、判るところまでは解明したが一定の計算が合わない」
「あぁ、そりゃ無理だ。向こうは俺たちの使う和算とは計算方法が違う。それでも良くやってる方だぜ。これ。誰が計算したんだ?」
「俺と小十郎だ。元々小十郎は算額を奉納する役目もあるからな。」
 強面な上に左頬に大きな傷のある小十郎だが、元々家は八幡神に仕える神職。彼自身、神職に身を置く事はなかったが、この時代の軍師は参謀兼祈祷師といった一面もあるため、一通りのそういった仕事も出来た。
 この頃の神社では絵馬同様、神に和算を奉納する風習がある。それは絵師達が神へと描いた絵を奉納絵馬として天井に飾り、近隣住民に文化や美術を伝承するように、知恵や知識を和算の問題として奉納し、参拝する住民への勉学の足し‥‥ちょっとした脳トレの様な役割を果たす風習だ。しかもこの和算は数字だけではなく、図式問題もあり、かなり本格的である。
 伊達軍ではもっぱら締めと小言を任されている小十郎だが、元々は知恵も芸術的な面も持っている。
 だからこその“竜の右目”であるのだが。
「へぇ‥‥」
 絡繰り図から外れそうにもなかった元親の視線が、ゆっくりと小十郎に移る。
「‥‥やっぱり兄さんだ。」
 政宗と同じく、元親の隻眼も感情が現れやすい。
 窘めるように微笑む小十郎とは違い、むすりと口を結んだ政宗に気付き、元親は少しはぐらかすように口元を笑みで結んだ。
「とりあえず良いモノ頂いた。こっちで解明してやるから任せろ」
「いいのかよ、政宗。あれ、貴重な物なんだろ?」
 一番、いつもよりも黙ってすましていた成実が片目だけを大きく開けて、耐えられなくなったように口を開く。
「いいんだよ。あってもそれが何かにならなきゃただの紙切れだ。そんな物を後生大事に持っていたところで、何の役にも立ちはしねぇ」
「安心しろ。品物が出来上がれば、竜にも技術は流すつもりだ。ま、タダとは言えねぇがな」
 抜け目ない台詞に、政宗はさらに口をぶすりと曲げる。
「ったく‥‥安くしろよ。──さてと、成実、いつきにもあれを」
 男達の話はそっちのけで、口の中に広がる甘さの余韻に浸る少女へと、成実は書状を渡す。
「なんだべ?」
「形だけでもな。この間した口約束をしたためた約束手形だ。」
「ホントだか!? ありがてぇ」
 喜んで書状を受け取り広げるいつきであったが、達筆な文字という壁に、内容はハッキリと判らないのが実状。
 それを背後から、ひょいっと覗くように元親は内容を眺め見た。
「へぇー。破格じゃないか、この嬢ちゃん。一体何者だ?」
「だから言ってるべ。おらには“いつき”って立派な名前がある。」
「いつきは小十郎が留守にする間、近隣を含めた畑の面倒を見てもらう。どうしてもウチの連中だけだと解らない事があるからな。」
「小十郎さ、安心してけれ。おら、ちゃんと育てて守るからな」
「忝ない」
 向けられる素直な瞳には、素直な笑みを。
「a〜、いつき、こっちから頼んでおいて何だが、無理はするなよ。人手が足りなきゃ若衆を使えばいい。もし領地内や村になにかヤバイ事があれば成実にすぐ報告しろ。」
「解ってる。無理はしねぇ。」
 ニコリと笑う少女はお野菜や米の専門家であると同時に、その小さな腕で、村々をまとめ・守ってきた実力を持つ。北の実状を知らない元親にはピンとこないが、馬鹿に出来ない戦力である。
「さて。大体の話は済んだか。──いつき。すまねぇが厨房に居るだろう喜多に早めの夕餉の準備を伝えてきてくれないか?」
「ん? あぁ。いいだよ」
 スクリと元気よく立ち上がると、“ぱたぱたぱた‥‥”と音を立てていつきは走り去る。
 少し前になるが、北の土地の村が光秀の襲撃を受けた時、彼女をこの城へ迎え入れた事がある。そのため、この城には少し馴染みがあり、元々農家の娘という事からフットワークが軽く、働く事に関して疑問を持たない。
 曲がりなりにも“客人”に用事は頼まない。その事に疑問を持たないのは、今のこの座談の席から外すにもそして少女らがいる村々を、この先来るかもしれない襲撃からいち早く護るにも好都合だった。
 いつきを見送って、政宗は表情を変る。
「さて──ここからは大人の時間だ」
 ただの貿易・物品交渉で西海の鬼を呼びつけたりはしない。
 海を駆けるその足を借りるために設けた場。しかもその足に、直接国主である政宗が奥州を抜け出し動くという前代未聞の計画。
 冬という季節が来、味方してくれる間に、政宗は慌ただしく動き出したこの日本の情勢を見極めようという魂胆だった。
 その考えに呼応して足を貸すと言ったのが元親であり、派手好きと大波好きの相乗効果で、一波乱どころか想像しただけでも恐ろしい旅の舵取りを裏から取り仕切るのが、言わずもがなの重臣・片倉小十郎である。
 留守番役の成実は大いに同情したが、小十郎としては“これが自分の運命”と諦めているところがありながらも、物事が動くという騒擾を歓迎していた。
 そう、彼は“竜の右目”。決して静謐ではない。
 政宗が懐から徐に取り出した扇子を合図に、成実は大きな地図を取り出し、男共が待っていたとばかりにそれをとり囲む。
 地図の精密さに元親はほくそ笑んだ。
「これまたいい地図だ。」
「いいモノじゃなきゃ話はすすまねぇ。さて、航路だが」
 小十郎は静かに政宗と元親の元へ、折敷に載せたいくつかの駒を差し出す。ぱちりぱちりと少し楽しげに政宗は駒を地図に敷いてゆくが、元親は冷静に一つの船の駒だけを取り上げ、ぱちりと置いた。
 それは、男がここに来た足の船。
「航路って言われてもなぁ。確かにお前達を乗せてやるとは約束したが、目的が決まってなけりゃぁ話にならねーぞ?」
「俺としては西に出られればそれでいい。その程度だ」
「ぼんやり過ぎるぜ。腹を見せてもらわねーと守れる約束も守られねぇぜ?」
“ふんっ”と政宗は軽く笑い。扇子で自分の肩をトントンと叩いた。
「腹なんぞお前と変わらねぇ。足で情報を稼ごうとする時に、目的なんか作っちまったらそれこそ意味がない。」
「‥‥そうくるか。なら‥‥」
 奥州…東の海岸に置いていた足である船を、元親はツイッと本州の腹に移動させた。
「三河だな。東は今川の駿河。西は魔王元お膝元尾張。北には甲斐の虎‥‥この上なくいい位置だ。」
「三河‥‥ってことは」
「竹千代‥‥徳川家康だ」
 右の隻眼がその人物像を語り、左の隻眼はそれを酌み取りニヤリと笑う。
「噂には聞いている。皮の厚い食えない豆狸だそうじゃないか。」
「本人が食えないっつーよりも、食わしてもらえないっていうか。鉄壁の守りがな」
「──本多‥‥忠勝。」
 顎‥‥いや、下唇辺りに触れながらぼそりと呟かれた小十郎の声は、小さかった割に他の男達の胸に印象付くような、冷静でいて酷くドスのきいた声。
 会話の間が空き、己へと視線が集中した事に気付いた小十郎は、少し驚いたように地図から顔を上げた。
「? どうかしましたか?」
「あはは‥‥は。無意識かよこじゅ兄」
「おい竜、知ってはいたがおっかないモン飼ってるなぁ」
「竜の右目ともなるとこれくらいはなぁ」
「?」
 己を話題にされている事は解っているが、何をネタにされたか今一解っていない。この軍師は、多種多様に気が回る分、自分の事になるとからっきしである。
「で。その豆狸が港を開けてくれる確証は?」
「あぁ、以前ちょっとやり合って面識があるから大丈夫だ」
「やりあってって‥‥」
 なんとも不確定で確信のない言葉に、成実は思いっきり眉を寄せる。薄々は気付いていたが政宗と同じく、この元親も本人のみの確信で動く事が多いようだ。
「あー。なんつうか安心しろ。敵だが悪いヤツじゃねぇ。物事も良く理解してるしな」
「敵だがって‥‥」
 一層怪訝な目で見つめられ、困ったように元親は顔を上げて助けを求める。
「な、独眼竜なら解っだろ?」
「ん? あぁ、rivalなんだろ」
「らい‥‥?」
「好敵手の意味ですよ。」
 通訳に入った小十郎は、その言葉で政宗が誰を思い出しているかよく解る。人を成長させるにはそう言った人間が必要だ。
 そしてこの西海の鬼には、どうやらそういった人間が多く集まるようだ。いや、もしかすると、敵すら好敵手にしてしまう特質があるというべきか。
「んー‥‥好敵手ねぇ。そんな大層なモノでもねぇが、なんてんだ、敵である事と、その人間の善し悪しは別問題だろう?」
 成実に対し、そう説明してみせた元親を見て政宗は笑い出す。
「なんだぁ? 気味の悪いヤツだな」
「ハハッお前があまりにもおもしろい事を言うからだろ」
 簡単に言ってのけたそれを、どれだけの人間が気づけるか。どれだけの人間が理解できるか。どれだけの人間が見落としがちか。
 この時代において見落としがちな本質を、いとも簡単にその残った右目で捉えているのだ。
「楽しい旅になりそうだ」
 パチリと、政宗は手の中で扇子を鳴らし、ほくそ笑む。
 元親は片眉を少し上げ、着物の袂を考え深げに眺めた。







   ■□■


 国主政宗の奥州脱出という大事の相談は、その壮大さに反して時間を有さず簡単に済み、後は旅支度と荷物積みといった最終的な局面まで順調に進んでしまった。
 それもそのはず。竜も鬼も、“四の五の言わずに実行型”。ただしそこに辿り着くまでには、手も頭も回しているが。
 したいことを口に出した時点で既に、どう動くかのビジョンは決まっている。最終的に“やりたい”と思ったことは、どうやってでもやり遂げる。そこへもっていくまでの計画を練ることもお互い大好きで。
 やり遂げたい方向が確固とした形として出来ており、己が何処まで出来るか実力を把握しているからこそ、一つ希望を言えば十の方法が返ってき、また突然出された十の方法から簡単に一つを選択する事が出来る。二人にとってその作業は、簡単なパズルピースをはめるようなものだ。
 しかも政宗の用意は鬼の上を行くところが多く、この分で行くと数日も経たないうちに海へと繰り出すだろう。まぁ、ここで言う鬼の上とは用意周到さであり“図々しい”の部類であるのだが。
 そして全て順風満帆となれば、お子様を寝かせた後の酒盛りは格別のものとなり。


「北の酒はさらりとしてる割に舌に残るなぁ。この辛さ、悪くねぇ」
 ニコニコと上機嫌に笑いながら、鬼は少し大き目の平杯に盛られた酒を一気に飲み干した。
「西の酒は鼻をくすぐる」
 そう言って竜も杯の酒を飲み干し笑う。
 夜も更け悪巧みには‥‥もとい、内緒話には良い時間。
 商談も済み、計画も済み、後は彼らの大好きな実践のみとなり、否が応でも心は躍る。
「で、なんだ、明日には出るのか?」
 着いたと思った瞬間にとんぼ返りの事態が不満なようで、“鬼”と呼ばれる男は、胡坐から姿勢を立て膝にして身を乗り出す。
「実際俺たちが動くのはもう少し後になろうが、荷物と兵は移動させておく。船に着いたら着いたで準備もあるだろうし勝手が違うからな。何事も早めが良い」
「はー。北の竜はせっかちでやだねぇ」
「han! 言ってくれる。どうせそうなると思って、付きの者を殆ど遣さないで来たのはどっちだ」
 お互い歯を見せて“にたぁ〜”と笑いあう。
 考える事は似たり寄ったりなので、互いの考えなどお見通しだ。
「ま、明日は街を冷やかすなり何なりするがいいさ」
「おうよ。新しく貿易になりそうなのも見付けたいしな。‥‥そう言えば、こっちは馬が特殊だと聞いたが」
「馬〜? …あぁ、相馬馬か。確かに鍛え方と交配で他のトコとは違うといわれるが、あれはどっちかって言えば技術だな。それに相馬は俺に頼むより──」
「失礼します」
 話の途中で部屋に響いた声に、二人は障子戸を見る。
 庭先の篝火で映し出される人影は、幻想的にゆらゆらと揺れていた。
「丁度いい。入れ」
 政宗の声に促され、障子戸が静かに開く。
 冬を告げるような夜風と供に部屋に入ってきた小十郎は、二人にニコリと微笑んだ後、頭を下げて侍女達を部屋へと入れた。
「お話の途中ではございませんでしたか?」
「あぁ。だが丁度知恵も欲しい所だったからかまわねぇ。──そういえば成実は?」
「『鬼と竜の座談などまっぴら御免』だそうですよ」
「なんだぁ、その人外扱いは」
 不満げに、むつりと唇を曲げた元親に小十郎はクスリと笑う。
「そう言って気を使ってるのでしょう。滅多に会わぬ国主同士、募る話に入れというのも無体なこと」
「ま、確かにそうだが‥‥そう言う兄さんは人外の話に巻き込まれていいのかい?」
「私は“竜の右目”ですのでお気遣いなさらず。‥‥もっとも、目を離した隙に何を話されるかの方が、巻き込まれるより恐ろしい。」
 ちろりと主を見ると、その視線から目を逸らしながら酒を飲んでいる。
「‥‥ところで火の加減はいかがですか? 長曾我部殿」
「おーう。ばっちりばっちり」
 そう言って元親は、近くに置かれていた個人用の小さな火鉢の上に手を軽くかざしてから笑う。
「それはよかった」
「‥‥まさかもう火鉢を出す羽目になるとはな」
 少し呆れ気味に毒づく政宗に、くわっと元親は牙をむく。
「寒いだろが。もう冬だここ」
「雪も降らない間から冬だと言われても‥‥」
 あちらこちらに足を伸ばす元親も、陣をよく構えるのは土佐ノ海。最近は毛利との交渉も多く讃岐に居ることも多いが、基本は温暖な土佐である。
「四国っつーのは雪はふらねぇのか?」
「ふるさ。風との連携で凄い事になるぜ。特に阿波の空っ風なんぞはこっちと比べものにならねぇ。下ろし風で簡単に勝敗が決まる。」
 平地が少なく、すぐ際を山々に囲まれている四国は動ける土地というモノが限られる。そしてその険しい山々の間に川。川の周辺にやっと動ける土地──平地が作られるが、山々に囲まれているおかげで人々の生活する土地も、風の通り道もそこしかない。しかも川は穏やかだとも限らなく。
“西海の〜”などと本人も名乗り海の印象が強いが、彼は決してそうではない。特異な土地で戦果を上げてきた元親の地の利を活かす戦術の勘は、もしかすると政宗よりも勝っているかも知れない。
 それは薄々ながら政宗自身も気付いていた。
 以前、摺上原で少々やり合った際、お膝元の土地でありながらいいように利用された経験があり、元親とはそこからの仲である。
 その時の、二人の羽目を外した大暴れは最終的に、ここにいる家臣であるはずの片倉小十郎が頭目と筆頭に大人のゲンコツをお見舞いして幕を閉じるという、どこから突っ込んでいいのかわからない結末だった。
 それ以来元親は小十郎のことを“兄さん”と呼ぶ。
 元々、人の呼び方として彼の中に“兄さん”という呼び方があったにせよ、その呼び方にはやはりどこかニュアンスが違っていた。
 新しい酒や肴の用意が済み、ぱたぱたと侍女達が部屋から下がった後、「──あ。」と少し間抜けな声を発して元親は己の袖の中へと手を突っ込み、袂をごそごそとまさぐり始めた。
「こっちの相談事もいいが‥‥」
「?」
「ほれ。」と袂から取り出し、気軽に政宗に差し出されたのは一通の文。
 少々目を丸くさせてそれを受け取り、広げた瞬間、政宗は顔つきを変えた。
「? 政宗様」
 小十郎の声に反応せずもう一度一通り読み直して、政宗は射るような視線をゆっくりと元親に向けた。
「どういう事だ? これは」
 胡座を組み直し、読み終わった書状を広げたまま横に突き出す。すり足で、静かに小十郎は政宗の側に行くと、その書状を受け取った。元親の態度は、これといって変わることなく。
「どういう事って、他人への手紙の内容なんぞは把握してねぇから」
「──! これは‥‥」
 小十郎も、少しだけ眉を寄せた。
 遠い遠い、噂にしか聞かない恐ろしく冷徹な、国主であり武将であり軍師。毛利元就。その彼からの直々の手紙。
「‥‥内容はつまらねぇ挨拶状だ。気にするものでもない。──が、お前が持ってきたってのが解せないな。長曾我部元親。」
「何が解せないって言うんだ。お隣さんに頼まれて手紙を運んだ‥‥それだけじゃねぇか」
 確かに、元親にとってはその程度かもしれない。が、この場合、この文には色々な思惑と真理が絡んでいた。内容は何の変哲もないものだ。だからこそ浮かび出てくるもの。
「どうして西海の鬼とも呼ばれる男が、小間使いのような事を」
「頼まれたしな。別に断る理由もねぇ」
 文を渡され、文を届けた──決してその行為は言葉で言うほど簡単なものではない。元就が“託し”、それをやすやすと元親は行ったのだ。
──これがどういった意味か解らない坊やでもあるまい‥‥
 文を眺めながら、小十郎は顎をさする。
 格のない者であるなら少しなりにでも後ろ盾を見せ、その嵩に懸かるというのは解る。だが元親は既に相手である政宗に存在を認められており、その必要はない。そしてその元親がこの文を渡すという事は、瀬戸内は連携をとれるという意思表示。さらに含まれるのなら、元就からの伝言入り。
“こちらまで巻き込み必要以上に争乱を起こすか? それとも、そうまでしてやり遂げたい事はなんだ──?”
「‥‥」
 腹の探りあい宣言といったところか。その上で元親はこれを利用しているのだ。
 一つ見方を変えれば、毛利の配下である長曾我部が文を届けたとなり、政宗はそんな男と商談し、足を借りるということになる。無論、彼を安く見ていればの話だ。
 この文を受け取りどういった顔をするのか・判断をするのか、どの程度自分を高く買っているか、どの程度の覚悟の旅か──元親もこの書状を利用して政宗を試し、心を図っているのだろう。
「ham‥‥‥小十郎、アレを」
「ハッ」
「?」
 新しく持って来た膳の上には空のぐいのみが五つ。そしてその全てモノが違った。ガラスであったり青磁であったり陶器であったり‥‥その膳を小十郎は政宗の前に差し出すと、彼は銚子を少し掲げた。
「これは俺がさっきから飲んでいた、お前から贈られた酒だ。──もちろん、お前には馴染みのある味だろう?」
「? あぁ、そりゃまぁそうだが」
 そう説明つけると目の前で五つのぐいのみに酒を注ぎ、にっこりと笑う。注ぎ終えたことを確認して小十郎は、膳を元親の元へと移動させた。
「飲んでみろ。」
「は?」
 ぽかんとする元親に意地悪な含み笑いで政宗は酒を勧める。
 手には今酒を楽しんでいた杯がある。なのにわざわざ五種類のぐいのみに、知った味の酒を注ぐ‥‥?
 合点もゆかないがさして断る理由もなく、平杯を置いて差し出された膳の上のぐいのみをを元親は手に取り、一口飲む。
「‥‥?」
 別段、変わらない慣れた味。政宗が得意気になる理由が見つからず上目遣いに様子を窺うが、余裕の面持ちで「どうぞ」といわんばかりに目が笑っている。
 不思議に思いながら次ぎに手を伸ばし、ゆっくりと口に含む。
「──!?」
 元親の表情が変わった瞬間、ニタリと政宗は笑った。それに合わせるかのように元親は次に手を伸ばす。
「‥‥こりゃぁ」
 五つを交互に飲み比べてゆく姿に、両袖口に手を入れて政宗は腕を組むと、得意気に微笑んだ。
「お前が見ていた通り俺は目の前で同じ酒を注いだ。勿論、それらに細工などはしてねぇ。が、」
「味が違う。」
「まぁ、精確には口当たりだがな。」
「どういうこった?」
「酒は、盛る杯・猪口・ぐい飲みによって口当たりが大きく変わる。それによって味が変わった風に錯覚するんだ。」
「へぇ‥‥」
「なぁ、鬼よ」
「?」
「物事も人もこれと一緒だ」
「あん?」
「こっちのぐい飲みで飲めばまろやかだから熱燗でといわれ、そっちのお猪口で飲めばさっぱりしてるから冷酒がいいとされ‥‥だが本当は同じ酒だ。味は変わらない。どの器で飲んだかだけで印象が変わり、さらにそれを勧める人間の好みによっても変わる──そんなものに頼るのは、そりゃぁちょっと勝手すぎやしないか?」
「勝手?」
「あぁ。自分自身でどういったものか見抜き、確認して初めてどの杯で飲むか、冷やか熱燗か常温か決めて楽しむもの。俺はそう思う」
「‥‥まったく、その通りだ。」
 持っていたぐいのみをちろりと見て、元親は笑う。
「俺はこの目で、この身で感じたものしか信じたくねえ。事も、人も、勿論酒もな。で、俺は鬼にも鬼の持ってくる酒に価値があると判断した。他に何か必要か?」
「ハハハ。最後は一番重要だ」
 笑う元親は、残っていた酒を一気にかっ喰らう。
 本当の商談と同盟は、今結ばれたといっていい。
「それにしても‥‥向かう先が又一つ増えたなぁ?」
 そんな事をわざとらしく言って、ちろりと政宗は重臣を見る。
 この先の舵取りがかなり長くなりそうな事に、キリリと小十郎の胃は痛みはじめた。
 それにしても──と竜の右目は文を見る。
 毛利元就からの文。はたして、彼からのアクションは文だけだろうか? 知略で制するといわれる元就ならば、動かす駒が文だけで止まっているとは思えない。
 盤上に揃っていくもの。
 この先の旅が想像以上のものになることを、誰しもが予感していた。