恬淡

 不楽是加何 06







 あの青い海を受け止める、美しい砂浜のようなその色。
 小梅の木型で作られた、小さな和三盆の塊を軽く摘み、口へと運ぶ。
 それは舌の上に乗せた途端、跡形も無くさらりと融けた。
 まるでそう、初雪を口に含んだように。それでいて上品な甘さが口に残る。
 時折手土産として、交流のある者から京の落雁を頂く事があるが、こちらの味を知ってしまうと、あの京の品が味気なく感じる。
 太陽を沢山浴びた結晶の味。木型の、程よい香りが口の中にまだ広がっていた。
 感情が表情としてあまり出ない彼──毛利元就だが、そんな彼と交流をもつ事が多い長曾我部元親は、殆ど変わっていないその顔で、元就が感動している事を察し、にぱりと白い歯を見せて笑う。
「どーよ、今年は又一味違うだろ? 木型の木を変えてみた。今度は桜の木ででも試してみようかって思ってんだが」
 視線だけを動かし、前に座する元親を見る。
 整った、日本的な顔。それが更に、彼の表情のなさを際立たせる。そして微かな動きで感情を表現するからこそ、普通の者はその視線の動きだけで恐縮してしまうのだが、元親は気にすることなく喋り続ける。
 今の目配せは、気に入らなくこちらを見たのではなく、興味を示した時の、相槌に近いものだとわかっているからだ。
「後は、三盆から取れた黒蜜だ。コレを運ぶのは労したぜ」
 ぽんぽんと、片手でギリギリ掴む事のできる壷を、座ったまま前へと差し出す。
 その壷は、素朴ながらとてもよい弁柄色を出しており、形もよい。細やかな気配りと主のセンスが伺える。
「どうしても発酵しちまうから、なるべく早く食べろよ? 保存はあまりきかねぇけど、とにかく寒いところで保存してくれ」
「──うむ」
 今度は珍しく口を開く。
 この時代、砂糖や甘いものは高級品である。しかもこれほど純度の高いものとなるとなおの事。そしてこの和三盆精製によって出来る黒蜜が、どれほど貴重なものかわかっているからこそ、元就は返事をしてみせた。‥‥片言であるが。
「そんでこっちの袋に入ってるのが、自然発生でできた結晶だ。料理にもいいが、風邪を引いた時なんかにもいいぞ」
 差し出された、彼がつけている眼帯と同じ桔梗色の小さな袋の中で、結晶がカラカラと音を立てる。
 外交的な土産として量が少なくとも、上質なこの三種は価値が高い。
 和三盆、黒蜜の入った壷、結晶の入った袋。
 それを順追ってゆっくりと見てから、元就は視線を上げ、元親を見た。
「──で? 何が用件だ?」
「んぁ?」
 問われる言葉に、訝しく右眉を上げ、元親は彼を見る。
「なにって‥‥今年の和三盆は出来がいいし、沢山出来たからお裾分け」
 ケロリといわれたその台詞に、今度は元就が訝しく眉を顰める。意味の無い贈答品など、彼にはまったく理解できない。
「用件はこれだけではないだろう?」
「いや、これだけなんだけど‥‥」
 思い立ったら行動の元親にとって、何を警戒されているのかわからないが、何か理由が欲しいらしいという事は理解できた。
「あー、島津のおやっさんが、“毛利殿は泡盛はいける口かのぅ”っていってたぜ? お前、確か嫌いなものは不味い物だよな?」
 元就は更に眉を顰める。
「だからあれほど酒はいらぬと──‥‥そうではなかろう」
「なにが“なかろう”だよ」
「──北の暴れ竜と組んで何をしようと考えている」
 一瞬にして、元親の顔つきが変わる。
「ふん、色々筒抜けか」
「我を誰だと思っている」
 キッと睨みを聞かす元就に、「んー」と少し唸ってみるものの、さして困った風でもなく、顔の大半を隠すような左の眼帯を、ぽりぽりとかく。
「じゃ、こっちも。織田と‥‥いや、明智と組んで何考えてる?」
 元就は、眉間の皺を深くさせた。
「‥‥何の事だ? 組んだなど」
「つい最近な、最北の方で無計画な、意図の見えない虐殺があったらしい。」
「それが? 虐殺など今時珍しくなかろう」
「まぁ聞けや。問題は足だ。上杉領・伊達領等に気付かれず飛び越せる足‥‥そんな船を・技術を確保できるのは、俺かお前ぐらいだろう」
「だから?」
「お前が直接動く事は少ない‥‥が、布石を置くのは得意だ。確か織田に船、用意してやってたよな?」
「いかにも。それが何故」
「明智がああいった動きをするのは計算内だろ?」
 応えず、元就はじっと元親を見据え続ける。
 その視線を、さほど気に留めるわけでもなく、元親は話を続けた。
「利害が一致したってトコとか? 楔を打ったのは間違いなくお前だ」
 元就に献上するはずの袋から、ごそごそと結晶を一粒取り出し、元親は口に含む。
「そうやって動き始めた戦局を見極めたいと思うのは、将として当前じゃねぇか?」
 見つめ続けてくる瞳をその隻眼で見つめ返すと、元就はゆっくりと目を伏せた。
「俺と政宗はそんなところだな。残念ながら、お前ほど色々考えてねぇよ。何でも行き当たりばったりだ。それはお前が一番よく知ってんだろが」
 笑いながらそう締める元親だったが、彼のその感情の出ない伏せた瞳の奥で、又色々と策を練っている事を察せないわけではない。そして元就とて、“行き当たりばったり”といっても、本来元親のもつ知識やスキルを買っているので、“何も考えていない”という事が定石に当てはまらず、厄介なのだ。策の練り直しにかかる。
 しかも、組むのは北の暴れ竜。
 あそこが、一匹の暴れ竜のみならばさほど問題ではない。自らの力を制御できず、墓穴を掘って沈むのがオチだ。そう踏んでいた。
 ところが沈まない。有り余る力を拡散し、導く者がいる。
 伊達の情報を集めている中で、最近よく耳にするキーワードがあった。
「景綱‥‥」
「んぁ?」
 独り言のようなそれが、質問であると解ってしまう元親は、「えーっと」と、失われている主語と述語を考える。
「片倉の兄さんか? んー、そうだなぁ。怒るとすげぇ怖いな。地獄耳だし」
 正しく意図は汲み取られたようだが、欲しい情報ではない。
「軍師か?」
「軍師‥‥ねぇ。どっちかというと武闘派に見えるが。政宗と伊達軍抑えられる唯一そうだし」
 なるほど。竜の楔はそこか。
「元親」
「ん?」
「伊達政宗に書状を書く。届けろ」
「んなぁ!?」
「我は奥州に繋がりなどない。単独で文を送るより、お前に渡した方がこちらの信憑性もあり確実だ」
「確かにそうだけどよぅ」
“んーっ”と退屈気に天井を見上げ、少し首の運動を施してから、元親は彼を見据えた。
「それこそ何を企んでる?」
「交流なきところと交流を持つことに、なんぞ企みがいるか?」
 切り替えされる言葉。その表情と同じく読み取る事が難しいもの。
 だが、元親には読み取る技量がある。
「わかった。届けてやるよ。さっさと書いて来いよ」
 スクリと立ち上がると無駄な動き一つ見せず、元就は部屋を出て行った。出て行ったことを見届け、元親はまた袋から結晶を取り出し口の中に放り込む。
 何事も、参加してこその物種。やっと元就も重い腰を上げた。いつもいつも屋根の下で駒を動かすなど不健康この上ない。
「さてさて、楽しくなりそうだ」
 大波ほど腕の見せがいがあるというもの。

 太陽の恩恵で出来た結晶は、口の中で甘くとける。
 出来のよさを確かめ、元親は不敵な笑みを浮かべた。