::世界冥作劇場::
人魚姫
2

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 ――――嵐の夜から数ヶ月が過ぎました。
 ここはとある平和で小さなお国。
 そこに住む兵士のスタンは、ある日風変わりなものを拾ってきました。
 これが物や犬猫ならば育ての親であるディムロス中将も、すぐ捨ててこいと言っていたことでしょう。
 ですが拾いものを見た瞬間、ディムロスは二の句が継げず呆然としました。
 スタンが拾ってきた風変わりな"もの"。
 それは――――なんと人間だったのです。










「――――三行で説明しろ」
「散歩してた。見つけた。拾った」
 言われたとおりスタンは短く説明したのですが、なぜかディムロスは渋い顔を解きません。
 あげく「バカにしているのか?」と睨まれる始末。
 もちろん、スタンはふざけてなどいません。

 ただ本当に、海岸を散歩していたら波打ち際でかれが気絶しているのを見つけ、意識もなかったため連れ帰った。それだけなのです。
 困っている人を助けるのは人間として当然だと教えてくれたのは、他ならぬ育ての親――――目の前にいるディムロス中将。
 スタンはその教えを守ったにすぎません。
 なのになぜ責める。一体何が悪いのかと詰め寄るスタン。
 渋い顔を解かぬ育ての親になお追撃をかけようとしたその耳に、ディムロスとは違う声が滑り込みます。
 声の主は、別の部屋で拾い者を見てくれていたアトワイト大佐でした。
 いつも凛と張った涼しげな目が、今は苦笑をたたえています。

「親子の団らんを邪魔して悪いけれど、診察が終わったわ」
「ほんとですか!?」
 アトワイトの言葉が終わるや否や喜色に顔を輝かせ、かれのいる部屋へと一目散に駆け出すスタン。
 後ろからディムロスの叱りつける声が飛んできますが――――、
「ディムロス、ちょっと……」
 止めるアトワイトの声に、これ以上は追ってきませんでした。




「――――ッ!」
 ほとんどドアをぶち破るような勢いでかれのいる寝室へ飛び込んだスタンは、ベッドに腰掛けたかれの姿を見るや硬直しました。
 突然の闖入者に驚いたかのごとく、目覚めたかれも固まりこちらを見つめています。
 スタンはかれの瞳を見つめて息を呑みました。

 ぴったりこっちに向けられた目のなんとまぁ美しいこと!?

 綺麗に円を描いた瞳の色は、黄昏時一瞬空に姿を現す濃紫。
 磨き上げられた宝石のごとき輝きはお城のお姫様だって持っていないような極上品です。
 生まれてこの方日の光を浴びたことがないのではないかと思うほど白い真珠色の肌に、可愛らしくほころんだ唇は珊瑚のピンク。
 髪は黒曜石を糸にしてできている――――などと言われても納得してしまいそうなほど艶やかで、スタンははじめ目の前にいるのが本当に自分と同じ人間なのか。
 もしかして、かれは魔女が魂を込めて作った人形ではないのかと疑ったほど。
 それほどまでに、目の前のかれは整った美貌をしていました。
 かれがスタンを見て表情を変えなければ、本当にそう錯覚していたことでしょう。

 いつまで経っても動かないスタンを見て、不審に思ったのか。
 細く形のいいかれの眉がきゅっと真ん中に寄ります。
 スタンはそれを見てやっと強ばりを解きました。
 ゆっくり一本一本、ドアノブを握りしめたままだった指を剥がし、スタンは改めてかれに向かいました。
 間近で見るとやっぱり怖いくらい綺麗で、スタンの心臓はさっきからドキドキと高鳴りっぱなしです。
 一言呼びかけるのに、何度か深呼吸しなければいけないほどでした。

「あ、あの……もう、体、だいじょう……ぶ?」
 ひっくり返った声で問えば、かれは微笑とも何ともつかない不思議な表情でこっくり頷きました。
 答えてくれたのが嬉しくて、スタンは矢継ぎ早に質問を重ねます。
 名前は一体何というのか。どうしてあんなところで倒れていたのか。誰か一緒ではないのか。家族は、友達は。年は。好きなこと、好きな食べ物、その他いろいろと聞いてゆくのですが、おかしなことにかれはただの一つも答えてはくれません。
 ただただ、さっき浮かべていた不思議な微笑みを返すだけ。

 そのうちスタンははっとしました。

 もしかして、かれはこの国の人ではないのかも知れません。
 だってこんなに見事な黒髪と紫の瞳をスタンはこれまで見たことがなかったからです。
 それに、かれを助けたとき着けていた腰布――驚いたことに、かれは衣服と言えばそれ以外何も着けていなかったのです――に施されていた刺繍はこの辺では見たことがない模様でした。

 もし本当に異国の人ならばどうしよう。

 自分の国でしか生活したことのないスタンは、当然異国の言葉なんて分かりません。
 通訳の人を連れてくるべきか。いやいや、ジェスチャーでなんとか乗り切ってみるべきか。
 スタンは大いに悩みました。
 頭を抱えうんうん唸るスタンの姿を見て、どう思ったのでしょう。
 ふ、とかれはスタンの手を取りました。
 氷を押し当てられたかのような冷たい感触に一瞬固まるスタン。
 下を見ればベッドに腰掛けたかれがスタンの片手を両手で包み、上目遣いでこちらを見つめています。
 その手の冷たさ。見上げる眼差しの真摯さが、スタンの中の"何か"を揺さぶるのです。
 とても。
 たくさんの"とっても"を重ねた大事な何かを――――。



(あれ……俺……これ…………おれ……)
 ずるりずるりと砂の中から引きずり出すように、スタンはその"大事な何か"を掴もうとします。
 濡れて固くなった、砂の中から。潮の臭いが強く残る、砂の中から。
 ずるり。ずるり。ずるり。ずるり、と――――。



「――――スタン君?」
 呼びかける声にスタンは我に返りました。
 わずか数秒ではありますが、どうやら意識をとばしていたようです。
 振り返ると、アトワイトとディムロスが訝しげな顔をしてこちらを見つめています。
「あ、あははははは〜」
 スタンは慌ててそれまで握られていた手を引っこ抜き、誤魔化すように苦笑い。
「スタン君、今かれとお話ししていた?」
 アトワイトに問われ、スタンは首をぶんぶんと振りました。
「い、いえ。あの、俺話しかけても、この子全然喋らなくって……」
 外国の人だからかな?
 笑って首を傾げますと、なぜかアトワイトは沈痛そうな面持ちでまつげを伏せました。
 愁いに沈み視線をそらせたアトワイトに代り、彼女の後ろで控えていたディムロスがスタンの問いに答えます。
「スタン、驚かずに聞いてくれ。アトワイトの見立てではかれは――――」
 そこまで言ってディムロスもまた、いったん言葉を切り顔を伏せます。
 ただならぬ気配をひしひしと感じたスタンはそっと、かれに目を向けました。
 かれは先ほどの不思議な微笑みを一切消し、表情なくアトワイト達に目を向けています。
 こうすると、ますます魂のない人形のようです。
 スタンは氷のごときかれの手を思い出し、そっとかれが触れていた手をさすりました。
「スタン」
 ディムロスの呼びかける真剣な声に、慌てて前を向くスタン。
 そこに待っていたのは、やはり真剣な面持ちのディムロスとアトワイト。
 ディムロスはスタンの視線が自分に合うのを確認すると、ゆっくりこう告げました。




「かれは――――どうも、声が出ないらしい」




 滑り込んだディムロスの言葉が、スタンの耳から一瞬にして音という音を奪いさりました。
 あんまりの衝撃に目の前まで薄暗くなってゆきます。
 スタンは油の切れたブリキのおもちゃみたいにギクシャクとかれを見ました。
 かれは相変わらず黙ったまま。止まったまま。
 なんの感情も伺えない顔で前を向いているだけです。
 スタンの体から、音の次に血の気が消えてゆきます。

 もしかして、自分はかれを傷つけてしまったのではないか。
 ぐるぐるぐるぐるとスタンの頭の中でメリーゴーランドのように後悔が回り始めました。
 調子に乗ってあれやこれや詮索して、かれにつらい思いをさせたのではないか。
 さきほどの不思議な表情の意味は悲しみや諦めだったのではないか。
 そんな考えが頭を乗っ取りました。
 真実を問い掛けようと思ってもスタンの口は貝の口。
 もしさっきの考えが当たっていたら――――。
 これ以上言葉を重ねることが、かれをいっそう傷つけることになるなら――――。
 さっきまでのおしゃべりがウソのようにスタンの口はぴったりと閉じられたまま震えもしなくなりました。
 ただ視線だけははっきり強く"心配"の二文字を彼に浴びせかけています。
 さらに、穴が開きそうなほどきつく視線を向けているというのになんの反応も返ってこないのが推理の正しさを物語っているようで、スタンはますます言葉を失いました。


「――――と言うことだ、スタン」


 ふいに、心配でいっぱいの頭にディムロスの声が割り込みます。
 途端、波音のような血潮の流れる音が体の奥から聞こえ始めたかと思うと、消えたときとは逆にゆっくり音が戻ってきました。
 強ばりついた視線をかれから剥がしディムロス達に向ければ、そこで待っていたのは真剣極まりない表情。

「先ほどのアトワイトの推測が正しければ、すぐにかれが声を取り戻すことは不可能であると考えられる。勝手の分からぬかれを追い出すわけにもいくまい。幸いにしてこちらの言葉は分かるらしい。なので、病院の方でいったん保護して貰い――――」
「俺が面倒見る!」
 スタンはディムロスの声を遮り叫びました。
「俺が――――俺が助けたんだ。この子が自分の家に帰れる日まで。俺が、この子を守る!」
「馬鹿を言うな!」
 すぐさまディムロスの喝が飛びます。

「相手は人間だ、犬猫を拾って育てるのとは訳が違うのだぞ!」
「ディムロスの言う通りよ、スタン君。私たちが責任を持ってかれを預かり、ケアするから」
 ディムロスの激しい喝にアトワイトの静かな諭し。
 いつもだったらこのコンビネーションの前に考えを改める所ですが、今のスタンには効きません。むしろ逆効果です。
 先ほどまで胸の中を満杯にしていた後悔が、次々使命感に塗り変わってゆきます。
 こんな右も左も分からぬ土地で声が出ないというハンデを背負い、かれがどれほど不安に思っていることか。
 叶うなら、持てる力の全てを使ってかれを助けたい。

 スタンはすっかりかれに同情していました。

 ですがスタンはなにも哀れみだけでこんなことを言っているのではありません。
 かれとはどうも、昨日今日合ったばかりの他人という気がしないのです。
 まるで以前から知っているような、ずっと世話になっていたような、そんな不思議な既知感がスタンの中に満ちてゆきます。
 出会って数時間の人間にこれほど心を寄せる理由は分かりませんが、かれはその信用に値する人間だとなぜだか確信できたのです。
 スタンは黙ったままのかれの前に跪き、今度は自らかれの手を取りました。
 相変わらず冷たい手が自分の体温で温まるよう、きゅっと優しく包み込みます。
 驚いたように瞳を丸くするかれと視線を合わせると、

「俺が、守るから」

 騎士が主君に対し誓いを立てるように厳かに、スタンもまたかれに対し誓いました。
「俺が、君を守る。声が戻るまで、ちゃんと家に帰れる日まで。絶対、絶対俺が守るから!」
 だからどうか頷いて欲しい。頷いて、この誓いを許して欲しい。
 スタンは視線で訴えかけます。
 すると、気持ちが通じたのでしょうか。
 かれは先ほどまで驚きに丸めていた目を優しく細め、スタンの手を握り返しました。
 スタンの顔にぱぁっと喜色がさします。
 本人の許可は得られました。残るは後ろの山二つです。
 闘志満々振り向けば、アトワイトは悩ましげな表情でこちらを見つめ、ディムロスの方はと言えば額に手を当て長い溜息。
 どちらも表情には呆れの色が濃く映っています。

「だから……犬猫の面倒を見るのとは違うと言っているだろう」
「ディムロスだって俺を拾ったじゃないか。この子より小さいとき拾って、面倒見てくれたじゃないか」
 ディムロスにできるのなら俺だって――――!
 自信たっぷり言い切れば「だからこそだ」と苦渋を滲ませ返されました。
「経験者だからこそ言える。人間一人の面倒を見るのがどれほど大変か――――身を以て知っているからこそ反対しているのだ」
「――――ディムロスは俺を拾って後悔してる?」
 スタンは問います。それこそ小さい頃から何度も繰り返し続けていた問いを、今またディムロスに向かってかけます。
 間髪入れずにディムロスはいつもの答えを返しました。
「そんなわけがないだろう。お前を拾って悔いたことなど一度もない。例え今あの日に戻ったとしても私は代わらずお前の手を取る」
「俺もだよ」
 スタンも応えます。
 彼の力になりたい。助けになりたい。支えになりたい。
 未来のことなど分からないけれど、これだけははっきりと言いきれます。
 一時の同情、迷いなどではなく、この先どんな苦労があろうともかれを助けたいと思ったことを後悔などしない。
 だって――――。

「血のつながりがなくたって、俺はディムロスの"息子"なんだから」

 少しは子供を信用しろ。
 正々堂々、真っ向勝負。
 胸を張って言い切れば、ディムロスは喉を詰まらせきつく眉根を寄せました。
 苦悶とも、苦痛ともつかない表情です。
 それからディムロスは何度か唇を震わせましたが――――結局最後には大きなため息をつくと、
「まさか、お前がそんなこと言う日が来るなんてな……」
 表情が苦笑いに変わりました。
「じゃあ!」
 それまでこわばっていたスタンの顔に喜色がさします。
「アトワイト、医療面でのサポートを頼む。私は近隣諸国で行方不明者が出ていないか調べてみよう」
「ええ、分かったわ」
「スタン」
 再びディムロスはスタンに視線を合わせます。
 その表情は、敵を前にしたとき同様まるで剣の切っ先を突きつけているかのような緊張感がありました。
 ぐっと、頼もしい腕がスタンの肩を掴みます。

「必ずかれの信頼を得、そしてかれが無事自分の場所に帰るその日まで身命を賭して守り抜け。私の"子供"であるお前ならば、必ずできる」
 信用している。
 最後に肩を叩き、ディムロスは優しく微笑みます。
 緊張にこわばっていたスタンもまた、ディムロスの信頼に応えようと力強く頷き返しました。
 そして振り向き、再びかれの前に跪きます。
 恭しくとった手の甲に額を当て、軍で教えてもらう最上級の礼をとり、
「きみが正しく自分の居場所に戻れるその日まで、俺がきみを守り抜く。俺は、今この瞬間から」
 君の剣となり楯となる。
 再び誓えば、かれは戸惑っているような泣き笑いのような顔でそれでもしっかりとスタンの手を握り替えしてくれました。






 ――――こうしてかれの名前すら分からず始まった共同生活。
 はたしてかれは無事、自分の場所に戻れるのでしょうか。
 いやいや、それ以前にかれはいったい何者なのでしょう。
 答えはいまだ深い深い海の中。
 神様だけがご存じです。

あとがき

まぁ、画面の向こうにゃバレバレなんだがな!
スタンがまるで攻めで王子様のようですが本当は受けで一兵卒で、
リオンが受けでお姫様のようですが攻めです。
確かにお姫様にな〜れ☆と念じながら書きましたがちょっとやり過ぎたかもしれん。
次回もスタンのターン。

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