:秋空に思い流るる:
京梧・醍醐
龍斗は手にしていた刀を持ち主に手渡す。 相棒が戻ってきたにもかかわらずなぜか目を丸くする蓬莱寺に向かって龍斗は顎をしゃくると、 「行くで」 返事も聞かず、一人すたすた歩き出した。 ――――昨日一雨降ったせいか、通りはずいぶんと歩きやすかった。 これが冬の乾燥した中なら、文字通り目も当てられない。 人と風の巻き起こす砂埃で即刻目をやられていたことだろう。 龍斗が江戸に来て何が一番堪えたかというと巻き上げられる砂埃の多さだった。 出てきたばかりで慣れない頃は、それこそしょっちゅう目箒の世話になっていたものだ。 今日は地面も落ち着いているからずいぶん歩きやすい。これなら探索もはかどることだろう。 そして。 「――――だいたい、お前は堪忍がたりないのだ」 歩きながら説教するにも都合が良かろうなぁと、隣で延々蓬莱寺に向かって小言を続ける醍醐を見ながら思った。 「これから共に戦おうという相手に、ああも突っかかっていったのでは開く心も開かないではないか。だいたい、相手はお前より年下なんだぞ。もうすこし年長者としての余裕をもってだなぁ……」 「あ――――!、うるせぇ、うるせぇ!」 説教と惚気は短い方がいいって言葉しらねぇのか、と蓬莱寺が吠えれば醍醐は知らんと返す。 あまりの一刀両断っぷりに渋い蓬莱寺の顔がさらに歪む。 それを見て、醍醐はこれ見よがしにため息をついた。 「まったく……。お前は何が気に入らないんだ。かつて敵だったとはいえ、今は同じく江戸を護ろうという仲間ではないか。もう少し歩み寄ろうとは思わないのか?」 「俺としちゃ、お前が何であいつらをそこまで信用してるのかを知りてぇな」 苦いものでも吐き捨てるかのような口調で、蓬莱寺は真っ向から反論する。 その目には、強い非難が込められているように思えた。 「江戸を護る仲間だぁ? 冗談じゃねぇ。あいつら今でも事が終わりゃあ天下ひっくり返そうと狙ってやがんじゃねぇか。そんな奴らをどうやって信用しようってんだ」 俺ぁ、寝首掻かれるのは御免だぜ。 言い捨て蓬莱寺はさっさと先を行く。 肩を怒らせ大股に歩む姿に、顔を見ずともどんな表情をしているかよく分かる。 これ以上話を続ける気はないと語る後ろ姿に、龍斗は胸からせり上がってくる苦みから、唇を噛みしめた。 漠然とした悔しさが、一体何から生まれたのかは分からない。 ただ分かるのは、これだけは。この事だけは蓬莱寺に言っておかねばなるまいという強い思いだった。 「――――あいつらは、そんな奴ちゃう」 湿った息と共に言葉が吐き出される。飛び出た声は、自分でも思った以上にきつい口調だった。 雑踏に紛れるほど小さな声にもかかわらず、蓬莱寺は振り返った。 眉根をきつく寄せた表情が何を示すか、龍斗には分からない。だが少なくとも、先ほどの言葉が蓬莱寺に良い印象を与えた訳ではないのは事実だろう。 しかし龍斗は言葉を続ける。 ここで蓬莱寺の機嫌を損ねることになろうとも、それによって今度は蓬莱寺と龍斗が争うことになろうとも、きちんと伝えておかねばならないことがある。 「少なくとも柳生を斃すまでは。鬼道衆は、俺らの寝首を掻くようなそんな卑怯な真似はせぇへん」 これだけは、言っておかねばなるまい。 九角が、九桐が、風祭が、桔梗が、今日町に出てこなかった他の面々がそんな風に見られるのが、龍斗には我慢できなかった。 仲間と油断させておいて後ろからばっさり……などという卑怯な真似、彼らに出来るはずがない。 例え自ら鬼を名乗り江戸の闇を暗躍しようとも、彼らにはそうするだけの理由がある。 彼らは皆、かつて幕府によって理不尽な扱いを受けた者達ばかりだ。 幕府に恨みは持てど、町に住まう人々に八つ当たりするほど畜生には落ちていない。 かつて円空阿闍梨の前で誓った「柳生を斃すまで力を合わせる」という言葉を本気で反故に出来るほど彼らは悪党ではない。 訛りと吃りのきつい、たどたどしい自分の言葉がどれほど蓬莱寺に届いたかは分からない。 だが、言葉を終えたとき蓬莱寺の顔に浮かんだのは見たこともないほどの苦々しい表情だった。 「龍斗は、俺より連中の方を信用してんだな」 冷たい冷たい、体中の血が凍り付くほど冷たい声だった。 だがこちらを見つめる目に非難の色はない。 見つめる視線が一体何を指し示しているのかは分からないが、どこか苦しそうに見えるのは気のせいだろうか。 「連中の肩ばっかもって、それじゃまるで、お前が鬼道衆みてぇじゃねぇか」 ―――― 一瞬言葉に詰まった。 思いも掛けぬ蓬莱寺の言葉に手足が痺れ固まる。背中を、冷たいものが一筋流れ落ちた。 声を無くした龍斗をどう思ったのだろう。 蓬莱寺はもう一度何か言おうと口を開いたが、結局何も言わずじまいでますます表情を苦くすると、再び先を歩み出した。 龍斗も今度は追いかけないし、声も掛けない。 動けなかった。 蓬莱寺の言葉は不思議な力を持って龍斗をその場に張り付けにした。 「……龍斗」 しばらくして、ぽん、と肩に掛けられた手に、龍斗は我に返る。 労るかのごとく穏やかな表情の醍醐がこちらを向いていた。 「醍醐……」 「俺たちも行こうか」 促す醍醐の言葉にはっと蓬莱寺を探すが、もう背中は雑踏の中に紛れ、完全に見失っていた。 歩き始める醍醐に釣られ、龍斗もゆっくり歩みを再開する。 醍醐の影を追いながら、龍斗の頭の中では先ほどの蓬莱寺の言葉が回り灯籠のごとくグルグル回る。 "――――それじゃまるで、お前が鬼道衆みてぇじゃねぇか" その言葉は、なぜか龍斗の胸に深く突き刺さった。 蓬莱寺の目にはそんなにも、龍斗が鬼道衆の味方ばかりしているように見えていたのだろうか。 龍斗は今までの自分の行動を振り返ってみるが、そんなつもりはないと頭を振る。 遠く上方から江戸に頼る者もなく下ってきた龍斗を受け入れてくれたのは、時諏佐と蓬莱寺達龍閃組だった。 今はない故郷とは別の、もう一つの居場所。 それが龍閃組だ。 鬼道衆と龍閃組、どちらにつくかと言われれば当然龍斗は龍閃組につく。 ――――ならば、なぜ自分は先ほどの蓬莱寺の言葉にあんなにも動揺してしまったのだろう。 わき出た自身への疑問に、龍斗はますます深く考え込む。 予想だにせぬ言葉だったからか。 あるいは蓬莱寺に信用してもらえなかったからか。 そのいずれも、この胸を貫いた衝動の説明にはなっていないように思える。 あの瞬間、確かに感じた痛みの出所はどこなのだろう。 再び重い思考に囚われる龍斗の隣で、ふいに低い声がぼそり、呟く。 「――――まぁ、蓬莱寺の言うことも分からぬではないな」 とっさに向けた視線の先に顎を撫でる醍醐がいる。 龍斗の顔が再び歪んだ。 「……醍醐も、俺が鬼道衆の間諜みたいや思とるんか」 「そんなつもりで言ったわけじゃない。ただ、龍斗は本当に鬼道衆の面々のことを思っているのだなぁと」 そういう意味だ、と苦笑しながら醍醐は言った。 醍醐の言葉に含みはないように思える。 だが先ほどの蓬莱寺の言葉がまだ頭に引っかかっているのも併せて、何となく醍醐の言葉を素直に受けることはできなかった。 返事もせずうつむく龍斗をどう思ったのだろう。 「――――龍斗は、輪廻というものを知っているか?」 突然かけられた醍醐の言葉に龍斗はいや、と首を振る。 醍醐は仏のように穏やかな顔で一つ、頷くとゆっくり語り始めた。 「輪廻とは、仏教に限らず様々な宗教にある概念で、簡単に言ってしまえば人は死んでもまた生まれ直し、現世へと戻ってくるというものだ」 ただし、人間が死んだからと言って再び人間に生まれ変わるというわけではない。 前世が人でも、今世では虫になるかも知れない。あるいは畜生になるかも知れない。 だから仏門に入っているものは、肉を食わないし虫も殺さない。 もしかしたら、前世で自分の近しい人間であったかも知れないからだ。 「そして、魂というものは強く惹かれあう。前世で恋人同士だったものが、今世では兄弟として生まれるという話もよく聞く。この話が本当なら、もしかした鬼道衆と龍斗の間には前世の縁があったのかもしれないな」 敵と味方に分かれても、かつての縁のために親近感を覚えているのかもしれない。 「龍斗、俺はお前が羨ましいよ」 醍醐はしみじみ漏らす。 「俺も柳生の脅威から江戸を守るため鬼道衆と協力したいと考えているが、いかんせん今までが今までだ。口ではどうこう言えても心の奥では蓬莱寺のように彼らを敵としてみているのかもしれん」 鬼道衆と今ひとつ心が通い合わぬのも、そんなやましい心の内を見透かされているからだろう。 彼らは聡い。 あの目は、真実自分たちにとって味方になってくれる者を見極めている。 「彼らがお前に心を開いているのは、きっとお前が心の底から彼ら鬼道衆を信用しているからなのだろうな」 お前はいい僧侶になりそうだ。 醍醐はそう笑って締めくくる。 だが、龍斗は途中から醍醐の話どころか顔すらまともに見ることはできなくなっていた。 何とも尻が落ち着かないというか面はゆい気持ちに、顔から火が吹き出そうだ。 醍醐の言葉は坊主らしくまっすぐ龍斗の心に届く。 それがあんまりにもまっすぐすぎるから、いつも受け止めるのに躊躇してしまう。 今だってそうだ。 買いかぶりだと言ってみても、返ってくるのは否定の言葉とまた先ほどと同じくらいまっすぐな言葉だろう。 だから結局、 「……俺、頭丸めるん嫌やで」 そんな明後日の方向を向いた返事に、醍醐はそうか、とだけ言って笑った。 そしてそのまま、双方ともに無言で蓬莱寺の背を探す。 ただ、醍醐のおかげで先ほどまで身の内を巣くっていた重い空気は消え去っていた。 醍醐の語った「輪廻」の話。 もし醍醐の言うとおり、龍斗と鬼道衆との間に生まれる前からの縁があるのだとしたら、この自分でも分からぬ鬼道衆への親しみも説明がつくというもの。 そう考えたら、なんとなしに気が楽になった。 (親の言葉となすの花の他に、坊主の説法にも無駄なもんはないんやなぁ) 前世の縁がもし本当にあるのだとしたら、生まれる以前の自分は彼らとどんな出会い方をして、いたの、だろう……。 ――――この村はどうなっていくべきなのか、そのために俺はどうするべきなのか、 ……そんな事ばかり考えている。 あんまり腕を振るうと、この村の猛者どもが遊び相手が増えたって ――――俺たちは、俺たちの大切なものを護るために闘っているのではないか? 村に戻って俺と手合わせでもしようぜ? ……ホントかッ!?
――――あなたは、まだ、此々に来るべき運命ではありません。
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あとがき
管理人の書く外法帖の九割は設定読まなきゃ分からない使用になっています。
【陰】始まりで龍斗は【陰】での記憶を失っています(断片的には覚えていて、それが夢の中に出てくる)
ちなみにこの話、別の「夢想寸話−【陽】−(龍斗←涼浬)」と「囚影」につながってたり。