::世界冥作劇場::
人魚姫
1
むかしむかしのそのむかし。 遠いお国の深い深い海の底に、人魚の国がありました。 人魚の国には、一人の王子様がおりました。 王子様の名前はリオン。 綺麗な人が多いとされる人魚の国でも一等綺麗で女性的なそのお顔立ちから、「人魚姫」とも呼ばれておりました。 人魚の国はとても平和な国です。 地上は時々戦争があったりお国が滅んだりしていましたが、深い深い海の底にある人魚の国には関係のない話。 人魚のほとんどは、人間を見たことすらありません。 人魚姫のリオンもそうでした。 でも別によかったんです。 なにせ話に聞く人間という奴は乱暴で下品でとても友達にはなれそうにありませんでしたから……。 そんなある日、海を大きな嵐が襲いました。 幸い底の方にある人魚の国にはなんの被害もありませんでしたが、海面は散々たるものでした。 折しも海の上では一艘の船が難破しようとしています。 いくら長距離に堪えうるような立派なお船でも、この嵐の前には川の流れに弄ばれる木っ端も同じ。 あえなく船は真っ二つに折れ、乗り込んでいた人々もそれぞれ海に投げ出されてしまいました。 多くの人々は積んであった救命用のボートに乗って事なきを得ましたが、たった一人、運悪く乗り遅れた青年が海に沈んでゆきます。 それを助けたのは、リオンでした。 初めからリオンは青年を助けようと思っていた訳ではありません。 海面近くまで出かけたのも偶然です。 ただ沈み行く青年の金髪が、あまりにもあまりにも太陽の光のようにまばゆく綺麗だったものですから、つい手が伸びてしまったのです。 リオンは青年を空気のある海中の洞窟まで運ぶと、色々と介抱してやりました。 初めて見る生身の人間は、本に書いてあったように牙もなければ凶暴そうでもありません。 ただ、尾びれの代わりについている二本の足は泳ぐのにとても具合が悪そうでした。 しばらく火をおこして体を温めてやったりしている内に、青年は目を覚ましました。 リオンはそこでまた驚きます。 開かれた青年の目の、まぁなんて青いこと!? 南国の浅瀬よりまだ青く清涼で、その色はよく晴れ渡った空を思わせます。 太陽の光を集めた髪に、青空の瞳。 自分が海から生まれたものなら、きっとこの青年は空から生まれたものなのだろうとリオンは思いました。 しばらくぼんやりと辺りを見回していた青年でしたが、リオンの姿に気づくとサァッと顔を青ざめさせ、何を思ったのか、 「しっかりしろ!」 力強くリオンの体を引っ張り上げたのです。 リオンはその時、腰から下が海の中にあったのですが、どうも青年はリオンが同じ遭難者で体が沈まぬよう必死に地面の縁にしがみついていると思ったようです。 「だいじょ……」 「――――何をする」 強引に陸へ打ち上げられ、リオンは不愉快さを隠すことなく青年を睨みつけました。 他の人魚達からまるで宝石のようと称されるつややかな黒い鱗が、泥にまみれてぐちゃぐちゃです。 なんて乱暴なヤツだ、と言葉を続けようとしましたがそれより先に青年はうぅんと唸って気を失いました。 せっかく無傷で助けてあげたのに、倒れた際頭にたんこぶを拵えるおまけ付です。 リオンは呆れながら、頭の中の辞書に下の文を書き加えました。 (人間というヤツはなんて騒々しくておっちょこちょいでバカなんだろう……) それからまたしばらく経って、青年は今度こそ目覚めました。 リオンの姿を見てまたびっくり仰天、悲鳴を上げたのはご愛敬。 なんとか落ち着いて話をしてみると、青年は助けてくれたことに対して礼儀正しくお礼を言いました。 今度はリオンがびっくりする番です。 まさか人間がこんなにも丁寧にお礼をするなんて、と正直に言うと青年は照れくさそうに全て育ての親から教わったものだと言いました。 青年は、スタン、と名乗りました。 先頃難破した船のお国に仕える兵士だそうです。 よく見れば、スタンは腰に剣を差しており、鞘にはとあるお国の紋章が彫り込まれています。 沈んでゆく間も、決して離そうとはしなかったことからその剣がスタンにとってとても大事なものだと分かりました。 「それにしても、人魚って本当にいたんだな」 尾びれを泥まみれにしたことにも謝りを入れてから、スタンはしみじみ言いました。 初めて人魚を見た、というスタンに自分も人間を見るのは初めてだとリオンは告白しました。 「気まぐれに海面へ出る者もいるが、普通の人魚はめったなことでは国からでない。海の中は陸と違って平和だからな」 「じゃあ俺、その気まぐれに助けられたんだな」 ありがとう。 再び礼を言い微笑むスタンに、リオンは何となく胸のあたりがザワッとするのを感じました。 これまで笑顔を向けられたことは何度もあります。 人魚の国で一番綺麗なリオンの関心を引こうと、いろいろな人たちがこうやって笑いかけたりおべっかを使ったりしてきたからです。 ですが、そのどれにもリオンが心動かされたことはありません。 時に素っ気なく、時にうっとうしげに、また時には気づきもせず受けながしてきたのですが、なぜだかスタンの笑顔だけはいつまでも向けられていたい気になってしまいます。 きっと、スタンの金髪と青い目が海の中では珍しいからだと自分に言い聞かせて、リオンは胸のざわざわにフタをしました。 それから、リオンはスタンの元へよく遊びに行くようになりました。 スタンは一刻も早くお国に帰りたがったのですが、まだ海が荒れているので危ないとリオンに言われると、おとなしく従いました。 海で生活する人魚の言うことなら、きっと正しいのだろうと思ったからです。 もちろん、リオンの言っていることは嘘ではありません。 海面はまだまだ波が高く、海沿いの村の漁師はこぞってお休みしていました。 ただ、リオンがスタンを引き留めている理由はそれだけではありません。 この数日ですっかりスタンと仲良くなったリオンは、スタンが自分の所からいなくなってしまうのがとても惜しいと思うようになっていたのです。 リオンは良く、暇つぶしにとスタンに剣の相手をさせました。 リオンは一見すると手弱女のようで、しごく儚げな印象を与えますがどうしてどうして。 その剣の腕前ときたらスタンのお国の騎士隊長でも敵わないくらいの強さです。 しかしスタンの腕前もバカにしたものではありません。 これほど荒削りで真っ正直な剣を振るう者はリオンの周りにはいませんでした。 剣閃一つとっても、スタンが善人であることがよく分かります。 海に浸かった浅瀬で、二人は何度も剣を交わらせました。 剣を納めた後は、二人でご飯を食べたりお互いの国や身の回りのもののことを話し合ったりでいっこうに飽きません。 リオンはスタンの話から、地上が、本に書かれているとおりけして野蛮なだけではないことを知りました。 もっとも、争いの全くない人魚の国ほど平和という訳でもないようですが。 スタンと共に過ごす内、リオンの中にある想いが芽生え始めました。 ずっとこうして、スタンと一緒に過ごせたら……。 ずっとずっと、スタンと遊んだり喧嘩したり笑いあったりすることができたなら……。 リオンはいつしかそう願うようになってたのです。 ですが、楽しい時間というものはずっと続きません。 とうとうある日、リオンが地上の人間を匿っていることが人魚の国にばれてしまいました。 リオンのお父さんである国王も国の人も、こぞってスタンを追い出すようリオンに言いました。 人魚の国は平和な国です。 もし野蛮な人間を迎え入れたりしたら、余計な争いが起きるかも知れません。 人魚達はそう諫め、もしリオンが追い出さないのならスタンを殺してしまうぞとまで言うのです。 リオンは泣く泣くスタンを地上へ帰すことにしました。 波はもうとっくに治まっていたのです。 リオンはスタンを地上に帰す際、魔女から貰った薬を手渡しました。 海の中でのことを全部忘れてしまう薬です。 もしも地上の人間に人魚のことが知れれば、野蛮な人間のこと。 不死の薬にもなるとされる人魚を求め、攻め込んでくるかもしれません。 スタンはそれを聞かされても、仕方がないなと笑いました。 「怖いもんな、戦争は。人魚の人たちがそう言うのも分かるよ」 初めて見るスタンの寂しげな笑顔に、しまい込んでいたリオンの胸のざわざわが蘇ります。 「えっと、これ、二人の目の前で飲まなきゃだめなんだよな?」 「あぁ。僕だけでは不安らしい」 リオンの後ろには薬を作った魔女も一緒にいます。 スタンが本当に薬を飲むのか、確認するためです。 頭からすっぽり被ったフードの裾から覗く目が、スタンを油断なく見つめています。 「リオン……」 最後の最後。 薬を飲む直前、スタンはリオンの手を握りしめこう言いました。 「今までよくしてくれてありがとう。俺、リオンには本当に感謝してる」 「スタン……」 「リオンのことは頭の中から忘れるかも知れないけど、でもきっとココ(心)では覚えてるから。だから。だから――――ッ」 スタンはそこまで言うといったん言葉を詰まらせました。 しっかり握りしめた手の上にぽたぽたと熱いものが降りかかります。 それが涙だと気づいたとき、リオンも何か言おうと口を開きました。 ですが言葉が出ません。 伝えたい想いがあるのに、それが言葉という形にならないのです。 ならせめて、スタンと同じように泣くことができればと思いましたがリオンは長い間にそのやり方すらすっかり忘れてしまいました。 だからリオンは、代わりにスタンの手をきつく握り返しました。 このつらくて、痛くて、苦しくて、けれど嬉しいという気持ちがすこしでも伝わるようにと。 やがて別れの時は来ます。 薬を飲んだスタンは気を失う直前、リオンが大好きだった笑顔でこう約束しました。 「また手合わせしような!」 そう笑って、スタンは自分のお国に帰って行きました。 こうして、人魚の国に平和が戻りました。 人間を勝手に匿っていたリオンはお父様からたっぷり油を絞られましたが、他の人魚達はむしろリオンに同情していました。 市井の人魚達はみんなこう言います。 きっと、あの野蛮な人間が人魚姫をたぶらかしたに違いない。 なにせ、人魚の国はこんなにも平和なのに、地上の人間ときたら同じ人間同士、戦争を起こしたりお国を滅ぼしたりするのだから――――。 |
あとがき
と、言う訳でリオンが姫様の人魚姫はじまるよー。
スタンは王子ですらないというこの斬新さ。
相当原典から離れ、ひねくれた話になると思いますがよろしくお願いします。