Quaerens me sedisti lassus,
redemisti crucem passus;
tantus lavor non sit cassus.
たてつけの悪い扉が軋む音を立てて開かれるのをアレンは夢現のなかで聴いた。
近づいてくる足音に閉じていた目を開くと、この世でただひとり、父と呼び慕うひとがそこにいた。アレンは一夜限りの花のように儚げな微笑を浮かべて云った。 「おかえりなさい...マナ...」
ただいま、マナの手がアレンの火照った頬を撫でさすった。冷え切った指先が心地いい。同時にマナがどれだけ寒空の下に居続けたのか知る結果になって、胸がいっぱいになる。
マナは粗末なベッドに横たわるアレンの傍に腰を下ろし、しばらくそうしてこどもの顔を覗き込み、いとおしげに髪を梳いたり汗を拭っていたりしていた。ちいさな世界。マナとアレンだけの。
一方のアレンは扉の傍でじっとふたりのようすを見守った、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
「...ずいぶんおそかったね、マナ......外はさむかったでしょう? 手が、つめたい、」
こどもは小さくはやい呼吸を繰り返しながら訊いた。マナは体温を確かめるように両手でその赤く熟れた頬を包み込む。熱は変わらず高いようだった。
「手が冷たいのは厭かい?」
ううん、子どもは目を瞑りながら微かに首を振ってみせた。 「きもちいいよ、マナの手だもの。」
そうアレンがほころぶように微笑むと、ようやくマナが気の抜けたように弱々しい笑みを浮かべるのがわかった。
「お腹が空いているだろう? 食事にしようか、」 マナは云って立ち上がった。子どもの忍冬ぎん色の瞳がじっとマナの姿を追う。
「...あんまり、いらない...食欲ないんだ。でもマナは、食べて。もうずっと、マトモに食べてないでしょう? マナの方が倒れちゃうよ、」
逆に自分を気遣うアレンの言葉に、マナの表情が曇る。疲労を気付かせまいと努力していたのに、この優しく聡いこどもはすべて勘付いていたのだ。己の不甲斐なさにほぞを噛む、そんなマナを安心させるためなのか、アレンはさらに云い募った。
「僕なら大丈夫だよ...昨夜よりは...苦しくもないし...ただ今は眠たいんだ...だから、ね? マナ...」
云うたびに一呼吸ごとの小休止を挟んで、アレンの弱々しい声音が響く。アレンは名残惜しみながらゆるゆるとした動きで瞼を閉じていった。苦しみと熱が遠のき、暗くて重い どん とした倦怠感が身体を支配して、マナを見つめながらアレンの意識は眠りの向こう側へと引き込まれていった。

こどもの苦しげな寝息が粗末な部屋の中に響く。
マナはじっと子どもの傍に佇んだまま、なかなか動こうとしなかった。
「...すまない、」
マナの唇が小さな呟きを落とすのを、もうひとりのアレンは聞き逃さなかった。数歩近づけば手の届く場所に、憔悴しきった黒い背中があった。手を伸ばしたくても伸ばせず、声を掛けたいのに掛けれず、アレンはもどかしい思いを抱えてマナの背中を見守り続けた。
「ごめんよ...アレン......」
それは何に対する謝罪なのか。今のアレンには理解できた。薬を探してくるよと云って出掛けたマナが、どうして手ぶらで帰ってきたことに対して何の言い訳もしなかったのか、そのわけがマナの背後からすべてを見届けていたアレンには理解できていた。
そうして引き起こされるべく起こった悲劇の結末を知る夢の旅人は、己の無力感を噛み締めながら、そっと、瞼を落とした。

 

 

 

 

(私を探し、あなたは疲れて座し、十字架の刑で私を贖いたもうた。それほどの労苦を無駄にしたもうな。)