ホールに出た北山は、早速メニューを手にワイン研究家の男(?)の元へと向かいながら、村上の方をちらりと見遣る。
村上は他のテーブルの様子を見回りながらも、一度もこちらを見ることはない。
例の客を視界に入れないように努めているのだろう。
「いらっしゃいませ。こちらがお料理のメニューとなります。」
派手な高級ドレスに、ラメやスパンコールを存分に敷き詰めた黒のストールを羽織った『舌の匠』は、目の前に置かれたメニューをゆったりとした優雅な動作で手に取った。
メニューを初めから最後までじっくりと目を通した『舌の匠』が、ゆっくりと顔を上げた。
「そうねぇ・・・」
そう言ったきり、しばし黙り込む。
北山は涼しい顔で客の次の言葉を待ち続けた。
「こちらには・・・『レ・ペティ・ソム・デ・ランジュ』はあるのかしら?」
ワインが専門分野ではない北山でも名前は知っている。
フランス製の、「超」がつくほどの最高級ワインだ。
この店の全盛期に、今は亡き前オーナー、つまり酒井の父親が得意先の酒店から奇跡的に入荷してもらったのが、今もワインセラーの奥深くに眠っているらしい―――と酒井から話を聞いたことがある。
「・・・ある、という風にオーナーからは聞いておりますが、わたくしはワインの担当ではございませんので、詳しくはわかり兼ねます・・・」
「あらそう・・・こんな店に、ねぇ・・・」
トゲのある言い方に、さすがの北山も引っかかりを覚えたものの、おくびにも出さない。
「・・・ワインに詳しい者がおりますので、呼んでまいります。少々お待ちください。」
北山は深々と頭を下げ、厨房へと向かった。