Lacrimosa
dies illa,
qua resurget
ex favilla
judicandus
homo reus:
Huic ergo
parce Deus.
pie Jesu
Domine,
Dona eis requiem.
Amen.

復讐をイン・ファヴィラ___アレンは舌の上でその言葉を転がした。報いをもたらすために、自分は在る。
アレンは頬を拭った。手の甲に冷めた血がべっとりとこびりつく。マナの魂を捕まえ損ねた手。伯爵の兵器にんぎょうとして人間を殺した手。
「マナ...」 口にするたび、想うたびに泣きたくなる。アレンは数回、ゆっくりと呼吸を繰り返した。自分が涙を流せないことは厭になるくらいわかっていた。もう一度頬を擦って、アレンは立ち上がる。足元にある無残な形骸の山々を、死昏くらい睛が切なく見下ろした。
開いた手のひらには、マナだったものの欠片。自分の血が滴り汚れたそれに、アレンはそっと口付けた。
気付けばあの酷い吐き気や幻暈は消えていた___いやおそらく突き抜けてしまったのだ、とアレンは妙に冷静な頭で考えた。消え去ったわけではない、一時的に感じなくなっているだけ―――

「...まだそこにいるのか、」 アレンは自分の周囲の気配を探る。白い夜霧、それに擬態したなにか。暗黒物質ダークマターと相反するもの。マナを奪い去っていったもの。
「ぜんぶ、」 アレンは願った。それで罪が濯がれるわけではないけれど。

「...ぜんぶ消してしまって」

手放した魔導式ボディの欠片が、こどもの足元に積まれた山に落ちたのを合図に、鬱金が瞬く間に暗黒を包み焔を上げた。
「―――お前...左手の十字架、だろう?」 揺らめく金に目を細めてアレンは呟く。
「ずいぶんと様変わりしたじゃないか。今までいったいどこに隠れていた...」
云って つきり と傷む疵があった。喉元からまっすぐにアレンの身体を割く、忌々しい疵痕。その奥深くにひっそりと息づいている、温もりに似たもの。
「...なぜ僕を壊さない...なぜ癒そうとする...なんで!」
マナは容赦なく葬ったくせに、なぜ僕を殺さない!
みっともなく叫び声を上げてしまいたかった。だがそれをするにはあまりにも、あまりにも混沌とした感情が強すぎて、気持ちが大きすぎて、アレンはただ耐えるために胸元をぎゅっと握り締めた。失くした腕、贋物にせものの腕。消えた十字架、形を変えて。ずっと傍にいたもの、アレンを魂ごと捉えたまま離さない、意思あるもの。
何がしたい、何をさせたい___問いかけても答えはない。ただそれ、、はアレンを脅かすことはないのだという事実だけ。温もりに似たもの。包み込む腕のなかのような。


(―――ちがう)

(おまえじゃだめなんだ)


それがアレンを裁かないというのなら。願っても叶えてはくれないというのなら。
金の焔は細くほそく捻じれて消えゆく。暗黒をすっかり呑み込んで。アレンはじっとそれを見つめ続けた。そこに介在したはずの意思と力がもつ価値を定めるように。
復讐だ___伯爵の悲劇の演出は止まることはないだろう。むしろこれから加速していく。終焉のシナリオ。その舞台に手をかけよじ登ってやるのだ。そのために。
アレンは息を吸い込んだ。
「...僕に、従うか。否か。示せ、」

返事を待たずに、アレンは踵を返して歩き始める。纏った黒外套の裾が、夜風に遊ばれてはためく。それに倣うように、ちいさな子どもの背でしろく長い髪が、さらりと揺れた。


来るべき約束の日まで、ずっと共に在るために。




―――このいのちの続く先を、僕は知らない。
きみにわかるだろうか。この喪失感を何の言葉に喩えたらよいのだろうか。黒い血により目醒めた自分の、命とも呼びがたい虚ろな時間を、苦痛と悲憤とを、いったいなんと云えばいいのだろうか。
僕の魂を呑み込んでいる闇はただ純粋に深く暗く___いつだって僕を芯から真っ黒な存在へと塗り替えようと狙っている。それは死者の血の呪いであり、絡みつく製造者の鎖の冷たさだ。絶望は常に口を開けて僕が堕ちて来るのを待ち構えている。僕は何度もその深淵へと堕ちてゆき、同じだけ這い上がってきた。でもそれはけして、神の結晶の恩寵に由るものなんかじゃない___生きているとも死んでいるとも云えない僕の、死へと足を踏み出すしかない僕たちの、、、、、、、、、、、、、、、、、、歩みを止めるわけにはいかないという意思に由るものなのだ。少なくともそう信じていなければ、僕らはたちまち挫けてしまうだろう。思考を、自我を手放すことは容易には違いない。死に似た眠りにおちるのと同じくらいに。
僕に続く仲間の多く___ただの人間でしかない人々の魂は、絶望に堕ちて嘆き叫んでいるものがほとんどだ。だからといって僕は、彼らを批判する言葉をもたない。きっと彼らの方が正しいに違いないと思うからだ。神に祈り、神に願い、ある神の敵を自分の敵として憎まずにはいられない彼らの在り方のほうが。そして彼らは切望する。神の処罰と断罪と、そして慈悲による救済を。
―――僕は僕自身の敵を敵として憎んでいる。両頬を敵に差し出してやるような純粋さは、僕の中から消え去って久しい。あの日の復讐の決意を忘れたことはない。自分自身の手で、必ず報復することを父に誓った。あいつに奪われた時を取り戻し、父と再びまみえることを願った。そのために僕は僕に与えられていたちからを揮ってきた。僕がまだ人間だった頃、醜く忌むべきだけだった左手の成れの果て、朽ちるだけが運命のこの肉体をいみじくも現世に繋ぎとめる意思___僕の心臓イノセンス

僕の魂を捕えているのが虚無ならば、肉体に根を張っているのは忌々しい神の奇蹟だ。きみはアクマの原動力が何であるか知っている? そう、魂のフラストレーション___悲しみと涙が、アクマの食物。僕の場合も同様、ダークマターとイノセンスの鬩ぎ合いが僕を突き動かすエネルギーとなっている。
さて、頭の良いきみのことなら、あるひとつの疑問に至るだろう。何故僕が“咎落ち”にならないのか―――...僕は千年伯爵の兵器としてヒトを殺しもするし、エクソシストのようにアクマを破壊もする。実は僕もこのことについては、はっきりとした答えを得ているわけじゃない。ただ___僕がまだこうしてこの世に存在し活動しているということが事実であるというだけ。
もし真に敬虔な神のしもべがいたとしたら、こんな僕に何かの意味付けをし、付加価値を押し付けたに違いないだろう。でも僕はただアレン・ウォーカーというたましいでしかない。
ソルヴェトゥ・セクルム・イン・ファヴィラ___この言葉の実行者としての。僕は僕の願いを実現するために手段を厭わず歩んできた。悪魔になった。多くのひとは僕を批難するだろう。でも僕はそれを恐れない。真に恐れるのは、たったひとりに拒絶されることなのだから。
今僕の心は騒いでいる。何と云おうか。“父よ。この時からわたしを救ってください”と云おうか。いや。このためにこそ、僕はこの時に至ったのだ。
僕は羊のために僕のいのちを捨てよう。僕にはまた、この囲いに属さないほかの羊がある。僕はそれをも導かなければならない。
一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままだ。しかし、もし、死ねば、豊かな実を結ぶ。自分のいのちを愛するものはそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至る。今がこの世の裁き。今、この世を支配する者は追い出されるのだ。まだしばらくの間、光はきみたちのうちにある。闇がきみたちを襲うことのないように、きみたちは、光があるうちに歩かなければならない。闇の中を歩く者は、自分がどこに行くのかわからない。きみたちに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じるがいい。
平安がきみたちにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもきみたちを遣わそう。兄弟たち。僕がこれから行くところに、きみは今ついてくることができないだろう。しかし後にはついてくる。
もしきみが約束の虹のことを忘れてしまったというのなら、見ることができぬというのなら、僕がきみたちの虹となろう。
どうか主が民に力をお与えになるように。
主が民を祝福して平和をお与えになるように。
恵みと平安が、あなたがたの上にありますように。
まことにそうでありますように。

 

(その日こそ涙の日、人が塵から蘇る日、罪ある人はあなたに裁かれる。
神よ、彼を許したまえ。主よ、心優しきイエスよ、彼らに永遠の安息を与えたまえ。アーメン。)