休日の午後、雲ひとつない晴天のうららかな日だというのに、坂井は起きてから落ち込んでいた。
それもこれも、夢のせいだ。
数年前に死んだ男が夢に出てきた。坂井が心底好きで、紆余曲折を経て付き合うことになり、死に際も看取った、あの男だ。
あれから数年経っていたが、あの男はごくたまに夢に現れる。おかげで顔も声も忘れることはない。――夢になんか出てこなくても、坂井があの男、下村のことを忘れることなどありはしないのだが。
店での愛想笑いや荒事にあたっての冷徹な表情は勿論、プライベートで親しい人間にしか見せないリラックスした表情やはにかんだ笑顔、しがみつく指の力や名前を呼ぶ声、坂井を馬鹿にした顔、煙草を吸う時の仕草や左手の義手をつける動作――自分でも驚くほど、さまざまな表情をいちいち覚えている。それくらいには好きだった。
夢で逢えるのが、嬉しくないわけではない。好きな相手に逢えるのだ。嬉しいに決まっている。
ただ、そう思うまでには時間がかかった。
目が覚めてすぐは、あの愛しい男はこの世におらず、夢でそうするようには触れられないのだという事実に打ちのめされ、喜びどころではない。
夢を見るたび、喪失感に苛まれる。何度も何度も。
坂井と付き合っていた頃の下村は、素直と言う言葉からは程遠かった。何を考えているのかわからないのはいつものことだったし、余計なことは何も喋らない。はじめは表情もそんなに変わらなかった。感情をなくしたのかと思ったほどだ。それでも下村の存在が気になったし、好きだった。今でも好きだ。けれどもそういった坂井の言葉は下村になかなか伝わらず、伝わったと思ってもすぐにそ知らぬフリをされた。
今なら、下村がそうした態度をとっていた理由もわかるのだけれど。
「……ったく、ひでえよなぁ……」
俯いたままでの呟きはフローリングの床に滑り落ち、黄ばんだ壁に砕けて消える。
下村という名の棘は、いつまでも坂井の胸のいちばんやわらかなところに刺さったままだ。
いつまでも刺さっていればいいと思う。いつまでも刺さっているだろうと思う。
坂井は自分が死ぬまで、下村を忘れるつもりはなかった。だとしたら刺さっているままに違いない。
だから。
坂井が死ぬまで、下村とのことがなかったことになるはずがない。
いつまでも死んだ男に恋着しているのが他人から見て滑稽だろうと、坂井の知ったことではない。
あの男との関係に、終止符などは要らないのだから。
溜息をついて坂井はようやく立ち上がった。普段通りの行動をとるのが、ひどく億劫だった。