「安岡さん。」
「あっ、は、はいっ!」
振り返る安岡の様子を見た北山は、思わず言おうとしていた言葉を飲み込んでしまった。
「おい、安岡ぁ、お前大丈夫か〜?もうそれ着替えてきた方がいいんじゃないの?その汗、尋常じゃないし〜。」
「あはっ、黒沢さん何言っちゃってるんですかぁ〜!CHA-LA HEAD-CHA-LAですよぅ!」
一目見て、すぐ空元気とわかるほどのぎこちなさだ。
「安岡さん・・・その言い回しがすでにヘッチャラなカンジじゃないですよ・・・」
「えへ、えへ・・・」
額から汗を流しながら、なおも引きつった笑いを見せる安岡の両肩に、北山は両手をぽんと乗せた。
「安岡さん。」
「はい、何ざましょ・・・?」
「例のお客様が・・・『レ・ペティ・ソム・デ・ランジュ』を飲みたいようなんですよ。」
「へぇ〜、『レ・ペティ・ソム・デ・ランジュ』をねぇ〜・・・ってマジ?!ぐふっ!」
普通に納得しかけて突如叫んだ安岡の口を北山が即座に塞ぐ。
「声が大きいです・・・落ち着いて・・・」
「だって!酒井さんからは『ワインセラーの中にあるらしい』って聞いたけど、それらしきワイン、ワインセラーの中に見当たらないし!」
「ない?それ、本当ですか・・・?」
「ホントだよぉ!それに、『レ・ペティ・ソム・デ・ランジュ』なんて、俺一度も飲んだことないし!
他のワインなら前のオーナーのご厚意で勉強のためにいろいろ飲ませてもらったから味も覚えてるし、もし同じのがなかったとしても似たタイプのワインを出すことができるけど・・・」
「わかってます。『レ・ペティ・ソム・デ・ランジュ』ほどのワインを飲んだことがあるソムリエは、日本でも恐らく5人といないでしょう。」
「だったら・・・!」
「安岡さん。私たちは・・・あのお客さまに試されてるんです、きっと。」
「試、されてる・・・?」
「市場にめったに出回らないワインを注文して、この店がどのような反応を見せるか試してるんです、きっと。」
「そんな・・・」
「私にはワインの知識はありません。ここは、・・・ぜひ安岡さんにお願いします。」
北山は、安岡に頭を下げた。
「そりゃあ・・・行く、けど・・・仕事、だし、さ・・・。」
「ありがとうございます。私は一度酒井さんにこの件を伝えてきます。」
北山は、足早に「パトロン(オーナー)」である酒井の元へ急いだ。