Inter oves locum praesta,

et
ab
haedis me sequesta,

statuens in parte dextra.

貴重な魔導式ボディが一体、失くなっていることに千年伯爵が気付いたのは、その翌朝だった。
下僕しもべたるアクマたちや、屋敷のいたるところに設置したゴーレムたちに確認を取ると、あの出来損ないのアクマの仕業だということがわかった。アクマがそんなものを持ち出していったいどうするつもりなのか...伯爵はくだらない、と子どもの浅はかさを哂った。この件を機に、処分してしまうのがいいだろう。新たに製造つくりだしたアクマたちに殺させよう。性能テストにはうってつけの素材えものだ。あのノアの特性にも近い賦活能力の限界がどれほどのものなのか、確かめるくらいしか面白みがないのだから。
伯爵はアレンを呼びつけようと、子どもの魂の居場所を探った。それはすぐに見つかった。屋敷の直ぐ傍だ。相変わらずつるりとした光沢を帯びている。この手に捕えて、暗黒の檻に閉じ込めてもういくらか時が経つというのに、子どものたましいは表面を灰に曇らせることはあっても、その本質はどこまでも純な輝きを失わずにいた。そのことがまた、伯爵の癇に障る。あれは伯爵にとおい敗北の記憶を蘇らせる。忌々しい神の欠片、神の武器、神の恩恵。その輝きに似すぎているから。
「アレン、」 伯爵は静かに喚んだ。
「至急でス♡ さっさと我が輩の前に来なさイ」
空間軸に干渉できる能力でもない限り、呼ばれてすぐに姿を現すなんて芸当は当然無理なのだが、それでも伯爵は待たされることに苛立って手にした傘で床を叩く。お喋りなゴーレムかぼちゃは主の勘気をこうむるのを恐れてじっと押し黙ったままだった。
数分の間をおいて、子どもはようやく現れた。が、その姿は一晩でなにかあったのだと火を見るより明らかに、変化していた。これにはさすがの千年伯爵も驚きを隠せなかった。 「おまえ、いったいなにをしてきたんでス?」
子どもは千年伯爵の目の前で足を止め、すっかり白くなった頭を上げた。左眼、正確にはその額から頬にかけて出来たばかりの疵が鮮やかに整った顔を彩っている。紅いあかい逆五芒星。アクマのしるしが小さな額に刻まれている。
「...すみません、伯爵様マイ・ロード」 子どもは薄い唇を開いて云った。普段の子どもの舌ったらずな怯えを滲ませた口調とはかけ離れたものだった。 「勝手に魔導式ボディを持ち出して、壊してしまいました」
「...壊しタ? おまえが?」 伯爵は目を丸くして聞き返した。ゆっくりと小さな頭が縦に動いた。人間ひとり殺すのでも精一杯のこの子どもが、どうやってあの硬い暗黒を砕けたというのだろう。疑問があった。だがそれはもう既に伯爵のなかで廃棄決定されたアレンに対する探究心としては弱いものであったので、この場では敢えて気にする必要もないと判断し、伯爵は子どもを処分するための格好の理由の方に飛びついた。 「では我が輩は、おまえに罰を与えなければいけませんネ♡」
「はい、なんなりと、主よマイ・ロード」 子どもはらしくなく落ち着いた冷静な声音で云った。 「僕を壊しますか、」
「我が輩の可愛いアクマちゃんたちと、闘いなさイ。 先輩として後輩の指導に当たって下さいネ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、♡」 了解の意を示して子どもは頭を深く垂れた。それからちょっと首を傾げて考えるそぶりを見せたあと、
煉獄の間プルガトリオをお借りしても構いませんか?」 そう訊いてきたので、伯爵は構わない、という意思を身振りで示した。あとからアクマを連れて行くから先に行っていろ、と手を振ることで。



† † †




重苦しい音を立てて扉が開くと、千年伯爵とそれに従うアクマたちは部屋の中に足を踏み入れた。振り返ったアレンの背で、昨夜まではなかった真白の後ろ髪がさらりと揺れた。アレンは息を呑んだ。左眼が疼いた。両の目から入る光を像に捉えて視覚とする人間の肉体構造上、ありえない視界が目の前に広がったからだ。白と黒とに、完全に二分された世界。その黒い世界のなかで、ふかい嘆きが視える。3人の男女だった。人間に擬態していたアクマたちは、伯爵の命に従って皮をひっくり返した。転換コンバート、と伯爵は呼んでいた。2世代目のアクマの攻性態フォワードだ。ダークマターの骨組みが、複雑巧緻に組み変わりながら、質量をまるで無視したボール型に変形する。その度に、アレンは銀の鎖に首を繋がれた死者のたましいたちが叫喚の声をあげるのを視ていた。左眼が熱と痛みに襲われる。ああ、良く似た叫びを僕はしっている、負の感情に彩られた声をしっている。アクマの叫び、アクマの嘆き。すべてはマナの残した傷痕から有無を云わせず流れ込んできていた。
(―――これが僕への罰? マナ...)
アレンは四肢をゆったりとさせたまま、とくに武器を構えるでもなく佇んでいた。伯爵が怪訝な視線を向けたが、それも一瞬だった。彼はアレンを廃棄するつもりなのだ。アレンがアクマたちの攻撃に対して抵抗しようがしまいが興味はないのだろう。それは逆に好都合だった。これからアレンが為すべきことのためには。
「では、始めなさイ♡」
絶対者はそう宣言した。
レベル1のアクマたちは、身体から直接生える砲門からアレンに向かって一斉に弾丸を浴びせかけた。精密とは云いがたい射撃は、ホールの床板まで穴だらけにし、粉塵を巻き上げてアレンの姿を隠してしまった。白煙が立ち込める。アクマたちはじっと前を、アレンがいた場所を見つめて動かない。煙は風に煽られてアクマたちの肌をひと撫でしていく。伯爵は視界の晴れたなかにぽつん、と立つ子どもを見てたちまち顔を歪めた。
アレンは、先程と寸分違わぬ姿で、ただそこに立っていた。
すっ 子どもは左手の人差し指でアクマを示した。きれいに横一列に並んだアクマの、いちばん右端を。そのまま、一本の線を宙に引くようにして動かすと、動作に合わせてアクマたちの身体が次々と爆発し、粉々になり、ダークマターの欠片を撒き散らして、崩壊した。その時涼やかな鎖の音がアレンの耳を打った。魂を拘束する鎖が、ダークマターが砕けるのとほぼ同時に砕け、緩み、魂を逃していく。アレンの左眼に、解放に歓喜するアクマの魂たちの姿が焼きついた。ああ―――マナもこうして逝ったのだろうか? 見送ることすら、僕はできなかった。どこまでも親不孝な息子だ。でももう一度、願うことを許されるならば、マナ。僕は―――

「...すみません、伯爵様マイ・ロード
アレンはアクマの最後の欠片が床に転がって音を立てたと同時に口を開いた。
また、、アクマを壊してしまいました」
千年伯爵から応えはなかった。丸眼鏡がわずかな光源を反射して、表情を隠してしまっている。
「僕を壊しますか、千年伯爵?」

 

 

 

 

(私を羊たちの中に置き、 迷える者より引き離し、 あなたの御右に置きたまえ。)